見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

黄金週2011関西遊(5/4):西国第二十九番・松尾寺

2011-05-07 23:31:24 | 行ったもの(美術館・見仏)
■西国第二十九番 青葉山松尾寺(京都府舞鶴市)

 朝(5/4)大阪のホテルをチェックアウトし、京都へ向かう。京都駅で荷物をコインロッカーに放り込み、山陰本線のホームへ。今日は西国札所のひとつ、松尾寺(まつのおでら)に参拝することに決めた。前回の参拝は2009年8月のことで、秘仏ご本尊を拝することはできたが、宝物殿を見られなかったのが心残りだったのだ。今はちょうど、第六回春季展観(2011年3月20日~5月23日)を開催中である。

 松尾寺駅着。道標を頼りに同寺へ向かう。記憶によれば、途中、舗装道路と山道の分岐点に行き当たる。正規の松尾寺ルートは舗装道路を示しているのだが、山道にも「松尾寺古道」のような手書き看板が立っていた。前回の参拝は夏の盛りで、古道は夏草に埋もれ、足元も軽装(サンダル)だったので、正規ルートを選んだのだが、あとで巡礼仲間の友人に聞いたら「あの道は趣きがあっていいですよ」とのこと。今回は、ぜひ古道ルートを選ぼうと決めていた。



 上がその古道の入口で、短い若草がいい感じだが、前回あったはずの「松尾寺古道」の看板がない。わずかに赤い丸が見えるのが「NPO西国古道ウォーキングルート」という看板。確かここだったよな~と記憶を信じて山道に入る。15分くらい歩くと、結局、舗装道路に合流するのだが、山道のほうが距離も短く、坂もなだらかで、歩きやすいと思った。

 さて松尾寺に到着。本堂をのぞくと、鎖されたお厨子の前に黒光りする馬頭観世音がいらっしゃる。記憶は定かでないが、前回は、あのお厨子が開いていたはずだ。ご朱印をいただきながら「宝物館を拝見したいんですが」と申し出ると、「宝物館のお客さんだよ」「はい」というリレーがあって、ひとりのお坊さんが立っていくのが見えた。

 宝物館に入ると、待っていたお坊さんから、いろいろ詳しい説明をいただいた。山門の金剛力士立像(仁王像)は解体修理を終えて久しぶりに戻ってきたこと。墨書の発見を期待したが出なかったこと。絵画『愛染明王像』は同寺に伝来したのではなく、明治10年代に住職が京都で購入したものであること。『普賢延命菩薩像』(国宝)は、年60日程度の公開が目安とされているが、この宝物館で春秋各1ヵ月公開することになったので、もう他にはあまり貸出できないこと。『孔雀明王像』(旧国宝・重文)はトーハクに貸し出したきり、一向に返ってこないこと、等々。宝物館に出ていた絵画は3点だけだったが、ほかにも優品をお持ちなので「展示替えをなさるんですか?」とお尋ねしたら「うーん、だいたい決まってきちゃいましたね」とのこと。『松尾寺参詣曼荼羅』は大きいので、ひとりで巻くのが大変なのだそうだ。

 再び古道を下って松尾寺駅へ。前回参拝のとき(※記事)、駅舎で見かけたにゃんこの写真を掲載しておいたら、あるとき、Yahoo!トピックスで「松尾寺駅の猫」が取り上げられ、私のブログに空前のアクセスをいただいた。今日は姿が見えないなあと思ったら、外の自転車置き場でおひるね中だった。元気で何より。



 また来るからね!
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黄金週2011関西遊(5/3):長沢芦雪(MIHO)、中国書画(黒川古文化研)

2011-05-07 21:38:24 | 行ったもの(美術館・見仏)
 大阪のホテルを起点に、いろいろ考えた結果、今日(5/3)は東西に広域移動することに決めた。交通費はかかるが、意外と時間は有効活用できる案なのである。

MIHOミュージアム 春季特別展『長沢芦雪 奇は新なり』(2011年3月12日~6月5日)

 冒頭で、あれ?と思ったのは、応挙門下の蘆雪(芦雪)と源が共作した『唐美人図』対幅。蘆雪は落ち着いた年増美人を、源は年若い清楚な美人を描いているのだが、その源筆の図様に見覚えがある。府中市美術館の『江戸の人物画』に蘆雪筆『唐美人図』として出陳されていたものとそっくりだったのだ。いま、図録を並べて確認したが、同一の粉本を写していることは間違いない(蘆雪展26頁、人物画51頁)。ただし、美人の表情は微妙に異なる。なるほど、画家の育成って、こうして行われたんだなあと実感。

 私は蘆雪も昔から好きで、よく見ているので、それほど目新しい作品はなかった。あえて言うと『唐獅子図屏風』(佐賀県立博物館)。狩野永徳みたいな唐獅子を描いてください、って頼まれたのかな。ワカメを頭に載せたネコがすごんでいるみたいで、笑ってしまった。それから『群龍図』(大原美術館)。はじめ数匹かと思ったら、雲の中にうじゃうじゃといる。蘆雪は、鶴でも亀でも童子でも、群れているところを描くのがわりと好きだと思う。

 出陳リストを見ると100件以上が掲載されているが、展示替えがあるため、実際に見ることができたのは、この3分の2ほどか。展示図録を見ると、まだまだ私の知らない蘆雪作品があることが分かった。虎図は、有名な無量寺のものに限らず、たくさん描いているんだなあ。本間美術館の『四睡図』とか個人蔵(?)の『蹲る虎図』とか好きだー。いつか見てみたい。月を描いた作品を集めた「光への関心」の着眼点はすごく面白いと思ったが、この時期は展示が少なかった。残念ながら、図録で確かめるのみ。

黒川古文化研究所 春季展観(第105回展観)名品展『中国書画-受け継がれる伝統美-』(2011年4月16日~5月15日)

 続いては、再び関西中国書画コレクション展の一。黒川古文化研究所へは初訪問である。阪急夙川駅から1時間に1~2本のバスがあることは事前チェックしていた。20分ほど待ってバスに乗ると、どんどん坂を上がっていく。バスを下りたあとも、さらに徒歩で坂を上る。別に山の中ではなくて、普通の住宅街なのだが、ふだん平地で暮らし慣れている東京人には驚異の風景である。

 最後の胸突き坂を登り切って、入館したのは午後3時近くで、こわごわ「何時までですか?」と確かめたら「4時です。まだ十分時間はありますよー」と受付の女性に微笑んでいただいた。展示室は1室だけで、1時間なら(十分ではないが)ちょうどいいくらいではあった。

 私の好みは、武丹『山水図』。画面の奥へ奥へと連なる稜線が大気の中に消えていく。近代的というか西洋画っぽくて、水墨画という感じがしない。顧大申『渓山詩興図巻』は、葉の落ちた山を薄い色彩で描き、この時代(清・康煕3年)特有の寂寥感があらわれていると解説にいう。ほか、画には「倣○○」、書には「臨○○」と題する作品が多くて、明清の人々の古きを尊ぶ気持ちを感じさせた。趙左の『倣古山水図巻』は、米南宮(米フツ)、小米(米友仁)、馬遠、郭熙など諸家の画風を描き分けた小画巻。特定の画の模写なのかもしれないが、いかにも「それらしい」ところがパロディみたいで、ちょっと笑えてしまった。羅振玉旧蔵だという。その羅振玉が清朝官人の服を身につけて、日本の写真館で撮った写真もあった。

 帰りもバス停でバスを待つこと30分ほど。中国書画以外にも、古瓦・古鏡など優れたコレクションを有する研究所なのは承知なのだが、また来ることができるかなー。

 夜は、東京から出てきた友人となんばで会食。
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黄金週2011関西遊(5/2):憧憬(正木美術館)、朝鮮時代の美(東洋陶磁美術館)

2011-05-07 10:51:16 | 行ったもの(美術館・見仏)
 大阪泊。前日は京都で友人と遅くまで飲んでしまったので、早起きできず。今日(5/2)は月曜なので、西国札所めぐりにしようと思っていたが、予定を変更。

正木美術館 2011年春季展『憧憬 室町の風流』(2011年4月2日~5月29日)

 正木美術館は初訪問。ただし南海電鉄忠岡駅からの道順には覚えがある。水曜休館なのを知らずに無駄足を運んでしまったことがあるのだ。警備員の立つ正面玄関の扉が開くと、ロビーも何もなく、正面がチケットブース(映画館みたい)。さらにすぐ脇の視野の範囲から展示が始まっている。簡素といえば簡素。一歩踏み入れば別世界というところが茶の精神に通じるのかな。

 展示室は本当に別天地だった。冒頭の墨蹟は滅翁文礼の『春遊詩』。右肩上がりというより左側にだらしなく流れるような細身の字で、春風駘蕩という言葉が似つかわしい。解説に杭州の春を読んだものという。中ほどの「春愁」の文字に目が留る。禅僧って宗教者である以上にセレブな文化人だったんだなあ、と思う(昨日の『法然』展を思い出し、こういうところが、宗教の純粋性を求める法然から指弾されたんだなあ、とも)。ふわふわと魂の抜けていきそうな文字をきゅっと締めているのが、下に置かれた青磁碗と黒漆天目台。

 あらためて展示室を見渡す。チケットブースの左右それぞれ、10畳間くらい。モルタル(?)づくりのベージュの壁は土の手触りを感じさせ、展示ケースも心やすまる木枠。ふかふかした浅黄色の床は畳の色なのか。肩の力の抜けた展示室で、作品の端正さと気品が際立つ。展示ケースの中の、濃いブルーのビロード張りの展示台は、青磁の青みを引き立てている。青磁袴腰香炉(南宋・龍泉窯)の発色ときたら、翡翠にしか見えない。釉薬(うわぐすり)だなんて、とても信じられない! あと米色青磁の下蕪形瓶に惚れてしまった。なるほど、伝統家屋の壁の色にぴったり合うんだ。以上2件の青磁は常盤山文庫蔵。

 能阿弥筆『蓮図』は久しぶりの再会。同じく能阿弥の『瀟湘八景図』ニ幅は「20年以上公開されていなかったもの」と解説にあった。やわらかな山水は、空気の中に溶け出してしまいそう。子どもがクレパスで描いたような木々。旅人を乗せた驢馬の造型もヘン。でも好きだ。2階は江戸絵画に受け継がれた「室町」を探る。展覧会チラシに紹介されている伊川院(栄信)晴川院(養信)『唐画写画帖』の「桃鳩図」は、もちろん徽宗の桃鳩である。

■千利休屋敷跡~南宗寺~住吉大社

 次の目的地まで時間に余裕があったので、堺で途中下車して、千利休屋敷跡と南宗寺に寄る。さらに住吉大社にも寄り道してご朱印をいただく。これらはまた別項で。

大阪市立東洋陶磁美術館 特別展 浅川巧生誕百二十年記念『浅川伯教(のりたか)・巧(たくみ)兄弟の心と眼-朝鮮時代の美-』(2011年4月9日~7月24日)

 近年再評価の気運が高まる浅川兄弟の事跡を体系的に紹介。展示解説を見ていくと、浅川巧が整理した朝鮮陶磁の写真や原稿は東洋陶磁美術館に入り、旧蔵の陶磁器そのものは、多く日本民藝館に入っているらしい。今回、これを突き合わせて見ることができて面白かった。なお特別展示エリアが、いつもの「企画展示室」以外にもバラけているので、1室だけ見て「これで終わり?」と思わないように。

 浅川伯教の朝鮮陶磁写生図を見ると、伯教には朝鮮陶磁がこんなふうに見えていたんだなあ、と思う。描線が力強い。伯教愛用の粉青茶碗(銘・ミタン洞)は釉の懸け残しがちょっとモダン。巧愛用の平たい粉青刷毛目茶碗は、白釉に布を貼り付けたような文様がある。うーん、どちらも生活の温かみはあるけど、白米ご飯は似合わない感じがする。後半に展示されている広州官窯の白磁は、同じ朝鮮陶磁でも全然雰囲気が違う。白色が違う。

 柳宗悦が河井寛次郎宛てに、巧の葬儀の様子を書き送った手紙、朝鮮民族美術館(景福宮内の緝敬堂にあった)の写真なども興味深く眺めた。後年の伯教が「数寄者」小林一三、益田孝らと交流し、日本文化にも造詣を深めたというのは初めて知った。朝鮮との結びつきが強調されすぎて、あまり語られていなかったことではないかと思う。

 日本民藝館の名品(魚形の水滴も!)や安宅コレクションの名品(青花窓絵草花文面取壺)は何度見てもうれしい。最後は時間が足りず、閉館チャイムに追い立てられる。
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