見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

新春吉例2009/博物館に初もうで(東京国立博物館)

2009-01-03 23:55:53 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館 特集陳列『新春企画 博物館に初もうで』(2009年1月2日~1月25日)、その他

http://www.tnm.jp/

 今年も初詣は東京国立博物館から。公的機関の法人化には、いろいろ弊害があると思っているが、博物館が1月2日から開くようになったことだけは、ありがたい。本館前では、獅子舞や物真似芸(江戸売り声)など、楽しいイベントショーに人が集まっていた。明治の初め、上野の山の開発をめぐっては、イベント的な「博覧会」の聖地をめざす田中芳男と、常設の「博物館」建設を悲願とした町田久成の間で、激しい確執があったはずだが、今やめぐりめぐって両者の夢が融合したようにも見えた。

 本館2階の特別1室では『豊かな実りを祈る-美術のなかの牛とひと-』と題して、今年も干支にちなんだ美術を特集。冒頭の『北野天神縁起絵巻(建治本)断簡』は、後ろ足を天に向けて(股間も露わに)派手にひっくり返る牛の姿で、ちょっと吹いてしまった。何もこんな姿を、新春吉例の冒頭に据えなくてもよさそうなものを。『駿牛図巻断簡』の黒牛は気品にあふれ、美しい。神に近い動物のひとつとされるのも分かる気がする。宗達筆『牛図』は三白眼がおかしすぎる…。

 このほか、3室「仏教の美術」が充実。国宝『十二天像(風天)』は京博本?と思ったら、そうではなくて、奈良・西大寺が所蔵する日本最古の十二天像だった(→Wikipedia)。色彩が剥落して判別しにくいが、やっぱり「牛に乗っている」ので(干支つながり)風天を借りてきたのかしら。別種の十二天像から「日天」「毘沙門天」も公開中。鎌倉時代の立像図で、非常に色彩が美しい。どこかで見たことあるなあ、と思ったら、滋賀・聖衆来迎寺蔵。もしかしたら琵琶湖文化館で出会っているのかもしれない。

 江戸モノでは、さりげなく若冲の大作『松梅群鶏図屏風』を公開中。オシャレなニワトリたちは、ロートレックの描くパリの貴婦人みたいである。私は、左隅に添えられた梅の枝に飽きず見入ってしまった。

 1階では、16室「歴史資料」の『歴史を伝えるシリーズ・特集陳列・文化財の保護』が面白かった。明治20年代に行われた「臨時全国宝物取調(りんじぜんこくほうもつしらべ)」について紹介するもの。この調査に関する文書類と、調査の一環として制作された複製美術品を展示する。大阪・四天王寺蔵の『扇面法華経』は、平安時代の風俗画として貴重なものだが、実物は絵の上に経文が墨書されていて見にくい。むしろ複製では、純粋に絵画を味わうことができて、ありがたい。

 もっと面白かったのは文書類である。明治21~30年作成の『宝物目録』(調査結果)って、何冊くらいあるのかなあ。「山形」や「島根」の背表紙には「単」とあったから1県1冊かもしれないが、「和歌山」は「天」とあったから、天地人の3冊なのかな?などと想像する。使われている罫紙はいろいろで、記載方法もさまざま。ちょうど開いていた「奈良(興福寺東金堂分)」は、記入者の性格が大雑把そうで、笑った(でも簡潔で要領は得ている)。こんな古い事務文書を、公文書館に移管するでもなく、よく取ってあったなあ、と感心する。博物館なのだから当たり前なのかもしれない。でも状態(虫喰いのひどさ)を見ると、文書の保存がそれほど「当たり前」であったとは思えない。ちゃんと補修をして、後世に伝えてほしいと思う。
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野望を阻んだもの/アンダーグラウンド(村上春樹)

2009-01-02 23:54:57 | 読んだもの(書籍)
○村上春樹『アンダーグラウンド』(講談社文庫) 講談社 1999.2

 年末、『戦後日本スタディーズ3:80・90年代』に載っていた遠藤知巳さんの「オウム事件と九〇年代」を読んだ。90年代にあれほど我々を震撼させたオウム真理教も麻原彰晃こと松本智津夫も、すっかり過去の人になってしまった感がある。本当は、そんなふうに軽々しく風化させてはいけないはずの事件なのに。そう思って、文中で教えられた本書を読んでみることにした。

 本書は、1995年3月20日に起きた「地下鉄サリン事件」の被害者と関係者(医者、弁護士、被害者の家族など)60余名のインタビュー集である。インタビューは、1996年1月から12月にかけて、原則として著者の村上春樹氏によって行われた。と紹介するまでもないのかもしれないが、恥ずかしながら、私は本書の存在を知らなかった。”小説家の村上春樹がオウム事件について、ぶ厚い本を書いた”ということは知っていたのだが、「小説家の書いたもの」という先入観に強く支配されていて、フィクション嫌いの私は、読んでみようとしなかった。本書では、小説家・村上春樹は見事なほど遠景に退いて、個性豊かな60余名のインタビューイーたちに全てを語らせている。

 本書を読んでショックだったのは、当時の日本の公的な危機管理システムが全く役立たずだったと分かったことだ。当時のニュース報道では、毒ガス防護服を着用して地下鉄の駅に降りていく警察集団とか、それなりに頼もしそうに見えていたものだが、実際は、営団地下鉄も消防庁も警察も医療施設も、目を覆いたくなるような混乱ぶりだったようである。1995年の時点で、日本の公共システムがこんなにガタガタだったとすれば、今日の年金問題とか食の安全問題も当然の帰結のように思う。

 それでも当時、死者や重度の被害者を最初限度に留めることができたのは、現場の職員や乗客どうしの勇気とモラルある行動によるところが大きい、と著者は言う。小伝馬町駅では、全く救急車が来ないので、動ける人たちが通りがかりの車を片っ端からとめて、被害者を病院に搬送した。松本サリン事件にかかわった信州大学医学部の柳沢教授は、サリン中毒の治療法についてのファックスを自発的に100以上の現場に送り続けた。本書にはこういう話がところどころに出てくる。

 オウム事件というのは、カルト教団が国家転覆を謀って、果たせなかった話、ということになるのだろうが、彼らの野望を阻止したのは、強固な国家システムではなくて、ごく普通の人々が、平和な日常を守ろうとする小さな抵抗意思の集積だったのではないかと思う。

 だが、もし今日、同じような事件が起きたとき、私たちの社会は同じような抵抗力を示すことができるだろうか。本書には、ひとつの現場できっちりたたきあげられるという体験を通して、「道義的価値観」を身につけた職業人が何例か登場する。特に印象的だったのは、当時50代の地下鉄職員の男性おふたりと、当時60代の駅の売店のおばさん。けれども、こういう人たちは、どんどん日本の現場から消えていっている。今後、「良き職業人」「良き市民」としてのモラルを忘れた群衆があのような事件に遭遇したら、いったい何が起こるんだろうと思うと、陰鬱な気持ちになる。
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