〇大井赤亥『現代日本政治史:「改革の政治」とオルタナティヴ』(ちくま新書) 筑摩書房 2021.9
本書は、1990年代以降の日本政治を「改革」をめぐる対立軸で捉えるとともに「改革の政治」を超える新たなオルタナティヴの提示を目指したものである。
55年体制下の日本政治の対立軸は「保守vs革新」だった。保守とは、資本主義体制と日米安保条約を堅持する立場をいう。しかし「革新」の衰退によって、日本政治の対立軸は「保守」の内部抗争、すなわち、行政機構の縮小再編成を掲げる「改革保守」と、利益誘導政治の維持を目指す「守旧保守」の対立へと移行する。この起点を80年代の中曽根行革に求める立場(吉見俊哉氏など)もあるが、著者は、中曽根行革はまだ「保革対立」の枠内のできごとと位置づける。
1993年、小沢一郎が『日本改造論』を刊行し、同年の衆院選で、日本新党、さきがけ、新生党という、誕生したばかりの「非自民保守系改革派」政党が躍進した。自民党は現状を維持したが、社会党の一人負けによって「革新」の退潮が明らかになった。
細川政権は、政治改革(選挙制度改革)と規制緩和に乗り出していく。政治改革は、地元への利益還元から脱却しようとする「改革保守」と、自民党の金権腐敗を批判するリベラル派の支持を得、規制緩和は、財界、アメリカ、そして国内の消費者から支持された。「生産者」「労働者」であるより「消費者」であることにアイデンティティを感じる都市部有権者が増えていたのである。
以後の日本政治は「改革」と揺り戻しの反復として整理できる。村山政権は改革の揺り戻しで、自民党もコンセンサス型意思決定につとめた。次いで橋本政権は、小沢一郎の「お株を奪う」かたちで行政改革を進め、内閣を強化し、政治主導を強めた。しかし財政構造改革の失敗によって、自民党は1998年の参院選で大敗する。小渕・森政権は、新自由主義のスピードを鈍化させ、伝統的派閥政治への回帰を目指した。
2001年、小泉政権が発足。小泉構造改革は、自民党が「守旧保守」から「改革保守」へと変容する自己脱却の契機となった。小泉政治を通じて「改革の政治」は、ポピュリズムと結びつく。90年代以降、組織化されない個人が有権者の大部分を占めるようになると、目くらまし的なポピュリズムの手法が効果を発揮するようになった。また「改革の政治」が右派イデオロギーと結びつく契機となったのも小泉政治だが、小泉にとっては明確に構造改革が主で、右派イデオロギーは従だった。
続く第一次安倍政権・福田政権・麻生政権は、総じて旧来型の自民党政治への回帰の時代だった(この評価はちょっと意外に感じた)。そして竹中平蔵は、自身が敷いた「改革」路線の減速に焦燥感をにじませ、与野党を横断する改革派の結集による「保守系第三局」の創出を目指す(これは納得)。
2009年、民主党政権誕生。鳩山政権は、社会福祉分野において「改革の政治」とは大きく異なる政策を実行した。しかし、官僚との相互不信、沖縄基地問題という桎梏を超克することができず、2012年衆院選で大敗する。著者は、民主党政権の未熟さ・脆弱さを首肯しつつ、「改革の政治」に対するオルタナティヴの模索として一定の評価を与えている。
この時期、「改革の政治」はいびつなかたちで関西に移り、橋下徹による大阪維新を生む。非常に興味深く感じたのは、2012年の早稲田大学で行われた調査で、既存政党を「保守-革新」の順番に配置させたところ、最も「保守」的な政党として自民党、最も「革新」的な政党として維新の会を選ぶ学生が多かったという。若年層にとっては、左右の既得権に挑み、どちらからも批判される維新こそ、最も「革新」的に見えるのだ。
2012年に誕生した第二次安倍政権は、政治の優先順位を「改革」から「右傾化」に移し替えた点が特徴的である(この評価には笑った)。経済政策に関する限り、安倍政権は市場に対する国家介入を強める方向にあり、公共投資による土建国家への回帰を示している。口では「改革」を言いながら、ほとんど改革をやっていないのが実態だった(なるほど)。2017年の衆院選では、「改革」は依然として有力なスローガンだったが、希望と維新が票を伸ばせず、「改革保守」の衰退を示す結果となった。個人的に、これは喜ばしい傾向である。
最後に著者は、新たなオルタナティヴとして、市民社会の活性化、国家の復権(政府しか担い手がいない公共サービスは大胆にその復権を要求する)、公正なグローバリズム(新自由主義グローバリズムでない)という三本の柱を示す。私はこのビジョンに共感する。では、実際にこのビジョンに近い政策を実行してくれる政党はどこなのか、今月末の衆院選に向けて、よく考えたい。