○北海道立近代美術館『徳川美術館展:尾張徳川家の至宝』(2014年7月5日~8月24日)
レポートが遅れてしまったが、先週末、冷たい小雨の中を行ってきた。公道に面した美術館の門には目立たない小さな看板が掲げられているだけだったので、場所を間違えたかとまごついてしまった。建物の正面には「徳川美術館展」と「札幌国際芸術祭2014」のチケットブースが設置されている。まあねえ、少なくとも宣伝は、後者のほうが頑張っているよなあ、と思った。
しかし、徳川美術館展の会場内に入ってみると、思いのほか、人が多い。国宝『源氏物語絵巻』の出品期間(7/5-7/21「竹河(一)」、8/5-8/17「東屋(一)」)をわざとはずしてきたので、もっと空いていると予想していたのだ。しかも辛抱強く列に並んで、展示物をいちばん前で見ようとする人が多いことに驚き、感心した。
第1章「尚武」の冒頭には、よく見る権現様スタイルの家康の肖像画と尾張藩初代藩主の徳川義直の肖像画。品のよい銀箔置白糸威具足。この具足には見覚えがあった。どうやら、基本的には2013年に江戸東京博物館で行われた『尾張徳川家の至宝』展を縮小して持ってきたようで、売られている図録も同一。最初は、刀、弓、火縄銃など(たぶん現地で)見たことのある武具の類が続く。小さな男の子が、刀!よろい!と興奮していたが、展示室&展示ケースが小さいので、いまいち迫力が伝わらないのが残念。
第2章「清雅」は、茶道具、能面・能装束など。ああ~備前の水指、伊賀の花生、井戸茶碗に織部に油滴天目(星建盞)まで、自分が北海道にいることをしばし忘れる。やっぱり、こういう名品を見たいときに(有料でも)見られる地域で暮らしたい…としみじみ。香木・香道具は、江戸博のときほどではないが、しっかり出ていた。
第3章「教養」には、書画の特集展示室があって、私はここにずっといたいと思った。伏見天皇の宸筆を貼り込んだ『広沢切貼込屏風』ってなんという贅沢! 「寛永の三筆」近衛信尹の『朗詠屏風』もよかった。六扇に和漢朗詠集を書いているのだが、扇によって、和歌と漢詩を横に並べたり、縦に分けたり、市松状に組み込んだり、さらに大字・小字、楷・行・草と変化を持たせているのが面白い。重文の『斎宮女御集』(鎌倉時代・13世紀)が見られたのは眼福。書跡も料紙も美しかった。
土佐光起筆『厳島・松島図屏風』(17世紀)は、厳島図が展示されていたが、社殿も鳥居も白木で、赤くない!というのが驚きだった。雲に隠れた本殿の斎垣だけが朱塗だった。どのくらい実景を伝えているのだろうか。
順路に添って流れていくと、最後に『木彫り熊のルーツはここにあった!』というおまけの併設展示にたどり着く。なんでも尾張徳川家第19代目の徳川義親公は、毎年八雲に熊狩りに来ていて、冬季の副業として木彫り熊の生産を奨励したのだそうだ。発想の元になったのは、スイスで見た民芸品の木彫り熊だという。ベルンの熊か! 私は木彫りでなくてぬいぐるみの熊を買ってきたなあ、そう言えば。北海道の木彫り熊といえば「鮭を咥えた熊」しか知らなかったが、八雲町には、さまざまなタイプの熊があって面白かった。
さらに書き留めておくと、尾張徳川家第17代目の徳川慶勝公は、廃藩置県によって禄を失い困窮した旧藩士を、現在の八雲町に移住させ、開墾に従事させた経緯がある。このこと、子孫の人々には今でも意識されているのかなあ。興味深い。
レポートが遅れてしまったが、先週末、冷たい小雨の中を行ってきた。公道に面した美術館の門には目立たない小さな看板が掲げられているだけだったので、場所を間違えたかとまごついてしまった。建物の正面には「徳川美術館展」と「札幌国際芸術祭2014」のチケットブースが設置されている。まあねえ、少なくとも宣伝は、後者のほうが頑張っているよなあ、と思った。
しかし、徳川美術館展の会場内に入ってみると、思いのほか、人が多い。国宝『源氏物語絵巻』の出品期間(7/5-7/21「竹河(一)」、8/5-8/17「東屋(一)」)をわざとはずしてきたので、もっと空いていると予想していたのだ。しかも辛抱強く列に並んで、展示物をいちばん前で見ようとする人が多いことに驚き、感心した。
第1章「尚武」の冒頭には、よく見る権現様スタイルの家康の肖像画と尾張藩初代藩主の徳川義直の肖像画。品のよい銀箔置白糸威具足。この具足には見覚えがあった。どうやら、基本的には2013年に江戸東京博物館で行われた『尾張徳川家の至宝』展を縮小して持ってきたようで、売られている図録も同一。最初は、刀、弓、火縄銃など(たぶん現地で)見たことのある武具の類が続く。小さな男の子が、刀!よろい!と興奮していたが、展示室&展示ケースが小さいので、いまいち迫力が伝わらないのが残念。
第2章「清雅」は、茶道具、能面・能装束など。ああ~備前の水指、伊賀の花生、井戸茶碗に織部に油滴天目(星建盞)まで、自分が北海道にいることをしばし忘れる。やっぱり、こういう名品を見たいときに(有料でも)見られる地域で暮らしたい…としみじみ。香木・香道具は、江戸博のときほどではないが、しっかり出ていた。
第3章「教養」には、書画の特集展示室があって、私はここにずっといたいと思った。伏見天皇の宸筆を貼り込んだ『広沢切貼込屏風』ってなんという贅沢! 「寛永の三筆」近衛信尹の『朗詠屏風』もよかった。六扇に和漢朗詠集を書いているのだが、扇によって、和歌と漢詩を横に並べたり、縦に分けたり、市松状に組み込んだり、さらに大字・小字、楷・行・草と変化を持たせているのが面白い。重文の『斎宮女御集』(鎌倉時代・13世紀)が見られたのは眼福。書跡も料紙も美しかった。
土佐光起筆『厳島・松島図屏風』(17世紀)は、厳島図が展示されていたが、社殿も鳥居も白木で、赤くない!というのが驚きだった。雲に隠れた本殿の斎垣だけが朱塗だった。どのくらい実景を伝えているのだろうか。
順路に添って流れていくと、最後に『木彫り熊のルーツはここにあった!』というおまけの併設展示にたどり着く。なんでも尾張徳川家第19代目の徳川義親公は、毎年八雲に熊狩りに来ていて、冬季の副業として木彫り熊の生産を奨励したのだそうだ。発想の元になったのは、スイスで見た民芸品の木彫り熊だという。ベルンの熊か! 私は木彫りでなくてぬいぐるみの熊を買ってきたなあ、そう言えば。北海道の木彫り熊といえば「鮭を咥えた熊」しか知らなかったが、八雲町には、さまざまなタイプの熊があって面白かった。
さらに書き留めておくと、尾張徳川家第17代目の徳川慶勝公は、廃藩置県によって禄を失い困窮した旧藩士を、現在の八雲町に移住させ、開墾に従事させた経緯がある。このこと、子孫の人々には今でも意識されているのかなあ。興味深い。