2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を楽しんで見た。前半の源平の戦いは、それほどハマらなかったが、後半、頼朝没後の御家人たちの権力闘争になってから、俄然、面白くなった。先週、最終回を視聴したので、大河ドラマ館を見てきた。
ちなみに私が大河ドラマ館を訪ねるのは、2017年の大河ドラマ『おんな城主直虎』以来である。『おんな城主直虎』で遠州鉄道の気賀まで出かけたのに比べれば、今回は、鶴岡八幡宮境内の鎌倉文華館・鶴岡ミュージアム(以前の神奈川県立近代美術館鎌倉館)が会場なので、いつでも気楽に訪ねることができたのだが、最終回を見終えるまではガマンしていた。
館内には、登場人物のひとりひとりを紹介する映像パネル、衣装、小道具、俳優さんのインタビュー動画など。伊豆の国市にセットを組んだという大倉御所のジオラマが興味深かった。これは北条義時が着用した甲冑。適度な汚しがリアルである。
これは畠山重忠着用の兜。重忠が奉納したと伝えられる、武蔵御嶽神社の赤糸威鎧に倣ったものかな(→文化遺産オンライン:写真は小野田光彦らによる模造復元品)。
これは阿野全成が将軍頼家を呪詛するために用いた人形。「急急如律令」の紙片が貼り付けてある。最初の「急」の字は左側に口が付くのが正式のようだ。京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館の「発掘ニュース」(2005年10月、PDF)に「呪詛の人形」と題して、よく似た写真が掲載されている。
館内の大型スクリーンでは、義時役の小栗旬さんや時政役の坂東彌十郎さんのインタビュー動画を視聴することができたが、私はむしろ、美術や撮影、所作指導などスタッフの談話が興味深かった。撮影について、本作は一般的なズームレンズを使わず、ほぼ全編、単焦点レンズで撮影しているとのこと。暗いところでも撮れるとか、焦点の周囲が自然にぼけるなどの特徴があるそうだ。美術は、丸柱の質感が難しいとか、頼朝の持仏の仏像は何度もダメ出しをもらいながら作ったなどの話が面白かった。それから時代考証の坂井孝一先生のお姿を、初めて映像で拝見したが、目元涼しいなかなかのイケオジで、大江広元役をやってほしかったな、と思ってしまった。
■鎌倉歴史文化交流館 企画展『北条氏展vol.4 北条義時の子どもたち-中世都市鎌倉の黎明-』(2022年10月24日~2023年3月11日)
大河ドラマ館(入館料1000円)のパンフレットを持参すると、鎌倉国宝館と鎌倉歴史文化交流館が1回ずつ入館できる、うれしいシステムになっている。しかし鎌倉国宝館はすでに年末休館に入ってしまったので、歴史文化交流館だけ見てきた。本展では、義時以後の北条一門、嫡流・泰時の得宗家、朝時の名越流、重時の極楽寺流、政村の政村流、有時の伊具流、実泰の金沢流などをそれぞれ紹介する。鎌倉北条氏について、もっと知りたくなった。
そのほか、訪ねたところ。鶴岡八幡宮の大銀杏は2010年3月に倒れてしまったが、残った根から育った若芽が移植されて、立派な若木に育っていた。感動! 私の残り人生で、いつまで見守ることができるか分からないが、今後が楽しみである。
鶴岡八幡宮の流鏑馬道の東側の門を出たところにある、畠山重忠邸址の碑。右に曲がると、細い道に沿って彼岸花の群生地がある。
大町の妙本寺は比企能員の屋敷址。比企氏族滅の後に唯一生き残った比企能本(能員の末子)が、のちに比企ヶ谷に法華堂を創建したのが妙本寺の前身だという。境内にある手前の石碑には「比企能員公一族之墓」と刻まれている。
なお比企氏は武蔵国比企郡の出身。私は、埼玉県に住んでいたとき、比企郡に職場があったので親しみを感じる。ちなみに畠山重忠ゆかり(ということになっている)菅谷館跡にも近かった。
和田義盛ら和田合戦の死者を弔ったところと伝える和田塚。ただ、いろいろ読んでみると、そのように呼ばれ始めたのは明治以降のことのようだ。説明板に「和田塚の前身は古墳時代の墳墓であったと言われている」とあった。
というわけで、敗れし者のゆかりの地をまわってみた。鎌倉の史跡は殺伐として恐ろしいけれど、おもしろい。