○山本義隆『私の1960年代』 金曜日 2015.10
昨年2014年10月に行われた講演を下敷きにしたもの。講演のあと、雑誌『週刊金曜日』から活字にしないかと誘われて、加筆して本書となった。以上の経緯は「2015年8月 2015年安保闘争の渦中で」と付記された「はじめに」に書かれている。
著者は1941年生まれ。1960年に東京大学に入学し、安保闘争を経験した。1962年、物理学科に進学し、大学管理法(大管法)闘争に遭遇する。大学院に進み、素粒子論の研究をしながら、ベトナム反戦運動にかかわる。1968年1月、医学部の研修医制度をめぐって東大闘争が始まり、6月、安田講堂が占拠される。講堂の雑用係をしていた著者は、10月、「東大全共闘代表」に選出される。69年1月、機動隊によって安田講堂バリケードは解除され、9月に著者は逮捕される。70年10月に保釈され、71年3月に再逮捕。再保釈後は大学に戻らず、零細なソフトウェア会社を経て、予備校の仕事をしながら、科学思想史の研究と執筆を続ける。
以上が本書に書かれている著者のおおよその軌跡であり、この間に、我が国の近現代史を踏まえて科学技術についてのさまざまな思索が入る。明治維新とともに帝国大学は、国家が必要とする官僚と技術者を育成するために生まれた。帝国大学教授は、学問ではなく国家に仕えていた。そして、日本の科学は、日清・日露戦争を経て日本が帝国主義国家に成り上っていく中で、明確に「軍事」に力点が置かれていた。それはまあ、そうだろう。ここまでは驚かない。
問題は、その科学が、敗戦後いかなる反省もなく、民主主義と平和国家に不可欠なものとして祭り上げられ続けたことであり、そのことを批判的に見る著者の誠実さに打たれる。戦後においても公害患者は、国の経済復興のためには私的利益を放棄すべきだという強い社会通念と戦わなければならなかった。原発も同様である。原子力発電が、化学工業とどう決定的に違うのか、「安全」を主張する解析がどの点で疑わしいのかは、非常に納得がいった。
東大全共闘の「1960年代」の資料として読んでもむろん面白い。60年安保闘争のとき、教養学部の自治委員会でアジっていたのは、哲学者の加藤尚武さんと近代政治史の坂野潤治さんだとか、お茶の水女子大出身で新聞研の研究生(この制度、当時からあったのか)だった所美都子さんの逸話とか、知らないことがいろいろあった。占拠された安田講堂が、広く開放され、誰でも中に入ることができ、徹底的な議論の場となっていたことを読んで、いまの大学が実現しようとしている「コモンズ」の機能そのものじゃないか、と思ったりした。
もっと古い科学史でいうと、文部省科学研究費(通称、科研費)というのが、1938年(昭和13年)生産力と戦力の増強を図り、経済と軍事の要請に応えるために創設されたというのが、ちょっと衝撃だった。当時の文部大臣は、陸軍大将の荒木貞夫である。私は東大の事務職員だったことがあるので、かつて工学部の学科名が「造兵」「火薬」など、身も蓋もないほど軍事科学的だったことは聞きかじっていた。しかし、戦時下の東京帝国大学が「規模を縮小するのではなく、拡充の一途を辿っていた」ことを、関係者はよくよく認識しておくべきだと思う。今後、東大がどちらの方向に向かうかを考える上で。あと、これは東大の話ではないが、戦時下では「日本主義科学」(日本的性格を有つ科学技術)ということが提唱されていたのだという。これ、表明しているのが物理学者の長岡半太郎なんだなあ。
どんなに優秀な科学者、技術者も、うっかりすると狂信的な国家主義者にからめとられてしまう。やっぱり人間には批判精神が必要だし、批判精神を養うには、歴史と人文科学的な教養が必要なのではないかと思った。私は、元来、全共闘の1960年代というのが大嫌いだった。しかし、2015年安保闘争を経験する中で、感じ方が少し変わってきた。本書は、1960年代の意味を再考するのに大変いいテキストだと思う。
著者は1941年生まれ。1960年に東京大学に入学し、安保闘争を経験した。1962年、物理学科に進学し、大学管理法(大管法)闘争に遭遇する。大学院に進み、素粒子論の研究をしながら、ベトナム反戦運動にかかわる。1968年1月、医学部の研修医制度をめぐって東大闘争が始まり、6月、安田講堂が占拠される。講堂の雑用係をしていた著者は、10月、「東大全共闘代表」に選出される。69年1月、機動隊によって安田講堂バリケードは解除され、9月に著者は逮捕される。70年10月に保釈され、71年3月に再逮捕。再保釈後は大学に戻らず、零細なソフトウェア会社を経て、予備校の仕事をしながら、科学思想史の研究と執筆を続ける。
以上が本書に書かれている著者のおおよその軌跡であり、この間に、我が国の近現代史を踏まえて科学技術についてのさまざまな思索が入る。明治維新とともに帝国大学は、国家が必要とする官僚と技術者を育成するために生まれた。帝国大学教授は、学問ではなく国家に仕えていた。そして、日本の科学は、日清・日露戦争を経て日本が帝国主義国家に成り上っていく中で、明確に「軍事」に力点が置かれていた。それはまあ、そうだろう。ここまでは驚かない。
問題は、その科学が、敗戦後いかなる反省もなく、民主主義と平和国家に不可欠なものとして祭り上げられ続けたことであり、そのことを批判的に見る著者の誠実さに打たれる。戦後においても公害患者は、国の経済復興のためには私的利益を放棄すべきだという強い社会通念と戦わなければならなかった。原発も同様である。原子力発電が、化学工業とどう決定的に違うのか、「安全」を主張する解析がどの点で疑わしいのかは、非常に納得がいった。
東大全共闘の「1960年代」の資料として読んでもむろん面白い。60年安保闘争のとき、教養学部の自治委員会でアジっていたのは、哲学者の加藤尚武さんと近代政治史の坂野潤治さんだとか、お茶の水女子大出身で新聞研の研究生(この制度、当時からあったのか)だった所美都子さんの逸話とか、知らないことがいろいろあった。占拠された安田講堂が、広く開放され、誰でも中に入ることができ、徹底的な議論の場となっていたことを読んで、いまの大学が実現しようとしている「コモンズ」の機能そのものじゃないか、と思ったりした。
もっと古い科学史でいうと、文部省科学研究費(通称、科研費)というのが、1938年(昭和13年)生産力と戦力の増強を図り、経済と軍事の要請に応えるために創設されたというのが、ちょっと衝撃だった。当時の文部大臣は、陸軍大将の荒木貞夫である。私は東大の事務職員だったことがあるので、かつて工学部の学科名が「造兵」「火薬」など、身も蓋もないほど軍事科学的だったことは聞きかじっていた。しかし、戦時下の東京帝国大学が「規模を縮小するのではなく、拡充の一途を辿っていた」ことを、関係者はよくよく認識しておくべきだと思う。今後、東大がどちらの方向に向かうかを考える上で。あと、これは東大の話ではないが、戦時下では「日本主義科学」(日本的性格を有つ科学技術)ということが提唱されていたのだという。これ、表明しているのが物理学者の長岡半太郎なんだなあ。
どんなに優秀な科学者、技術者も、うっかりすると狂信的な国家主義者にからめとられてしまう。やっぱり人間には批判精神が必要だし、批判精神を養うには、歴史と人文科学的な教養が必要なのではないかと思った。私は、元来、全共闘の1960年代というのが大嫌いだった。しかし、2015年安保闘争を経験する中で、感じ方が少し変わってきた。本書は、1960年代の意味を再考するのに大変いいテキストだと思う。
9月末から10月にかけて、レポートを書けていない展覧会の備忘録。
・江戸東京博物館 特別展『徳川の城~天守と御殿~』(2015年8月4日~9月27日)
江戸城、名古屋城、駿府城、二条城など「徳川の城」の魅力に迫る展覧会で、城絵図が大量に出ていた。
・千葉市美術館 開館20周年記念『唐画もん-武禅にろう苑、若冲も』(2015年9月8日~10月18日)
江戸中期の大坂で活躍した「唐画師(からえし)」たちを取り上げる。「近年、同時代の京都画壇が脚光を浴びる一方で、大坂の絵師たちの豊かな営みにも徐々に注目が集まっています」と対抗意識満々。そうは言っても、墨江武禅(すみのえぶぜん)も林閬苑(はやしろうえん)もほとんど知らない画家だった。面白い作品もあったが、個人的にいまいち消化不良。
・永青文庫 特別展『春画展』(2015年9月19日~12月23日)
鎌倉時代(13世紀)の『小柴垣草紙絵巻』が最初の2週間(9/19~10/4)だけ出ていると聞いて、慌てて飛んで行った。覚悟したとおり、入館まで40分くらい並んだ。4階の第1展示室(いつも細川家伝来の名宝が飾ってあるところ)が肉筆の名品特集になっている。想像したより、かなり古色のついた絵巻だった。人混みで春画を見るのはもっと恥ずかしいかと思っていたが、混雑しすぎて、周囲に気を配る余裕もなかった。高級な春画では、男女の顔も手足も「浮世絵ふう」にデフォルメされているのに、局部だけ執拗にリアルに描いているのがちぐはぐで不思議だった。少年マンガにエロが持ち込まれた当初も一部にこういう画風があったような。
・神奈川歴史博物館 特別展『没後100年 五姓田義松-最後の天才-』(2015年9月19日~11月8日)
洋画のパイオニア、五姓田義松(ごせだよしまつ、1855-1915)を特集。同館は、2008年にも特別展『五姓田のすべて』を開催しているが、たぶん新出資料も含めた大回顧展になっている。私は、彼のような写実を突き進むタイプの画家が好きなので、とても面白かった。「義松作品すべて見せます!」というコンセプト(無茶)で、小さなスケッチ片もたくさん展示されている。主催者の熱量が伝わってくる展示だった。10月前半には販売開始と言っていた展示図録は、結局10月23日から売り始めたらしい。
・神奈川近代文学館 特別展『生誕140年 柳田國男展 日本人を戦慄せしめよ―『遠野物語』から『海上の道』まで』(2015年10月3日~11月23日)
柳田国男は、日本民俗学の創始者というだけでは捉えきれない側面があって、一筋縄ではいかない人物というイメージがあるが、晩年の写真はいい顔をしている。生い立ちの話が面白く、実弟・松岡映丘の写真もあった。
・米沢嘉博記念図書館 『江口寿史展 KING OF POP Side B』(2015年10月9日~2016年2月7日)
同館1階の展示コーナーで開催中(入場無料)。「すすめ!!パイレーツ」の生原稿に感無量。私は、サザンオールスターズのデビューも「スターウォーズ」第1作も「パイレーツ」のネタで知ってから、本物に触れた。そのくらい、江口寿史の感度は先端を行っていたのである。「江口寿史展 KING OF POP」(Side A)は全国巡回中で、川崎市民ミュージアムでは12月5日から。展示と物販を楽しみにしている。
11/10拾遺の拾遺を追記。
・武蔵野市立吉祥寺美術館 『生誕200年記念 伊豆の長八-幕末・明治の空前絶後の鏝絵師』(2015年9月5日~10月18日)
一度ホンモノを見たいと思っていた伊豆の長八こと入江長八(1815-1889)の鏝絵(こてえ)を東京で見ることができて大満足。建物の装飾だけかと思ったら、塑像や絵画作品もたくさん残っていると初めて知った。天鈿女命と猿田彦とか神功皇后とか、神話に題材をとった作品が多いのは、明治のはじめという時代の反映なのだろうな。
・国立公文書館 平成27年秋の特別展『災害に学ぶ-明治から現代へ-』(2015年9月19日~10月12日)
明治以降の災害(地震、噴火、台風、洪水など)を紹介する。近代初期の災害だと、ビジュアルな一次資料があまりないので、報告書の文面に引きつけられるが、大正の関東大震災くらいになると、写真が多数残っているので、文字資料よりそっちに関心が向いてしまう(文字資料を残すことも大切なのだけど)。関東大震災の延焼地図によると、本郷の東大キャンパスはその境界線くらいにあるのだな。もう少し運がよければ、図書館も焼け残ったのに。
・江戸東京博物館 特別展『徳川の城~天守と御殿~』(2015年8月4日~9月27日)
江戸城、名古屋城、駿府城、二条城など「徳川の城」の魅力に迫る展覧会で、城絵図が大量に出ていた。
・千葉市美術館 開館20周年記念『唐画もん-武禅にろう苑、若冲も』(2015年9月8日~10月18日)
江戸中期の大坂で活躍した「唐画師(からえし)」たちを取り上げる。「近年、同時代の京都画壇が脚光を浴びる一方で、大坂の絵師たちの豊かな営みにも徐々に注目が集まっています」と対抗意識満々。そうは言っても、墨江武禅(すみのえぶぜん)も林閬苑(はやしろうえん)もほとんど知らない画家だった。面白い作品もあったが、個人的にいまいち消化不良。
・永青文庫 特別展『春画展』(2015年9月19日~12月23日)
鎌倉時代(13世紀)の『小柴垣草紙絵巻』が最初の2週間(9/19~10/4)だけ出ていると聞いて、慌てて飛んで行った。覚悟したとおり、入館まで40分くらい並んだ。4階の第1展示室(いつも細川家伝来の名宝が飾ってあるところ)が肉筆の名品特集になっている。想像したより、かなり古色のついた絵巻だった。人混みで春画を見るのはもっと恥ずかしいかと思っていたが、混雑しすぎて、周囲に気を配る余裕もなかった。高級な春画では、男女の顔も手足も「浮世絵ふう」にデフォルメされているのに、局部だけ執拗にリアルに描いているのがちぐはぐで不思議だった。少年マンガにエロが持ち込まれた当初も一部にこういう画風があったような。
・神奈川歴史博物館 特別展『没後100年 五姓田義松-最後の天才-』(2015年9月19日~11月8日)
洋画のパイオニア、五姓田義松(ごせだよしまつ、1855-1915)を特集。同館は、2008年にも特別展『五姓田のすべて』を開催しているが、たぶん新出資料も含めた大回顧展になっている。私は、彼のような写実を突き進むタイプの画家が好きなので、とても面白かった。「義松作品すべて見せます!」というコンセプト(無茶)で、小さなスケッチ片もたくさん展示されている。主催者の熱量が伝わってくる展示だった。10月前半には販売開始と言っていた展示図録は、結局10月23日から売り始めたらしい。
・神奈川近代文学館 特別展『生誕140年 柳田國男展 日本人を戦慄せしめよ―『遠野物語』から『海上の道』まで』(2015年10月3日~11月23日)
柳田国男は、日本民俗学の創始者というだけでは捉えきれない側面があって、一筋縄ではいかない人物というイメージがあるが、晩年の写真はいい顔をしている。生い立ちの話が面白く、実弟・松岡映丘の写真もあった。
・米沢嘉博記念図書館 『江口寿史展 KING OF POP Side B』(2015年10月9日~2016年2月7日)
同館1階の展示コーナーで開催中(入場無料)。「すすめ!!パイレーツ」の生原稿に感無量。私は、サザンオールスターズのデビューも「スターウォーズ」第1作も「パイレーツ」のネタで知ってから、本物に触れた。そのくらい、江口寿史の感度は先端を行っていたのである。「江口寿史展 KING OF POP」(Side A)は全国巡回中で、川崎市民ミュージアムでは12月5日から。展示と物販を楽しみにしている。
11/10拾遺の拾遺を追記。
・武蔵野市立吉祥寺美術館 『生誕200年記念 伊豆の長八-幕末・明治の空前絶後の鏝絵師』(2015年9月5日~10月18日)
一度ホンモノを見たいと思っていた伊豆の長八こと入江長八(1815-1889)の鏝絵(こてえ)を東京で見ることができて大満足。建物の装飾だけかと思ったら、塑像や絵画作品もたくさん残っていると初めて知った。天鈿女命と猿田彦とか神功皇后とか、神話に題材をとった作品が多いのは、明治のはじめという時代の反映なのだろうな。
・国立公文書館 平成27年秋の特別展『災害に学ぶ-明治から現代へ-』(2015年9月19日~10月12日)
明治以降の災害(地震、噴火、台風、洪水など)を紹介する。近代初期の災害だと、ビジュアルな一次資料があまりないので、報告書の文面に引きつけられるが、大正の関東大震災くらいになると、写真が多数残っているので、文字資料よりそっちに関心が向いてしまう(文字資料を残すことも大切なのだけど)。関東大震災の延焼地図によると、本郷の東大キャンパスはその境界線くらいにあるのだな。もう少し運がよければ、図書館も焼け残ったのに。