○東京国立博物館 日中国交正常化40周年 東京国立博物館140周年 特別展『書聖 王羲之』(2013年1月22日~3月3日)
展示作品リストを見ると、書道博物館とか東博、京博の所蔵品が多いので、だいたい見たことあるんだろうなあと思いつつ、違った環境で見ると違った感興も湧くので行ってみた。
冒頭には、王羲之の人物評が載っている『世説新書(世説新語)』が資料として展示されている。テキストさえ示すことができれば、活字本でも何でもいいわけだが、あえて唐時代の写本(巻子本・国宝)を展示。しかも、元来は一本だったと思われるものを、京博と東博が分有しているのが面白い。東博所蔵分の末尾に「大正四年…香厳居士神田醇」云々とあるのが気になって、調べたら、書誌学者にして京博の館長もつとめられた神田喜一郎氏の祖父。書体もいいし、伝来も気になるのだが、あまり説明されていなくて残念。
京博・上野本『十七帖』をチラ見せしたあと、「王羲之」以前の書ということで、甲骨文やら金石文やら何やら。書道博物館で見覚えのある品が多かった。『李柏尺牘稿』は、京都の龍谷ミュージアムで見たことを思い出す。前涼時代(4世紀)の墨書って、こんな貴重な資料を脇役扱いしていいものか。
そして、ようやく王羲之の書(拓本)が登場するが、「楷書」はあまり良さが分からない。「行・草書」は、ふっくらと伸びやかな筆の運びがいいなあと思う。私は王羲之の書によくある「月」の字が好き。不安定に傾いでいるところが、本当に夜空にかかった三日月のようだ。「秋月帖」では、冒頭の三行とも二文字目が「月」の字で、少しずつ字体を変えているのが面白いと思う。
プリンストン大学付属美術館所蔵の『行穣帖』は、唐代、双鉤填墨(そうこうてんぼく)という技法で作られた模本。本展随一の見ものと言えるだろう。王羲之の書はわずか二行(笑)で、その左右には、例によって乾隆帝が平然と揮毫し、ベタベタと御覧の印を押している。あとで、図録の解説を見たら、宋の徽宗皇帝が書いた題箋を、傍若無人にも自分の印で隠して表装しなおしてるので、爆笑してしまった。いや、さすが乾隆帝。ここには徽宗皇帝が用いた七種の印のうち六種が使われているという。
それから、新発見が報じられた『王羲之尺牘 大報帖』(個人蔵)。東博サイトの説明に「『日弊』(日々疲れる)、『解日』(日を過ごす)など、王羲之が書簡で用いる常套句が見えます」というのに、ちょっと笑った。日々疲れる…王羲之の書簡の内容って、多くはネガティブで、平凡な家庭人の哀感があって、これほど能筆でなかったら、絶対後世に残らなかったであろうと思われる。三の丸尚蔵館の『喪乱帖』も好きだ。これも唐代の模本。後水尾天皇のときは今の三倍の長さがあったと知って、もったいない、と思ったが、手元においた三分の二は焼失し、後西院に贈呈した三分の一だけが残ったと聞くと、ううむ、と考えてしまう。
「蘭亭序」特集セクションには、游丞相(游似)旧蔵本が多数出ていたが、2012年秋、東博と書道博物館の連携企画で見せていたものである。なーんだ、と思いながら後半へ。初見で、かなり嬉しかったのは、中村不折の油彩作品『賺蘭亭図』(近美所蔵)。もうちょっと照明のいいスペースに展示してほしかったけど。
最後に設けられているのが「王羲之書法の受容と展開」というセクション。唐の欧陽詢、虞世南、褚遂良らの作品が登場し、ああ、なるほど(唐の太宗は彼らに王羲之の臨書を命じたのだったな)と思っていたら、時代が飛んで、宋の米芾(べいふつ)、黄庭堅らの作品が登場。さらに元、明、清と進む。こうなると、もはや王羲之を離れて、東博コレクション展の趣き。まあ、展覧会趣旨の最後に「この展覧会では、内外に所蔵される名品を通して、王羲之が歴史的に果たした役割を再検証いたします」とある看板に偽りはないのだけど。
あらためて図録の解説を読み直してみると、清代、18世紀の終わり頃になると、法帖を学ぶ帖学派に代わって、石碑の拓本を学ぶ碑学派が大勢を占め、「ここにおいて、千六百年以上にもわたって信奉された王羲之神話は、遂に幕を閉じた」とある。うーむ、しかし、清代の書で、突然「永和九年」という見慣れた文字が目に飛び込んできて、あれ?蘭亭序だ?!と思ったら、私の好きな朱耷(しゅとう)=八大山人による蘭亭序だった。全文を暗記していて、たびたび揮毫しているが、ときどき途中の語句をとばしている、という解説(図録)が愉快だった。
※展覧会ホームページ
展示作品リストを見ると、書道博物館とか東博、京博の所蔵品が多いので、だいたい見たことあるんだろうなあと思いつつ、違った環境で見ると違った感興も湧くので行ってみた。
冒頭には、王羲之の人物評が載っている『世説新書(世説新語)』が資料として展示されている。テキストさえ示すことができれば、活字本でも何でもいいわけだが、あえて唐時代の写本(巻子本・国宝)を展示。しかも、元来は一本だったと思われるものを、京博と東博が分有しているのが面白い。東博所蔵分の末尾に「大正四年…香厳居士神田醇」云々とあるのが気になって、調べたら、書誌学者にして京博の館長もつとめられた神田喜一郎氏の祖父。書体もいいし、伝来も気になるのだが、あまり説明されていなくて残念。
京博・上野本『十七帖』をチラ見せしたあと、「王羲之」以前の書ということで、甲骨文やら金石文やら何やら。書道博物館で見覚えのある品が多かった。『李柏尺牘稿』は、京都の龍谷ミュージアムで見たことを思い出す。前涼時代(4世紀)の墨書って、こんな貴重な資料を脇役扱いしていいものか。
そして、ようやく王羲之の書(拓本)が登場するが、「楷書」はあまり良さが分からない。「行・草書」は、ふっくらと伸びやかな筆の運びがいいなあと思う。私は王羲之の書によくある「月」の字が好き。不安定に傾いでいるところが、本当に夜空にかかった三日月のようだ。「秋月帖」では、冒頭の三行とも二文字目が「月」の字で、少しずつ字体を変えているのが面白いと思う。
プリンストン大学付属美術館所蔵の『行穣帖』は、唐代、双鉤填墨(そうこうてんぼく)という技法で作られた模本。本展随一の見ものと言えるだろう。王羲之の書はわずか二行(笑)で、その左右には、例によって乾隆帝が平然と揮毫し、ベタベタと御覧の印を押している。あとで、図録の解説を見たら、宋の徽宗皇帝が書いた題箋を、傍若無人にも自分の印で隠して表装しなおしてるので、爆笑してしまった。いや、さすが乾隆帝。ここには徽宗皇帝が用いた七種の印のうち六種が使われているという。
それから、新発見が報じられた『王羲之尺牘 大報帖』(個人蔵)。東博サイトの説明に「『日弊』(日々疲れる)、『解日』(日を過ごす)など、王羲之が書簡で用いる常套句が見えます」というのに、ちょっと笑った。日々疲れる…王羲之の書簡の内容って、多くはネガティブで、平凡な家庭人の哀感があって、これほど能筆でなかったら、絶対後世に残らなかったであろうと思われる。三の丸尚蔵館の『喪乱帖』も好きだ。これも唐代の模本。後水尾天皇のときは今の三倍の長さがあったと知って、もったいない、と思ったが、手元においた三分の二は焼失し、後西院に贈呈した三分の一だけが残ったと聞くと、ううむ、と考えてしまう。
「蘭亭序」特集セクションには、游丞相(游似)旧蔵本が多数出ていたが、2012年秋、東博と書道博物館の連携企画で見せていたものである。なーんだ、と思いながら後半へ。初見で、かなり嬉しかったのは、中村不折の油彩作品『賺蘭亭図』(近美所蔵)。もうちょっと照明のいいスペースに展示してほしかったけど。
最後に設けられているのが「王羲之書法の受容と展開」というセクション。唐の欧陽詢、虞世南、褚遂良らの作品が登場し、ああ、なるほど(唐の太宗は彼らに王羲之の臨書を命じたのだったな)と思っていたら、時代が飛んで、宋の米芾(べいふつ)、黄庭堅らの作品が登場。さらに元、明、清と進む。こうなると、もはや王羲之を離れて、東博コレクション展の趣き。まあ、展覧会趣旨の最後に「この展覧会では、内外に所蔵される名品を通して、王羲之が歴史的に果たした役割を再検証いたします」とある看板に偽りはないのだけど。
あらためて図録の解説を読み直してみると、清代、18世紀の終わり頃になると、法帖を学ぶ帖学派に代わって、石碑の拓本を学ぶ碑学派が大勢を占め、「ここにおいて、千六百年以上にもわたって信奉された王羲之神話は、遂に幕を閉じた」とある。うーむ、しかし、清代の書で、突然「永和九年」という見慣れた文字が目に飛び込んできて、あれ?蘭亭序だ?!と思ったら、私の好きな朱耷(しゅとう)=八大山人による蘭亭序だった。全文を暗記していて、たびたび揮毫しているが、ときどき途中の語句をとばしている、という解説(図録)が愉快だった。
※展覧会ホームページ