○島根県立石見美術館 10周年記念企画展『祈りの仏像-石見の地より-』(2015年9月19日~11月16日)
松江・出雲旅行のついでに益田まで足を延ばして、この展覧会を見て来た。旅行の顛末はUP済み。同美術館は島根県立いわみ芸術劇場とともに、島根県芸術文化センター(愛称グラントワ)という複合施設を構成している。益田駅からのアクセスを心配したが、10~15分間隔でバスが運行していた。地方の文化施設でこれだけ公共交通の便がいいことは珍しい。立派。
展覧会の概要は「5つの特徴的なテーマにそって、石見の仏像はもとより、中国5県から仏像・仏画が大集結。この地に生きる人々に受け継がれた祈りの造形に迫ります。国宝2点、重要文化財16点、新発見・初公開作品12点を含む展示総数約60点」とある。実はあまり下調べせずに行ったので、もっぱら石見(島根・山口)の仏像が出ているのだと思っていた。そうしたら、最初の「日本の安泰を守る-国分寺と四天王-」のところで、あまりにも見事な四天王像が出ていてびっくりした。ずんぐりした木彫の四天王で、四角い舞台に背中合わせに並んでいた。ほとんどが両腕を失っているが、腰をひねったり、腹を突き出した姿が雄弁である。大きな眼、釣り上げた眉、開いた鼻。プレートを見たら「北広島町・古保利薬師堂」とあった。うわーあまりにも不便であきらめているが、死ぬまでに一度は行ってみたいと願っている古寺である。四天王は、その一、その二という番号で呼ばれていたが、私が好きなのはその三。歯列をむき出して下唇を強く噛んでいる。その四の、左右非対称な眉のつり上げ方もいい。
奥には、もう一組、見上げるような大きな(2メートル弱)四天王像もいた。出雲市の万福寺(大寺薬師)伝来。鰐淵寺の近在であるという説明を読んで、なるほどと思った。眼のまわりの筋肉の表現が独特で、きりりと結んだ口元から抑えた憤怒が湧き立っている。この「国分寺と四天王」(古代)のセクションだけで、見に来てよかった!と思った。
続く「あこがれの浄土へ-阿弥陀信仰・観音信仰-」は平安末~鎌倉仏。しかしピカピカに修復されて、古仏の面影がないものもあって驚いた。「乱世に泰平を祈る-室町幕府と地域の領主たち-」は、武士好みの堂々と押し出しの立派な仏像が目立つ。仏光寺(山口県)の文殊菩薩騎獅像は、剣を立てて構え、蓮華座に座る。山野を駆けめぐる武士の棟梁を想像させる、意志的で力強い面貌。蓮華座を乗せて寝そべる獅子もいい顔だ。東隆寺(山口県)の地蔵菩薩坐像も堂々として王者の風格を感じさせる。
「日本海をわたって-中国・朝鮮半島からの渡来仏」では、山口県の神福寺に、唐代の十一面観音菩薩立像があるというのに驚いた。いわゆる檀像彫刻。体躯のくびれやひねりはない棒立ちの像だが、精緻な瓔珞が彫り込まれている。そして鳥取県の大山寺には北宋時代の銅造の観音菩薩立像。美人だなー。大陸や高麗の仏画もたくさん出ていた。印象的だったのは、山口県の洞春寺に伝わる元代の維摩居士像。榻(とう、寝台)の上に片膝を立ててリラックスした姿勢で座り、片手に払子を所在なげに持つ。左右非対称な黒い頭巾。足元には毛皮の(?)ブーツ。仏画は前後期で入れ替わるようで、全部見られなかったのが残念である。最後が「木喰仏」。大きいものが多かった。
これで第1室が終了。別室の関連展示『良忠上人と浄土教美術』も見ることができる。石見国生まれの僧・良忠(1199-1287)は、法然上人に始まる浄土宗の第三祖。60歳の頃から鎌倉・悟真寺に住した。悟真寺はのち蓮華寺とあらためられ、今の光明寺につながっている。ということで、鎌倉の光明寺の寺宝が多数。『浄土五祖絵伝』、いつも鎌倉国宝館では決まった箇所しか見せてくれないものを、久しぶりに巻頭から巻末まで全部見ることができた。常設展示の『雪舟をうけつぐ-雲谷派-』(2015年9月3日~10月26日)もよいものを見せてもらった。
松江・出雲旅行のついでに益田まで足を延ばして、この展覧会を見て来た。旅行の顛末はUP済み。同美術館は島根県立いわみ芸術劇場とともに、島根県芸術文化センター(愛称グラントワ)という複合施設を構成している。益田駅からのアクセスを心配したが、10~15分間隔でバスが運行していた。地方の文化施設でこれだけ公共交通の便がいいことは珍しい。立派。
展覧会の概要は「5つの特徴的なテーマにそって、石見の仏像はもとより、中国5県から仏像・仏画が大集結。この地に生きる人々に受け継がれた祈りの造形に迫ります。国宝2点、重要文化財16点、新発見・初公開作品12点を含む展示総数約60点」とある。実はあまり下調べせずに行ったので、もっぱら石見(島根・山口)の仏像が出ているのだと思っていた。そうしたら、最初の「日本の安泰を守る-国分寺と四天王-」のところで、あまりにも見事な四天王像が出ていてびっくりした。ずんぐりした木彫の四天王で、四角い舞台に背中合わせに並んでいた。ほとんどが両腕を失っているが、腰をひねったり、腹を突き出した姿が雄弁である。大きな眼、釣り上げた眉、開いた鼻。プレートを見たら「北広島町・古保利薬師堂」とあった。うわーあまりにも不便であきらめているが、死ぬまでに一度は行ってみたいと願っている古寺である。四天王は、その一、その二という番号で呼ばれていたが、私が好きなのはその三。歯列をむき出して下唇を強く噛んでいる。その四の、左右非対称な眉のつり上げ方もいい。
奥には、もう一組、見上げるような大きな(2メートル弱)四天王像もいた。出雲市の万福寺(大寺薬師)伝来。鰐淵寺の近在であるという説明を読んで、なるほどと思った。眼のまわりの筋肉の表現が独特で、きりりと結んだ口元から抑えた憤怒が湧き立っている。この「国分寺と四天王」(古代)のセクションだけで、見に来てよかった!と思った。
続く「あこがれの浄土へ-阿弥陀信仰・観音信仰-」は平安末~鎌倉仏。しかしピカピカに修復されて、古仏の面影がないものもあって驚いた。「乱世に泰平を祈る-室町幕府と地域の領主たち-」は、武士好みの堂々と押し出しの立派な仏像が目立つ。仏光寺(山口県)の文殊菩薩騎獅像は、剣を立てて構え、蓮華座に座る。山野を駆けめぐる武士の棟梁を想像させる、意志的で力強い面貌。蓮華座を乗せて寝そべる獅子もいい顔だ。東隆寺(山口県)の地蔵菩薩坐像も堂々として王者の風格を感じさせる。
「日本海をわたって-中国・朝鮮半島からの渡来仏」では、山口県の神福寺に、唐代の十一面観音菩薩立像があるというのに驚いた。いわゆる檀像彫刻。体躯のくびれやひねりはない棒立ちの像だが、精緻な瓔珞が彫り込まれている。そして鳥取県の大山寺には北宋時代の銅造の観音菩薩立像。美人だなー。大陸や高麗の仏画もたくさん出ていた。印象的だったのは、山口県の洞春寺に伝わる元代の維摩居士像。榻(とう、寝台)の上に片膝を立ててリラックスした姿勢で座り、片手に払子を所在なげに持つ。左右非対称な黒い頭巾。足元には毛皮の(?)ブーツ。仏画は前後期で入れ替わるようで、全部見られなかったのが残念である。最後が「木喰仏」。大きいものが多かった。
これで第1室が終了。別室の関連展示『良忠上人と浄土教美術』も見ることができる。石見国生まれの僧・良忠(1199-1287)は、法然上人に始まる浄土宗の第三祖。60歳の頃から鎌倉・悟真寺に住した。悟真寺はのち蓮華寺とあらためられ、今の光明寺につながっている。ということで、鎌倉の光明寺の寺宝が多数。『浄土五祖絵伝』、いつも鎌倉国宝館では決まった箇所しか見せてくれないものを、久しぶりに巻頭から巻末まで全部見ることができた。常設展示の『雪舟をうけつぐ-雲谷派-』(2015年9月3日~10月26日)もよいものを見せてもらった。