見もの・読みもの日記

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手塚治虫の宿題/Pluto003(浦沢直樹)

2006-04-01 23:49:01 | 読んだもの(書籍)
○浦沢直樹、手塚治虫『Pluto(プルートゥ)』第3巻 小学館 2006.5

 『Pluto』の第3巻がようやく出た。第1巻の登場はとにかく衝撃的だった。第2巻は少し展開が遅くてガッカリした。第3巻で、物語の結構がだいぶ明らかになってきたように思う。第1巻では、古典としての手塚Plutoをどのようになぞるのかに、浦沢の腕の冴えを感じたが、この第3巻では、浦沢Pluto独自の構想が、少しずつ明らかになってきている。

 しかし、その主題は、どうやら手塚の主題を真っ当に引き継いでいるようだ。ひねりも衒いもなく。その覚悟やよし、である。人間に極似し、人間以上の能力を持つ、進化したロボット。感情を持っているようにも見え、持っていないようにも見える、理解不能な隣人。ロボットの意思とは無関係に、ロボットによって職を奪われ、時にはロボットによって裁かれる人間。底辺に排除された人間は、ロボットに差別と憎しみの感情をつのらせる。それに対して、ロボットは人間を憎んではいけないのか?

 手塚の《人間とロボットの対立/共存》という主題に、人種差別の体験が色濃く影響を与えているというのは有名な話だ。ある人間の集団(人種、国籍、民族)による、別の集団に対する差別と排撃。この問題は、主たる対象を微妙に変えながら、今日に至っても何も解決していない。手塚の原点は、アメリカ人の日本人に対する差別だったけれど、いまの日本人は、自分が「差別する側」であることを公言して、何も恥じなくなっている。奈落の闇はいよいよ深い。
 
 思い返してみると、こうした問題を子供心に刻んでくれたのは、何よりも手塚マンガだった。小学校で習った「道徳」の教材は忘れ果てても、手塚マンガに投げかけられた宿題は、今も鮮烈によみがえってくる。人間とロボットは、どうして仲良く生きていけないのだろう――そうつぶやいて、街の夜景を見下ろすアトムとウランが描かれていたのは、どの話のラストシーンだったかしら。それにしても、こんなに長い長い歳月をかけて、まだ解き明かすことのできない宿題だとは、当時は思っていなかったけれど。

 手塚マンガがそばにあってよかった。私と同じ1960年代の子供だった浦沢直樹もきっとそう思っているに違いない。戦後民主主義が「虚妄」でない証拠のひとつは、きっと手塚マンガの中にある。
コメント
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