○国立文楽劇場 平成27年度(第70回)文化庁芸術祭主催 錦秋文楽公演 第2部『玉藻前曦袂(たまものまえあさひのたもと)』(11月22日、16:00~)
・清水寺の段/道春館の段/神泉苑の段/廊下の段/訴訟の段/祈りの段/化粧殺生石
「玉藻前」といえば、鳥羽上皇の御代に現れた絶世の美女、その正体は天竺・唐土渡りの金毛九尾の妖狐。この伝説を題材にした文楽の演目があることは知っていたが、かつて一度も見たことがなかった。今回のプログラムに使われている写真が、昭和49年9月国立劇場、昭和57年9月国立劇場、平成19年4月国立文楽劇場とあるから、そりゃあ関東人の私に見る機会はないなあと思った。実際、現代人の目から見ると大味なプロットなので、高尚な人間ドラマを期待していくと全く裏切られる。何度も見たい演目ではないが、面白かった。大阪まで見に行って本当によかった。
もとの脚本では初段と二段目が天竺・唐土編に当たるのだというが、そこは省略して、物語は日本編から。鳥羽天皇の兄の薄雲皇子(うすぐものおうじ)は日蝕の日に生まれたため帝位につけなかったことに不満を持ち、皇位を狙っている。皇子は藤原道春の娘・桂姫を召し、従わなければ命を奪って首を持ってくるよう、配下の鷲塚金藤次に命じる。藤原道春の後室・萩の方は、清水寺に参籠した帰り、拾い子として授かった桂姫を殺すに忍びず、実子であり妹の初花姫の首を差し出すことを考える。姉妹は白装束で双六を打ち(おお、双六!)互いに勝ちを譲ろうとする。ついに初花姫の負けが決まるが、金藤次は桂姫の首を落とす。様子をうかがっていた桂姫の恋人・采女之助は怒り心頭、金藤次に斬りかかる。
金藤次役が玉男さんだったので、いや玉男さんがそんな悪役のはずは(でも悪役だったらちょっと面白い)と思って見ていたら、ここで「実は」の種明かし。金藤次が桂姫を捨てた実の父親だったことが明らかになり、一同その心境を思いやって泣き崩れる。この「道春館の段」は、千歳大夫が全身を使って豪快に演ずる(三味線は冨助さん)。千歳大夫さん、連日の熱演のせいか、喉をやられ気味だったのが気がかり。どうぞお大事に。気がついたら、まだ妖狐が出てこない。
初花姫は名を玉藻前と改めて鳥羽天皇の宮廷に仕えることになる。え?この可憐な妹姫が妖狐?と混乱していたら、「神泉苑の段」でついに妖狐登場。キツネといえば勘十郎さんなのだが、いつもの白狐とちがって、巨大!金色!九尾!! でも細やかな耳の動きが勘十郎さんである。そして、亡き姉を偲んでいた玉藻前に襲いかかり、その姿かたちに取ってかわる。華やかな女官の着物、振り乱した黒髪。その実体はキツネと思いきや、扇に隠れた一瞬で娘の顔に。おお~。思わず起きる拍手。実は前後に顔のあるカシラを使うのだという。そこに薄雲皇子が現れ、玉藻前を口説き、さらに謀反の企みを打ち明ける。玉藻前も素性を明かし、二人で日本を魔道に引き入れることを誓う。ものすごいブラックな内容を、咲寿大夫から咲甫大夫の美声リレーで。
続く「廊下の段」では、帝の寵愛を奪われたことを恨む女官たちが、玉藻前を暗殺しようと斬りつけるのだから、すでに日本の宮廷は魔道に落ちているようなもの。この女官たちの中に美福門院得子さまの姿も。この物語は美福門院=妖狐説は取らないのだな。襲われた玉藻前は、闇の中で全身を輝かせて、女官たちをおののかせる。
このあと「十作住家の段」が省略されているので、少し筋が分かりにくいが、「訴訟の段」では薄雲皇子が傾城の亀菊に夢中になり(なんだこの時代錯誤はw)訴訟も全て亀菊に任せている。ここはチャリ場。陰陽師・安倍泰成の訴えによって、帝の御病平癒の祈祷が行われることになり、「祈りの場」で正体をあばかれた九尾の妖狐は、那須野が原へ飛び去る。髪を結った状態の玉藻前のカシラは鬘と顔の間に仕掛け(薄い布面)があって、一瞬でキツネ顔に変わる。これ、昔からあるのか知らないが、中国の川劇の変臉(へんれん)あるいは変面と同じ方式だと思った。最後は、勘十郎さん、宙づりで退場。
最後の「化粧殺生石(けわいせっしょうせき)」は一種の景事である。幕があがると中央に大きな岩(殺生石)。夕闇の中で毒を吐いているのか、白いスモークが上がっている。「妖狐の霊魂が石に残り、毎夜様々な姿に化けて賑やかに踊り狂うのでした」とプログラムにいう。え?という解説だが、まあどうでもいい。岩陰から出て来た座頭→在所娘→雷→いなせな男→夜鷹→女郎(お多福の面)→奴(やっこ)が次々に踊りを演じるのだが、ぜんぶ勘十郎さん。舞台の上手に消えたかと思えば下手に現れ、女郎と奴は何度も入れ替わる。その間に九尾の狐があり、最後は華麗な玉藻前(キツネ顔)が檜扇を構える姿で幕。いや~理屈抜きで楽しかった~。咲甫大夫の再登場も嬉しかったし。三味線も鶴澤藤蔵さんを筆頭に華やかで。「化粧殺生石」は昭和49年以来の再演だそうだ。プログラムに先代の吉田玉男さん(若い!)が早変わりを演じている写真がある。
物語は、結局どうなったのか、全然収束しないんだけど、気にしないでおく。薄雲皇子は四国への流罪を申し付けられるのだが、降伏しようとしない。後ろの席のおじさんが幕間に「崇徳上皇か」とつぶやいていたが、やっぱりモデルはそうなのか。これ、東京でも上演してほしいなあ。もう一回見たい。
・清水寺の段/道春館の段/神泉苑の段/廊下の段/訴訟の段/祈りの段/化粧殺生石
「玉藻前」といえば、鳥羽上皇の御代に現れた絶世の美女、その正体は天竺・唐土渡りの金毛九尾の妖狐。この伝説を題材にした文楽の演目があることは知っていたが、かつて一度も見たことがなかった。今回のプログラムに使われている写真が、昭和49年9月国立劇場、昭和57年9月国立劇場、平成19年4月国立文楽劇場とあるから、そりゃあ関東人の私に見る機会はないなあと思った。実際、現代人の目から見ると大味なプロットなので、高尚な人間ドラマを期待していくと全く裏切られる。何度も見たい演目ではないが、面白かった。大阪まで見に行って本当によかった。
もとの脚本では初段と二段目が天竺・唐土編に当たるのだというが、そこは省略して、物語は日本編から。鳥羽天皇の兄の薄雲皇子(うすぐものおうじ)は日蝕の日に生まれたため帝位につけなかったことに不満を持ち、皇位を狙っている。皇子は藤原道春の娘・桂姫を召し、従わなければ命を奪って首を持ってくるよう、配下の鷲塚金藤次に命じる。藤原道春の後室・萩の方は、清水寺に参籠した帰り、拾い子として授かった桂姫を殺すに忍びず、実子であり妹の初花姫の首を差し出すことを考える。姉妹は白装束で双六を打ち(おお、双六!)互いに勝ちを譲ろうとする。ついに初花姫の負けが決まるが、金藤次は桂姫の首を落とす。様子をうかがっていた桂姫の恋人・采女之助は怒り心頭、金藤次に斬りかかる。
金藤次役が玉男さんだったので、いや玉男さんがそんな悪役のはずは(でも悪役だったらちょっと面白い)と思って見ていたら、ここで「実は」の種明かし。金藤次が桂姫を捨てた実の父親だったことが明らかになり、一同その心境を思いやって泣き崩れる。この「道春館の段」は、千歳大夫が全身を使って豪快に演ずる(三味線は冨助さん)。千歳大夫さん、連日の熱演のせいか、喉をやられ気味だったのが気がかり。どうぞお大事に。気がついたら、まだ妖狐が出てこない。
初花姫は名を玉藻前と改めて鳥羽天皇の宮廷に仕えることになる。え?この可憐な妹姫が妖狐?と混乱していたら、「神泉苑の段」でついに妖狐登場。キツネといえば勘十郎さんなのだが、いつもの白狐とちがって、巨大!金色!九尾!! でも細やかな耳の動きが勘十郎さんである。そして、亡き姉を偲んでいた玉藻前に襲いかかり、その姿かたちに取ってかわる。華やかな女官の着物、振り乱した黒髪。その実体はキツネと思いきや、扇に隠れた一瞬で娘の顔に。おお~。思わず起きる拍手。実は前後に顔のあるカシラを使うのだという。そこに薄雲皇子が現れ、玉藻前を口説き、さらに謀反の企みを打ち明ける。玉藻前も素性を明かし、二人で日本を魔道に引き入れることを誓う。ものすごいブラックな内容を、咲寿大夫から咲甫大夫の美声リレーで。
続く「廊下の段」では、帝の寵愛を奪われたことを恨む女官たちが、玉藻前を暗殺しようと斬りつけるのだから、すでに日本の宮廷は魔道に落ちているようなもの。この女官たちの中に美福門院得子さまの姿も。この物語は美福門院=妖狐説は取らないのだな。襲われた玉藻前は、闇の中で全身を輝かせて、女官たちをおののかせる。
このあと「十作住家の段」が省略されているので、少し筋が分かりにくいが、「訴訟の段」では薄雲皇子が傾城の亀菊に夢中になり(なんだこの時代錯誤はw)訴訟も全て亀菊に任せている。ここはチャリ場。陰陽師・安倍泰成の訴えによって、帝の御病平癒の祈祷が行われることになり、「祈りの場」で正体をあばかれた九尾の妖狐は、那須野が原へ飛び去る。髪を結った状態の玉藻前のカシラは鬘と顔の間に仕掛け(薄い布面)があって、一瞬でキツネ顔に変わる。これ、昔からあるのか知らないが、中国の川劇の変臉(へんれん)あるいは変面と同じ方式だと思った。最後は、勘十郎さん、宙づりで退場。
最後の「化粧殺生石(けわいせっしょうせき)」は一種の景事である。幕があがると中央に大きな岩(殺生石)。夕闇の中で毒を吐いているのか、白いスモークが上がっている。「妖狐の霊魂が石に残り、毎夜様々な姿に化けて賑やかに踊り狂うのでした」とプログラムにいう。え?という解説だが、まあどうでもいい。岩陰から出て来た座頭→在所娘→雷→いなせな男→夜鷹→女郎(お多福の面)→奴(やっこ)が次々に踊りを演じるのだが、ぜんぶ勘十郎さん。舞台の上手に消えたかと思えば下手に現れ、女郎と奴は何度も入れ替わる。その間に九尾の狐があり、最後は華麗な玉藻前(キツネ顔)が檜扇を構える姿で幕。いや~理屈抜きで楽しかった~。咲甫大夫の再登場も嬉しかったし。三味線も鶴澤藤蔵さんを筆頭に華やかで。「化粧殺生石」は昭和49年以来の再演だそうだ。プログラムに先代の吉田玉男さん(若い!)が早変わりを演じている写真がある。
物語は、結局どうなったのか、全然収束しないんだけど、気にしないでおく。薄雲皇子は四国への流罪を申し付けられるのだが、降伏しようとしない。後ろの席のおじさんが幕間に「崇徳上皇か」とつぶやいていたが、やっぱりモデルはそうなのか。これ、東京でも上演してほしいなあ。もう一回見たい。