○吉見俊哉『都市のドラマトゥルギー:東京・盛り場の社会史』(河出文庫) 河出書房新社 2008.12
浅草、銀座、新宿、渋谷という4つの盛り場の分析を通して、都市の成立と日本の近代を論じる。1987年刊行。もとは80年代前半に著者の修士論文として執筆されたものだという。序章~I章では、先行研究が盛り場を「民衆娯楽地」や「都心機能」の視角から分析してきた系譜を整理し、本書は「盛り場=出来事」を上演論的視角から扱うことを確認する。ここは修士論文としては必要な前置きなんだろうけど、一般読者にはちょっと難解。適当に読み飛ばして次に進もう。
1870~90年代(明治初期)、原型としての「博覧会」が上野に現れ、ついで「勧工場」が浅草や銀座につくられる。1910年代、東京で最も重要な盛り場は浅草だった。あらゆる種類の人々が浅草に群れ集い、渾然一体となって「一種の共同性」を実現していた。これに対して、1920年代以降、盛り場の主役となった銀座では、「眺める=演じる」身体感覚が重視された。
戦後、同じことが再び起こる。60年代の新宿では、フォーク集会、アングラ演劇など、人々は日常の自明化された同一性を離れ、共同性の交感を体験することができた。「新宿的なるもの」は、かつての「浅草的なるもの」に似ていた。そして、1970年以降、「渋谷的なるもの」が登場する。そこは「モダン(近代的)」ならぬ「ナウ(現代的)」な若者が「見る・見られる=演じる」ために集う場所である。
日本のポストモダンを考える上で、70年代の新宿(若者文化)→渋谷(管理された消費者文化)という文化的転換が重要であることは、多くの論者が指摘しているが、これを20年代の浅草(民衆娯楽)→銀座(未来=外国を志向するモダニティ)の転換と重ねて論じているところが、本書のユニークさである。「文庫版へのあとがき」は、日本ではこの変化は二度起きたが「世界を見渡すならば、こうした変化が一度しか起きないところも、長期間、何度となく起きてきたところも存在するだろう」という。面白い。
本書が書かれた80年代半ば、アジアにはまだ東京に匹敵するほどの都市はなかった(はずだ)。しかし、ソウルは、北京は、ハノイは、ムンバイは、一体どのような発展の過程を踏んでいるのか、機能論や都市工学だけではなくて、本書のような「盛り場=出来事」の視座から比較してみたら、きっと面白い結果が出るものと思う。
東京論=都市論は、ひところに比べると下火のようだ。90年代以降、急速な情報化によって、リアルな「盛り場」の成立が困難になってせいではないかと思う。いま、われわれの目の前に広がるのは、奇妙に同質で荒涼とした「ジャスコ的空間」でしかない(北田暁大、東浩紀『東京から考える』)。けれども、視線をアジア諸国に向ければ、80年代、日本で論じられた都市文化論の成果には、また新たな活用の途が開けるのではないかと思う。
私は60年代の新宿文化は記憶にないし、70年代の渋谷文化にも縁が薄かった(東京の下町育ちなので)。けれど、本書から濃厚に漂ってくる80年代の空気はとても懐かしかった。栗本慎一郎、赤坂憲雄、網野善彦など、引用文献のひとつひとつに微笑みながら読んでしまった。
浅草、銀座、新宿、渋谷という4つの盛り場の分析を通して、都市の成立と日本の近代を論じる。1987年刊行。もとは80年代前半に著者の修士論文として執筆されたものだという。序章~I章では、先行研究が盛り場を「民衆娯楽地」や「都心機能」の視角から分析してきた系譜を整理し、本書は「盛り場=出来事」を上演論的視角から扱うことを確認する。ここは修士論文としては必要な前置きなんだろうけど、一般読者にはちょっと難解。適当に読み飛ばして次に進もう。
1870~90年代(明治初期)、原型としての「博覧会」が上野に現れ、ついで「勧工場」が浅草や銀座につくられる。1910年代、東京で最も重要な盛り場は浅草だった。あらゆる種類の人々が浅草に群れ集い、渾然一体となって「一種の共同性」を実現していた。これに対して、1920年代以降、盛り場の主役となった銀座では、「眺める=演じる」身体感覚が重視された。
戦後、同じことが再び起こる。60年代の新宿では、フォーク集会、アングラ演劇など、人々は日常の自明化された同一性を離れ、共同性の交感を体験することができた。「新宿的なるもの」は、かつての「浅草的なるもの」に似ていた。そして、1970年以降、「渋谷的なるもの」が登場する。そこは「モダン(近代的)」ならぬ「ナウ(現代的)」な若者が「見る・見られる=演じる」ために集う場所である。
日本のポストモダンを考える上で、70年代の新宿(若者文化)→渋谷(管理された消費者文化)という文化的転換が重要であることは、多くの論者が指摘しているが、これを20年代の浅草(民衆娯楽)→銀座(未来=外国を志向するモダニティ)の転換と重ねて論じているところが、本書のユニークさである。「文庫版へのあとがき」は、日本ではこの変化は二度起きたが「世界を見渡すならば、こうした変化が一度しか起きないところも、長期間、何度となく起きてきたところも存在するだろう」という。面白い。
本書が書かれた80年代半ば、アジアにはまだ東京に匹敵するほどの都市はなかった(はずだ)。しかし、ソウルは、北京は、ハノイは、ムンバイは、一体どのような発展の過程を踏んでいるのか、機能論や都市工学だけではなくて、本書のような「盛り場=出来事」の視座から比較してみたら、きっと面白い結果が出るものと思う。
東京論=都市論は、ひところに比べると下火のようだ。90年代以降、急速な情報化によって、リアルな「盛り場」の成立が困難になってせいではないかと思う。いま、われわれの目の前に広がるのは、奇妙に同質で荒涼とした「ジャスコ的空間」でしかない(北田暁大、東浩紀『東京から考える』)。けれども、視線をアジア諸国に向ければ、80年代、日本で論じられた都市文化論の成果には、また新たな活用の途が開けるのではないかと思う。
私は60年代の新宿文化は記憶にないし、70年代の渋谷文化にも縁が薄かった(東京の下町育ちなので)。けれど、本書から濃厚に漂ってくる80年代の空気はとても懐かしかった。栗本慎一郎、赤坂憲雄、網野善彦など、引用文献のひとつひとつに微笑みながら読んでしまった。