○森正人『戦争と広告:第二次大戦、日本の戦争広告を読み解く』(角川選書) KADOKAWA 2016.2.25
日中戦争と太平洋戦争の広告を題材に、戦争においてメディアが果たす機能を考える。ここで「広告」とは、人々にあるメッセージを知らせるメディアの意味で、本書は、博覧会や博物館における事物展示と報道雑誌における写真を主に取り上げる。これらは、絵画と異なり「本物らしさ」を強く感じさせる点が共通している。
本書には、戦時中の『アサヒグラフ』『写真週報』の誌面が多数掲載されている。中には、笑ってしまうような稚拙な合成写真もないではないが、写真作品として、かなりいいと感じたものもあった。たとえば、広大な雪山を背景に銃を構える北辺警備の兵士を鉄条網越しに捉えた写真。静謐な光景がはらむ緊張感が伝わってくる(本書139頁)。あるいは出撃のため、各自の戦闘機に向けて走り出す特攻隊員たちを背後から捉えた写真(本書147頁)など。
『写真週報』1943年の表紙は、銃剣を手に、手前から奥に向かって横一列に並んだ女性の写真(本書185頁)だが、低い視点で遠近感を強調し、手前の女性の大きさ(力強さ)が際立つ。たぶん効果的なビジュアルデザインの基本なのだろうけど、逆に、昨今、こんなに基本に忠実なデザインを見ることが少ないので、とても新鮮に感じる。「聖戦」を演出し、見たい(見せたい)ものだけを国民に見せようとしたプロパガンダに不愉快を感じつつ、デザインの力強い美しさには、単純に心が躍ってしまう。視覚文化というのは、難しい(因果な?)ものだと思った。
本書には戦時中の「事物展示」に関する記述もある。支那事変(日中戦争)勃発の翌年にあたる1938年には、阪急西宮球場とその外園で「支那事変聖戦博覧会」が行われた。へええ。中国軍の飛行機、戦車、青龍刀などの戦利品あり、トーチカの体験施設あり、戦地ジオラマあり。蒙疆広場では遊牧民のパオに加えて、羊とラクダも展示。北京の姑娘がサービスする北京茶館や蘇州美人の刺繍実演もあったというから、まだ銃後の認識は平和な時代だったのかなあと思う。美学者の河田明久によれば、日中戦争は理念が曖昧だったため、日本兵と中国兵を善玉・悪玉として描き切れなかったこと、太平洋戦争期になるとこれがはっきりし、戦局が悪化するにつれて「あたかも宗教画における殉教図のような、『蹂躙される正義』のイメージ」に近くなっていくという指摘も、あわせてここに書き抜いておく。
それから『写真週報』1943年の図版という「参戦中国の精強」も驚きだった。連合国に宣戦布告した「新中国」の兵士たちが剣道着で鍛錬に励む写真である。ここでいう「新中国」とは、親日派の汪兆銘政権のこと。もちろん汪兆銘政権のことは知っていたけれど、重慶政府に宣戦し「米英という真の悪との戦い」への参入に熱狂する「支那民衆」が視覚的に演出され、日本国民向けに発信されていたというのは、罪深いなあと思った。
私見だが、素朴に自国の兵士を誇るのはまだいい。敵国を貶めるのもまあ許容しよう。見ていてやり切れないのは、一方的に「護られるべきもの」として描かれた人々の姿である。日本によって英米の支配から救い出されたアジア諸国・諸地域では、市民がこぞって日本兵を歓迎した。現地人は日本兵のために土地の開墾を進んで手伝った。「アジヤ ワ ヒトツ」って、こういう文脈で使われていたんだなあ(天心先生…)。指導する日本と指導されるアジアの上下関係は、報道写真において明確に固定化されている。この逆転は、わずかなりとも想像してはならないのだ。
とりわけ私が嫌いなのは、指導する日本=大人・男、指導されるアジア=子ども・女という、民族的偏見にジェンダーバイアスが重なった記事や写真。いっそ日本兵が現地女性を殴り倒していればいいのだけれど、「やさしく手をとって教えてくれる兵隊さん」という見出しに吐きそうになる。実は、本書の序章には、2014年5月、安倍首相が集団的自衛権の必要を訴えるために使ったパネルの写真が掲載されていて、それが「弱い女性と子ども、それを守る男性」という、伝統的なフォーマットに即していることが語られている。問題は決して過去の戦争広告の話だけではないのだ。
それにしても、戦争中の日本人は「個人主義」や「民主主義」が本当に嫌いだったんだなあということが、あらためて感じられた。私は戦後民主主義を享受して育った世代なので、昨今の「個人主義」「民主主義」バッシングが不思議でしかたないのだが、本書を読むと、わずか70年か80年前の嗜好に戻っただけか、と納得できてしまった。私は戻りたくないけれど。
最終章は、21世紀における戦争の見せ方について語っている。博物館展示の「歴史修正主義的」な変化。論議を読んだ映画『永遠の0』。歴史が一つの解釈へ収斂され、ほかの解釈を許さないような状態は、その社会の活力を削いでしまう。酒井直樹氏のいう「ひきこもりの国民主義」は打開すべきものと考える。
日中戦争と太平洋戦争の広告を題材に、戦争においてメディアが果たす機能を考える。ここで「広告」とは、人々にあるメッセージを知らせるメディアの意味で、本書は、博覧会や博物館における事物展示と報道雑誌における写真を主に取り上げる。これらは、絵画と異なり「本物らしさ」を強く感じさせる点が共通している。
本書には、戦時中の『アサヒグラフ』『写真週報』の誌面が多数掲載されている。中には、笑ってしまうような稚拙な合成写真もないではないが、写真作品として、かなりいいと感じたものもあった。たとえば、広大な雪山を背景に銃を構える北辺警備の兵士を鉄条網越しに捉えた写真。静謐な光景がはらむ緊張感が伝わってくる(本書139頁)。あるいは出撃のため、各自の戦闘機に向けて走り出す特攻隊員たちを背後から捉えた写真(本書147頁)など。
『写真週報』1943年の表紙は、銃剣を手に、手前から奥に向かって横一列に並んだ女性の写真(本書185頁)だが、低い視点で遠近感を強調し、手前の女性の大きさ(力強さ)が際立つ。たぶん効果的なビジュアルデザインの基本なのだろうけど、逆に、昨今、こんなに基本に忠実なデザインを見ることが少ないので、とても新鮮に感じる。「聖戦」を演出し、見たい(見せたい)ものだけを国民に見せようとしたプロパガンダに不愉快を感じつつ、デザインの力強い美しさには、単純に心が躍ってしまう。視覚文化というのは、難しい(因果な?)ものだと思った。
本書には戦時中の「事物展示」に関する記述もある。支那事変(日中戦争)勃発の翌年にあたる1938年には、阪急西宮球場とその外園で「支那事変聖戦博覧会」が行われた。へええ。中国軍の飛行機、戦車、青龍刀などの戦利品あり、トーチカの体験施設あり、戦地ジオラマあり。蒙疆広場では遊牧民のパオに加えて、羊とラクダも展示。北京の姑娘がサービスする北京茶館や蘇州美人の刺繍実演もあったというから、まだ銃後の認識は平和な時代だったのかなあと思う。美学者の河田明久によれば、日中戦争は理念が曖昧だったため、日本兵と中国兵を善玉・悪玉として描き切れなかったこと、太平洋戦争期になるとこれがはっきりし、戦局が悪化するにつれて「あたかも宗教画における殉教図のような、『蹂躙される正義』のイメージ」に近くなっていくという指摘も、あわせてここに書き抜いておく。
それから『写真週報』1943年の図版という「参戦中国の精強」も驚きだった。連合国に宣戦布告した「新中国」の兵士たちが剣道着で鍛錬に励む写真である。ここでいう「新中国」とは、親日派の汪兆銘政権のこと。もちろん汪兆銘政権のことは知っていたけれど、重慶政府に宣戦し「米英という真の悪との戦い」への参入に熱狂する「支那民衆」が視覚的に演出され、日本国民向けに発信されていたというのは、罪深いなあと思った。
私見だが、素朴に自国の兵士を誇るのはまだいい。敵国を貶めるのもまあ許容しよう。見ていてやり切れないのは、一方的に「護られるべきもの」として描かれた人々の姿である。日本によって英米の支配から救い出されたアジア諸国・諸地域では、市民がこぞって日本兵を歓迎した。現地人は日本兵のために土地の開墾を進んで手伝った。「アジヤ ワ ヒトツ」って、こういう文脈で使われていたんだなあ(天心先生…)。指導する日本と指導されるアジアの上下関係は、報道写真において明確に固定化されている。この逆転は、わずかなりとも想像してはならないのだ。
とりわけ私が嫌いなのは、指導する日本=大人・男、指導されるアジア=子ども・女という、民族的偏見にジェンダーバイアスが重なった記事や写真。いっそ日本兵が現地女性を殴り倒していればいいのだけれど、「やさしく手をとって教えてくれる兵隊さん」という見出しに吐きそうになる。実は、本書の序章には、2014年5月、安倍首相が集団的自衛権の必要を訴えるために使ったパネルの写真が掲載されていて、それが「弱い女性と子ども、それを守る男性」という、伝統的なフォーマットに即していることが語られている。問題は決して過去の戦争広告の話だけではないのだ。
それにしても、戦争中の日本人は「個人主義」や「民主主義」が本当に嫌いだったんだなあということが、あらためて感じられた。私は戦後民主主義を享受して育った世代なので、昨今の「個人主義」「民主主義」バッシングが不思議でしかたないのだが、本書を読むと、わずか70年か80年前の嗜好に戻っただけか、と納得できてしまった。私は戻りたくないけれど。
最終章は、21世紀における戦争の見せ方について語っている。博物館展示の「歴史修正主義的」な変化。論議を読んだ映画『永遠の0』。歴史が一つの解釈へ収斂され、ほかの解釈を許さないような状態は、その社会の活力を削いでしまう。酒井直樹氏のいう「ひきこもりの国民主義」は打開すべきものと考える。