見もの・読みもの日記

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週末関西旅行2日目:大勧進:重源

2006-04-27 11:22:02 | 行ったもの(美術館・見仏)
○奈良国立博物館 特別展『大勧進:重源-東大寺の鎌倉復興と新たな美の創出』

http://www.narahaku.go.jp/exhib/exhi-index.htm

 今週の日曜日の話である。京都を発って、奈良に向かった。奈良公園に着いたのは朝の9時過ぎ。鹿の姿を眺めながら、9時半の開館を待つ。私が朝から奈良にやって来るといえば、だいたい秋の正倉院展が目的なので、人波をかき分けて、気ぜわしく行列に並ぶことが多い。こんなふうに、のんびり開館前の風景を眺めるのは新鮮な体験である。

 この展示会は、平氏による南都焼き打ちのあと、東大寺の再建に尽力した俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)を記念するものだ。重源は好きなお坊さんだ。学校の日本史では、鎌倉仏教と言えば、親鸞・道元・日蓮など、思想的な大成者を重視するけれど、私は、この重源や、西大寺律宗の叡尊・忍性など、行動派の僧侶に、より多く魅力を感じる。

 重源は、東大寺再建の大勧進(だいかんじん)に任ぜられたとき、既に60歳を超えていた。それから10年以上の歳月を費やして、無名の民衆を組織し、権力者の支援を取り付け、さらに技術者を指導して、大仏を鋳造し、開眼供養を成し遂げる。しかも、単にあったものの再現ではなくして、大陸で学んだ最新の土木・建築技術と宋様式という最新モードを取り入れ(入唐三度上人だし)、慶派仏師を起用して鎌倉新様式の殿堂を作り上げた。すごいプロデューサー能力だと思う。

 松岡正剛さんは、読書ブログ『千夜千冊』で、伊藤ていじ著『重源』(新潮社 1994)を取り上げ、重源には「どこか仏教マキャベリストともいうべき感覚」があると語る。そうそう、そこが好きなんだ、私は。重源は、すでに近世のほうを向いた中世人、という感じがする。ちなみに私は、南都焼き打ちの首班で、仏罰を恐れぬ大殺戮を行った平重衡のリアリストぶりも、同じ理由で好きなのである。

 会場には、東大寺・俊乗堂の重源上人坐像が飾られている。場内に人が少ないので、わざと少し離れた距離から眺めてみると面白い。小さな体躯に宿る、どこまでも不敵な精神が、老いかがまった背中の表現からも伝わってくるようだ。

 会場に入ってから30分ほど、係員の男性が、上人像の前に、白木の卓を運んできた。やがて1人の若い僧侶が入ってきて、読経を始めた。深みのあるバリトンである。般若心経が終わると、真言を唱える。袖に包んだ右手は、印を結んでいるのだろうか。私を含め、会場に散らばっていた10人ほどの観客は、申し合わせたように、上人の像のほうに向き直り、一緒に礼拝していた。ちょっと感動してしまった。

 展示品は、最初、文書類が多いなと思ったが、あとのほうに、仏像・仏画の名品も待っている。兵庫県・浄土寺からは阿弥陀三尊のご本尊だけがいらしているが、これは5メートルを超える巨像である。奈良博の新館(西館)って、実は天井が高いんだなあと初めて知った(正倉院展しか見たことがないので)。高野山から快慶作の孔雀明王もいらしている。松永耳庵旧蔵の巨大な「菩薩の耳」にはびっくりした。耳だけでも彫法から快慶作と分かるらしい。

 ちょっとマニアックには「建久七年」銘のある伎楽面(京都・神童寺)に注目。古代だけで滅んだものと思っていた伎楽が「鎌倉復興期の南都で復活した可能性を示す」ものであるとのこと。興味深い。
コメント
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