○五島美術館 新装開館記念名品展『時代の美-五島美術館・大東急記念文庫の精華』第2部 鎌倉・室町編(2012年11月23日~12月24日)
新装開館記念名品展シリーズのその二。前期(~12/9)に出ていた国宝『紫式部日記絵巻』をあえて外して、後期に見に行った。冒頭からしばらく、13~14世紀の絵画資料が並ぶ。特に歌仙絵は、これだけ並べて見比べると壮観。後鳥羽院本三十六歌仙絵の平兼盛像とか、一歌仙一首本歌仙絵の源俊頼像とか、手先を袖から出して、尺を顎に当てたり、髭をひねったり、動きのあるポーズをとる歌仙絵って、ちょっと珍しい(新しい)感じがする。
以前、後鳥羽院本三十六歌仙絵の『平仲文像』について疑問を感じた件(『絵画の美』展、2010年)、新刊の図録解説を見たら「仲文(藤原仲文 923~92)は」と、サラッと書き流してあり、オイ、と突っ込みたくなった。
弘安本『北野天神縁起絵巻』の断簡も3種も出ていたし、『前九年合戦絵巻』の断簡も好きだし(菅笠?を深くかぶった右端の男たちがいい)、『尹大納言絵巻』断簡も好きだ。置き眉、赤いおちょぼ口の平安ボーイたちがかわいい。ほとんど描線が見えないくらいの白描なのに、じっと見ていると、華麗な色彩の洪水が瞼に浮かんでくる。
『過去現在絵因果経断簡』は、益田鈍翁旧蔵本(全長1メートル余)を全面公開し、さらに、やや時代の下る断簡3種も一部公開。「断簡」といっても、60~70cmある長大な経巻である。描かれた仏たちが、蓮華座の上で周りを気にしていたり、踏み割り蓮華をスリッパみたいに履いて、よちよち歩く姿とか、どこか人間臭くてかわいい。室町時代の『山水屏風』もよかった。一度ここで見ていると思うのだが、以前より展示室の環境がよくなって、断然見やすくなった気がする。
仏画・墨蹟は、心なしか、おだやかで和風テイストなものを選んでいるような気がした。本格的に中国風なものは、「第4部 中国・朝鮮編」に温存しているのではなかろうか。
古写本や古筆も、楽しませてもらった。『祈雨日記』を見ては、書写者の成賢が藤原通憲入道(信西)の孫と知って、なつかしく感じる。解脱上人貞慶も信西の孫だったな、と思い起こす。『右大臣家百首断簡』は、伝承筆者の西行はあてにならないが、同時代の美しい仮名書きで、右大臣=九条兼実邸で治承2年に行なわれた百首歌(藤原俊成が合点を付した)と聞くと、あの政変前夜に、兼実さんは、こんな優雅なことをしていたのか、としみじみする。
『平家物語』最古の完本、延慶本も出ていた。平家一門滅亡から約百年後に、紀州・根来寺で書写された本を、さらに百年後の応永年間に書写したもの。そうかー「延慶本」って延慶年間の写本じゃないのね、と基本的なことを理解。森立之旧蔵の金沢文庫本『南華真経注疏』『文選』とか、同館のコレクションは、旧蔵者の名前にうなずいたり、驚いたり、反応したくなるものが多いのも特徴である。
新装開館記念名品展シリーズのその二。前期(~12/9)に出ていた国宝『紫式部日記絵巻』をあえて外して、後期に見に行った。冒頭からしばらく、13~14世紀の絵画資料が並ぶ。特に歌仙絵は、これだけ並べて見比べると壮観。後鳥羽院本三十六歌仙絵の平兼盛像とか、一歌仙一首本歌仙絵の源俊頼像とか、手先を袖から出して、尺を顎に当てたり、髭をひねったり、動きのあるポーズをとる歌仙絵って、ちょっと珍しい(新しい)感じがする。
以前、後鳥羽院本三十六歌仙絵の『平仲文像』について疑問を感じた件(『絵画の美』展、2010年)、新刊の図録解説を見たら「仲文(藤原仲文 923~92)は」と、サラッと書き流してあり、オイ、と突っ込みたくなった。
弘安本『北野天神縁起絵巻』の断簡も3種も出ていたし、『前九年合戦絵巻』の断簡も好きだし(菅笠?を深くかぶった右端の男たちがいい)、『尹大納言絵巻』断簡も好きだ。置き眉、赤いおちょぼ口の平安ボーイたちがかわいい。ほとんど描線が見えないくらいの白描なのに、じっと見ていると、華麗な色彩の洪水が瞼に浮かんでくる。
『過去現在絵因果経断簡』は、益田鈍翁旧蔵本(全長1メートル余)を全面公開し、さらに、やや時代の下る断簡3種も一部公開。「断簡」といっても、60~70cmある長大な経巻である。描かれた仏たちが、蓮華座の上で周りを気にしていたり、踏み割り蓮華をスリッパみたいに履いて、よちよち歩く姿とか、どこか人間臭くてかわいい。室町時代の『山水屏風』もよかった。一度ここで見ていると思うのだが、以前より展示室の環境がよくなって、断然見やすくなった気がする。
仏画・墨蹟は、心なしか、おだやかで和風テイストなものを選んでいるような気がした。本格的に中国風なものは、「第4部 中国・朝鮮編」に温存しているのではなかろうか。
古写本や古筆も、楽しませてもらった。『祈雨日記』を見ては、書写者の成賢が藤原通憲入道(信西)の孫と知って、なつかしく感じる。解脱上人貞慶も信西の孫だったな、と思い起こす。『右大臣家百首断簡』は、伝承筆者の西行はあてにならないが、同時代の美しい仮名書きで、右大臣=九条兼実邸で治承2年に行なわれた百首歌(藤原俊成が合点を付した)と聞くと、あの政変前夜に、兼実さんは、こんな優雅なことをしていたのか、としみじみする。
『平家物語』最古の完本、延慶本も出ていた。平家一門滅亡から約百年後に、紀州・根来寺で書写された本を、さらに百年後の応永年間に書写したもの。そうかー「延慶本」って延慶年間の写本じゃないのね、と基本的なことを理解。森立之旧蔵の金沢文庫本『南華真経注疏』『文選』とか、同館のコレクションは、旧蔵者の名前にうなずいたり、驚いたり、反応したくなるものが多いのも特徴である。