見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

アイロニーの行先/嗤う日本の「ナショナリズム」

2005-03-02 00:06:57 | 読んだもの(書籍)
○北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』(NHKブックス)日本放送出版協会 2005.2

 「2ちゃんねる」に代表される若者文化の「アイロニー(嗤い)と感動指向の共存」は、どこから来たのか。著者は「反省」をキーワードにこの30年を振り返る。

(1)1960年代~1970年代:過剰な反省の時代。「あさま山荘事件」の連合赤軍に見られるように、到達不可能な準拠点を設定し、自己否定の徹底=総括をめざす。その結果、内面が失われ、反省という「形式」だけが突出してしまった。

(2)1970年代半ば~1980年代初頭:60年代的な「反省の強要」を拒絶するために「無反省」というコミュニケーション戦略が生まれ、「横並びの差異」を享受する消費社会の論理と噛み合って興盛する。「PARCOの広告」「コピーライター糸井重里」「ビックリハウス」などの文化現象を生み出したこの戦略を、消費社会的アイロニズムと呼ぼう。しかし、80年代初頭、次第に「抵抗」の意図が忘れられると、一方には「メタ」の先鋭性を競いあうセンス・エリーティズムが、他方にはコミュニケーションの内輪性を徹底した「オタク」空間が成立する。

(3)1980年代:60年代的なものとの断絶が始まり、消費文化が飽和点に達すると、「抵抗としての無反省」は消滅し、単なる「無反省」の中に最低限の主体を確保するという、消費社会的シニシズムの時代が到来する。メディアの世界では、「元気が出るテレビ」「オレたちひょうきん族」など、テレビ自身が自らの手の内をさらけ出す手法が歓迎され、いわば内輪の共同体がマスメディアに拡大するようになった。

(4)1990年代~2000年代:お約束を嘲笑しながら同時に楽しむ「純粋テレビ的アイロニー」は、90年代のネット空間に流れ込む。しかし、90年代以降、若者コミュニケーションに「繋がり重視」という構造変容が起こり、アイロニーを通じたコミュニケーションだったはずが、ネタよりも繋がり(感動の共有)が目的化し、アイロニズムの果てのロマン主義が出現する。

 著者自ら語っているように、この見取り図には、抜け落ちている観点も多い。しかし、たぶん著者は将来、本書で示した骨格にさまざまな肉付けを加えて、より精密な近代日本コミュニケーション史を示してくれるものと思う。期待をもって、今後の著作を待ちたい。

 本書は考察対象を過去30年程度に限っているため、著者は安直な「日本文化論」的物言いを慎重に避けているけれど、「反省」にしても「無反省」にしても、どちらの戦略も形式主義に行き着くのは、やはり「スノッブの帝国、日本」ならではの帰結なのではないか。

 それゆえ、終章で述べているように、宮台的(ローティ的)アイロニー戦略は、「動物の国アメリカにおいて独断のまどろみを覚ます契機であったものが、スノッブの帝国日本ではまどろみを深める麻薬ともなりかねない」という危惧に私も賛同する。

 それにしても「ビックリハウス」「OUT」等々懐かしかったなあ~。大塚英志の『「彼女たち」の連合赤軍』は、1970年代の消費文化の意味を理解するための必読書だと思う。1970年代末に稲場三千男と津村喬の間で繰り広げられた「マンガ論争」「ピンクレディー論争」っておもしろいなあ。それから、ナンシー関が亡くなったとき「2ちゃんねる」に掲載されたという「弔辞」が再録されている。私は読み逃していたが、ファンのひとりとして泣けた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近代文学の揺籃/上海物語

2005-03-01 00:02:37 | 読んだもの(書籍)
○丸山昇『上海物語:国際都市上海と日中文化人』(講談社学術文庫)講談社 2004.7

 上海の誕生、歴史への登場から筆を起こしたイントロ部分は、短いが、けっこう「ほほう」と思う新知識が詰まっていた。上海は現在の中国の大都市としては、異常に短い歴史しか持たないとか(そうだよな、南京とか北京の古さに比べれば)。上海の別称「滬」「申」の由来とか。「浜」はこの地方の方言で小河を指すとか(以前、上海に「○浜」という地名表記板があることについて、この字は中国の繁体字にも簡体字にもないから、これは日本統治時代の遺物か?という議論を見たことがある)。

 本論は、1920年代の「上海文壇事始め」から、日中戦争、太平洋戦争を経て終戦までの上海を、魯迅、茅盾、郭沫若などの文学者を中心に描く。もっとも、日本の近代文学史はほとんど政治史とクロスしないが、中国の文学者たちの生きた軌跡は、そのまま政治動乱史である。むかし、国文科に在籍していた私は、興味本位で「中国近代文学史」の授業を聴きにいって、政治史とのごたまぜぶりにびっくりしたことがある。

 近代初期の中国の文学者は日本に留学した人が多い。また、戦前は日本から上海に渡るのにビザが要らなかった(初耳!)こともあり、上海を訪れた日本の文壇人も数多い。しかし、残念ながら、両国の文学者の間には、儀礼的なつきあい以上の交流は実現しなかったように思われる。日本の”文学研究者”には、魯迅や郭沫若の愛好者がそれなりにいるけれど、彼らに影響を受けた日本の”作家”って、いないと思うのだが?

 中国の文学者との交流で、むしろ異彩を放つのは内山書店の主人である。日中戦争のさなかに出版されたという『上海漫談』そのほかのシリーズをぜひ読んでみたいと思った。親交のあった魯迅が「アンタの漫談はあまりに支那の優点ばかりを書くからイケナイ。それでは支那人の自惚れ根性を増長させるだけでなく革命を後退させるからイケナイ」と評したというのは、ちょっと哀しいけどいい話である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする