おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
1.昨日(12月3日)にヒューマン・ギルドでメルマガを発行しました。
そのことに関連した2つの話から。
(1)カウンセリング道場のコースがほぼ埋まる
来年1月からスタートするオンライン新コースの「カウンセリング道場」がお陰様でほぼ埋まりました。
1)平日午後コース(14:00~16:00)11名申し込み(満員御礼)
2)平日夜間コース(19:45~21:45)13名申し込み(満員御礼)
3)土曜午前コース(9:45~11:45)9名申し込み(残席1名)
(2)オンライン開催:「初・夢のコラボワーク」が受け付け可能になりました。
日時:2021年1月10日(日)13:45~16:45
講師:大高ゆうこさん(ドリームフレンド・風 代表、4,000人の夢解きに関わってきたドリームワーカー)+岩井俊憲(ヒューマン・ギルド 代表、アドラー派として夢に日本一関わってきた第一人者)
ファシリテーター:番澤清美さん(流通経済大学講師、アドラー・カウンセラー、当日のオンラインも担当)
受講料:5,000(税込み・資料付き)
内容:大高ゆうこさんと岩井俊憲との2人の講師が「夢」をテーマに話し合いながらワークも盛り込む初コラボイベント。ドリームワークとアドラー心理学のコラボの強みを生かし、新春からの夢のメッセージを受け取る方法を提案します。あなたの初夢が楽しみ!
申し込み:https://www.hgld.co.jp/p_lecture/view/857 から詳細確認及びお申し込みができます。
2.これが今日のメインテーマです。
昨日の朝、自動車に関連する夢を見てから目覚め、しばし床の中でまどろんでいると、自動車から連想して父親との思い出が次々と蘇ってきました。
最初の思い出は、私が大学生で父親を乗せて出かけたこと。
その当時は、父親は会社を倒産させて再建途上であったため運転手もいないため、夏休みなどで帰京する私に運転を任せ各地に出向きました。
私は運転手 兼 秘書のようにしてやり取りを聞いていたものでした。
父親は生地であり、父親名義の家があった愛知県江南市にも栃木県から私を運転手に出かけました。
第2の思い出は、私が会社を辞め同時に離婚したとき、父親と一緒に秩父観音霊場巡り、坂東札所巡りをしました。
5人きょうだいの末子の私にとって、父親をこうして独占できる時間・空間はとても貴重なものでした。
20歳になる前はほとんどなかったようでした。
そして第3の思い出はとても印象深い内容で、5年前の今日、次のようにブログに書いていたのでした。
◆2015年12月4日付けブログ 信頼を返すには時差がある
私が年に数度は反芻したい、私を支え私の決意を新たにする物語です。
有限会社 ヒューマン・ギルド設立2~3年後の1987~8年のころです。
業績が悪く、ヒューマン・ギルドは存亡の危機に瀕していました。
当時もっとも借りやすいと言われた国民金融公庫の融資を3度申し込んで3度とも失敗、信用保証協会の保証を受けようとしても、事業内容が定かでないという理由でこれまた失敗。
個人的な借り入れに頼って何とか会社を動かしていたのですが、もはや限界に達しつつありました。
苦肉の策として私は、栃木県の日光に近い鹿沼市に住む父を頼ることにしました。
事前に用件を伝えることなく杉並木にドライブに誘い出し、どこかのタイミングで父親に資金の融通を申し出ようとしていたのですが、車は日光から折り返し、いつしか鹿沼市内に入っていました。
不審に思った父親は言いました。
「俊憲まさか、ドライブのために来たのじゃないだろう?」
この言葉に誘われて私は思い切って用件を切り出しました。
「会社で資金が必要なんだけれど、貸してもらえないかな? オヤジの預金を会社が取引している銀行の定期に入れて、それをもとに借り入れを起こしたいんだ」
「で、俊憲、いくらぐらいいるんだ?」
私は老いた父親の横顔を眺めて、
「そうだなあ、100万円くらい融通してくれると助かるんだけど」
「わかった。後はオフクロと相談してくれ」
父は事業家でした。ヒューマン・ギルドの株主にもなっていました。
会社の業況を根掘り葉掘り聞いてもおかしくありません。
しかし、一切の詮索をしませんでした。
資金の使途を聞かれることなく、話はそれで終わりました。
翌日、実家に電話して母に
「例の話だけど、オヤジから聞いている?」と尋ねると、意外な答えが返ってきました。
「あっ、あれね。200万円の話ね」
私は、母の言い間違いか、私の聞き間違いか判然としないまま
「そうそう200万円の話」と厚かましい念押しをしました。
かくして200万円が手に入り、その月を何とか乗り切ることができました。
両親とも今はこの世にいません。
事業家だった父が100万円と私が遠慮気味に言ったことを察したのか、母が父から言われたことを水増ししたのか、とうとう謎のままで終わってしまいました。
しかし、両親の根拠を求めない私への信頼は、30年近い歳月が経過した今も、私の心に残っています。
私は、両親の信頼に応えて、いつつぶれてもおかしくなかったヒューマン・ギルドを30年余、存続させることができています。
生きているときの父や母には何もお返しできなかったけれど、あの両親の息子として恥じない生き方や経営をしているつもりです。
有限会社 ヒューマン・ギルドを無借金の会社にして、規模はさておき、この世になくてはならない会社として誇りを持って経営しております。
「信頼のお返しには時差がある。そして、無限の責任を帯びてお返しする覚悟が育つ」という話でした。
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