見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

静かなひととき/館蔵品展(三井記念美術館)

2011-05-23 23:34:47 | 行ったもの(美術館・見仏)
三井記念美術館 『館蔵品展』(2011年4月6日~6月19日)

 東日本大震災の影響で、中止や企画変更を余儀なくされた展覧会は数多い。同館でも、特別展「ホノルル美術館所蔵『北斎展』葛飾北斎生誕250周年記念」の開催ができなくなったため、急遽、代替が決まったのが、この館蔵品展である。浮世絵ファンのみなさんには申し訳ないが、個人的には全然OK。コレクション展って、雰囲気が落ち着いていて、すごく好きだ。本当に美術(館)の好きな人が集っている感じがする。

 まず茶道具。冒頭の『青磁鳳凰耳花入』はちょっと変わったかたち。茶碗は、私の好きな楽茶碗が、いろいろ揃っていて嬉しい。黒楽茶碗「銘:四ツ目」は、口が大きく四角形に開いており、内側に銀河のような輝きを封じ込める。同じく黒「銘:南大門」は、墨汁の塗りたてのような、てらてらした黒。「銘:俊寛」は、ちょっと内すぼまりの見込み、床に落ちる影に静かな孤独を感じさせる。こってりした粘土色の赤楽茶碗「銘:再来」、本来、温和な風合いの赤楽茶碗にガッと乱暴に黒を刷いたような「銘:鵺」も好きだ。

 別の展示室で『聚楽第図屏風』(桃山・16世紀)を発見する。昨年、名古屋市博物館の『変革のとき 桃山』展が初見で、へえ、三井記念美術館にこんな屏風があるんだ、と驚いたもの。金で装飾された青い瓦屋根の楼閣と、茶色の屋根(桧皮葺だろうか?)が同居している。

 重文『東福門院入内図屏風』は、修復後初公開(~5/15)。巻子本を屏風に仕立てたものと思われ、右隻の下段(二条城)から左隻の上段(御所)に向かって、入内行列が続く。「日野中納言」「鷹司大納言」などの公家、「松平」「井伊」「本多」などの大名など、名前を読み説きながら眺めると面白い。修復の過程で、脱げ落ちた烏帽子が、紙の貼り継ぎ箇所に隠れているのを発見した、という解説が添えられていたが、よく見ると、他にも烏帽子を取って汗をぬぐう従者(駄目だろw)や、慌ててそれをたしなめる人物などが、そっと描かれていて、なかなか面白い。

 最後は江戸後期~明治の屏風と画軸。狩野栄信(伊川院)筆『四季山水図』がなんか変で面白い。「清朝絵画学習のあとがうかがわれる」という解説は、確かにそのとおりだと思うのだが、どこかちぐはぐな「間違い探し」みたいになっている。
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倒産から再生へ/筑摩書房 それからの四十年(永江朗)

2011-05-23 00:52:15 | 読んだもの(書籍)
○永江朗『筑摩書房 それからの四十年:1970-2010』(筑摩選書) 筑摩書房 2011.3

 2010年10月に刊行を開始した筑摩選書に、2冊の新刊が加わった。和田芳恵著『筑摩書房の三十年:1940-1970』は、筑摩書房の創業から30年間を描いた同社の社史の復刻版。そして、本書は、前掲書に続く40年間を扱っているが、最大のイベントは、1978年7月の会社更生法申請、すなわち事実上の倒産である。

 覚えてる。私は高校生だった。本好きの高校生だったから、「なんか筑摩って倒産したんだよねー」と話題にした記憶もある。しかし、書店から即座に筑摩書房の本が消えてしまうかと思ったら、そうでもなかったので、経済の仕組みって分かんないなあ、と首をひねったものだ。30年の時を経て、当時の疑問を解き明かしてくれたのが本書である。

 本書では、倒産直前の筑摩書房の実態も、容赦なく白日の下にさらされている。経験とカンがたよりの営業。物流を見下していた編集部。企画の貧困。目先の現金欲しさに乱発された紙型新刊(焼き直し)。めちゃめちゃな賃金体系。組合が労働条件の改善要求を出すと、面倒くさいので、金で解決しようとする経営陣。結果として賃金は際限なく高騰し、余剰人員とともに、経営を圧迫した(1人年間590万円とある)。これが「良心的な出版社」と信じられていた同社の実態かと思うと、目を覆いたくなるような惨状である。

 しかし、その中から、筑摩書房は立ち直る。更生手続開始が決定した1978年11月、編集部長に就任したのは中島岑夫。丸山真男はじめ、多くの学者・研究者に信頼される編集者であった中島は、「読者志向」に舵を切ることを決断する。ここ(178頁)を、私はしみじみ思いにふけりながら読んだ。「お客様志向」は、今やニッポンのあらゆる業界の「正義」である。本当にそれでいいのかどうか、私は繰り返し疑問を感じている。しかし、とにかく「倒産」した会社を立てなおすには、これしかない。「中島は、自身の志向と会社の志向をはっきり区別した」という記述を読んで、立派だ、と思った。働く者として、そこは迷っちゃいけないんだなあ…。

 「象徴的に表現するなら、それは『筑摩』から『ちくま』への変化、といってもいいのかもしれない」と著者は語る。1985年「ちくま文庫」、1987年「ちくまライブラリー」、1988年「ちくま文学の森」、1994年「ちくま新書」…ああ、このへんは、私には懐かしい同時代史である。「ちくま文学の森」は、何よりも安野光雅さんの装丁が印象深い。「ちくま文庫」も初期は安野さんの装丁が多かったように思う。「ちくまライブラリー」は、赤坂憲雄さんの『王と天皇』(1988年)の記憶が鮮烈である。私は既にファンだったけど、まだ全然著名じゃなかったので、ソフトカバーで著作が出たことに驚いた。「ちくま新書」の転換点となったのは、1999年の小谷野敦『もてない男』なのだそうだ。あーこれも買いましたとも。

 一方で、伝統を受け継ぎ、深く静かに進行し続けた企画もある。「柳田国男全集」「宮沢賢治全集」など、長い年月をかけて生み出された優良コンテンツは、「ちくま文庫」にも再録され、文庫のクォリティを格段に高めた。膨大な固有名詞や難読語へのルビ付け作業って、聞くだけで目が眩みそうだ。電子書籍の時代を迎え、従来の出版社には、もう未来がないようなことも言われているけれど、本づくりに編集の力は必要だし、コンテンツの力は信じられていいはずだ。問題は、同社が倒産を乗り切ったような、ビジネスモデルの変革である。私は、「ちくま」というより、むしろ「筑摩」的な出版文化こそが、さらにこれからの三十年ないし四十年を生き延びてほしいと思う。

※参考:堀田善衛著、紅野謙介編『天上大風:同時代評セレクション1986-1998』(ちくま学芸文庫)
雑誌『ちくま』連載。「筑摩書房五十周年記念パーティでの祝辞補遺」(1991年)を収録。ちょうど1年前の同じ時期にこの本を読んでいたのは、なんだか奇遇。
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