○若狭歴史民俗資料館 新春テーマ展『地域の秘仏-若狭の信仰の歴史-』(2009年1月3日~2月8日)
http://www.pref.fukui.lg.jp/doc/rekimin/topics/theme0901.html
同じ仏像好きの友人から「小浜で『地域の秘仏』展がある」と聞いたのは昨年の秋頃だったろうか。観音霊場として知られる小浜には、10年以上前に行ったきり。久しぶりに再訪してみたいと思って、カレンダーを眺めていた。この時期、心配なのは天候だが、土曜日、関東地方はなかなかの好天。東京~米原~敦賀と順調に乗り継いだが、目的地の小浜に近づくにつれて、車窓に白いものが舞い始めた。1駅手前の東小浜駅で下車して、資料館に駆け込む。
テーマ展『地域の秘仏』は、仏像5点、仏画8点(国重文2点)。勝手にイメージしていたのと異なり、仏画のほうが優勢だった。優品は、萬徳寺の弥勒菩薩像。褪色して、一見地味だが、よく見ると院政期ふうの、ぽってりした色っぽさを感じる。対照的に、長源寺の弥勒菩薩像は、載金(キリガネ)の繊細な描線がよく残り、きりっとした雰囲気。羽賀寺の十二天屏風は、京都・東寺の十二天屏風によく似ていた。出品されていたのは六曲一双の一隻のみで、図像は閻魔天(人頭杖を持つ)・羅刹天(剣を持つ)・水天(亀に乗る)・風天・月天・日天かな? はっきりした墨線が近代的な感じ。仏像では、青蓮寺(美浜町)の聖観音菩薩立像がよかった。やや扁平で横広な顔立ちに、力強い切れ長の目が目立つ。横顔は、私の好きな室生寺の釈迦如来に似ているように思う。
常設展にも仏像が10点(うち6点は複製)。小浜といえば十一面観音だが、不動明王など、あえて小浜らしくない仏像を展示しているようで面白かった。中でも変わりダネは『烏将軍』。口のとがった黒面、中国風の武人の恰好をしており、台座に「烏将軍」の銘を持つ。1990年11月、小浜市の浜辺に、赤い布で包まれて漂着したもので、中国・南宋時代(13世紀)の作。ただし、中国本土から流したにしては傷みが少なすぎ、誰がどこから流したのかは謎だという。漂着する神仏の縁起は数々あるが(長野の善光寺とか、東京の浅草寺とか)今日でもこういうことってあるのだなあ。「烏将軍」で調べてみたら、上海郊外の水郷の町・烏鎮に廟があるそうだ。
資料館のあとは、徒歩圏内の寺院をまわるつもりだったが、雪は激しくなるばかり。最寄りの国分寺まで歩いてみたが、境内に人影もなく、すごすごと駅へ戻る。小浜泊。窓ガラスを叩きつけるような吹雪に脅かされながら就寝。
翌朝、小浜での観光(見仏)は諦めることにして、呑気に駅まで行って京都までの切符を買おうとしたところ、「東舞鶴方面はいつ出るか分りませんよ」と冷たい宣告。やむなく先に動いた敦賀行きの列車に乗り込む。窓の外は、田圃と畦道の境も分からないくらいの白銀世界。木々の上に雪を載せた近くの山は水墨画のようだ。一番列車の前に除雪車を運行したらしいが、こんな状態でも列車って動くんだなあ、と感心した。湖西線の堅田を過ぎる頃から天気が回復し、京都では、積雪の気配もなし。別の国に来たようだった。
教訓。冬の日本海側気候をナメてはいけません。
■これは便利:若狭小浜のデジタル文化財
http://www.city.obama.fukui.jp/section/sec_sekaiisan/Japanese/
http://www.pref.fukui.lg.jp/doc/rekimin/topics/theme0901.html
同じ仏像好きの友人から「小浜で『地域の秘仏』展がある」と聞いたのは昨年の秋頃だったろうか。観音霊場として知られる小浜には、10年以上前に行ったきり。久しぶりに再訪してみたいと思って、カレンダーを眺めていた。この時期、心配なのは天候だが、土曜日、関東地方はなかなかの好天。東京~米原~敦賀と順調に乗り継いだが、目的地の小浜に近づくにつれて、車窓に白いものが舞い始めた。1駅手前の東小浜駅で下車して、資料館に駆け込む。
テーマ展『地域の秘仏』は、仏像5点、仏画8点(国重文2点)。勝手にイメージしていたのと異なり、仏画のほうが優勢だった。優品は、萬徳寺の弥勒菩薩像。褪色して、一見地味だが、よく見ると院政期ふうの、ぽってりした色っぽさを感じる。対照的に、長源寺の弥勒菩薩像は、載金(キリガネ)の繊細な描線がよく残り、きりっとした雰囲気。羽賀寺の十二天屏風は、京都・東寺の十二天屏風によく似ていた。出品されていたのは六曲一双の一隻のみで、図像は閻魔天(人頭杖を持つ)・羅刹天(剣を持つ)・水天(亀に乗る)・風天・月天・日天かな? はっきりした墨線が近代的な感じ。仏像では、青蓮寺(美浜町)の聖観音菩薩立像がよかった。やや扁平で横広な顔立ちに、力強い切れ長の目が目立つ。横顔は、私の好きな室生寺の釈迦如来に似ているように思う。
常設展にも仏像が10点(うち6点は複製)。小浜といえば十一面観音だが、不動明王など、あえて小浜らしくない仏像を展示しているようで面白かった。中でも変わりダネは『烏将軍』。口のとがった黒面、中国風の武人の恰好をしており、台座に「烏将軍」の銘を持つ。1990年11月、小浜市の浜辺に、赤い布で包まれて漂着したもので、中国・南宋時代(13世紀)の作。ただし、中国本土から流したにしては傷みが少なすぎ、誰がどこから流したのかは謎だという。漂着する神仏の縁起は数々あるが(長野の善光寺とか、東京の浅草寺とか)今日でもこういうことってあるのだなあ。「烏将軍」で調べてみたら、上海郊外の水郷の町・烏鎮に廟があるそうだ。
資料館のあとは、徒歩圏内の寺院をまわるつもりだったが、雪は激しくなるばかり。最寄りの国分寺まで歩いてみたが、境内に人影もなく、すごすごと駅へ戻る。小浜泊。窓ガラスを叩きつけるような吹雪に脅かされながら就寝。
翌朝、小浜での観光(見仏)は諦めることにして、呑気に駅まで行って京都までの切符を買おうとしたところ、「東舞鶴方面はいつ出るか分りませんよ」と冷たい宣告。やむなく先に動いた敦賀行きの列車に乗り込む。窓の外は、田圃と畦道の境も分からないくらいの白銀世界。木々の上に雪を載せた近くの山は水墨画のようだ。一番列車の前に除雪車を運行したらしいが、こんな状態でも列車って動くんだなあ、と感心した。湖西線の堅田を過ぎる頃から天気が回復し、京都では、積雪の気配もなし。別の国に来たようだった。
教訓。冬の日本海側気候をナメてはいけません。
■これは便利:若狭小浜のデジタル文化財
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