見もの・読みもの日記

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いくつもの近代/中国の衝撃(溝口雄三)

2006-04-11 00:16:08 | 読んだもの(書籍)
○溝口雄三『中国の衝撃』 東京大学出版会 2004.5

 本書の存在を知ったのは、丸川哲史氏の『日中一〇〇年史』(光文社 2006.1)による。日増しに大国化する中国は、やがて「日本がどのような歴史認識を持っていようが全く気にしなくなる」日が来るだろうという予測が紹介されていて、ずいぶん思い切ったことを(真実にしても)言うものだ、と思って、記憶に留めた。

 実際に読んでみると、ジャーナリスティックな要素は少ない。非常に篤実な学問的労作という印象の残る本である。著者の問題意識は、歴史学の視座にある。中国の近代を語る者は、多くの場合、アヘン戦争という「西洋の衝撃」から語り始める。列強の侵略によって、眠れる獅子(清朝)が痛撃を受け、民衆の蜂起による革命、保守派の抵抗、戦乱を経て、新中国が誕生する、という筋書きである。

 基本的には日本人も、西洋の衝撃を東アジア近代化の開幕とする観点を共有している。 そして、西洋の衝撃をうまくやり過ごし、いちはやく近代化を成し遂げたアジアの優等生が日本で、遅れをとったのが中国である、という図式は、今も日本人の優越感をくすぐり続けている。

 しかし、この「アヘン戦争近代視座」は、20世紀の各国の歩みの中で必要とされた(20世紀に時限的な)視座に過ぎない、と著者は言う。中国の歴史は、ヨーロッパ史と違って、たかだか百年の目盛で測れるものではない。「できれば千年単位、最低でも三百年単位」で俯瞰するのがよい、と言う。一見、無茶な注文で、笑ってしまった。でも、本当のことだと思う。

 東アジアの各国は、だいたい17世紀初頭から、それぞれの近代化の途を模索し始めた。中国では、地方分権化の胎動が始まり、最終的に、中央集権的な王朝体制が崩壊して、地方分権体制の上に共和国政府が成立した。一方、日本では、分権的な封建体制において、中央集権志向が高まり、天皇制中央集権政府に移行した。つまり、中国の近代化と日本の近代化は、もともと異なる構図を持つもので、一元的な先後関係をあてはめることはできないのである。

 そして、中国史の視座に戻るとすれば、20世紀の「中国革命」とは、毛沢東ら一部の指導者が、外来の社会主義理論を中国に適用させたものではなく、中国の社会システムや統治理念の中に、社会主義を受け入れる土壌(たとえば、結社や同族結合による相互扶助の重視)が、あらかじめ存在したと見るべきではないか。

 以上、著者の提唱する「新しい中国史の視座」というものが、私にはよく分かる。理論的にも、実感としても、深く納得できるものである。しかし、同時に感じるのは、日本における「アヘン戦争近代視座」(あるいは、黒船近代視座)の根強さである。「アジアの優等生だった我々」という優越感を棄てて、みんな、それぞれ努力していたのだ、ということで納得するには、まだまだ途方もない時間がかかりそうな気がする。
コメント (1)
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