○坂上田村麻呂の祈りと薬師如来:若狭歴史博物館~明通寺~昼食(サンホテルやまね)~深野薬師堂~長田寺~妙楽寺(9月20日)
もはや(個人的に)秋の恒例となった小浜の秘仏めぐりバスツアー。今年も若狭歴史博物館の館長同乗コースを選択。そして東京の友人三人を誘って四人で参加した(京都在住の友人も誘ったのだが体調不良で直前キャンセル)。前日の夕方、小浜入りすると、駅前を揃いの浴衣姿の人々が行き来している。週末の二日間、八幡神社の祭礼である放生祭(ほうぜまつり)が行われるのだ。
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八幡神社近くには、たくさんの夜店が並び、各町内を出発した山車が行き交う。夜遅くなると、すれ違う山車と太鼓がお囃子を競い合う様子も見られた(相手のリズムにつられたら負け)。川越祭を思い出したが、片方が笛と小太鼓、片方が大太鼓と鉦という、全く違う編成で競い合うのが面白かった。
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さて翌日はバスツアーである。今年は、プラスチックのケースに入ったメンバー証を首から下げる方式になっていた。また、昨年に続き、今年も「木簡パスポート」がいただけた。館長先生のお話では、昨年、誰かが捨てた(落とした?)木簡パスポートがちょうどよく汚れた状態で拾われて、本物と間違えられかけたそうである。そこで今回は、滋賀県高島市の鴨遺跡から出土した「遠敷郡」の記載のある木簡を再現しつつ、墨書を「若狭国遠敷郡」に変えたとか。
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若狭歴史博物館では、企画展『〈日本遺産〉認定記念展「御食国とサバ街道」』(2015年8月8日~9月23日)と常設展『若狭のみほとけ』を館長の説明で見学。「日本遺産」というのは、文化庁が今年(平成27年度)から始めた事業で、その説明を読んでみると「オリンピックまでに100件程度」「観光客の受け皿」など、あきらかに胡散臭い文言が並んでいるが、地域振興の補助金を貰えるというから、まあ良かったことにしよう。鯖街道というのは昭和40年頃から広まった名称で、「もしかしたらウナギ街道だったかもしれない」という話が面白かった。仏像展示室の展示内容は博物館のホームページに掲載されているが、過去データは消されてしまうようなので、転記しておく。
・聖観音菩薩立像(重要文化財)[平安時代・9世紀] 美浜町・青蓮寺
・阿弥陀如来坐像(小浜市指定)[平安時代・10世紀] 小浜市・仏谷区
・兜跋毘沙門天立像(小浜市指定)[平安時代・11世紀] 小浜市・加尾区
・大日如来坐像(小浜市指定)≪初公開≫[平安時代・11世紀] 小浜市・黒駒区
・地蔵菩薩立像(小浜市指定)[平安時代・12世紀] 小浜市・円照寺
・不動明王及び二童子立像≪初公開≫[平安時代・12世紀] 小浜市・飯盛寺
・毘沙門天立像[平安時代・12世紀] 小浜市・羽賀寺
続いて、明通寺へ。2012年と2013年にも来ているが、何度訪ねてもよい。目が大きく、堂々とした薬師如来坐像。お厨子の左右には、髪を逆立て、力のみなぎる深沙大将と降三世明王の巨像。館長はさかんに十二神将像を面白がっていた。同寺は坂上田村麻呂の創建と伝えられている。
昼食は市の中心部に戻って、サンホテルやまねの海鮮丼。お祭りの山車がホテルの玄関にやってきて、子どもの踊りを披露していった。午後は、福井県と京都の境に近い中名田地区へ。昔から田村の里と呼ばれており、坂上田村麻呂の一族が開発に携わったことに由来すると考えられている。田村川の清流に沿って、明るい黄金色の田んぼが続く。
深野薬師堂と長田寺(ちょうでんじ)では、9月20日から26日まで17年ぶりのご開帳が行われていた。深野薬師堂の薬師仏は、「深野ふれあい会館」という和風のコミュニティ会館の中に安置されていた。桓武年間の創建と伝えるが、現在の本尊は金ピカの小さな坐像で江戸期の作。近在の皆さんが御朱印を書いてくださったり、手作りのぼたもちを売っていらっしゃったり、総出でご開帳を盛り上げているのがうれしい。
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長田寺(田村薬師)に到着。さきほどの深野薬師堂の前にもあった「杉の葉アーチ」! 日清・日露戦争の「凱旋門」や「祝祭」の表象として聞いたことはあったが、これほど見事な本物を見るのは初めて。なお、深野薬師堂と長田寺は3キロくらい離れているのだが、道筋に竹を立て、白い布を延々とつないでいる。あまねく薬師如来の功徳が行き渡る様を可視化しているようで面白かった。秘仏ご本尊は撮影可だったので、畏れ多くも小さめの画像を掲載しておく。
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実は江戸期の仏像だが「焼けて再建した」ことを伝えるために巧妙に黒く汚しをつけている。しかも衣文の表現が古い様式を伝えているので「写真で見たときはびっくりした」と館長。館長も実物はこの日が初見だという。多田寺の薬師如来(平安初期)に似たところがあり、再建の際に参考にしたのではないか、ともおっしゃっていた。脇侍は小さな日光・月光菩薩。厨子の外側に並んだ十二神将は、いびつな造形が逆に可愛らしかった。地域で守られている仏像の制作年代によって、その地域がいつ頃開発され、村落を形成したかが分かる、というお話が印象に残った。
最後は妙楽寺。本尊は私の大好きな千手観音。堂内には聖観音菩薩立像もいらして、ツアーの同行者の中には、これが好きというファンも多かった。これでツアー終了。駅前で、小浜っ子のソウルフード「カレー焼き」を立ち食いして、打ち上げ。私は引き続き、山陰の旅へ。友人はそれぞれ別方向に散って行った。
もはや(個人的に)秋の恒例となった小浜の秘仏めぐりバスツアー。今年も若狭歴史博物館の館長同乗コースを選択。そして東京の友人三人を誘って四人で参加した(京都在住の友人も誘ったのだが体調不良で直前キャンセル)。前日の夕方、小浜入りすると、駅前を揃いの浴衣姿の人々が行き来している。週末の二日間、八幡神社の祭礼である放生祭(ほうぜまつり)が行われるのだ。
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八幡神社近くには、たくさんの夜店が並び、各町内を出発した山車が行き交う。夜遅くなると、すれ違う山車と太鼓がお囃子を競い合う様子も見られた(相手のリズムにつられたら負け)。川越祭を思い出したが、片方が笛と小太鼓、片方が大太鼓と鉦という、全く違う編成で競い合うのが面白かった。
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さて翌日はバスツアーである。今年は、プラスチックのケースに入ったメンバー証を首から下げる方式になっていた。また、昨年に続き、今年も「木簡パスポート」がいただけた。館長先生のお話では、昨年、誰かが捨てた(落とした?)木簡パスポートがちょうどよく汚れた状態で拾われて、本物と間違えられかけたそうである。そこで今回は、滋賀県高島市の鴨遺跡から出土した「遠敷郡」の記載のある木簡を再現しつつ、墨書を「若狭国遠敷郡」に変えたとか。
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若狭歴史博物館では、企画展『〈日本遺産〉認定記念展「御食国とサバ街道」』(2015年8月8日~9月23日)と常設展『若狭のみほとけ』を館長の説明で見学。「日本遺産」というのは、文化庁が今年(平成27年度)から始めた事業で、その説明を読んでみると「オリンピックまでに100件程度」「観光客の受け皿」など、あきらかに胡散臭い文言が並んでいるが、地域振興の補助金を貰えるというから、まあ良かったことにしよう。鯖街道というのは昭和40年頃から広まった名称で、「もしかしたらウナギ街道だったかもしれない」という話が面白かった。仏像展示室の展示内容は博物館のホームページに掲載されているが、過去データは消されてしまうようなので、転記しておく。
・聖観音菩薩立像(重要文化財)[平安時代・9世紀] 美浜町・青蓮寺
・阿弥陀如来坐像(小浜市指定)[平安時代・10世紀] 小浜市・仏谷区
・兜跋毘沙門天立像(小浜市指定)[平安時代・11世紀] 小浜市・加尾区
・大日如来坐像(小浜市指定)≪初公開≫[平安時代・11世紀] 小浜市・黒駒区
・地蔵菩薩立像(小浜市指定)[平安時代・12世紀] 小浜市・円照寺
・不動明王及び二童子立像≪初公開≫[平安時代・12世紀] 小浜市・飯盛寺
・毘沙門天立像[平安時代・12世紀] 小浜市・羽賀寺
続いて、明通寺へ。2012年と2013年にも来ているが、何度訪ねてもよい。目が大きく、堂々とした薬師如来坐像。お厨子の左右には、髪を逆立て、力のみなぎる深沙大将と降三世明王の巨像。館長はさかんに十二神将像を面白がっていた。同寺は坂上田村麻呂の創建と伝えられている。
昼食は市の中心部に戻って、サンホテルやまねの海鮮丼。お祭りの山車がホテルの玄関にやってきて、子どもの踊りを披露していった。午後は、福井県と京都の境に近い中名田地区へ。昔から田村の里と呼ばれており、坂上田村麻呂の一族が開発に携わったことに由来すると考えられている。田村川の清流に沿って、明るい黄金色の田んぼが続く。
深野薬師堂と長田寺(ちょうでんじ)では、9月20日から26日まで17年ぶりのご開帳が行われていた。深野薬師堂の薬師仏は、「深野ふれあい会館」という和風のコミュニティ会館の中に安置されていた。桓武年間の創建と伝えるが、現在の本尊は金ピカの小さな坐像で江戸期の作。近在の皆さんが御朱印を書いてくださったり、手作りのぼたもちを売っていらっしゃったり、総出でご開帳を盛り上げているのがうれしい。
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長田寺(田村薬師)に到着。さきほどの深野薬師堂の前にもあった「杉の葉アーチ」! 日清・日露戦争の「凱旋門」や「祝祭」の表象として聞いたことはあったが、これほど見事な本物を見るのは初めて。なお、深野薬師堂と長田寺は3キロくらい離れているのだが、道筋に竹を立て、白い布を延々とつないでいる。あまねく薬師如来の功徳が行き渡る様を可視化しているようで面白かった。秘仏ご本尊は撮影可だったので、畏れ多くも小さめの画像を掲載しておく。
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実は江戸期の仏像だが「焼けて再建した」ことを伝えるために巧妙に黒く汚しをつけている。しかも衣文の表現が古い様式を伝えているので「写真で見たときはびっくりした」と館長。館長も実物はこの日が初見だという。多田寺の薬師如来(平安初期)に似たところがあり、再建の際に参考にしたのではないか、ともおっしゃっていた。脇侍は小さな日光・月光菩薩。厨子の外側に並んだ十二神将は、いびつな造形が逆に可愛らしかった。地域で守られている仏像の制作年代によって、その地域がいつ頃開発され、村落を形成したかが分かる、というお話が印象に残った。
最後は妙楽寺。本尊は私の大好きな千手観音。堂内には聖観音菩薩立像もいらして、ツアーの同行者の中には、これが好きというファンも多かった。これでツアー終了。駅前で、小浜っ子のソウルフード「カレー焼き」を立ち食いして、打ち上げ。私は引き続き、山陰の旅へ。友人はそれぞれ別方向に散って行った。