おはようございます。
アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
またもや金沢に来ています。
一昨日の月曜日は従姉兼叔母とのお別れのため郷里の鹿沼に行ってきました。
先週土曜日に94歳で老衰でこの世を去って、昨晩がお通夜、本日が本葬なのですが、私が参列できないので、一昨日に時間を作ってお別れに行ってきたのです。
駅には86歳になる長兄が迎えに来てくれて、従姉兼叔母のところに連れていってくれました。
従姉兼叔母と2回も書いていますが、少々解説が必要かもしれません。
元々は父の姉の長女で、愛知県の犬山市の出身でした。
その従姉が私の母の弟(次男)と結婚したため私の叔母にもなったのです(以下は「叔母」で統一)。
まあこのようなことはさておき、叔母は私にとって特別な存在でした。
叔母には私と同じ学年になるはずだった、子どもの頃から脳性小児まひの障害を持つ長男がいました。ところが、私の大学受験の日に18歳で亡くしているため、私を息子のように思い、ことのほか私のことを可愛がってくれました。
叔母は比較的最近でも私に会うと、手を握りながらさかんに「立派になって」と言ってくれる人でもありました。
私は叔母に対して「18歳の時からはーちゃん(彼女のご長男のこと)の分まで生きているんですよ」と答えたこともありました。
これは実感で、二人分は生きてはいないけれど、1.2人分は生きているつもりです。
◆この叔母の夫の話を別に書いているので、その点は次にブログでお読みください。
2021年4月13日付けブログ 運転免許高齢者講習:尊厳を貫いた叔父の援助あってこその免許所得の物語
話は少し変わって昨日の朝のことです。
いつものように仏壇に向かって祈りを捧げたとき、この叔母を中心に「南無阿弥陀仏」を唱えました。
すると、あの世に送り出した人たちが次々と現れて、あの人もこの人もと溢れるようになりました。
【こちら】と【あちら】の境界が消えて、この世に存在している人たちだけでなくあの世に送り出したはずの人たちからもたくさん勇気づけられていることを肌身で感じました。
ありがたいことです。
こんな気分にさせてくれたゆき子叔母さん、本当にありがとうございます。
お目にかかれて本当によかった。
亡きがらが母のそれと似ていたのが不思議でした。
今日は本葬。
叔母さんの最愛の夫、兄、妹、弟、私の両親たちとも会えるのかな?
ご冥福をお祈りします。
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