○松濤美術館 『素朴美の系譜-江戸から大正・昭和へ』(2008年12月9日~2009年1月25日)
http://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/museum/index.html
ものすごく見どころが多かったので、極力話題を絞ってレポート。冒頭の『熊野縁起絵巻断簡』(室町時代)を見て、あれ?見覚えがあるぞ、と記憶をたどる。昨年秋、東京美術倶楽部で行われた『東美アートフェア』(展示即売会)で見たように思う。ギャラリートークの山下裕二先生が「僕は物語絵をひとつ買いました。暮れから松濤美術館で展示します」とおっしゃっていたのは、これのことではないかしら?(違ったら失礼)。この展覧会は、日本の絵画史の中で、時代を超えて愛されてきた「素朴美」の系譜を紹介する。息を呑んだのは、サントリー美術館蔵の奈良絵本『かるかや』(室町時代)。素朴美の極北みたいな作品である。いや、よくこんなものを購入(?)したなあ…。
蕪村の飄逸な水墨画の隣りに、やたらと派手な六道絵(額装5幅)が掛けてあった。展覧会の副題が「江戸から大正・昭和へ」であったので、現代作家との異色コラボ演出かな?と思って解説を読んだら、嘉永2年(1849)の年記を持つ「江戸後期の庶民的な宗教画を代表する作品」だという。びっくりした。どぎつい色彩、奔放な構成は、ものすごい破壊力である。
第1幅は、黒天を背景にベタ塗りの赤い炎が渦巻く地獄。天から下る亡者の列は、垂れ下がった頭髪がゆっくりした動きを暗示させる。怪獣映画のように火を噴く龍。画中に「阿鼻城」の文字が見える。第2幅「焦熱之楼」は、白馬に乗った地蔵菩薩が、救済者どころか、地獄の王者のように威風あたりを払う。第3幅「黒縄所」は閻魔王裁きの図。第4幅「修羅」では、甲冑姿の武士が海辺で死闘を繰り広げる。はるか上空から火球を降らす雷神は、黙示録のよう。極端な遠近法が、奥行きのある画面を演出する。第5幅は「餓鬼・畜生道」。東京・品川区の長徳寺(→個人サイト)に伝わり、区指定文化財の扱いは受けているようだが、この晴れ舞台に引き出してきた企画者の眼力に拍手。
ひときわ観客の目を引くのは、堂々とした金屏風。洛中洛外図らしい。ところが、近づいてみると、しりあがり寿みたいな脱力系の絵。これは、2007年、森美術館の『日本美術が笑う』展で見たものではないか?! 記憶に残る"サルの曲芸"を見つけて、やっぱり、と頷く。イソギンチャクみたいに腰くだけの石灯籠とか、長大な柱に支えられた、ありえない木造建築(→ギリシャ神殿かよ!)とか、ツッコミどころの多い絵だ。
そのとき、学芸員さんらしき男性に案内された、妙にガタイのいい白髪のオジサンが隣にやってきた。オジサンは、ああ、うんうんと熱心に相槌をうちながら説明を聴いている。顔を上げてびっくりした。南伸坊氏ではないか?! 失礼と思いながら、思わず会話に聞き耳を立ててしまった。「あの、築嶋物語ってあるでしょ」と南氏。「あれは意外と線なんか描き慣れた感じなんだよね。でもこの屏風はほんとに下手だねえ」と感に堪えたようにおっしゃる。「山下先生は、この石灯籠がお気に入りなんですよ」と学芸員氏。あ、やっぱり、そこに注目するか~。
水墨画では、白隠の弟子、東嶺円慈(とうれいえんじ)がよかった。私は、永青文庫の『白隠とその弟子たち』では、遂翁元盧(すいおうげんろ)にハマったのだが、東嶺和尚もなかなかいいね。前日、千葉市美術館で見てきた浦上玉堂もしみじみ味わう。大津絵では虎の真似をする(?)『竹に龍』がツボにはまる。
横井弘三(1889-1965)の名前は初めて知ったが、大正年間に雑誌『子供之友』に掲載された童画の数々を見ていると、むしょうに懐かしい、既視感がある。ここでも「とにかくユニークな言動の人だった」という学芸員氏の説明を横で聞かせてもらった。関東大震災で被災した子供たちのために、小学校に寄贈した絵画には(小さい声で)「ウンコとか描いちゃうし」。え、これって巻貝じゃないの…。
最後に、リーズナブルな価格に抑えた図録が嬉しかった。※絵巻『築嶋(つきしま)物語』をめぐる意外な展開は、明日以降、日本民藝館のレポートに続く。
http://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/museum/index.html
ものすごく見どころが多かったので、極力話題を絞ってレポート。冒頭の『熊野縁起絵巻断簡』(室町時代)を見て、あれ?見覚えがあるぞ、と記憶をたどる。昨年秋、東京美術倶楽部で行われた『東美アートフェア』(展示即売会)で見たように思う。ギャラリートークの山下裕二先生が「僕は物語絵をひとつ買いました。暮れから松濤美術館で展示します」とおっしゃっていたのは、これのことではないかしら?(違ったら失礼)。この展覧会は、日本の絵画史の中で、時代を超えて愛されてきた「素朴美」の系譜を紹介する。息を呑んだのは、サントリー美術館蔵の奈良絵本『かるかや』(室町時代)。素朴美の極北みたいな作品である。いや、よくこんなものを購入(?)したなあ…。
蕪村の飄逸な水墨画の隣りに、やたらと派手な六道絵(額装5幅)が掛けてあった。展覧会の副題が「江戸から大正・昭和へ」であったので、現代作家との異色コラボ演出かな?と思って解説を読んだら、嘉永2年(1849)の年記を持つ「江戸後期の庶民的な宗教画を代表する作品」だという。びっくりした。どぎつい色彩、奔放な構成は、ものすごい破壊力である。
第1幅は、黒天を背景にベタ塗りの赤い炎が渦巻く地獄。天から下る亡者の列は、垂れ下がった頭髪がゆっくりした動きを暗示させる。怪獣映画のように火を噴く龍。画中に「阿鼻城」の文字が見える。第2幅「焦熱之楼」は、白馬に乗った地蔵菩薩が、救済者どころか、地獄の王者のように威風あたりを払う。第3幅「黒縄所」は閻魔王裁きの図。第4幅「修羅」では、甲冑姿の武士が海辺で死闘を繰り広げる。はるか上空から火球を降らす雷神は、黙示録のよう。極端な遠近法が、奥行きのある画面を演出する。第5幅は「餓鬼・畜生道」。東京・品川区の長徳寺(→個人サイト)に伝わり、区指定文化財の扱いは受けているようだが、この晴れ舞台に引き出してきた企画者の眼力に拍手。
ひときわ観客の目を引くのは、堂々とした金屏風。洛中洛外図らしい。ところが、近づいてみると、しりあがり寿みたいな脱力系の絵。これは、2007年、森美術館の『日本美術が笑う』展で見たものではないか?! 記憶に残る"サルの曲芸"を見つけて、やっぱり、と頷く。イソギンチャクみたいに腰くだけの石灯籠とか、長大な柱に支えられた、ありえない木造建築(→ギリシャ神殿かよ!)とか、ツッコミどころの多い絵だ。
そのとき、学芸員さんらしき男性に案内された、妙にガタイのいい白髪のオジサンが隣にやってきた。オジサンは、ああ、うんうんと熱心に相槌をうちながら説明を聴いている。顔を上げてびっくりした。南伸坊氏ではないか?! 失礼と思いながら、思わず会話に聞き耳を立ててしまった。「あの、築嶋物語ってあるでしょ」と南氏。「あれは意外と線なんか描き慣れた感じなんだよね。でもこの屏風はほんとに下手だねえ」と感に堪えたようにおっしゃる。「山下先生は、この石灯籠がお気に入りなんですよ」と学芸員氏。あ、やっぱり、そこに注目するか~。
水墨画では、白隠の弟子、東嶺円慈(とうれいえんじ)がよかった。私は、永青文庫の『白隠とその弟子たち』では、遂翁元盧(すいおうげんろ)にハマったのだが、東嶺和尚もなかなかいいね。前日、千葉市美術館で見てきた浦上玉堂もしみじみ味わう。大津絵では虎の真似をする(?)『竹に龍』がツボにはまる。
横井弘三(1889-1965)の名前は初めて知ったが、大正年間に雑誌『子供之友』に掲載された童画の数々を見ていると、むしょうに懐かしい、既視感がある。ここでも「とにかくユニークな言動の人だった」という学芸員氏の説明を横で聞かせてもらった。関東大震災で被災した子供たちのために、小学校に寄贈した絵画には(小さい声で)「ウンコとか描いちゃうし」。え、これって巻貝じゃないの…。
最後に、リーズナブルな価格に抑えた図録が嬉しかった。※絵巻『築嶋(つきしま)物語』をめぐる意外な展開は、明日以降、日本民藝館のレポートに続く。