○玉上琢彌訳注『源氏物語 第7巻』(角川文庫)1971.6
とうとう、源氏物語の本編が終わってしまった。
病みついた柏木は、次第に衰弱し、死んでしまう。女三の宮は多くを語らず、出家する。作者は冷酷にも彼女にほとんど言葉を与えない。自分の内面を語ることのできない、未成熟な女性として造型しているためだ。しかし、出家後の女三の宮は心すこやかな毎日を送っているように描かれており、愛する源氏を残し、つまりこの世に未練を残して死んでいく(ように見える)紫の上や、傷心の老境を送る源氏とは対照的でもある。
終幕一歩手前の「夕霧」の巻は、これまで堅物で通してきた夕霧の、女二の宮(落葉の宮)に対する執着を描く。
夕霧は幼なじみの雲居雁と一途に言い交わし、今は子だくさんの安定した家庭を築いている。だから、何をまあ、いい中年が血迷って、と思ってしまうのだが、よく数えてみると、まだ29歳なのだ。本気の恋愛はそろそろ卒業する年齢だが、父の源氏だって30を過ぎて、秋好む中宮や玉蔓に色気を出していたのだから、そうは責められない。
ここは雲居雁の嫉妬ぶりが見ものである。源氏の家庭においては、紫の上は、夫を困らせるような嫉妬は見せない女性だったし、源氏も決して紫の上を裏切らないということが、読者には分かっていた。その他の女性たちは、嫉妬はしても、しょせん源氏の最愛の女性ではないという引け目がどこかにあった。
それに比べると、雲居雁の嫉妬は「妻の嫉妬」である。ともに手を携えて幸せな家庭を築いてきた自信と、にもかかわらず、新しい女性の出現によって、今までの幸せが崩れ去るかも知れないという不安と動揺、そして強い怒りが感じられる。疑わしい手紙を夫から取り上げて隠してしまうとか、腹の立て方がリアルで怖い。今の家庭を壊したくはないので、妻を怒るに怒れない夕霧も、いかにも平均的な「夫の反応」である。
五島美術館の「源氏物語絵巻」夕霧の巻は、何度か見ているはずだが、あ~こういう場面だったのか、と初めて納得した。
http://www.gotoh-museum.or.jp/collection/index.html
いよいよ、紫の上の死。まわりの女性たちと歌を交わし、孫(養女である明石の姫君の子)にあたる匂宮に別れを告げ、自分の死期を感じ取って几帳の内に引きこもるようにして死んでいく。ドラマチックではないが、余韻嫋々とした死の描き方である。
源氏を待っていたのは悲しみの日々だ。二月の紅梅に紫上をしのび、五月雨の物思いに沈み、夏の蛍に亡き人の魂を重ねあわせ、十二月の仏名をしんみりと過ごす。たぶん源氏の寿命の尽きるまで、いや、もしかしたら未来永劫、四季のめぐりとともに世界は紫上の死を傷み続けるのではないか。そんな思いとともに物語は終わる。いいな、この息の長い、永遠につながるような悲しみの感覚は、現代の小説にはないものだ。
さて、一気に宇治十帖に行こうかな。