〇国学院大学博物館 特別列品『神の新たな物語-熊野と八幡の縁起-』(2021年5月13日~7月3日)
中世には、時代の潮流・信仰を基盤として、古代の神話に描かれる神々に加え、当時、信仰圏を広げていた熊野や八幡といった神々の新たな物語・ 神話が作り出された。本展は、国学院図書館が所蔵する熊野の神々や八幡神(応神天皇)とその母・神功皇后をめぐる縁起絵巻の数々を展示し、物語から中世の神々の姿を見ていく。
初めて中世神話というものを知ったのは、小松和彦先生の著作に紹介されていた「熊野の本地」だったのではないかと思う。いちおう国文科の学生で、しかも上代文学を専攻する予定だったので、古事記・日本書紀は読んでいた。ところが、一部の地方には、記紀神話とは全然違う「神話」が伝わっていることにびっくりしてしまった。以来、記紀神話だけが「日本人の心のふるさと」みたいに言うのは、大ウソだなあと思っている。
本展には、こうした神々の物語(縁起)の写本や、物語を絵にした絵本・絵巻が集められている。小規模とはいえ、国学院大学図書館の所蔵・寄託品だけで展示が成立しているのがすごい。あと、神社本庁とガチガチに結びついていると思っていた同大学が、こういうテーマで展示をするのは意外だったが、神道史学者の西田長男(1909-1981)や国文学者の角川源義(1917-1975)など、同大関係者による「中世神話」研究の蓄積があるのだった。
江戸時代前期の絵巻『熊野縁起 上』では、首のない女性が赤子を抱き、虎の上に座している。まわりを和やかに囲む動物たち。天竺の摩訶陀国王の后・五衰殿の女御は、他の后たちに嫉妬され、王子を産み落としたあと、首を斬られて殺される。しかし王子は亡き母の乳を飲み、動物たちに守られて育つ。残虐でグロテスクな物語が、絵本のような明るい色彩、ほのぼのタッチで描かれている。のちに母后は成長した太子の尽力で蘇り、太子とともに日本に飛来して熊野の権現となる。和辻哲郎は著書『埋もれた日本』で、母后が「苦しむ神」「蘇りの神」であることを、驚きをもって語り、こうした観念を理解し得る民衆には、キリストの十字架の物語も遠いものではなかったのではないかと語っているそうだ(いや、それは牽強付会な気もするが…どうだろう)。
『かみよ物語(玉井の物語)』があったのは嬉しくて、西尾市岩瀬文庫の『かみ代物語絵巻』(エース級の素朴絵)を思い出していた。『石清水八幡宮御縁起 上』には、頭が八つある怪物が描かれている。塵輪(ちんりん、じんりん)というのだそうだ。これを退治したのが仲哀天皇(ヤマトタケルの子、妃は神功皇后)。いま「塵輪」で検索したら、岩見神楽のカッコいい画像がたくさんヒットした。中世神話は、能・狂言・幸若舞など芸能の源泉にもなっている。
中世神話をまとめて読むなら『神道集』が基本文献だが、東国の神社の縁起も採録されているというのが意外だった(というか、Wikiには「多くは東国に関するものとなっている」とある)。ちょっと読みたくなってきた。あと平安時代の『長寛勘文』(享保年間書写)には、熊野社領である甲斐国八代荘をめぐって、熊野の神と伊勢の神は同体という報告がなされているという。やっぱり日本人の神観念は、記紀神話だけで語っちゃいけない気がする。
国学院には江戸時代前期の『百合若大臣』絵巻の写本もあるのだな。展示替えのため見られなかったが、また機会があれば見てみたい。