見もの・読みもの日記

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海底に眠る歴史/新発見の高麗青磁(大阪市立東洋陶磁美術館)

2015-09-10 20:22:33 | 行ったもの(美術館・見仏)
大阪市立東洋陶磁美術館 日韓国交正常化50周年記念 国際交流特別展『新発見の高麗青磁-韓国水中考古学成果展』(2015年9月5日~11月23日)

 「水中考古学」とは、海や湖など水中にある遺跡や遺物を対象とする考古学。東アジアでは、特に沈没船の積荷からさまざまな知見が得られている。私がすぐに思い浮かぶのは、1976年に韓国の全羅道新安郡の沖で発見された沈没船(新安船)だが、その後も数々の発見があり、図録の「韓国水中文化財発掘現況」には24件がリストアップされている。

 会場の冒頭にはビデオシアターが設けられており、代表的な沈没船(5件くらい?)の調査映像が、エンドレスで流れている。いちばん古いのは1976年の新安船で、このときはまだ水中の映像がない。旧式の潜水服をつけて海に潜っていく作業員たちや、甲板に引き上げられた陶磁器(まだ泥がついている)などが映っている。これが最近の発見になると、海底で潜水作業員が、地上の発掘と同様、羽箒のような繊細な道具で泥を払って陶磁器を掘り出す様子が記録されている。海底に綱を張ってマス目を区切り、発見位置を正確にマッピングするのも地上と同じだ。初めて見る映像で、非常に興味深かった。展覧会のメインビジュアルになっている『青磁獅子形香炉蓋』(ものすごく個性的で印象的!)が海の底で拾い上げられる映像も見ることができる。

 新安船は、中国の寧波から日本の博多に向かっていた船であることから、日本では特別に知名度が高い。積み荷は中国陶磁が多数だが、高麗青磁も混じっていた。今回、その数点が展示されているが、どれも精緻でハイクオリティである。14世紀の寧波が、中国のみならず、東アジア、いや世界中から高級品の集まる物流の中継地だったことをうかがわせる。

 新安船以後の発掘成果は、ほとんどが高麗時代の漕運船(国内の物流を担った)で、発見地によって「馬島1~3号船」「秦安船」「十二東波島船」などと呼ばれている。パネルを見ていて面白かったのは、その発見のされ方。やっぱり漁師の申告というのが多いが、タコ漁の最中にタコの吸盤にくっついて高麗青磁が引き上げられたこともあるそうだ。漕運船の積み荷は、全体に小ぶりな器が多い。大きいものは破損して残らなかったのかもしれない。でも、美術館などで見る極め付けの美品のほかに、日常生活で使用された無数の青磁の器があったということは、この展示を見て、初めて意識にのぼった。また、今なら美術館に飾られるであろう大きな梅瓶も、一緒に発見された荷札(木簡)によって、蜜やごま油を入れる「樽」として使われたことが分かっている。

 ただ、この展覧会、ちょっとズルいのは、こんな美品が海の底に!と驚いてよく見ると、東洋陶磁美術館所蔵品の「参考展示」だったりする。最後の展示室は、意識的に海底から引き揚げた青磁の破片と、たぶん原形はこうだったろうと類推される「参考品」を並べて見せている。多彩な高麗青磁コレクションを持っている東洋陶磁美術館だからできる展示方法ともいえるし、「参考品」が唯一無二の名品すぎて(安宅コレクションだもの)少し違和感もある。感心したのは元山島海底から発掘された『青磁童子形水滴片』。顔の一部と腰~膝の一部しかないが、安宅コレクションの『青磁彫刻童女形水滴・童子形水滴』となるほど似ている。めずらしいと思っていたが、同じような品があったんだな、と驚いた。

 最後にもう一度、竹島海底(※日本でいう竹島に非ず)秦安船から発掘された『青磁獅子形香炉蓋』について。三本足の香炉本体もあるのだが、展覧会のポスターには、獅子のついた蓋だけが使われている。これ獅子なのか? 確かに後頭部には、たてがみのような渦巻模様がフリーハンドで描かれて(彫られて)いる。お座りの姿勢で、短い前足を後ろ足の上に乗せているのだが、左右の前足は何かを掴んで(踏んで?)いる。玉のつもりかもしれないが、つぶれた饅頭にしか見えない。カエルのように扁平な顔で、口を開き(ここから香の煙が出る)歯の間から短い舌をのぞかせている。角のようにも見える三角形の鼻。三日月形の目には墨で瞳が書き入れられている。上品な高麗青磁のイメージを裏切るきもかわキャラで、かなり好き。

 これら展示品を所蔵する韓国の国立海洋文化財研究所は全羅南道木浦市にあり、展示も充実しているようだ。行ってみたい~。

※参考:国立海洋文化財研究所(韓国):日本語のホームページも充実!
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