○河合敦『殿様は「明治」をどう生きたのか』(歴史新書) 洋泉社 2014.4
ずいぶん前に書店で見つけて、いつか読むかもしれないと思って買っておいた本。読んでみたら、安西水丸さんの『ちいさな城下町』(文藝春秋 2014.6)に出てきた請西藩の林忠崇とか、北海道に「木彫りの熊」をもたらした尾張藩の徳川慶勝公などが出てきて、おやおやと思った。
明治4年(1871)の廃藩置県によって、消滅した藩は260以上。そんなにあったのか。私は日本の近世に対して、かなり大人になるまで古代の「国主」制度そのままのイメージを持っていて、「国」の下位区分の「藩」(1万石以上の領土を保有する大名の所領を言う)がそんなに細分化されているとは思っていなかった。
その中から、本書には14名の藩主が取り上げられている。精選された結果、私でも知っているような有名な殿様が多い。特に「維新の波に抗った若き藩主たち」「最後の将軍徳川慶喜に翻弄された殿様」の9人は、松平容保(会津藩)、定敬(桑名藩)の兄弟をはじめ、幕末維新史に欠かせぬ主役たちである。あ、尾張の徳川慶勝は、容保、定敬の実兄なのか。あまり認識していなかった。本書の表紙写真(121頁にも掲載)は、明治11年(1878)銀座の写真館で撮影された。中年から壮年の4人の男性は、いずれもゆったりしたフロックコート姿(かな?)。シルクハットを手に持ち、2人は腰かけ、2人は立っている。面長な顔の輪郭に類似点はあるが、まるで合成写真にように各自バラバラの方向に視線を向けている。これは徳川慶勝、一橋茂栄(高須藩)、松平容保、松平定敬の「高須四兄弟」の集合写真で、茨城歴史館に現存するのだそうだ。
出色なのは、やはり土佐藩の山内容堂公。私には大河ドラマ『龍馬伝』の近藤正臣の印象が強い。あのドラマは坂本龍馬の死で終わってしまったが、その後の容堂は新政府のやりかたが気に食わず、鬱屈を酒と女で韜晦する日々を送ったようだ。こういう人物、大好きだ。中国文化の「佯狂」の伝統に忠実である。わざと「大名といえども酒宴を開き、妓を聘し苦しからず候や」などという伺い書を政府に提出したりしたそうだ。公文書として残っているのかな。見てみたい。
最後の章「育ちの良さを活かして明治に活躍」の5人は、私の知らないエピソードが多く、面白かった。蜂須賀茂韶(徳島藩)と妻・随子の「肉体関係を持たない」条件つき結婚って何なの? ちょっと調べてみると、美味しい小説のネタがゴロゴロころがっている。実業家・政治家・外交官と多方面で活躍した、多才にして長生きだった浅野長勲(広島藩)。製紙業という目のつけどころが面白い。岡部長職(岸和田藩)は米国留学中にキリスト教に入信し、新島襄に岸和田への布教を依頼したというから、昨年の大河ドラマに出て来たのだろうか。私は見てなかったけれど。
上杉茂憲(米沢藩)の維新後の事蹟は意外だった。なんと沖縄県令に就任する。名君・上杉鷹山を敬愛し「民の父母」を目指す茂憲は、沖縄県民の窮状の改善に乗り出し、矢継ぎ早な上申書を提出するが、閉口した高官たちは、茂憲の旧習改変は県令の職権を超えているという言いがかりをつけて、茂憲を解雇・召喚してしまう。このへん、本書のスタンスをどこまで信じていいのかはよく分からない。生活の改善と伝統の破壊は、往々にして裏腹の関係にあるから。日本が旧植民地でおこなった「善政」の評価にも同様の問題点がある。しかし、茂憲の在職中に県費で東京に送られた留学生から、謝花昇らの逸材が育ったことや、茂憲が三女に「於琉」と名づけていたことなどは感慨深い。
本書に登場する殿様で、沖縄にかかわったのは上杉茂憲ひとりだが、北海道の地名はときどき散見された。たとえば雨竜原野の開拓は蜂須賀家によって行われた。会津藩士の一部も北海道に移住している。明治新政府の支配下において、彼らの生きられる空間が、列島の辺境と、あとは外国にしかなかったことを感じさせる。
ずいぶん前に書店で見つけて、いつか読むかもしれないと思って買っておいた本。読んでみたら、安西水丸さんの『ちいさな城下町』(文藝春秋 2014.6)に出てきた請西藩の林忠崇とか、北海道に「木彫りの熊」をもたらした尾張藩の徳川慶勝公などが出てきて、おやおやと思った。
明治4年(1871)の廃藩置県によって、消滅した藩は260以上。そんなにあったのか。私は日本の近世に対して、かなり大人になるまで古代の「国主」制度そのままのイメージを持っていて、「国」の下位区分の「藩」(1万石以上の領土を保有する大名の所領を言う)がそんなに細分化されているとは思っていなかった。
その中から、本書には14名の藩主が取り上げられている。精選された結果、私でも知っているような有名な殿様が多い。特に「維新の波に抗った若き藩主たち」「最後の将軍徳川慶喜に翻弄された殿様」の9人は、松平容保(会津藩)、定敬(桑名藩)の兄弟をはじめ、幕末維新史に欠かせぬ主役たちである。あ、尾張の徳川慶勝は、容保、定敬の実兄なのか。あまり認識していなかった。本書の表紙写真(121頁にも掲載)は、明治11年(1878)銀座の写真館で撮影された。中年から壮年の4人の男性は、いずれもゆったりしたフロックコート姿(かな?)。シルクハットを手に持ち、2人は腰かけ、2人は立っている。面長な顔の輪郭に類似点はあるが、まるで合成写真にように各自バラバラの方向に視線を向けている。これは徳川慶勝、一橋茂栄(高須藩)、松平容保、松平定敬の「高須四兄弟」の集合写真で、茨城歴史館に現存するのだそうだ。
出色なのは、やはり土佐藩の山内容堂公。私には大河ドラマ『龍馬伝』の近藤正臣の印象が強い。あのドラマは坂本龍馬の死で終わってしまったが、その後の容堂は新政府のやりかたが気に食わず、鬱屈を酒と女で韜晦する日々を送ったようだ。こういう人物、大好きだ。中国文化の「佯狂」の伝統に忠実である。わざと「大名といえども酒宴を開き、妓を聘し苦しからず候や」などという伺い書を政府に提出したりしたそうだ。公文書として残っているのかな。見てみたい。
最後の章「育ちの良さを活かして明治に活躍」の5人は、私の知らないエピソードが多く、面白かった。蜂須賀茂韶(徳島藩)と妻・随子の「肉体関係を持たない」条件つき結婚って何なの? ちょっと調べてみると、美味しい小説のネタがゴロゴロころがっている。実業家・政治家・外交官と多方面で活躍した、多才にして長生きだった浅野長勲(広島藩)。製紙業という目のつけどころが面白い。岡部長職(岸和田藩)は米国留学中にキリスト教に入信し、新島襄に岸和田への布教を依頼したというから、昨年の大河ドラマに出て来たのだろうか。私は見てなかったけれど。
上杉茂憲(米沢藩)の維新後の事蹟は意外だった。なんと沖縄県令に就任する。名君・上杉鷹山を敬愛し「民の父母」を目指す茂憲は、沖縄県民の窮状の改善に乗り出し、矢継ぎ早な上申書を提出するが、閉口した高官たちは、茂憲の旧習改変は県令の職権を超えているという言いがかりをつけて、茂憲を解雇・召喚してしまう。このへん、本書のスタンスをどこまで信じていいのかはよく分からない。生活の改善と伝統の破壊は、往々にして裏腹の関係にあるから。日本が旧植民地でおこなった「善政」の評価にも同様の問題点がある。しかし、茂憲の在職中に県費で東京に送られた留学生から、謝花昇らの逸材が育ったことや、茂憲が三女に「於琉」と名づけていたことなどは感慨深い。
本書に登場する殿様で、沖縄にかかわったのは上杉茂憲ひとりだが、北海道の地名はときどき散見された。たとえば雨竜原野の開拓は蜂須賀家によって行われた。会津藩士の一部も北海道に移住している。明治新政府の支配下において、彼らの生きられる空間が、列島の辺境と、あとは外国にしかなかったことを感じさせる。