見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

華やぐ仏教美術/中国国宝展

2004-10-13 23:44:10 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館 特別展『中国国宝展』

http://www.tnm.jp/

 「中国の国宝」と聞いて、まず何を思い浮かべるだろうか。私は、庭園とか石窟のような、動かしようのないものを除けば、青銅器と玉器である。そのあとが陶磁器(三彩を含む)。それから書画か。

 だから、この展覧会の名称にはちょっと異議がある。東博のホームページを読むと、「(今回の展示は)『仏教美術』と『考古学の新発見』に焦点を当て、約170件の優品により紹介します」と説明してあり、いずれも超級の名品ぞろいであることは否定しない。だけど、ここまで徹底して「考古学」「仏教美術」限定とは思っていなかった。なので、うかつにも会場に入ったら、行っても行っても仏像だらけなので、嬉しいような、騙されたような、ヘンな気がした。

 実はこの展示のボリュームの7割以上は仏教美術(仏像)である。その中でも山東省青州市博物館蔵(龍興寺址出土)の仏像の数が非常に多い。2000年秋の「中国国宝展」でも、衆目を集めた文物だ。

 日本人好みなのかなあ、と思う。端正で思索的で、しかし、さほど超越的ではない、「至高の人間像」という感じ。ギリシャの古典彫刻に似ている。もしくは広隆寺の弥勒半跏像が半身を起こした姿かも。教義とか信仰を必要としない、一般の美術鑑賞家にも分かりやすい仏像である。

 私は、もう少し土着的な妖気があって、近代的思惟を拒絶する感じの仏像のほうが好きなので、贅沢を言うと食い足りない。中国にも異形の仏像はあるはずだが、巨大すぎたり、石窟の壁刻だったり、それから、往々にして生きた信仰の対象になっているので、運び出せないのだと思う。

 そんな中で、いちばん惹かれたのは、首のない天王立像。いかにも唐代らしい力強さと華やぎに充ちている。それから、山西省楡社県出土の菩薩立像。体の正面で結んだ天衣のなびきかた、裳(ひだスカート)のふくらみかたの柔らかさは、石像と思えないほどだ。小品では金色の如来三尊立像。夢のように優美かつ繊細。この一品を見るためだけに、本場中国まで出かけてもいいと思う。金製品の美しさは、写真では10分の1も伝わらないので、とにかく本物を見るに限る。

 中国文化の”異形性”が存分に楽しめるのは、「考古文物」のパートである。まず、会場入口に展示された「羽人」で卒倒しそうになった。つぶれたカエルみたいな獣(?)の上に鳥がいて、その鳥の頭の上に、嘴と尾のある”羽人”が立っている。解説ボードには「これまでまったく知られていない形式の像である」って、まるで説明になってない。

 この”羽人”をはじめ、湖北省荊州市の天星観遺跡からは、独創的な造型感覚の漆器が多数見つかっているようだ。雲南の金具と青銅器、徐州の玉器、陝西省西安の天王俑と鎮墓獣、どれもいい。見逃せないのは、始皇帝陵から出土した銅製の鶴。きわめて写実的なんだけど、写実がきわまって、抽象彫刻みたいな異形性を感じる。

 時間があれば、もう1回見に行きたいものだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

都会の異空間/永青文庫

2004-10-12 09:09:15 | 行ったもの(美術館・見仏)
○永青文庫 財団創立55年記念 特別公開『永青文庫の国宝』

http://www.eiseibunko.com/

 神田川沿いから目白台に上がる細い坂の途中にある。この坂は何度か通ったことがあるはずだが、永青文庫を訪ねるのは初めてだった。門をくぐると、背の高い雑木林だけが目につく。台風でいくぶん葉の落ちた木陰に身をひそめるように、古さびた文庫の建物があった。薄曇りの天候のせいもあって、全く異空間に迷い込んだように思った。受付に現れた人物がにゃあとか鳴いても驚かなかっただろう。

 旧細川公爵家の家政所(事務所)として昭和初期に建設されたという建物の内部は、木枠の展示棚と言い、展示と全く無関係な書棚や暖炉と言い、映画のセットに迷い込んだようで楽しかった。

 展示品の数は多くないが、国宝8件(展示替えのため、一度に見られるのは7件)をはじめ、なかなか名品揃いである。日本刀、中国陶器、能面、三彩俑、近代日本画など、さまざまなものが雑多にあるのは個人コレクションらしくて面白い。

 いちばん気に入ったのは「金銀錯狩猟文鏡」。永青文庫のホームページに写真があるが、実物はもっと金色が鮮やかである。中国・戦国時代の考古文物らしいが、こんなモダンで美しい銅鏡は見たことがない。解説カードには「騎馬人物の写実性に注目」とか何とかあったが、むしろ、何だか分からない金色の渦巻き模様が、クリムトを思わせる。

 あとは、こんなものがあるとは思ってもいなかった、渋川春海由来の天球儀。球面に鋲(びよう)を留めて星を表している。

 それから、3階の展示室に常設で置かれているらしい、大きな中国家具。「乾隆御座」ってあったのは、何か由来があるのかしら。気になる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戸惑う少年/ハリー・ポッター第5巻

2004-10-11 21:33:10 | 読んだもの(書籍)
○J.K.ローリング『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団(上)(下)』静山社 2004.9

 9月1日に発売された、ハリー・ポッター日本語版の最新作。例によって店頭販売のセレモニーつきで華々しく登場したものの、すぐにベストセラー1位の座を明け渡したとか、小売店が在庫を持てあましているとか、人気”失速”の報道がかまびすしい。

 どうなのかな。私のように「すぐ読んでしまうと次が待てない」と思って、1ヶ月くらいはブレーキかけてるファンもいると思うな。今日も近所のカフェで、買ったばかりらしい本書を、袋から出して眺めている若い女性を見かけた。文学(しかも児童文学)というのは、本来、長い時間をかけて浸透していくジャンルだから、音楽CDや映画みたいに”失速”を語ること自体、間違いじゃないかしら。

 1巻から4巻まで読んできた日本の読者が、ここで離れてしまうとしたら、とても残念。確かに4巻くらいから物語のトーンに変化があって、初めの頃の「スカッとした面白さ」は後退している。でも、最初から最後まで同じように面白い長編小説なんてありえない。途中の退屈を辛抱して読み通してこそ、長編小説にしかない面白みが味わえるってものだ(いま、読んでいる「源氏物語」にも同じことを感じている)。

 さて、この巻では、4巻で予兆のように忍び寄っていた様々な変化が確実なものになる。最大の変化はハリー自身だ。友だちや年長者の忠告に耳をかさず、危ない無鉄砲を繰り返し、そのうえ、自分を正当化して周りの人々を責め立てる。もともと彼は模範的なヒーローではない。好き嫌いもあるし、かんしゃくも起こす、普通の男の子だった。そうして、普通の15歳は、こんなものなんだろう。それにしても、年長者に対する反抗は”手厳しい”ほどだ。

 まず、如何なるときも完全無欠の守護者だったダンブルドア校長に対する信頼が砕ける。ダンブルドアは、これまで見せたことのない苦衷の表情で、自分の判断に誤りがあったことを認め、ハリーに詫びるが、ハリーは彼を許すことができない。

 実の父親に対する信頼も砕ける。ハリーは、スネイプ先生の記憶を覗き、そこで、同級生のスネイプを魔法でもてあそび、理由もなく笑い者にしている自分の父親を見てしまう。つねに正しく、勇敢なヒーローであったはずの父親の汚らわしい姿。

 自分自身に対する信頼も砕ける。ホグワーツ入校依以来、勇気と叡智によって、いくつもの危機を乗り越えてきたハリー。そのことを誇りに思っていないと言えば嘘になっただろうが、忠告を無視して、シリウス・ブラックを救出に行った結果、まんまと「例のあの人」の策略にはまる。自分の「英雄気取り」によって、彼は最も大切な人を失うことになる。
 
 もうひとつ。嫌でたまらなかったダーズリー一家の存在が、実は「最も古い魔法」によってハリーを護っていたこと、俗物の見本のようなペチュニア叔母さんが魔法使いの世界と無縁ではなかったことも、ハリーを驚愕させる。

 そして、はかない失恋。15歳ってこんなものかな。子供時代に確かだと思っていたものが、何もかも砕け去り、失われる時代。

 しっかり者のハーマイオニー。弱気でお調子者の愛すべきロン。双子のフレッドとジョージ。ネビル。ジニー。おなじみの顔ぶれも、それぞれの個性に従って、大人になっていく様子が描かれている。

 この巻は「神話とともにあるファンタジー」としてよりも、成長過程にある少年・少女たちを描いた学園ドラマと思って読むほうがいいかも知れない。そう、ファンタジー文学としては、ちょっとハリウッド映画的な、もしくはテレビドラマ的なドタバタに堕している感がある。次作に期待。といっても、次作が読めるのはどのくらい先なんだろう...
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仁斎、倫理、レトリック/子安宣邦

2004-10-09 22:25:38 | 読んだもの(書籍)
○子安宣邦『伊藤仁斎の世界』ぺりかん社 2004.7

 私は伊藤仁斎という名前を、高校生の頃、中国学者の吉川幸次郎の著書で知った。高度に思弁的な宋朝の儒学(朱子学)に対抗して、人間中心主義の立場から、もう一度、根本経典(カノン)である論語を読み直そうという、いわば儒学の古典復興運動を興した思想家として覚えた。

 「人の外に道無く、道の外に人無し」と説く仁斎の思想は、当時、和辻倫理学を読んでいた私の趣味に共鳴するものだった。だから、本書の著者が冒頭で、仁斎を和辻の思想的先駆者に位置づけていることは非常に納得がいく。

 新しい発見だったのは、仁斎がそもそも朱子学に深く傾倒していたということ。いや、たぶん私は仁斎の閲歴の概略くらい、どこかで読んでいると思うのだけど、あまり意識していなかった。

 おもしろいと思ったのは、単に若い頃に朱子学に傾倒して、それを抜け出したというのではなく、終生に渡り、仁斎のテクストが、朱子学のタームやレトリックに寄りかかりながら、それを「もじり」「読みかえ」して、新しい思考的文脈を作り出しているという指摘。それゆえ、荻生徂徠などは、「仁斎の見解は要するに宋学の域を出ない」という批判を行っているらしい。

 確かに、「人の外に道無く、道の外に人無し」を初めとし、仁斎の思想を特徴づけていると思われるいくつかの章句は、宋学のテクストにそっくりそのままの原型があるのだ。しかし、両者を並べてみると、片方は単なる文字列の断片でしかないのに、仁斎のテクストにおいては、一言一言が粒立つような強い力を有している。不思議だ。これがレトリックというものか?

 仁斎という人は、テクスト(言語)が我々に襲いかかってくるときの力と、正確に意味を伝達しようとしたときの限界を、どちらも強く自覚していたように思う。自身の創作においても、また、古典の解釈においても。まるで文学者みたいに。

 「後書」に、著者が天理図書館の古義堂文庫で、初めて『童子問』の稿本を開き、縦横に加えられた訂正補筆の跡を見て呆然としたことが記されている。さりげない筆致から著者の深い感銘が伝わってくるようで、時代を超えて学者が学者に出会うというのはこういうものか、と印象深い挿話であった。

 なお、巻末の「著者略歴」に子安宣邦氏のホームページのURLが載っている。アクセスしてみたら、造りも内容もなかなかいい。ニフティだけど、ご本人がやっているのかなあ、お弟子さんかなあ。学者のホームページのお手本みたいだと思った。推奨。

http://homepage1.nifty.com/koyasu/index.html

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

《厨子当官》大団円

2004-10-07 00:29:26 | 見たもの(Webサイト・TV)
○連続電視劇《厨子当官》30集

http://www.jiaodong.net/gd/text/text_detail.asp?No=44474&lanmu_id=1709

 このところお気に入りだった中国のTVドラマ「厨子当官」が終わってしまった。

 最終回の少し前に、私のひいきだった傅巡検こと傅天仇が死んでしまった。殺人犯の嫌疑をかけられるが、実は親友の安全を守るために打った芝居と判明。栄禄大人の放った刺客と激しい一騎打ちになり、巻き添えになりかかった妹をかばって、最期まで男らしく、死ぬ。

 このドラマ、善人と悪人とを問わず、よく人が死ぬなあ、とは思っていた。でも、(日本の娯楽時代劇の原則からして)主役の石竹香夫妻と準主役クラスまでは残るだろうと思っていたので、30集で終わりにせず、続編も作ってくれないかなあ、なんて、呑気なことを考えていた。

 そうしたら、傅巡検が死に、最終回で、もうひとりの重要な準主役キャラ、小太監(宦官)の小寇子も死んでしまった。西太后の怒りを買って死罪を命じられた石竹香を救うべく、身代わりを願い出たのだ。さらに、石竹香を兄と仰ぐ青年貴公子、黄岩剣鋒は、手かせ首かせをはめられて、寧古塔への流罪に処せられ、若くて聡明な妻の栄秀も夫に従って、京城を去る。

 なんだかもう、踏んだり蹴ったりみたいな大団円だった。主人公の石竹香夫妻を除くと、ほかの愛すべき登場人物は、ことごとく、死ぬか、京を放逐されてしまったのだ。でも、その辛口というか、後味の苦さが、不思議と不愉快ではない。

 小寇子の処刑前日、石竹香は心尽くしの手料理を携えて、獄中を訪ねる。郷里の名物料理に歓声をあげ、満面の笑顔を見せる小寇子。「来世で会おう」と言い交わして、涙を見せずに2人は別れる。そう、どの登場人物も、本質がストイックで男性的なのだ。たぶん私はそこが好きなんだなあ。

 そして、このドラマ、最後まで喜劇の色調を弱めない。「どうせ此の世は踏んだり蹴ったりさ」みたいな苦々しさをわきまえつつ、それでも、それだからこそ、「悲しいほど晴れやかな」祝祭ムードのまま、ドラマは終わる。

 続編は決してないだろうけど。おもしろかった。

 余談。黄岩剣鋒が流される「寧古塔」って、別の清朝ドラマでも出てきたので、どこにあるのかと思ったら、黒龍江省の寧安県だそうで、渤海国の遺址と鏡泊湖で有名...ってことは、私、行ったことがある場所なので、びっくりした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

兵馬俑/上野の森美術館

2004-10-06 23:43:14 | 行ったもの(美術館・見仏)
○上野の森美術館『大兵馬俑展~今、甦る始皇帝の兵士たち~』

http://www.ueno-mori.org/

 この展示会は「発掘30周年記念事業」だそうだが、「始皇帝の兵馬俑」が日本人の一般常識になったのはいつごろからなんだろう? 私は1981年に西安郊外の始皇帝陵に行ったときは、ほとんど予備知識がなかった。「博物館」なる建物に入ってみたら、広大な発掘現場の覆い屋になっていて、露出した地面に、デカい発掘品がごろごろ並んでいる様に驚愕した記憶がある。

 兵馬俑にも、芸術性の高いもの・低いもの、いろいろあるようだが、ざっと見たところ、今回の展示には「一般文物」しか来ていない。1点で主役を張れるほどの作品は(兵馬俑以外の文物も含め)、残念ながら見あたらないのだ。

 兵馬俑の面白さは、本当のところ、「量」である。それは、あの広大な発掘現場で「モブ」としての兵馬俑を見ないと味わえない。この展示会では、最初の展示室が、複数の兵馬俑とその破片(残俑)を用いて、あたかも発掘現場の再現のように構成されており、それなりの効果をあげている。

 しかし、一般1,300円を払う価値があるかどうかは疑問である。実は美術館の入口には、複製品の兵馬俑が置いてあって、「兵馬俑と一緒に写真が撮れる」コーナーができている。もしかすると、これだけ見て帰ってもいいような気もする。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

興福寺のみほとけ/芸大美術館

2004-10-05 12:11:05 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京芸術大学大学美術館「興福寺国宝展 鎌倉復興期のみほとけ」

http://www.geidai.ac.jp/museum/

 興福寺は何度も行っているので、仏像にも見知った顔が多い。「やあやあ、出張、ご苦労様」と声をかけたくなる。

 法相六祖像は、いかにも鎌倉期らしい、人間くさい肖像彫刻である。以前も「(伝)善珠像」を見ながら、「こういうおじさん、司計課とかにいるよね」「たたき上げで頑固だけど、部下の面倒見はよさそう」なんて、友だちと笑ったことがある。

 無著・世親も好きな彫刻だ(広義には”仏像”と呼んでいいんだろうけど、なんとなく落ち着かない)。北円堂が開いているときを狙って、2、3度見に行ったことがある。

 北円堂は境内の隅にあるし、普段は開いていないから、修学旅行生や団体客はあまり来ない。たいがい、数寄者ばかりが、時間を忘れて仏像と向き合っている。照明設備の乏しい(あまり記憶がない)、薄暗いお堂の中で、無著・世親は、本尊の弥勒坐像の背後、わりと奥のほうにおいでになる。その距離感がもどかしいが、黙って対峙していると、距離を超えて伝わってくる迫力をじわじわ感じることができる。

 ところが、今回の展示会場では、無著・世親は客寄せの「目玉」らしく、最高のポジションで、計算しつくされた照明の下に立たされている。その結果、かなり印象が違うのだ。私は、自然光か、または図録の写真のように、少し下から照明を当てて、表情を分かりやすくした写真でしか彼らを見たことがなかった。それが、上からのライティングによって陰翳が強調されると、2人とも妙に男前に変身している(特に世親)。

 私は慌ててしまった。親しい知人(それも男友だち)が急に男前な恰好で現れると、気恥ずかしくて声がかけられなくなってしまう、あの心理に似ている。やれやれ。

 そのほかでは、龍燈鬼が来ている(天燈鬼はお帰り済み)。おすすめ鑑賞法は展示ケースの側面に立って背後を覗き込むこと。ふんどし姿の龍燈鬼のお尻を見ることができる。なお、この龍燈鬼も照明がキツすぎて、玉眼が透けてしまい、上目遣いの愛嬌のある表情が分かりにくいのが残念だ。

 仮金堂の四天王は初めて見るものだろうか。全く記憶になかった。力強く、破綻のない巨像である。四天王4体だけを背中合わせに配置した展示方法がおもしろいと思った。周囲を回りながら鑑賞していると、風をはらんで彼ら自身が回っているように見えてくる。お寺ではありえない配置だが、ドラマチックでカッコいい。

 いちばん奥の展示室には、焼失した西金堂本尊の遺品と推定される釈迦如来頭部と大きな両手の断片があった。周囲の壁面に、数体の飛天と化仏を、あたかも光背のように扇形に飾って、往事の本尊の姿を想像させようと試みている。これも印象深い展示方法であった。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仏画三昧/根津美術館

2004-10-04 12:56:19 | 行ったもの(美術館・見仏)
○根津美術館『仏教絵画と垂迹画』

http://www.nezu-muse.or.jp/

 最終日に駆け込みで行ってきた。根津美術館の仏教絵画をまとめて見るのは、2001年の「開館六十周年記念名品展」以来だと思う。そのとき買った図録『根津美術館蔵品選・仏教美術編』(2001.6)を持っているので、いま、眺めなおしているのだが、今回はちょっと出し惜しみ(?)気味で、4年前の名品展ほどのインパクトはなかった。

 でも、嬉しかったのは、朝鮮半島の仏画が多数見られたこと。仏教絵画を見るときに、日本/中国という区別は意識していたのだが、あ、高麗仏画という第三のカテゴリーがあるんだ、と気付いたのは、前回、根津美術館での体験だった。

 頭巾を被った(被帽)「地蔵菩薩像」は、とりわけ印象深かった作品なので、再会できて、とても嬉しかった。若くて体格のいい(やや肥満気味の)青年貴族みたいな地蔵菩薩で、金泥で文様を描いた豪奢な衣装をまとっている。もっと大作のイメージが残っていたので、あれっ?こんなに小さかったかしら?と思って、しばらく記憶の修正に戸惑った。

 高麗仏画って、どことなく、ふわふわしている。衣服の裾とか瓔珞に重みが感じられなくて、無重力の中空にたよりなく漂っているような感じ。それに比べると、日本の仏画は、宝冠や首飾り、腕輪などはもちろん、ずしりとした金属の重量感があるし、風になびく裳裾でさえ、一定の重みと手触りが感じられることが多い。

 日本モノでは、やはり「大日如来」がきわめつけの優品。個人的には「愛染明王像」が好きでした。墨できっちりと輪郭線を引いたうえに、色彩の濃淡で立体感を表現している。これって、劇画のカラーページのスタイルと同じだなあ、と思った。

 小品はどれもよかった。「十二因縁絵巻」の挿絵は、登場人物が男も女も悪鬼まで愛らしく描かれていて、思わず物語を読んでみたくなる。「天狗草紙」は思想史的な視点から全巻通覧してみたいと思っているが、なかなか実現しない。「地蔵菩薩霊験絵詞」は、火炎地獄の中に混じっている蛇が(絵は下手なりに)ものすごくかわいかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若菜上~若菜下/源氏物語(6)

2004-10-03 00:10:53 | 読んだもの(書籍)
○玉上琢彌訳注『源氏物語 第6巻』(角川文庫)1970.10

 ついに「若菜」である。源氏物語五十四帖の中でも、最大の山場とか傑作とか呼ばれて、別格扱いされることの多い巻。確かに物語は、ここで一回、仕切りなおす感じがする。

 これに先立つ玉鬘の物語は読みにくかった。正直、ここでGIVE UPしてしまおうかとも思った。登場人物たちが、本当のところ誰を好きなのか、分からないので、物語の展開が見えないのだ。それが「若菜」では、以前の「源氏」に戻る。登場人物は、運命に肩を押されるように、出会い、恋に落ち、引き離され、死んでいく。悲劇は分かっていても誰も止められない。

 病気がちの朱雀院は、自分が出家する前に、最愛の姫宮、女三宮(14歳くらい)の嫁ぎ先を決めたいとあせる。安心できる嫁ぎ先を求めて、いろいろ悩んだ末、弟の源氏(40歳)に降嫁させることに決める。

 煩悶する紫上。やがて、女三宮の降嫁。しかし、この経験を通じて、源氏は、紫の上の真価を再認識し、二人の絆はいよいよ深まる。「若菜」以前も、紫上は、源氏が全面的な愛情を寄せる最高の女性として書かれているが、その賛辞はあまり具体性を伴っていない。「若菜」に至って初めて、紫上は、具体的な「顔」を持ち、読者の前に登場するように思う。

 女三宮は、衣装に埋もれてしまうような、身体的な「小ささ」(未発達な感じ)が強調されている。周囲のなすがままに生きている幼女のような女性で、源氏の愛情を得たいという執着もないし、愛されない不幸を感じることさえできない。でも男性って、こういう、何もできない「あえかな女性」好きよね...作者はそう言っている気がする。

 いまさら言うまでもないが、柏木が女三宮の姿を見てしまう場面のつくりは実にうまい。男たちが蹴鞠をするために庭に下りているというのも、女たちが御簾のすぐそばに出張って見物しているというのも自然である。そこを一匹の猫が横切った瞬間、運命が動き出す。御簾が引き上げられ、全身が露わにさらされても、とっさに何が起きたのかを判断できず、しばらく立ちつくしてから、おもむろに身を隠す女三宮。この描写も芸が細かい。そのあと、恋人をしのぶよすがに猫を貰い受け、異常な愛情を注ぐ柏木。なんだか近代の心理小説みたいだ。

 密通の場面も読み応えがある。柏木の手引きをするのは小侍従という女房であるが、小侍従の無思慮に対して作者の目は冷ややかである。柏木は、女三宮こそ最高の貴婦人と勝手な想像をしていたのだが、相手が無抵抗で可憐な少女であると分かると、落胆するのではなく、むしろ「ただ一言、もの越しに」という当初の要求を一息に踏み越えて、不義を犯してしまう。ふーむ、男性心理ってそういうもの? また、「ゆか(御帳台)の下にいだきおろし奉る」という描写の迫真性にも舌を巻く。女三宮のベッドに上がり込むのではなく、ベッドの下で事を行うわけね。

 そのあと、女三宮の居室で柏木の手紙を発見してしまった源氏が、「こういう手紙は、誰かに見られても困らないように、(密通の事実は)おぼめかして書くものだ」と嘆くのもおもしろい。こんな幼稚で不用意な奴らに出し抜かれたってことが我慢ならないんだろうな。やがて、試楽のために六条院を訪れた柏木を源氏はいたぶる。

 かつて藤壷中宮との不義密通を犯した源氏が、いま、父帝と同じ立場に立たされたことを、「因果応報」の思想として取り出す考え方があるけれど、これは当たっていないと思う。むしろ、源氏は、若い恋人たちに思わぬ足元を掬われた自分の「老い」に驚愕し、怯えているように見える。

 長くなってしまった。やはり「若菜」は名編だね。続く。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おすすめ!神奈川県立近代美術館・葉山

2004-10-02 18:54:02 | 行ったもの(美術館・見仏)
○神奈川県立近代美術館・葉山館 開館一周年記念展示「近代日本絵画に見る『自然と人生』」

http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/index.html





 天気がよかったので、葉山の里山が歩きたくなった。水源地バス停で下りて、下山口のあたりを歩いて、海岸に出た。御用邸の前を通り過ぎたら、真新しい美術館らしい建物に行き当たった。

 そうだ。昨年から来よう来ようと思って、機会を逃していた神奈川県立近代美術館の葉山館である。どうせ行き当たりばったりの散歩なので、急遽、寄ってみることにした。

 現在の展示は、明治から昭和初期の日本絵画を通して、私たちの自然を見る眼がどのように形成されてきたのかを考えようという試みである。伝統的な「山水画」や「名所絵」から、近代的な「風景画」の誕生、さらに、登山や避暑などの新しい楽しみ、農村生活の賛美などの特質が取り出されている。

 「不忍池」「曳舟」「伝通院」「鵠沼」「江ノ島」などなど、絵画のタイトルに都内や東京近郊の地名がたくさん登場するのだが、どれも今とは似ても似つかぬ田舎びた風景であることに驚かされる。

 飛び抜けた目玉があるわけではないが、多くの画家の作品が見られておもしろい。私のお気に入りは安井曽太郎の「承徳喇嘛廟」。ノー天気なピンク色のラマ廟の隣で、音楽に合わせて体を揺すっているような三基の白塔がかわいい。イメージ検索したら下記のサイトに画像があったので、リンクを張っておこう(でも小さくて、よく分からないだろうなあ)。

http://www.d1.dion.ne.jp/~nao_saka/meiga/ArtExhibition.html

 ところで、この美術館のレストラン「オランジュ・ブルー」は最高! 松林越しの砂浜と、眼下に広がる青い海を見下ろしながら食事ができる。Aプレート「三崎マグロの香草焼き」2,000円は、私のランチにはちょっと贅沢に思えたが、結果は大満足。味もいいし、量もたっぷりしている。デザートに腹持ちのいいスィートポテトもついて、お得感あり。パンかライスを選ぶときは、個人的にはパンをおすすめする。葉山はパンの名店が多いので、期待を込めてパンを選んだら、案の定、美味しかった(写真)。

 やっぱり、葉山ってレストラン激戦区だから、これだけ気合が入るんだろうなあ。東博、ちょっとは見習えよ~。

 なお、美術館の前の道を渡り、「こんなところを!?」と思う狭い坂道を上がっていくと、日本画家の山口逢春の記念館がある。展示より住宅(画室)を見に行くつもりの方がいい。文化勲章の賞状が飾ってあるが、案外、へんな文面なのでおもしろい。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする