見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

ネット論壇の制圧/なぜ、習近平は激怒したのか(高口康太)

2015-09-29 00:33:45 | 読んだもの(書籍)
○高口康太『なぜ、習近平は激怒したのか-人気漫画家が亡命した理由』(祥伝社新書) 祥伝社 2015.9

 諷刺漫画家の辣椒(ラージャオ)(本名:王立銘)は、1973年上海生まれ。2010年頃から中国のネット論壇で政府を批判する諷刺漫画を発表してきたが、次第に当局ににらまれるようになり、2014年夏以降、日本滞在を続けている。実質的な「亡命」である。本書は、辣椒へのインタビューと作品を手がかりに、習近平体制前後の中国の変化を読み解いていく。うすうす気づいてはいたけど、習近平って近年最悪の指導者だということが分かって、暗澹とした気持ちになる。

 習近平政権誕生(2013)の直前、すなわち胡錦濤政権(2003-2013)の末期、中国では政治改革が始まるのではないかという期待が高まっていた。その原動力となったのがネット論壇で、既成のメディアにない自由な意見が飛び交い、オピニオンリーダーが誕生し、現実社会に影響を与えるようになった。同時に、中国経済の成長にともない、都市中間層が誕生したことも重要である。彼らは財産権(不動産)をめぐって政府の土地収用と対立したり、環境問題デモが増加したり、現行体制の機能不全があらわになっていた。そのため、体制内でも政治改革を求める声が強まっていた。

 そこに習近平の登場である。人々の間には、習近平は、自由、平等、憲政、民主などをもたらしてくれる改革派の「名君」なのではないか、という根拠のない期待が高まっていた。辣椒はこういう中国人の「奴隷根性」を諷刺する漫画を描いているが、笑えないなあ。実は私も、習近平という政治家を全く知らない状態では、同様の期待を抱いていたのである。

 習近平は国家主席に就任後、党紀引き締めキャンペーンを展開し、反汚職運動に取り組む。特権官僚をやり込めることで一般大衆の支持を獲得する。本書の著者は「今でも庶民人気は高い」と分析している。なんとなく日本の小泉純一郎のやりかたを思い出す。

 また中国政府は、「サイバー万里の長城」によってインターネットから中国のネット民を引き離し、管理することに成功した(検閲回避のハードルが大幅に上がった)だけでなく、ネット論壇の手法を巧みに模倣することで、若者の心をつかんでしまった。顔文字やネットスラングによるカジュアルなコミュニケーション、萌えキャラ、アニメ(あの時、あのウサギ、あの出来事)、アイドル(五十六朵花)、ダンス(小苹果)、さらには水戸黄門ばりの「習近平タクシー事件」など。私は最後に中国に旅行したのが2012年夏なので、習近平政権誕生後の中国事情を把握していなかったが、なんだかすごいことになっているようだ。

 要するに、従来の主流メディア(官製メディア)を全く利用しない若者に共産党の言葉を届けるため、中国共産党は、ネット論壇の手法を模倣、簒奪し、ネット論壇を凌駕してしまった。その覚悟は、2013年8月19日の全国宣伝工作会議における習近平の講話に表明されている。「ネットの闘争は新たな世論闘争形態であり、戦略戦術を研究しなければならない」「古い戦術に固執して戦略的大局を失ってはならない」。ううむ、この手段をえらばない「政治」のやりかたは、いかにも中国らしい。いま、日本の安倍政権も、だいたい同じようなネット戦略を実行中だと思われるが、これほど明確な表明はしていないと思うし、戦略が稚拙すぎて、あまり成功しているようにも思えない。いや、しているのかなあ、一部国民に対しては。

 習近平は、ポップでカジュアルなプロパガンダ戦略の一方で、思想統制や言論弾圧を大幅に強化した。その結果、ネット論壇のオピニオンリーダー、人権派弁護士、活動家などが次々に逮捕される事態になっている。検閲と監視には、中高年ボランティアや青年ネットボランティアが活躍しているという。なんだろう、この閉塞状況への後退感は。

 「ネット論壇」の限界が明らかになったところで、変革への期待を担った「中間層」はどうしているのか。残念ながら、まだ中国経済は国家による強力なコントロールを必要としており、中間層は、国家の統制に適応することで利益を得ている、と著者は分析する。国家資本主義からの脱却を目指して育成された民間企業も、生き残るには政府との太いパイプを必要とし、民間企業大手は国有企業に似た性格を有するようになってしまったという。まあこれは、日本の状況を見れば予想できることだが。

 中国の未来はどうなるだろう。短期的には中国共産党の支配はゆるがないだろう、と辣椒は言う。逆に習近平体制がより強固なものとなり、これまでの不文律を破る超長期政権となる可能性が高い、というのは著者の分析である。さてどうだろうか。あまり望みたくない未来図である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする