○万城目学『悟浄出立』 新潮社 2014.7
万城目さんは、ほとんど同時代小説を読まない私が気にしている数少ない作家。と言ってもドラマで見た『鹿男あをによし』と原作を読んだ『プリンセス・トヨトミ』くらいしか知らないが。新刊書の棚で本書を見て、おや、今度は中国(西遊記)ネタなんだ、と思って手に取り、ふらふらと買ってしまった。
中国の故事に取材した短編が5編。新潮社の雑誌「yomyom」に不定期で連載されていたシリーズらしい。どれも面白かったので個別に感想を書く(以下、ほぼ内容ネタバレ。しかし、粗筋が分かったら魅力が失せるという作品ではないので、敢えて書く)。
■「悟浄出立」:おなじみ「西遊記」の取経の旅の面々を「俺」すなわち悟浄の視点から描く。これはどうしたって、中島敦の『わが西遊記』(「悟浄出世」「悟浄歎異」の二編)を思い出さざるを得ないだろう。考えるより先に行動する悟空、欲望に正直な楽天家の八戒に対して、自意識に捉われた懐疑主義者の悟浄。小説と呼べるほどの展開はないけれど、地味に愛読者の多い作品ではないかと思う。
そして、万城目さんの「悟浄出立」でも、やっぱり悟浄は、観察者のポジションにいる。中島敦と似すぎじゃないかな、と思ったが、本作品の個性が発揮されているのは、八戒の造形。かつて天界において「天蓬元帥」を名乗った時代、八戒は頭脳の鋭敏さ、用兵の妙で知られた希代の名将だった。あるとき八戒は、悟浄に請われるままに静かに語って聞かせる。いくさの極意は指揮官の精神を討つことだ。将兵のぶつかり合いなど壮大な茶番に過ぎない。そう考えて、過程を貶し、終着点にのみ価値を見出していた俺は、至上の美女・嫦娥をねらって月宮に忍び込み、捉えられて、地上に落とされてしまった。
八戒は、取経の旅の中で、過程こそがいちばん苦しく、そこに最も貴いものが宿ることがある、ということを知る。そのことを、旅の中で確実に成長していく悟空の姿によって知ったという。「あのサルは大したもんだよ」。悟浄は、これまで彼らの最後尾をついてきただけの自分を省み、思い切って「しばらく先頭を歩いてもいいかな」と申し出る。
観察者から行動者への一歩、という主題は中島敦作品と通底しているが、現代読者にとって、より分かりやすい書きぶりになっている。でも日本人って、どうしてこんなに「西遊記」が好きなのかなあ。素朴な原典を換骨奪胎して、近代精神に即した名作を生み出す頻度は、本国(よく知らないけど)以上じゃないかなあ、と思った。
■「趙雲西航」:長江を下り、蜀の地を目指す船団。そこには、劉備麾下の名将、趙雲と張飛、さらに軍師、諸葛亮の姿があった。五十歳になった趙雲は、船酔いに悩まされ、どこか気分がすぐれない。まだ若い諸葛亮は、蜀に自分の国をつくるという希望に燃えている。兄者・劉備のいるところこそわが故郷だという張飛。彼らの言葉を聞きながら、趙雲は自分の心の底にひそむ不快の原因を探り当てる。
趙雲は十七歳で華北の常山郡真定を飛び出し、劉備の軍に従った。いつか故郷に華々しく帰還することを望みながら三十年が過ぎてしまった。そして、この旅は、蜀の地に根づくということは、故郷との永遠の別れとなるだろう。ううむ、この「深い哀しみ」は、少なくとも中高年以上でないと分からないかな。そして、華北の常山と蜀の成都の絶望的な距離感が分からないと。
ダニエル・リー監督の映画『三国志』でも主人公の趙雲(アンディ・ラウ)は、故郷の常山に強い思いを持ち続け、魏軍と戦うため、六十歳を過ぎて、ついに故郷に戻ってくるという描かれ方をしていた。何か典拠があるのだろうか。私は、2009年の夏に訪ねた常山(河北省正定県)を懐かしく思い出した。
■「虞姫寂静」:垓下の地で、漢軍に包囲された項羽の軍。項羽は、咸陽の都から己に従ってきた女に別れを言い渡す。「汝は虞ではない」。女は咸陽の後宮の使い女だった。項羽には、かつて失われた虞という妃がいた。その妃に生き写しだったため、女は形見の簪と耳飾りを与えられ、虞という名を与えられて愛された。しかし最後の時を迎え、項羽はそれらを全て取り上げようとした。
女は項王の勝利のため、渾身の舞を舞い、再び虞という名前を賜ることを願う。「虞や」と王は歌う。「虞や虞や若(なんじ)を奈何せん」。そして女は自刃する。この短編は巧いな~と感じ入った。「虞や虞や」という、具体的な人名を入れた詩(古代歌謡)というのは異例だと何かで読んだような記憶があり、その理由を解き明かす物語になっている。
■「法家弧憤」:主人公のケイカは咸陽宮に出仕する下級官吏。李斯の指導する政(まつりごと)に従い、せっせと法令を竹簡に書き写す仕事に従事していた。あるとき、自分と同姓同名の刺客が皇帝を襲ったことを知り、かつて邯鄲の町役場の書記官の採用試験で、自分と競って落ちた荊軻という男のことを思い出す。
法こそ世界を束ねる唯一の存在と信じる法家の徒と、世界に火種をもたらすテロリストの一瞬の交錯。善悪を単純に判断させない描き方である。面白いのだけど、創作された主人公の姓名が「京科」というのは、なんとなく和臭を感じて、気になってしまった。いちおうピンインは合っているし、中国人の姓に「京」はあるらしい。しかし伝統的な「百家姓」にはない。できれば「景」か「経」を選んだほうがよかったのではないか。
■「父司馬遷」:武帝の怒りを買い、宮刑に処されたことによって、司馬遷の妻は、親族の勧めるまま家を出て再婚する。息子たちも司馬の姓を捨てて生きることを選ぶ。唯一の肉親となった娘の「栄」は父に会い、生きること、記録を書き続けることを激しく請う。これもいい話だった。特に栄の幼い記憶に残っている「優雅に駆けていた馬が、バタリと倒れて死ぬ瞬間」というイメージが、よく効いている(最後に払拭される)。
司馬遷の家族については典拠があるのだったかしら(父の司馬談や、一族の祖先は除き)。この作品でも、司馬遷の娘の「栄」という名前が気になった。はじめ、私は、葛飾北斎の娘で画家になった栄(お栄、応為)から取ったのかな?と勘ぐった。しかし、作品中で司馬遷が、娘に名前の由来を語るところがある。斉の国に、ある刺客がいた。仕事を成し遂げ、凄絶な死を遂げたあと、その姉が弟の亡骸を書き抱いて「士は己を知る者のために死す」と泣き、自らも命を絶った。この姉の名前を栄という。
この逸話はかすかに覚えがある、と思って調べたら、聶政の姉の聶栄という女性のことらしい。だが「士は己を知る者のために死す」は予譲(豫譲)の言として知られている(どちらも「史記・刺客列伝」に載る)。意識的に混淆したのかしら。久しぶりに『史記』を読みたくなった。
万城目さんは、ほとんど同時代小説を読まない私が気にしている数少ない作家。と言ってもドラマで見た『鹿男あをによし』と原作を読んだ『プリンセス・トヨトミ』くらいしか知らないが。新刊書の棚で本書を見て、おや、今度は中国(西遊記)ネタなんだ、と思って手に取り、ふらふらと買ってしまった。
中国の故事に取材した短編が5編。新潮社の雑誌「yomyom」に不定期で連載されていたシリーズらしい。どれも面白かったので個別に感想を書く(以下、ほぼ内容ネタバレ。しかし、粗筋が分かったら魅力が失せるという作品ではないので、敢えて書く)。
■「悟浄出立」:おなじみ「西遊記」の取経の旅の面々を「俺」すなわち悟浄の視点から描く。これはどうしたって、中島敦の『わが西遊記』(「悟浄出世」「悟浄歎異」の二編)を思い出さざるを得ないだろう。考えるより先に行動する悟空、欲望に正直な楽天家の八戒に対して、自意識に捉われた懐疑主義者の悟浄。小説と呼べるほどの展開はないけれど、地味に愛読者の多い作品ではないかと思う。
そして、万城目さんの「悟浄出立」でも、やっぱり悟浄は、観察者のポジションにいる。中島敦と似すぎじゃないかな、と思ったが、本作品の個性が発揮されているのは、八戒の造形。かつて天界において「天蓬元帥」を名乗った時代、八戒は頭脳の鋭敏さ、用兵の妙で知られた希代の名将だった。あるとき八戒は、悟浄に請われるままに静かに語って聞かせる。いくさの極意は指揮官の精神を討つことだ。将兵のぶつかり合いなど壮大な茶番に過ぎない。そう考えて、過程を貶し、終着点にのみ価値を見出していた俺は、至上の美女・嫦娥をねらって月宮に忍び込み、捉えられて、地上に落とされてしまった。
八戒は、取経の旅の中で、過程こそがいちばん苦しく、そこに最も貴いものが宿ることがある、ということを知る。そのことを、旅の中で確実に成長していく悟空の姿によって知ったという。「あのサルは大したもんだよ」。悟浄は、これまで彼らの最後尾をついてきただけの自分を省み、思い切って「しばらく先頭を歩いてもいいかな」と申し出る。
観察者から行動者への一歩、という主題は中島敦作品と通底しているが、現代読者にとって、より分かりやすい書きぶりになっている。でも日本人って、どうしてこんなに「西遊記」が好きなのかなあ。素朴な原典を換骨奪胎して、近代精神に即した名作を生み出す頻度は、本国(よく知らないけど)以上じゃないかなあ、と思った。
■「趙雲西航」:長江を下り、蜀の地を目指す船団。そこには、劉備麾下の名将、趙雲と張飛、さらに軍師、諸葛亮の姿があった。五十歳になった趙雲は、船酔いに悩まされ、どこか気分がすぐれない。まだ若い諸葛亮は、蜀に自分の国をつくるという希望に燃えている。兄者・劉備のいるところこそわが故郷だという張飛。彼らの言葉を聞きながら、趙雲は自分の心の底にひそむ不快の原因を探り当てる。
趙雲は十七歳で華北の常山郡真定を飛び出し、劉備の軍に従った。いつか故郷に華々しく帰還することを望みながら三十年が過ぎてしまった。そして、この旅は、蜀の地に根づくということは、故郷との永遠の別れとなるだろう。ううむ、この「深い哀しみ」は、少なくとも中高年以上でないと分からないかな。そして、華北の常山と蜀の成都の絶望的な距離感が分からないと。
ダニエル・リー監督の映画『三国志』でも主人公の趙雲(アンディ・ラウ)は、故郷の常山に強い思いを持ち続け、魏軍と戦うため、六十歳を過ぎて、ついに故郷に戻ってくるという描かれ方をしていた。何か典拠があるのだろうか。私は、2009年の夏に訪ねた常山(河北省正定県)を懐かしく思い出した。
■「虞姫寂静」:垓下の地で、漢軍に包囲された項羽の軍。項羽は、咸陽の都から己に従ってきた女に別れを言い渡す。「汝は虞ではない」。女は咸陽の後宮の使い女だった。項羽には、かつて失われた虞という妃がいた。その妃に生き写しだったため、女は形見の簪と耳飾りを与えられ、虞という名を与えられて愛された。しかし最後の時を迎え、項羽はそれらを全て取り上げようとした。
女は項王の勝利のため、渾身の舞を舞い、再び虞という名前を賜ることを願う。「虞や」と王は歌う。「虞や虞や若(なんじ)を奈何せん」。そして女は自刃する。この短編は巧いな~と感じ入った。「虞や虞や」という、具体的な人名を入れた詩(古代歌謡)というのは異例だと何かで読んだような記憶があり、その理由を解き明かす物語になっている。
■「法家弧憤」:主人公のケイカは咸陽宮に出仕する下級官吏。李斯の指導する政(まつりごと)に従い、せっせと法令を竹簡に書き写す仕事に従事していた。あるとき、自分と同姓同名の刺客が皇帝を襲ったことを知り、かつて邯鄲の町役場の書記官の採用試験で、自分と競って落ちた荊軻という男のことを思い出す。
法こそ世界を束ねる唯一の存在と信じる法家の徒と、世界に火種をもたらすテロリストの一瞬の交錯。善悪を単純に判断させない描き方である。面白いのだけど、創作された主人公の姓名が「京科」というのは、なんとなく和臭を感じて、気になってしまった。いちおうピンインは合っているし、中国人の姓に「京」はあるらしい。しかし伝統的な「百家姓」にはない。できれば「景」か「経」を選んだほうがよかったのではないか。
■「父司馬遷」:武帝の怒りを買い、宮刑に処されたことによって、司馬遷の妻は、親族の勧めるまま家を出て再婚する。息子たちも司馬の姓を捨てて生きることを選ぶ。唯一の肉親となった娘の「栄」は父に会い、生きること、記録を書き続けることを激しく請う。これもいい話だった。特に栄の幼い記憶に残っている「優雅に駆けていた馬が、バタリと倒れて死ぬ瞬間」というイメージが、よく効いている(最後に払拭される)。
司馬遷の家族については典拠があるのだったかしら(父の司馬談や、一族の祖先は除き)。この作品でも、司馬遷の娘の「栄」という名前が気になった。はじめ、私は、葛飾北斎の娘で画家になった栄(お栄、応為)から取ったのかな?と勘ぐった。しかし、作品中で司馬遷が、娘に名前の由来を語るところがある。斉の国に、ある刺客がいた。仕事を成し遂げ、凄絶な死を遂げたあと、その姉が弟の亡骸を書き抱いて「士は己を知る者のために死す」と泣き、自らも命を絶った。この姉の名前を栄という。
この逸話はかすかに覚えがある、と思って調べたら、聶政の姉の聶栄という女性のことらしい。だが「士は己を知る者のために死す」は予譲(豫譲)の言として知られている(どちらも「史記・刺客列伝」に載る)。意識的に混淆したのかしら。久しぶりに『史記』を読みたくなった。