〇速水融『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ:人類とウイルスの第一次世界戦争』 藤原書店 2006.2
スペイン・インフルエンザは、1918(大正8)年の春から1920(大正10)年にかけて世界的に大流行した感染症である。日本では「スペイン風邪」と呼ばれることが多いが、風邪(一種の症候群)とインフルエンザ(ウイルスが媒介する感染症)は全く異なるという立場から、本書ではこの用語を使用する。
スペイン・インフルエンザは1918年3月にアメリカで発生したのが最初の記録とされている。その後、ヨーロッパ、アジア、アフリカに伝播し、日本でも軍隊を中心に多くの罹患者が出た。しかし致死率は低く「春の先触れ」はあまり関心を呼ばずに消えてしまった。
ところが1918年の秋以降、第一次世界大戦の戦勝ムードに湧くアメリカ、イギリス、フランスなどで感染が再拡大し、日本では同年10月から翌1919年春まで大流行した。これを「前流行」という。そして終息したかに見えたものの、1919年暮れから翌2020年春まで「後流行」が襲来する。本書は、この2つの期間の各地の感染・死亡状況を、当時の新聞記事や統計資料から、細かく復元して解説する。
勉強になるのは、統計資料の数字を全て信用するのではなく、論理的に慎重な検証を加えている点だ。たとえば死亡者数について、死亡原因に「流行性感冒」と記されている数ではなく、平常年の死亡者数と比較した「超過死亡数」を算出してみるのもその一例である。ただし比較対象とする「平常年」の死亡数が本当に平常か(別の病気が流行していないか)とか、海軍の場合、船舶事故の有無によって死亡数が大きく変動するなどの注釈がついている。合理的な説明のつかない数字に「ミスプリントではないか」と疑義を呈している箇所もあった。
そのような検証を経て見えてきたことのひとつは、「前流行」の激しい地域と「後流行」の激しい地域がほぼ逆転していることだ。著者はこのことから、両者は同じH1N1型ウイルスで、「前流行」で人々が免疫を獲得した地域は「後流行」が軽くて済んだのではないかと推測している。ただし「前流行」は感染性は高いが死亡率は低く、「後流行」は感染性は低いが罹患者の死亡率が高い、という明らかな性質の違いはあった。これは、現在の新型コロナが「前流行」タイプであることを思うと、今後の変異がちょっと怖い。
スペイン・インフルエンザは若者や壮年の罹患者・死亡者が多かったというのは意外だった。軍隊で感染が多発したのは、青壮年層の集団であることに加え、行動に「強制」が伴うこと(少し具合が悪いからと訓練を休むわけにいかない)にもよる。さらに人の往来が感染を加速するのは当然のことで、12月1日の新兵入営日のあと、罹患者が続出している。現在の立場では、次の新学期が不安になる教訓である。
しみじみ胸にこたえるのは、当時の政府が、マスクの使用、うがいや手洗いの励行、人ごみを避けることなどを繰り返し促してはいるものの、「興行の閉鎖は関東州(外地)だけで、他のところではなされなかった」とか「神仏に救いを求めて殺到する満員電車の乗客には、車内での罹患の可能性が非常に高かったにもかかわらず、何の規制も加えられなかった」等の記述。与謝野晶子は『横浜貿易新報』に寄稿し、なぜ政府は「大呉服店、学校、興行物、大博覧会等、多くの人間の密集する場所の一時的休業を命じなかったのでせうか」と問い、休業は命じないが「なるべく人ごみに出るな」という政府の意思の不統一に怒りを表明している。「日本人に共通した目前主義や便宜主義の性癖」(=将来のことを考えない、当座しのぎ)という晶子の批判は、今でも当たっているように思う。
このほかにも、看護婦の払底、医療崩壊(入院お断り)、マスク不足など、どこかで聞いたような話が続々と出てくる。ひとたび流行が下火になると恐怖心が薄らぎ、マスクを持ちながら使用を怠る人が増えており「困ったものだ」という新聞記事も、いつの話かと苦笑させられた。
総括として、著者はスペイン・インフルエンザによる日本の死亡者を内地45.3万人、外地28.7万人と推計する。現代人には、想像を絶する巨大な数字だ。にもかかわらず、スペイン・インフルエンザが「忘れられた」歴史経験となり、論文や研究書がほとんど書かれてこなかったのはなぜか。死亡率が(ペストやコレラに比べて)高くなかったこと、短い期間で終息したことなどの理由に加え、直後(1923年9月)の関東大震災の影響という指摘を興味深く思った。震災の死者は約10万人でスペイン・インフルエンザよりずっと少ないのだが、「風景」の変化は圧倒的だった。「絵になる」震災の一撃によって、スペイン・インフルエンザの記憶は薄れてしまったというのだ。歴史の「記憶」を考える場合に、留意すべき点だと思う。