見もの・読みもの日記

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戦争、中国、本づくり/司馬さんの見た中国(高島俊男)

2014-06-16 00:55:42 | 読んだもの(書籍)
○高島俊男『司馬さんの見た中国』(お言葉ですが…別巻6) 連合出版 2014.6

 高島さんの「お言葉ですが」は週刊文春の名物連載エッセイだったが、単行本11巻を以て終了し、『正論』『東方』『中国研究』ほか、さまざまな雑誌に寄稿したエッセイを集めて、別巻シリーズがすでに6巻まで出版されているらしい。タイトルの「司馬さんの見た中国」は、たまたま冒頭を飾る一編が『文藝春秋』(2013年3月)に掲載された特集記事「司馬遼太郎の見たアジア」について書かれていることにちなんだもので、全巻を通して、司馬遼太郎の中国観について語った書物ではない。

 こういうタイトルの付け方はどうなんだろう。なんとなく、司馬遼太郎ファンのそそっかしい読者が購入することを期待している下心(編集者の)が透けて見えるようで、私はあまり好きじゃない。文庫本の「解説」のありかた、「○○編」という責任表示の意味など、いまどきの本づくりに苦言を呈している著者に聞いてみたい気がする。

 全体としては書評に類するエッセイが多い。気に入ったものを挙げていくと、まず、金田一春彦『父京助を語る 補訂』(1986年)。春彦氏が、自分も国語学者になりますと申し出たとき、京助先生は「専門にしてはいけないものが三つある」と言って、「語源の研究」「詩の韻律の研究」「国語の系統論」を挙げた。それぞれの理由は、日本語の特色と深く結びついていて、納得できる。京助先生の孫の金田一秀穂氏も国語学(日本語教育学)を専攻されているが、この戒めは伝えられているのだろうか。

 門司親徳『空と海の涯で:第一航空艦隊副官の回想』(2012年)は、兵隊たちのの食うもの着るものその他を調達する主計兵だった著者の自伝。昭和16年に海軍に入り、終戦までの間、海軍という「役所」は、一主計兵の居所をちゃんと把握していて、一定期間ごとに異動命令が下される。グアム、ラバウル、土浦、木更津、フィリピン、台湾。転勤の繰り返しとともに、ちょっとずつ出世してゆく。「軍隊は官庁なんだなあ」という高島さんの感想が、馬鹿馬鹿しいけど胸に突き刺さる。

 戦争、原爆、核実験、そしてフクシマの原発事故に関する本の書評は、どれも重要なことを教えている。米軍の秘密部隊の情報をつかんでいても、それを活かせなかった日本軍。放射能が人体に与える影響のデータを得るために、平気でうそをつく科学者。政府の補助金によって進む環境破壊と共同体の破壊。考えさせられることが多い。

 後半には、著者の専門分野である中国語および中国文学に関する書評がまとめられている。「旧中国」を描く汪曽祺、友梅という作家。いい訳本があるなら読んでみたい。あと、途中脱線して、台湾の葉洪生氏(このひとは「武侠小説評論家」と称されている)の『蜀山剣侠評伝』を読んで、民国時代の文学が「今日の文学史に出てくる魯迅・茅盾・老舎・巴金の流ばかりなのではなく」「わが国でいえば中里介山、林不忘、あるいは長谷川伸、吉川英治」にあたるような作家たちがいたことに注意を喚起している。この文章が書かれたのは1984年だが、今や映画やドラマ、ゲームを通じて、民国時代の武侠小説作家に親しむ日本人の数は、魯迅や茅盾の読者よりは多いんじゃないかな。

 中国といえば、平川祐弘氏の『西欧の衝撃と日本』(1974年、講談社)のまえがきには、どこか奥歯にもののはさまった物言いがある。この理由が明かされたのは、1985年、同書が講談社学術文庫に入ったときのまえがきで、編集者から「中国については批判めいたことはお控え願えませんか」と申し入れられたのだという。「昭和49年当時の日本の出版界には常軌を逸した親中国熱(といえば上品だが一種のおためごかし)があって、それは言論・出版の自由をも圧迫するものだったのである」という。

 関連して、著者自身も、1989年に『中国の大盗賊』を講談社から出す際に「講談社の本の読者はたいへん広い。日本のあらゆる方面の人たちが皆だいじなお客さまです。その中にはもちろん親中国派の人たちもいます」云々と言われたことを書いている。私は2004年に講談社から刊行された『中国の大盗賊・完全版』を読んで、1989年版では掲載が見送られた、「盗賊皇帝」毛沢東の章が、正直いちばん面白かった。こういう次第を知ってしまうと、最近の「嫌韓・嫌中」ブームというのも(よいとは思わないが)商業主義の針がたまたま逆に振れているだけで、しょせんは一時の流行、という感じがする。
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