アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリング、コンサルティングを行っています。
アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

宮崎県都城市のホテルにいます。

アドラー心理学ベーシック・コース(宮崎開催)の後半の講師を務めるためです。

本来はそれに関連する記事を書くつもりでしたが、4時半ごろトイレに起きてたまたまスマホを見たら、かつての恩師、野田俊作先生(アドラーギルド代表、日本アドラー心理学会初代会長、精神科医)の逝去の情報に接しました。

野田先生の2018年の初頭からそのご不例を存じ上げていましたが、まさかこの時期に、72歳の若さで亡くなるとは思ってもいませんでした。

野田先生は、私にとって大恩人です。

出会いは1983年5月、その年の2月にシカゴのアルフレッド・アドラー研究所(今のアドラーユニバーシティ)でアドラー心理学を学んで帰国されたばかりの野田先生にグループダイナミックス研究所の主催する講演会で出会い、名刺交換をしたのが最初でした。

不登校のお子さんを持つ父親が講演後、「登校拒否の原因は何でしょうか?」と質問したのに対し、あっさりと「知りません」と答えて聴衆を拍子抜けさせました。

その後「原因を知ってどうするんですか? 過去に遡って原因を調べてわかったとして、今からその時代に戻って対処できますか? 仮にスキンシップ不足だとして、スキンシップをし直すことが役に立ちますか?」と、こんな調子で逆質問されました。

私はその瞬間「アドラー心理学を選ぼう」と決心し、それまで関わっていた不登校の施設での原因追求型を放棄しました。

野田先生はその数年前、『登校拒否・非行は治せる』という本で不登校児(その当時は登校拒否児)に薬物を使用することを書いていて、週刊誌でセンセーショナルな取り上げられ方をしていたこともありました。

1983年11月から2月にかけてグループダイナミックス研究所の主催するアドラー心理学カウンセラー養成講座に通い、私はアドラー心理学にどっぷりはまり、日本アドラー心理学会が発足すると共に大阪大学で開催された第1回大会では、頼藤和寛先生たちと並んでシンポジストを務めました。

以降は日本アドラー心理学会理事(事務局長)として10年余、会長の野田先生を支えました。

1985年4月に有限会社 ヒューマン・ギルドが設立されると、最高顧問の一人、さらには私と並ぶ最大株主としてヒューマン・ギルドを支えてくださいました。

ただ1996年だったでしょうか、野田先生が日本アドラー心理学会の会長を辞せられる前後から2人の間に不協和音が生じ、1997年末をもって関係を断つことになりました。

書き出すと止まらないほどになってしまいます。

関係を断つことになっても、野田先生の構築されたアドラー心理学の体系は私の中にずっと生き続けています。

野田先生に出会って最初の頃は、「こんな切れ味鋭い人が世の中にいるのか?!」と驚きでした。

ジョークの使い方も天才的でした。

ヒューマン・ギルドには、野田先生のお写真などがたくさんあります。

東京に帰ったら、野田先生の在りし日のお姿を偲んでもう一度感謝の祈りの瞑想を捧げたいと思います。

野田先生がインドに旅行された折のお土産の数珠もあります。

野田先生のご逝去を悼み、心からのご冥福を祈り、往年のご指導・ご愛顧に対して感謝の念を捧げます。

合掌

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