○村上春樹『アンダーグラウンド』(講談社文庫) 講談社 1999.2
年末、『戦後日本スタディーズ3:80・90年代』に載っていた遠藤知巳さんの「オウム事件と九〇年代」を読んだ。90年代にあれほど我々を震撼させたオウム真理教も麻原彰晃こと松本智津夫も、すっかり過去の人になってしまった感がある。本当は、そんなふうに軽々しく風化させてはいけないはずの事件なのに。そう思って、文中で教えられた本書を読んでみることにした。
本書は、1995年3月20日に起きた「地下鉄サリン事件」の被害者と関係者(医者、弁護士、被害者の家族など)60余名のインタビュー集である。インタビューは、1996年1月から12月にかけて、原則として著者の村上春樹氏によって行われた。と紹介するまでもないのかもしれないが、恥ずかしながら、私は本書の存在を知らなかった。”小説家の村上春樹がオウム事件について、ぶ厚い本を書いた”ということは知っていたのだが、「小説家の書いたもの」という先入観に強く支配されていて、フィクション嫌いの私は、読んでみようとしなかった。本書では、小説家・村上春樹は見事なほど遠景に退いて、個性豊かな60余名のインタビューイーたちに全てを語らせている。
本書を読んでショックだったのは、当時の日本の公的な危機管理システムが全く役立たずだったと分かったことだ。当時のニュース報道では、毒ガス防護服を着用して地下鉄の駅に降りていく警察集団とか、それなりに頼もしそうに見えていたものだが、実際は、営団地下鉄も消防庁も警察も医療施設も、目を覆いたくなるような混乱ぶりだったようである。1995年の時点で、日本の公共システムがこんなにガタガタだったとすれば、今日の年金問題とか食の安全問題も当然の帰結のように思う。
それでも当時、死者や重度の被害者を最初限度に留めることができたのは、現場の職員や乗客どうしの勇気とモラルある行動によるところが大きい、と著者は言う。小伝馬町駅では、全く救急車が来ないので、動ける人たちが通りがかりの車を片っ端からとめて、被害者を病院に搬送した。松本サリン事件にかかわった信州大学医学部の柳沢教授は、サリン中毒の治療法についてのファックスを自発的に100以上の現場に送り続けた。本書にはこういう話がところどころに出てくる。
オウム事件というのは、カルト教団が国家転覆を謀って、果たせなかった話、ということになるのだろうが、彼らの野望を阻止したのは、強固な国家システムではなくて、ごく普通の人々が、平和な日常を守ろうとする小さな抵抗意思の集積だったのではないかと思う。
だが、もし今日、同じような事件が起きたとき、私たちの社会は同じような抵抗力を示すことができるだろうか。本書には、ひとつの現場できっちりたたきあげられるという体験を通して、「道義的価値観」を身につけた職業人が何例か登場する。特に印象的だったのは、当時50代の地下鉄職員の男性おふたりと、当時60代の駅の売店のおばさん。けれども、こういう人たちは、どんどん日本の現場から消えていっている。今後、「良き職業人」「良き市民」としてのモラルを忘れた群衆があのような事件に遭遇したら、いったい何が起こるんだろうと思うと、陰鬱な気持ちになる。
年末、『戦後日本スタディーズ3:80・90年代』に載っていた遠藤知巳さんの「オウム事件と九〇年代」を読んだ。90年代にあれほど我々を震撼させたオウム真理教も麻原彰晃こと松本智津夫も、すっかり過去の人になってしまった感がある。本当は、そんなふうに軽々しく風化させてはいけないはずの事件なのに。そう思って、文中で教えられた本書を読んでみることにした。
本書は、1995年3月20日に起きた「地下鉄サリン事件」の被害者と関係者(医者、弁護士、被害者の家族など)60余名のインタビュー集である。インタビューは、1996年1月から12月にかけて、原則として著者の村上春樹氏によって行われた。と紹介するまでもないのかもしれないが、恥ずかしながら、私は本書の存在を知らなかった。”小説家の村上春樹がオウム事件について、ぶ厚い本を書いた”ということは知っていたのだが、「小説家の書いたもの」という先入観に強く支配されていて、フィクション嫌いの私は、読んでみようとしなかった。本書では、小説家・村上春樹は見事なほど遠景に退いて、個性豊かな60余名のインタビューイーたちに全てを語らせている。
本書を読んでショックだったのは、当時の日本の公的な危機管理システムが全く役立たずだったと分かったことだ。当時のニュース報道では、毒ガス防護服を着用して地下鉄の駅に降りていく警察集団とか、それなりに頼もしそうに見えていたものだが、実際は、営団地下鉄も消防庁も警察も医療施設も、目を覆いたくなるような混乱ぶりだったようである。1995年の時点で、日本の公共システムがこんなにガタガタだったとすれば、今日の年金問題とか食の安全問題も当然の帰結のように思う。
それでも当時、死者や重度の被害者を最初限度に留めることができたのは、現場の職員や乗客どうしの勇気とモラルある行動によるところが大きい、と著者は言う。小伝馬町駅では、全く救急車が来ないので、動ける人たちが通りがかりの車を片っ端からとめて、被害者を病院に搬送した。松本サリン事件にかかわった信州大学医学部の柳沢教授は、サリン中毒の治療法についてのファックスを自発的に100以上の現場に送り続けた。本書にはこういう話がところどころに出てくる。
オウム事件というのは、カルト教団が国家転覆を謀って、果たせなかった話、ということになるのだろうが、彼らの野望を阻止したのは、強固な国家システムではなくて、ごく普通の人々が、平和な日常を守ろうとする小さな抵抗意思の集積だったのではないかと思う。
だが、もし今日、同じような事件が起きたとき、私たちの社会は同じような抵抗力を示すことができるだろうか。本書には、ひとつの現場できっちりたたきあげられるという体験を通して、「道義的価値観」を身につけた職業人が何例か登場する。特に印象的だったのは、当時50代の地下鉄職員の男性おふたりと、当時60代の駅の売店のおばさん。けれども、こういう人たちは、どんどん日本の現場から消えていっている。今後、「良き職業人」「良き市民」としてのモラルを忘れた群衆があのような事件に遭遇したら、いったい何が起こるんだろうと思うと、陰鬱な気持ちになる。