○佐藤春夫著、東雅夫編『たそがれの人間:佐藤春夫怪異小品集』(平凡社ライブラリー) 平凡社 2015.7
佐藤春夫は、ほとんど読んだことのない作家なのだが、なんとなく趣味が合いそうな気がして本書を手に取った。約30編の小品が三つのセクションに分けて収録されている。はじめの「化物屋敷を転々と」は、屋敷や場所にまつわる怪異譚が9編。心覚えのエッセイみたいなものから、かなり作品として彫琢されたものもある。全編読み終わって振り返ると、この章がいちばん怪異小説らしかった。
次の「世はさまざまの怪奇談」は13編。フォークロアを再話したものが面白い。「『鉄砲左平次』序(ついで)にも一つ」という作品は、前段は左平次という鉄砲名人の話で「僕の地方(紀伊国か?)の温泉のある所で、民話のように伝わっているもの」と断られている。後段は僕の友人の一人が「信州の諏訪の紡績工場で事務員をしていた」時の話で、たぶん編者は後段を気に入って、このアンソロジーに入れたのだと思う。便所で縊死した女工の凄惨な話。
「山妖海妖」は熊野の海山に住む妖怪の話が次から次と繰り広げられる。妖怪と人間の会話に土地柄があふれている。河童をカンカラコボシ(河原)と呼び、ボシ(法師)は人間を呼ぶ蔑称であるとか「暗愚カンカラコボシめ」と罵るとか。悪口雑言を「人魚の口をきく」というとか。熊野の人魚はずる賢くて口が汚い。海には海犬(波の上を飛ぶように早く這う)がいたり、二畳敷もあるアカエイの主がいたり、もちろん幽霊船も出る。水死体に遭ったときはそれなりの礼儀作法がある。こうした怪奇談は、怖いけれど太古の神秘に触れるような愉悦もある。さすがは黄泉国に通じるといわれる熊野。著者は現・新宮市の生まれだそうだ。「柱時計に噛まれた話」「道灌山」は都会風の近代的な怪異譚で、オチがつかないので、漠とした不安が余韻として残る。
最後の「文豪たちの幻想と怪奇」には、谷崎潤一郎、与謝野晶子などの文学者との交友が語られた作品群。怪奇趣味は薄い。標題作品「たそがれの人間」(タイトルに「」がつく)には、「いずれ自滅すべき種族」を自称する「少年作家T・I」が描かれている。その次の「コメット・X」を合わせて、これは!と思ったのは、冒頭の「化物屋敷」シリーズに「石垣」という名前で登場するのが稲垣足穂である、というネタバレを読んでいたためだ。世間的には全く馬鹿で、それがために「まじりけのない芸術家」だった若き日の足穂を、著者は愛情込めて描いている。
「永く相おもふ」は与謝野寛、晶子、そして堀口大学が登場するが、狂言まわしになっているのが、森鴎外の遺品の陶印「ゆめみるひと」である。私はかつて鴎外文庫に親しんだことがあるので、懐かしく興味深かった。
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次の「世はさまざまの怪奇談」は13編。フォークロアを再話したものが面白い。「『鉄砲左平次』序(ついで)にも一つ」という作品は、前段は左平次という鉄砲名人の話で「僕の地方(紀伊国か?)の温泉のある所で、民話のように伝わっているもの」と断られている。後段は僕の友人の一人が「信州の諏訪の紡績工場で事務員をしていた」時の話で、たぶん編者は後段を気に入って、このアンソロジーに入れたのだと思う。便所で縊死した女工の凄惨な話。
「山妖海妖」は熊野の海山に住む妖怪の話が次から次と繰り広げられる。妖怪と人間の会話に土地柄があふれている。河童をカンカラコボシ(河原)と呼び、ボシ(法師)は人間を呼ぶ蔑称であるとか「暗愚カンカラコボシめ」と罵るとか。悪口雑言を「人魚の口をきく」というとか。熊野の人魚はずる賢くて口が汚い。海には海犬(波の上を飛ぶように早く這う)がいたり、二畳敷もあるアカエイの主がいたり、もちろん幽霊船も出る。水死体に遭ったときはそれなりの礼儀作法がある。こうした怪奇談は、怖いけれど太古の神秘に触れるような愉悦もある。さすがは黄泉国に通じるといわれる熊野。著者は現・新宮市の生まれだそうだ。「柱時計に噛まれた話」「道灌山」は都会風の近代的な怪異譚で、オチがつかないので、漠とした不安が余韻として残る。
最後の「文豪たちの幻想と怪奇」には、谷崎潤一郎、与謝野晶子などの文学者との交友が語られた作品群。怪奇趣味は薄い。標題作品「たそがれの人間」(タイトルに「」がつく)には、「いずれ自滅すべき種族」を自称する「少年作家T・I」が描かれている。その次の「コメット・X」を合わせて、これは!と思ったのは、冒頭の「化物屋敷」シリーズに「石垣」という名前で登場するのが稲垣足穂である、というネタバレを読んでいたためだ。世間的には全く馬鹿で、それがために「まじりけのない芸術家」だった若き日の足穂を、著者は愛情込めて描いている。
「永く相おもふ」は与謝野寛、晶子、そして堀口大学が登場するが、狂言まわしになっているのが、森鴎外の遺品の陶印「ゆめみるひと」である。私はかつて鴎外文庫に親しんだことがあるので、懐かしく興味深かった。