おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
昨日12:20に同居していた義母が老衰のためにこの世を去りました。
自宅で娘である妻と孫のタクロウに見守られながらの旅立ちでした。
異変に気付いたのは昨朝の7:30頃、いつもとは全く違うパターンのいびきが聞こえていたからです。
妻はベッドサイドで声掛け、私は手を当てながら気を送り続けていました。
しかし、目を覚ますことがなく、訪問医のところに電話すると、究極の選択を迫られました。
救急車を呼んで緊急処置ー 例えば気道を開くことーをするか、自宅で看取る覚悟をするか?
私たちは後者を選びました。
義母も望んでいたことだからです。
私はタクロウに異変を伝えて呼び出すことにし、電話後40分ほどすると、担当のK先生が前日に続いてやって来ました。
医師からは数時間後に命が絶たれそうなことを告げられました。
私にはこの日、9:30~17:00に外部の研修機関で公開講座が控えているために家を出ました。
私と入れ替わりにタクロウが今日の退院に備えた衣類を産院に届けた後にやって来たようです。
研修中も私は気が気でなく、お昼休みに家に電話したら、妻とタクロウから感謝の言葉を浴びながら義母はこの世を去ったことが伝えられました。
お花を買って家に帰ると、義母は安らかにベッドに横たわっていたので、私はお経を唱えました。
妻とタクロウにねぎらいの言葉をかけると、悲しみと共に自宅で義母を見送れたやり切り感が見受けられました。
タクロウの妻のユイさんから私の妻に託された手紙には「おばあちゃんーお母さんータクロウーソラ」へとつながっている『命のバトン』という表現がありました。
4世代に渡る『命のバトン』のうち義母とソラの命の接点はたった6日しかなかったかもしれませんが、義母にはたっぷりひ孫のソラの写真を見せて喜んでもらうことができました。
義母の大往生によって命と命の実際の交流はなくなりましたが、命と命の物語は、これからもずっと語り継がれることだろうと楽しみにしています。
義母の最後を我が家で暮らしてもらおうと130数日ほどの期間実行に移し、かいがいしく世話をし続けた妻、自分の妻子のために育休中にも関わらず2度も呼び出しを受けて駆け付けてくれたタクロウ、そしてケアマネ、看護師、訪問医、デイサービスの担当の方など関係者に心から感謝します。
「トシノリさんが手を当ててくれていたとき、まるで仏様が背中に宿っているように感じた」「この家にお世話になれて本当によかった」と9月10日の晩の言葉が残っています。
そんな義母の最後の命のあり方に感謝の気持ちが満ち溢れています。
「お母さんはお父さん、お姉さんのところに旅立ったんだね。お母さんから僕への最高のプレゼントは、娘を私の妻として授けてくれたこと、父、姉を続けて喪っても尊厳を持って生きる勇気を示してくれたことです。お母さん、本当に有難う」
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