見もの・読みもの日記

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ひんやり夏狂言/文楽・仮名手本忠臣蔵と国言詢音頭

2019-07-28 23:03:48 | 行ったもの2(講演・公演)

国立文楽劇場 令和元年夏休み文楽特別公演(7月27日、14:00~、18:30~)

・第2部:通し狂言『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』五段目 山崎街道出会いの段/二つ玉の段/六段目 身売りの段/早野勘平腹切の段/七段目 祇園一力茶屋の段

 金曜日、京都で仕事だったので、そのまま関西に居残って文楽を見てくることにした。思い立ったときは、第2部のチケットは完売だったのだが、なんとチケット転売サイトで入手することができた(定価より安かったので違法にはならず)。あきらめずに探してみるものだ。

 今年は国立文楽劇場の開場35周年を記念し、4月・7-8月・11月の3公演を使って『仮名手本忠臣蔵』の通し狂言が試みられている。実は、私は忠臣蔵という話があまり好きでないので、これまでこの芝居を見たことがほとんどない。五段目だけは、ずいぶん昔に見た記憶がかすかにあった。六段目は同じときに見ているかもしれないが全く忘れていた。五、六段目は展開がめまぐるしくて面白いが、勘平がおかるの家に身を寄せている理由、定九郎が通りすがりの悪党ではなくて塩谷家にゆかりがあることなど、これ以前の経緯と人物関係がきちんと把握できていないと、面白さが分かりにくいと思う。人形は勘平を和生さん。床は身売りの段を咲太夫と燕三、早野勘平腹切の段を呂勢太夫と清治。

 七段目、祇園一力茶屋の段のあらすじは知っていたが見るのは初めて。10人以上の登場人物に全て太夫さんが割り当てられていて華やかだった。全員が一度に登場するのではなく、入れ代わり立ち代わり床に座る。おかるの兄、足軽の寺岡平右衛門が下手から登場したときは、下手の小さな仮設舞台に豊竹藤太夫さんが座って語りをつとめた。華やかで変化の多い音曲も楽しかったが、ちょっと演出過多で浄瑠璃として邪道じゃない?と思うところも。由良助を呂太夫、九太夫を三輪太夫など贅沢な布陣。ヒロインおかるを津駒太夫というのが面白かった(年増っぽい声なので)。

 人形は、おかるが二階に登場し、由良助にからかわれながら梯子を下りてくるところまでを蓑助さん。いやもう絶品だった。他の人が遣う人形とは格が違うとしか表現のしようがない。由良助は勘十郎さんで、前半、呆けて性根を失くしているところが、全くそのままで楽しかった。

 しかし、いま私は中国の古装劇『長安十二時辰』というドラマをネットで見ていて、これは唐の都・長安を爆破し、要人暗殺をたくらむテロリスト集団と、その一味の正体を追う人々の物語なのだけど、赤穂浪士って見方を変えればテロリストだなあとあらためて思った。本当は、彼らの敵討ち計画を阻止しようとする九太夫・伴内のほうが正義であってもおかしくないのに。

・第3部:サマーレイトショー『国言詢音頭(くにことばくどきおんど)』大川の段/五人伐の段

 この狂言は、文楽に興味を持った早い時期に見た記憶がある。曽根崎新地の遊女に馬鹿にされた薩摩の田舎侍が、茶屋に押し入り五人を斬り殺すという救いようのない筋で、古典芸能の闇の深さを知って、呆気にとられた作品である。遊女菊野には絵屋仁三郎という思い人がいるが、薩摩藩士の初右衛門に見初められ、いやいや相手をしていた。あるとき真実の気持ちを書いた菊野から仁三郎への手紙が、偶然、初右衛門の手に入ってしまう。鷹揚に二人を許して帰国すると見せかけた初右衛門は、深夜、茶屋に押し入り、菊野ほか、居合わせた人々を斬り捨て、雨の中を悠々と去ってゆく。

 妖刀や魔物の呪いではなく、嫉妬とか侮辱に対する怒りで人間はここまで残虐になれるというのを淡々と描いているのが怖い。殺戮シーンの前に、仁三郎の許嫁おみすが菊野を訪ねてきて、仁三郎の身持ちを案じていることを相談すると、菊野は身を引くことを約束し、自分の代わりにおみすを仁三郎の床へ案内する場面がある。これは曽根崎新地の遊女の「粋」なのかなあ。それに対する初右衛門の野暮。睦太夫・織太夫・千歳太夫のリレーで聞きやすく、情感たっぷり。

 初右衛門は玉男さん。こういう野暮で悪い役もいいねえ。月岡芳年描く悪人を思わせて、ぞくぞくした。最後は茶屋の外に出て、用水桶の水で返り血を洗い流し、番傘を差して雨の中を去ってゆく。このとき、舞台一面に本物の水で雨を表現。傾けた傘に雨が当たる。へええ、文楽で本水を使った演出は記憶になくて面白かった。

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