見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2022年11月関西旅行:長等山前陵探し~義仲寺

2022-11-08 22:36:03 | 行ったもの(美術館・見仏)

■弘文天皇陵(長等山前陵)探し~新羅善神堂

 大津市歴史博物館の『大友皇子と壬申の乱』展を興味深く参観したが、結局、弘文天皇陵に決まった「亀丘」がどこにあるのか、よく分からなかった。会場の隅で、スマホで検索してみたら、博物館のすぐ近所であるらしい。地元の人には当たり前すぎて、掲示するまでもない情報なのだろうが、関東民の私は初めて知った。

 せっかくなので寄ってみようと思い、博物館を出て、Googleマップをたよりに御陵を目指したが、警察学校の敷地に突き当たってしまった。仕方ないので、京阪石山線に並行する県道に出て、市役所や消防署の前を過ぎ、ようやく「弘文天皇陵」の道案内を見つけて左折した。雑木林の中にあらわれた、ゆかしげな門と塀。

 これか!と思ったら違った。「三井寺(園城寺)新羅善神堂」の看板が立っていた。私は、新羅善神(新羅明神)という神格にもむかしから興味があるので、思わぬ出会いにびっくりしてしまった。しかし、弘文天皇陵に通じる道はよく分からず、今回は断念した。宮内庁のホームページには道案内が掲載されているのだが、こんな道、あったかしら? 次回は、よく事前調査をして訪ねたい。

朝日山 義仲寺(大津市馬場)

 京阪線を石場で下りて、義仲寺に立ち寄った。たぶん大昔に来たことがあるはずだが、全く記憶がなかった。住宅街にひっそり佇む小さなお寺である。Wikiを読むと、何度も荒廃と再興を繰り返してきたようだ。天台宗系単立の寺院だというが、芭蕉を祀る翁堂には、黄檗宗のお寺で見る小型の開梆(かいぱん、魚板)が下がっていた。

 受付のお姉さんが「ご朱印は、義仲殿、巴御前、芭蕉翁があります」というので、義仲と巴をいただいていくことにした。本来のご本尊は聖観音菩薩なのだが。

 入口に近いほうから横一列に並んだ石塔。いちばん手前は巴御前の供養塔。

 その隣り、立派な宝篋印塔は木曾義仲の墓。礎石の下は大きく土が盛り上がり、ふかふかした緑の苔に覆われていた。奥に見える石組の囲いが芭蕉の墓である。受付のお姉さんが「巴御前は供養塚、義仲と芭蕉は実際に埋葬されたもの」とおっしゃっていたと思う。

 芭蕉の墓石は、門人がこういう自然石を選んだのか、不思議なかたちをしている。島崎又玄の句「木曽殿と背中合わせの寒さかな」が有名だが、墓所の位置関係は「背中合わせ」というより「隣りどうし」である。

 死んだ後も「推し」の隣りにいられる芭蕉は幸せ、という感想をSNSで読んで、なるほどと思っていたら、境内の隅に保田與重郎の墓を見つけてしまった。保田は、戦後、義仲寺の再興に尽力したそうで、「木曾冠者」「芭蕉」の著作もあるのだ。こういうファン人生もあるよなあ、としみじみしてしまった。

 ほかに境内には、鳥居に「木曾八幡」の札(額)を掲げた社があったり、伊藤若冲の花卉図天井画(あまりよく見えない)のある翁堂があったりする。季節の花木も多く、機会があったら藤の咲く頃に来てみたいと思った。板塀の貼り紙にも味がある。

 そして、JR膳所駅の壁画。これはカッコよすぎ~!うれしい!!

 あと、石場駅で下りたとき、久しぶりに琵琶湖文化館の雄姿が正面に見えたのも懐かしかった。2008年3月末に休館するまで何度か訪れたことがあり、大好きな施設だったのだ。「新・琵琶湖文化館」どうなるのかなあ。よい方向に進んでほしい。

コメント
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