見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

万福寺の一切経版木

2005-03-15 23:30:16 | なごみ写真帖
 宇治の万福寺の塔頭、宝蔵院には「鉄眼版」とか「黄檗経」と呼ばれる一切経の版木が収蔵されている。太い縦線と細い横線のメリハリがはっきりした書体で、現在の明朝体のもとになったものと言う。確かに比べてみると、高麗版のぽってりした活字とは明らかな差異がある。

 中国では版木に梓の木を使うので、出版することを「上梓」というが、この鉄眼版一切経の版木は桜だそうだ(日本では、梓は弓の材料になってしまうのだという。なるほど)。

 訪ねたのは日曜日だったので、収蔵庫には誰もいなかった。たまたま本坊からやってきたお坊さんに鍵を開けてもらった。ふだんは収蔵庫の中で摺り師の方が仕事をなさっているらしい。「最近は大学出の若い方がいらしてます。自分の研究もなさっているようで」とおっしゃっていた。

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ポップ蔵書印/静嘉堂文庫美術館

2005-03-14 11:13:52 | 行ったもの(美術館・見仏)
○静嘉堂文庫美術館『静嘉堂文庫の古典籍 第5回 中国の版本-宋代から清代まで-』

http://www.seikado.or.jp/

 漢籍というのは美しい本だ。私は古筆切れの流れるような仮名文字も好きだが、折り目正しく四角い漢字だけが並んだ版面にもまた別種の魅力を感じる。漢籍にも筆写本や活字本など様々な種類があるが、いちばん多いのは木版であろう。これがまた、同じ漢字の並びでも手書きの写経とはぜんぜん味わいが違うんだなあ。おもしろい。

 基本的にモノトーンの漢籍の版面に華を添えてくれるのが、愛書家たちの蔵書印である。今回の展示、蔵書家と蔵書印についての説明が少ないのが残念だった。 

 山下祐二さんと赤瀬川原平さんの『日本美術観光団』(朝日新聞社 2004.5)に、両氏が静嘉堂文庫を訪ねる一編があり、清朝の大蔵書家・陸心源の蔵書印が写真入りで紹介されている。陸心源自身の半身正面像を彫ったものだ。かわいい。「このポップな感じはナンシー関の...」「うん、消しゴム版画(笑)」と語られている。

 この蔵書印、本物が見られるかなあ、と期待して行ったら、あっこれこれ、こっちにも...という感じで頻出する。うれしかった。文庫の創設者・岩崎彌之助の兄である彌太郎は、陸心源の全蔵書約四千部(約四万三千冊)を一括購入したというから、当然といえば当然のことだが。

 どこかネット上に画像がないかなあ、と思ったが、見つかったのは下記のみ。手書きイラストに注目の蔵書印が写されている。携帯の待ち受け画面にしてみたい。

■本棚探検隊3「静嘉堂文庫を訪ねて」
http://www.sanseido.co.jp/booklet/136seikado.html
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早春見仏記(4)京の冬の旅編

2005-03-13 00:03:11 | 行ったもの(美術館・見仏)
早春見仏記(4)京の冬の旅編:金閣寺、龍安寺、天龍寺(弘源寺、宝厳院)

 京都には、いつも立ち寄りたい場所がたくさんあるのだが、今回は「京の冬の旅」の文化財特別公開スポットにしぼることにした。

■JR東海「京の冬の旅」文化財特別公開
 http://kyoto.jr-central.co.jp/kyoto.nsf/saijiki/sj7DFCE748FA1810B749256F5C0003BD2D

 金閣寺、龍安寺を訪ねるのは久しぶりである。いつも混んでいる(ような気がする)ので避けてしまうが、定番スポットには定番なりのよさがある。

 金閣は素直に見て美しいと思った。決してけばけばしくはない。そばに「赤」がないからだろうか。「青」と「緑」の中に置かれた「金」は、むしろ透きとおって静謐な感じがする。三層のうち、最下層を木造のままにして、上の二層にだけ金を貼ったことが、まるで中空に金の楼閣が浮かんだような軽快感をかもし出している。やや幅広で扁平な楼閣の造りを、屋根のかすかな反りが救っている。

 広い境内を歩きまわり、さまざまな角度から金閣を眺めることができるので、人の多さはあまり気にならない。しかし、みんな、観賞のペースが早いなあ。もう少し立ち止まってじっくり眺める価値がありそうなものなのに。

 龍安寺の石庭は、残念だが、人が多いとどうにもならない。縁側に腰を下ろすのさえ、順番待ちの状態だった。ところで、この石庭には大小15個の石が配置されているのだが、「どこから見ても14個しか見えない」「15個全部見えるポイントが1ヶ所だけある」という話を聞いた。「竜安寺」(←龍安寺でなく)「15個」「14個」で検索すると、同類の「話」がヒットする。私が修学旅行生のときはなかったなあ...比較的あたらしい都市伝説ではあるまいか。

 天龍寺の塔頭、弘源寺には、重要文化財の毘沙門天がいらっしゃるらしい。東京地区の「京の冬の旅」キャンペーンポスターには、この毘沙門天の写真が使われていた。「どこだ」「どこだ」と忍者(?)が奥座敷に忍び込んで、「非公開」の文字をスパッと縦斬りにするというポスターである。この毘沙門天だけはぜひとも見て帰りたいと思っていた。

 弘源寺の小さな門をくぐると、表玄関につながる参道の脇にお堂がある。ふと見ると「毘沙門堂」という札がかかっていて、三歳児ほどの背丈の毘沙門天像の姿が見えている。「これじゃない?」「これか」とちょっと拍子抜けしてしまった。しかし、大きく腰をひねったポーズは力強い。写真を見て、大人の等身大に近いくらいかと錯覚してしまったのは、確かな造型力のなさるわざである。そのあと、いちおう座敷にもあがって、竹内栖鳳ゆかりの品々を拝見させていただいた。

 「京の冬の旅」の特別拝観は午後4時までなので、もうほとんど時間切れだったが、「もしや」と思って宝厳院に向かう。学生ガイドさんたちが、ちょうど門扉を閉めようというところであったが、もう一組、関西弁の女性2人連れも一緒になって「あらぁ残念だわあ、もう駄目?」「あっちの門で、まだいけるって言われたのよ」とゴネてくれた甲斐があり(?)再び門を開けて入れてもらった。見ものは枯山水の名園ということだが、むしろ庭を観賞するためにつくられた書院がおもしろかった。大正時代の建築で、細部に、そこはかとなくモダニズムの香りがする。

 〆めは京都駅の近鉄名店街で、私の好きな「ハマムラ」のラーメン。冷えた体を胃袋から温めて、帰路についた。

 次の旅行は道成寺の千手観音ご開帳(3/26~4/27)をねらっている。
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早春見仏記(3)宇治編

2005-03-12 20:31:16 | 行ったもの(美術館・見仏)
早春見仏記(3)宇治編:万福寺

 早春見仏旅行最終日は、奈良を経って京都に向かった。途中、黄檗(おうばく)の駅で下り、久しぶりに万福寺に寄る。江戸時代に福建省からやってきた隠元禅師を開祖とする黄檗宗の総本山で、中国風の寺院である。

 どこが中国風かというと、まず、牌楼式の総門。屋根は中央を高く左右を一段低く「山」の字型に作り、両端のしゃちほこ(?)が中心に向かって強く反り返る。いいなー。中国古装ドラマの舞台に使えそうだ。

 山門を入って正面の天王殿で、参拝客を迎えてくれるのは、笑顔の布袋さまである。中国では布袋は弥勒菩薩の化身と考えられている。

 裏にまわると韋駄天像がおいでになる。左腰の前についた長剣に右手を添え、軽く体をひねって右前方を見下ろす。黄金の甲冑をまとい、孔雀が羽根を広げたような華麗な光背を背負っている。うわ~カッコいい~。武侠RPGのキャラみたいだ。

 万福寺の仏像は、ほとんどが中国人仏師、范道生の作である(26歳で来朝、一時帰国後、長崎で入国待ちをしているとき、36歳で急逝したという。お墓はどこにあるのだろう?)。しかし、いま見られる韋駄天像は范道生の作ではなく、のちの清代に請来されたものだという。范道生作の韋駄天像は合掌した腕の上に長剣を横たえて、いくぶん沈鬱な表情をしている(同じ武将キャラでも平知盛タイプ)。

 このほか、十八羅漢、伽藍神、円と直線による幾何学モチーフの装飾、各堂に掲げられた対聯、生飯台(さばだい)、魚梛(かいぱん)などなど「日本らしからぬ」珍しいものを見ることができる。しかし、この数年、実際に訪ねてまわった中国の寺院と比べると、こんなふうに手入れの行き届いた木造建築は「やっぱり日本だなあ」と感じた。柱が細いしなあ。

 万福寺の「伽藍神」について、おもしろいページを見つけた。詳しいなあ、と思ったら、『中国の神さま』(平凡社新書 2002.3)の著者、二階堂善弘先生のサイトだった。そうそう、ちょっとヘンだと思ったのよね。「華光菩薩」って書いてあるのに堂内の対聯が関羽に捧げた文句になっていたから...
 http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~nikaido/manpukuji.html

 この日、思わぬ「拾いもの」だったのは、境内に貼ってあったポスターで、4月23日(土)に国立劇場で「萬福寺の梵唄-黄檗・禅の声明-」という公演があるのを知ったこと。もう6、7年も前だろうか、私はやはり国立劇場の声明公演で万福寺の梵唄を聴いたことがある。ジャンジャカジャンジャカ鳴り物が多くて実に楽しかった。私の葬式は黄檗宗式にしようかと思ったくらいだ(誰でも申し込めるらしい)。

 本日、前売り開始ということで、さっそくチケットを取ってきた。まだ残席はあるようなので、東京近郊で興味のある方はぜひ。

■黄檗山万福寺(范道生作の韋駄天像あり)
 http://www.obakusan.or.jp/
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早春見仏記(2)南大阪編

2005-03-11 22:46:55 | 行ったもの(美術館・見仏)
○早春見仏記(2)南大阪編:道明寺天満宮、誉田八幡宮

 和歌山を後に、南海線で北上し(関西空港を初めて陸上から見た!)、なんばでJRに乗り換えて南河内方面に向かう。

 大阪府藤井寺市の道明寺天満宮には、実は昨年の夏にも来ている。1年も待たずに再訪する次第になったのは、境内の梅が見ごろとなるこの時期、宝物館が開館するためだ。靴を脱いで、古風な展示棚の据え付けられた収蔵庫にあげてもらう。国宝6点、重要文化財2点は、硯、櫛、帯、鏡など、平安~鎌倉の貴人の生活をしのぶにふさわしい日用品ばかりである。

 うそか真か「菅公遺品」と呼ばれる国宝6点の随一「白磁円硯(はくじえんけん)」は、硯と思えないくらい大きい。ラーメンどんぶりほどもある。墨汁1瓶分くらいの墨が一度に擦れそうで、日なが一日、筆を放さず、精力的に仕事をこなす文人官僚・菅原道真の姿が浮かんでくる。

 それから少し歩いて羽曳野市の誉田八幡宮に向かう。これも夏の旅行の再現であるが、土曜日にしか開かないという宝物館をのぞいてみたいと思ったのだ。しかし八幡宮に到着すると、宝物館は開いている様子がない。拝殿の受付でお尋ねすると、待つこと数分、神職があらわれて、幾重にも厳重に施錠された正面扉を開けてくれた(連れの友人の話では、誉田八幡宮は、むかし、盗難にあったことがあるのではないかという)。

 国宝の金銅透彫鞍金具(こんどうすかしぼりくらかなぐ)2具は、応神天皇陵陪塚から発見されたものだそうだが、ぼんやりした蛍光灯の下でさえ、息を呑むほど美しい。写真は以下で。

■道明寺八幡宮
http://www.domyojitenmangu.com/index.shtml

■誉田八幡宮
http://www012.upp.so-net.ne.jp/kondagu/
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乗って残そう貴志川線

2005-03-10 21:52:21 | 行ったもの(美術館・見仏)
 早春見仏旅行のおまけ。鉄道ファンの友人に連れられて「もうすぐ廃線になる」という南海鉄道貴志川線に乗りに行った。和歌山駅から終点の貴志駅まで約30分、また折り返して戻った。

 沿線は決して過疎という雰囲気ではなく、けっこう密集した住宅が続いている。また、早朝の下りはともかく、帰りの和歌山行きは、これから買い物や遊びに出ようという乗客で車内がそこそこ埋まっていたので、これでも廃線になるのかあ、きびしいなあ、と感じた。

 今日、家に帰って、たまたまテレビをつけたら、記憶に新しい貴志川線の車両が画面にあらわれたのでびっくりした。NHKの『難問解決!ご近所の底力』という番組で、沿線の住民が熱心に存続を訴えた結果、今年の2月4日、和歌山県と市、貴志川町が、貴志川線の存続に必要な経費を分担することで合意したそうだ。南海電鉄に代わる事業者はまだ決まっていないそうだが、なんとか路線存続の望みが出てきたところだという。

 車の免許を持たない私にとって、ローカル線は旅の命綱である。がんばってほしい。それにしても和歌山の鉄道は難読駅名が多いなあ。「吉礼」「竈山」「神前」なんて...読めそうで読めない。答えは以下で。

■南海貴志川線を探検しよう!
 http://www.jtw.zaq.ne.jp/kishigawa/

■NHK総合テレビ『難問解決!ご近所の底力』「やればできた!山を動かした人々」
 http://www.nhk.or.jp/gokinjo/later/part8.html#01

■貴志川線の未来をつくる会
 http://kishigawa-sen.com/



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早春見仏記(1)和歌山編

2005-03-09 21:48:30 | 行ったもの(美術館・見仏)
○早春見仏記(1)和歌山編:根来寺、粉河寺

 3月4日~6日の関西見仏旅行。メインイベントだった「慈尊院秘仏公開」と「東大寺修二会」については掲載済みだが、引き続き、この旅行で訪ねたところをレポートしておこうと思う。

 初日は慈尊院を拝観のあと、根来寺にまわった。JR和歌山線岩出駅から時間節約のためタクシーを利用する。「根来寺へ」とタクシーの運転手さんに告げると「根来寺のどちらまで?」と聞かれた。寺の入口である大門で下ろしてもらったが、前方の視界には舗装された参道が延々とのびているだけで、堂宇の影も形も見えない。寺域がやたらと広いのだ。なるほど、急ぎの参拝客はここでは下りないんだなあ、と納得しながら、しばらく歩く。途中の民俗資料館に寄り、錐鑽(きりもみ)不動と呼ばれる不動堂(八角堂。裏にまわるとおもしろい)で横道に折れると、ようやく寺の境内らしくなる。

 やがて、根来寺のシンボルである大塔が見えてくる。我国最大の木造多宝塔だという(高さ40メートル)。となりの大伝法堂も大きい。ただ建物が大きいだけでなくて、建物を容れている空間全体がゆったりと鷹揚にできている感じがする。自分よりひとまわり大きな人々の暮らす空間に紛れ込んだようで、自然と呼吸もゆっくりになるようだ。ホトケの住まう仏国土ってこんなものかしら?

 もう少し現実的な表現をすれば「日本的でない」ということになる。大塔の奥に、開祖・覚鑁(かくばん)上人の御廟があるが、これが見事な円墳なのだ。びっくりした。こんもり盛り上がった緑の土饅頭は、中国か韓国にスリップしたようだ。どうも、このへん、渡来文化の匂いがする...

 和歌山市内に1泊のあと、2日目もJR和歌山線に乗って、粉河寺を訪ねた。ここも大門をくぐったあとの寺域が広い。途中に中門があり、前後左右に四天王が祀られていたが、門に四天王を祀るというのは韓国式である。

 粉河寺には国指定文化財の「庭園」がある。どんなものかと思っていたら、本堂前の斜面に巨石をごろごろと積み上げて、石の間に松やソテツを植えたものだった。思わず「これが庭かよ」とツッコミたくなるが、この石組みの感じも、韓国のお寺の印象に重なるものがある(たとえば慶州の仏国寺)。

 本堂の裏手には、唐風の山門が目立つ十禅律院がある。紀州徳川家ゆかりの古刹らしいが、かなり荒れている。それも風情といえば風情であるが。土塀の向こうは庫裏なのだろう、男物の洗濯物が干してあり、植木鉢の間をネコが歩いている。住職の奥様らしき女性が「中へどうぞ」と声をかけてくれて、檀家のないお寺を守る苦労話を聞きながら、堂内を拝観させていただいた。

■参考:紀ノ川緑の歴史回廊
 http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/500700/kinokawa/index.html
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修二会のお松明

2005-03-07 22:19:24 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東大寺二月堂・修二会

今年も修二会を見に行ってきた(3月5日)。はじめて来たのは学生の頃だから、もう20年以上もむかしになる。その後も、時にはひとりで、時には友人と連れ立って、5、6回は来ている。最後までお堂に残っていたこともあるし、途中で帰ったこともある。

 

 去年は最終日の3月14日に来たのだが、出遅れて、お松明に間に合わなかった。あとひといきで二月堂が見えてくるという石段の途中で、「どっ」という歓声が聞こえ、広場に着いたときは全て終わっていた。しかたがないので、帰る人波に混じって駅のほうに流れ、夕食を済ませたあと、10時過ぎにもう一度、二月堂に戻ってきた。熱心な参籠客で埋まった座敷の外に立って、いよいよクライマックスを迎える行法を拝観した。12~14日深夜の見ものは、なんといっても「韃靼(だったん)」であるが、この話はまた後日にゆずる。

 今年は、去年見逃したお松明の「リベンジ」に的を絞ることにした。と、決めていたのに、和歌山から大阪を経て、JR奈良駅に着いたのはもう6時過ぎ。慌てて駅前のホテルにチェックインし、なんとかお松明上堂(7時)の10分前に、二月堂の下にたどり着いた。むかしは、お水取り(12日)の日以外は、もう少しすいていたと思うのだが、すごい人出だった。

 この日、3月5日は、修二会を始めた実忠和尚の忌日に当たる。二月堂の向かいの開山堂には、開基・良弁上人の像と背中あわせに、実忠和尚の像が祀られているが、良弁忌の12月16日以外はひっそりと門を閉じているので、知る人は少ない。お松明に熱狂する見物客は皆、開山堂にお尻を向けたままだった。二月堂の方角を向いて安置された実忠の像は、暗い扉の奥から、彼らの背中ごしに今年のお松明を透かし見ているのだろうか。それとも?

 実忠は、修二会の最中に謎の失踪を遂げた(遺体は見つかっていない)ため、暗殺説も根強いが、昨年夏、「実忠和尚は今も平和を願いながら、彼が消えた須弥壇の下を走っている」という、ロマンチックなコンセプトのアートプロジェクトも行われている。

■東大寺アートプロジェクト「実忠の三つの不思議な花」(関連サイトはリンク切れ)
 http://event.japandesign.ne.jp/news/1229040705/

 お松明のあとは「酒肆春鹿」で一献。奈良の夜を楽しんで宿へ戻った。
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慈尊院・弥勒仏坐像ご開帳

2005-03-06 23:12:53 | 行ったもの(美術館・見仏)
○慈尊院(和歌山県)弥勒仏坐像 特別ご開帳

 和歌山県の九度山町にある慈尊院は、高野山参道の起点にあたり、安産・子育てなど女性の信仰を集めた寺院でもあるが、仏像ファンにとっては、国宝・弥勒仏坐像(平安時代)で知られる”垂涎の聖地”である。

 私が初めて慈尊院のご本尊の写真を見たのは講談社ムック『国宝の旅』(2001年発行)だったろうか。強く湾曲する眉、はっきりした鼻梁、厚い唇は、とおい異国の王者を思わせる。台座は黒い蓮弁で構成され、赤みの強い彩色文様が、ひときわ妖艶な印象を与える。「代々秘仏として伝えられてきたためにほとんど後世の手が入ることなく、保存状態もきわめて良好である」という。まさに”奇跡の秘仏”というべきだろう。

 この本尊は21年ごとに公開されており、次回は2015年の予定だった。ところが、吉野・熊野・高野山の世界遺産指定を謝して、3月3日から9日までの7日間だけ、11年ぶりに特別公開されることになった。私は東京からはるばる見仏に出かけた(3月4日)。

 南海高野線九度山駅で下りると、慈尊院の「特別公開」を知らせるポスターが、ぽつりぽつりと貼ってある。見覚えのあるご本尊の写真である。ポスターに導かれて、山あいの静かな町中を歩くこと20分ほど、慈尊院に到着した。

 勾配の浅い檜皮葺の屋根を乗せた弥勒堂の正面が開いている。ただし、扉の幅は、上下左右とも、ちょうどご本尊の体躯の幅しかない。しかも参拝者は、かなり離れたところから遥拝しなければならない。うーむ。目の悪い私にこの条件はキツい。写真で見慣れた、あの彫りの深いお顔立ちがぜんぜん分からない。光背もほとんど見えない。台座の蓮弁の彩色文様が写真と同じように見えたのが、せめてもの慰めであったが...これで東京に帰るのは、あまりにも心残りだった。

 記念にあのポスターを譲ってもらえないかしら。もちろんお金をお支払いしてもいい。そう思って、ご朱印帖を預けていた和尚さんに聞いてみた。実はこのとき、ちょっとしたアクシデントがあった。墨書の下に押す2種のハンコの押し位置を、和尚さんが間違えてしまったのだ。「えろうすまんなあ、まあ、これも記念と思うてや」と言われて、あまりものごとを気にしない性質の私は「ああ、はい」と請け合ったあと、「あのう、ポスターっていただけないでしょうか」とお尋ねしてみた。そしたら和尚さんはうなずいて、そばにあったポスターをくるくる巻くと、「ないしょで持っていきぃや」という身振りで、そさくさと渡してくれた。なんだか脅し取ったみたいで、ちょっと慌てたが、ありがたく押し戴き、隠すようにバッグに入れた。

 というわけで、私の手元には、その記念ポスターがある。見れば見るほどうっとりするお姿だが、敢えて掲載はしない。お堂の正面で中を覗きこむ参拝者の写真のみ挙げておく。



 慈尊院ご本尊のお姿は下記を参照。公開は9日(水)まで。ポスターには「拝観料500円」とあるが、どこかで方針が変わったらしく、無料だった。

■九度山商工会「隠れ」観光名所のページ
http://www2.w-shokokai.or.jp/kudoyama/frm-kanko.htm
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鎌倉梅めぐり

2005-03-03 22:52:17 | なごみ写真帖
週末、そろそろ梅の咲き具合が気になって、久しぶりに鎌倉を歩いてきた。

例によって逗子からスタート。名越の切り通しを抜けて、横須賀線の線路を見下ろすトンネルの上に出たところが私のお気に入りポイント。民家の庭と道端の空き地に数本の梅の木がある。都大路に梅の香を吹き降ろすような爽快感が気持ちいい。



安国論寺。ここは梅の季節しか来たことがない。
老木の紅梅が美しい。もう少し古枝を切ってあげれば花つきがよくなるのに。



同じく宝戒寺もこの季節しか入らないなあ。木の本数が多いので、馥郁とした香りを楽しむのによい。みんな、デジカメで一生けんめい写真を撮ってるけど、梅の生命は「香り」だからね。もっと嗅覚に神経を集中させよう。

海蔵寺はどんな季節にも花が絶えないので、機会がある限り、立ち寄るようにしている(境内無料だし)。梅の木の下で、つぼみの張りつめた雪柳が待ち遠しい。



亀ヶ谷を抜けて、北鎌倉の東慶寺へ。裏山の墓地に続く参道の両側に梅の木が続く。途中、露座の仏像が梅林を光背に座っていらした。



さあて、明日からまた関西旅行。和歌山→奈良→京都の予定。しかし、明日、目が覚めて大雪だったらどうしよう...

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