見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

村落のアーカイブズ/八瀬童子(京都文化博物館)

2013-01-19 22:43:38 | 行ったもの(美術館・見仏)
京都文化博物館 企画展『重要文化財指定記念 八瀬童子-天皇と里人-』(2012年12月15日~2013年1月14日)

 新春の関西旅行(名古屋→大阪→京都→名古屋)で見てきたもの、取り急ぎ。京都で何を見ておくべきか、いろいろチェックしていたら、この展覧会を見つけた。公式ホームページのトップに『明治天皇大喪奉舁参観図』(大喪の輿をかつぐ八瀬童子たち)の古写真が使われていたのを見て、これは行ってみなくては、と思い立った。

 関東の人間である私が「八瀬童子」の存在を知ったのは、1986年に刊行された猪瀬直樹の『ミカドの肖像』だった。やがて、昭和天皇の御不予が伝えられ始めると、当時の友人と「八瀬童子の登場はあるのか?」と、興味津々、語り合った記憶がある。なので、2010年4月、東博恒例の特集陳列『新指定国宝・重要文化財(平成22年度)』で「八瀬童子関係資料」が国の重要文化財に指定されたと知ったときは感慨深かった。

 今回は、その「八瀬童子関係資料」の中から約70点の資料を展示。会場に入って、予想よりずっと人が多いことに、びっくりした。さすが京都人は、地元の歴史に関心が高いんだな。

 冒頭、中世以来の歴代天皇が発した「綸旨」がずらりと並んでいて壮観。地租課役の永代免除にかかわる大事な文書であるのだが、有名寺院でも公家・武家の名家でもなく、ただの村落共同体に、これだけの文書が保存されているって…やっぱり驚くべきことだと思う。そして、地租課役の免除は、中世以来、漫然と認められてきたわけではなく、時には隣接する延暦寺と、境界をめぐる争いがあり、村民は生活権をかけた「異議申し立て」を行い、訴えを受けた朝廷や幕府も、適切な調停策を示して、解決を図ってきた。権利というのは、こういう不断の努力によってしか、守られないものなのだ…ということを感ずることができる。

 仏像も数体。木造十一面観音立像(平安時代)は、東博でも見たような気がするのだが、私の記憶違いかもしれない。身長に比して両腕が長い、古風なプロポーションである。

 中世の村落共同体の様子を伝える資料が多くて、近代の資料はあまりなかったが、明治新政府に出仕して、宮内省の職員となった者の名簿や、大正天皇の大喪に際して、支給された装束などは面白かった。最後は、八瀬の伝統行事、赦免地踊り(しゃめんちおどり)の紹介。この華やかな祭礼も、延暦寺との境界争いで、八瀬村に有利な裁定を下した老中秋元但馬守の遺徳を偲ぶお祭りだと知って、いよいよ興味を増した。一見、中華文化圏のランタン祭りみたいだが、女装した少年が燈籠を頭にのせて練り歩くというのを見てみたい。10月第二日曜日か…行けるかな。

 同時開催の『池大雅-胸中の山水-』(2012年12月6日~2013年1月27日)もサッと見ていく。
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諸行無常、はじまる/国宝 十二天像と密教法会の世界+方丈記(京都国立博物館)

2013-01-16 23:41:48 | 行ったもの(美術館・見仏)
京都国立博物館 特別展観『国宝 十二天像と密教法会の世界』+同時開催『成立800年記念 方丈記』(2013年1月8日~2月11日)

 京博の「十二天像」は私の大好きな作品である。はじめて見たのは、1998年の『王朝の仏画と儀礼』展だったのではないかと思う。その後も京博の平常展示で、ときどき見かけると嬉しかった。2005年には、新春特集陳列で、全12作品が揃って出ていたみたいだ。この12点だけで「特別展にしても惜しくない!」と、常々思っていたので、今回の特別展観は、我が意を得たような気がする。

 私は、日天や月天の右手の侍者の円座が、不安定に少し傾いでいるところが好きだ。どっしり座っているのに、天衣が吹き上がるように靡いている尊像もあって、全身がふわりと中空に浮いている(あるいは漂っている)感じがする。

 この図像が、東寺の後七日御修法(みしほ)(→遭遇したことあり)に用いられたものであることは、なんとなく聞きかじっていたけれど、本展で、その歴史を詳しく知ることができたのはよかった。大治2年(1127)東寺宝蔵は火災に遭い、それまで使用していた絵画を焼失したため、新調が企てられた。はじめ、宇治の平等院に所蔵されていた弘法大師御筆様に従って新調されたが、鳥羽院が「疎荒」と批判し、仁和寺円堂後壁画に基づいて新写したのが本図(大治乙本)であるという。図録の解説を読むと、鳥羽院が前者(甲本)を非難した背景には、政治的意図(摂関家との対立)があったようで、とっても面白い。

 「後七日御修法」が、もとは宮中におかれた真言院という道場で行なわれていたこと、大内裏が廃絶して荒野になっても真言院は旧地に再現され続けたこと、中断を繰り返し、明治以降は東寺灌頂院で行なわれるようになったことも初めて知った。 

 前日の徳川美術館に続いて、再び『年中行事絵巻(模本)』に遭遇! 京大文学研究科図書館からの出陳である。「大極殿御斎会」と「真言院御修法」の場面なので、まさに進行中の行事は謹厳に描かれているが、殿舎の周りには、打ち解けた表情の人々が集っている。後白河=信西の朝儀復興政策と関連があるとか、住吉家模本とは別系統とか、これも図録の解説が面白い。見間違いでなければ「宮崎文庫」という印があったと思う。

 さらに西大寺の(より古い/9世紀後半)十二天像から「火天」「帝釈天」「閻魔天」。これはまた、画面いっぱいに描かれた尊像の、のびのびした迫力が気持ちいい。帝釈天を乗せた三日月眼の白象、閻魔天を載せた牛はすぐ分かったが、火天を載せている動物が、はじめ分からなかった。醍醐寺の『十天形像』を見て、そうか羊か、と気づく。

 中央ホールでは、灌頂の儀式に使われた屏風を特集。正月に東博で神護寺蔵『山水屏風』を見たこともあって、興味深かった。京博の『山水屏風』は、現存最古、王朝時代(11世紀)の調度品なんだ。すご~い。古い山水屏風は、描かれている人物が唐風である。

 神護寺の『十二天屏風』は尊像を立像形式で描いたもの。解説に「西瓜等の唐様の文様が見える」とあって、スイカ?!と思って探したら、確かに、右隻の人頭杖を持った尊像(閻魔天?)の腰布がスイカ柄だった。奈良博の『十二天屏風』は、類例が少ない画像で面白かった。意味ありげに身体をひねったりせず、楽なポーズで突っ立っている。でも手足が大きくて、肉感的。

 このほか、株式会社虎屋(!)から初公開の『弘法大師像』(小さく描かれた嵯峨天皇)、妙に人間臭い表情をした個人蔵(?)の『求聞持虚空蔵菩薩像』も印象的だった。

 最後の2室が『方丈記』展。建暦2年(1212)の成立から、平成24年(2012)に成立800年を迎えたことを記念し、最古の写本(自筆という伝承もあり)「大福光寺本」を公開。へえー巻子本なんだ、と驚く。そして、小さい字でびっしり書いてあるせいもあるけど、全文広げて公開できるくらいの短編作品であること、その密度の濃さをあらためて思う。にしても、なぜ丹波の大福光寺なる寺院に最古本が伝わったのだろう…。

 関連史跡をパネルで紹介するコーナーの床に白いテープで「1丈×1丈」をマーキングしてあったのだが、話題にする人があまりいないのは残念だった。さすがに狭い。家というよりキャンピングカー生活だなあ、と思う。関連展示は、同時代の字片仮名交じり文の書跡など。私は、同じ作者の『無明抄』や『発心集』断簡が見られたのが嬉しかった。

 なお、「諸行無常、はじまる」は、昨年の大河ドラマ『平清盛』の後半のキャッチコピーで、まさにそんな時代の美術と文学作品が集まった展覧会、大満足だった。
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ご先祖さまから/日本の神様大集合(徳川美術館)

2013-01-15 23:19:11 | 行ったもの(美術館・見仏)
徳川美術館 企画展示『日本の神様大集合-徳川美術館へ初詣-』(2013年1月4日~2月3日)+蓬左文庫 『大名と鷹狩 一富士・二鷹・三茄子』『名古屋城下図』(2013年1月4日~2月11日)

 徳川美術館へは、名古屋開府400年の2010年秋に来て以来になる。観光ルートバス「メーグル」を初めて利用。やや遠回りだけど、美術館の前まで連れていってくれるのはありがたい。常設展示では、第1室(武具・刀剣)、源平の昔を思わせるような古様な箙(えびら)や重籐の弓に目が留まる。実は18世紀(江戸時代)の倣古品である。こういうのが、現代人の歴史認識をややこしくしているんだよな…と思う。第2室(茶の湯)では、梅花天目、珠光青磁(銘・翁)、黒楽茶碗(銘・横槌)。どれも小ぶりで、仰々しくないところがよい。伊賀焼の水指の説明に「へうげものが好まれた時代の作品らしく…」と書いてあったのに、にやりとしてしまった。

 第5室(奥道具)の参考作品、楊州周延の浮世絵『千代田之大奥』(明治27-29年)もチェック。解説によれば、江戸時代は大奥のことを話したり描いたりすることは禁じられていたので、明治中頃になって、ようやくこうした浮世絵が登場するという。われわれの歴史認識の作られかたには、いろいろと慎重な検証が必要であると思う。

 参観ルートに従い、隣接する蓬左文庫に入る。『大名と鷹狩』は面白かった。鷹に関する資料だけで、こんなに集まるものか。鷹の姿、飼育法、道具、儀礼と法度など。鷹狩といえば、徳川将軍をはじめ、近世大名が愛好したイメージがあるが(領地の視察や世情観察の意味もあったらしい)、古墳時代にも鷹匠埴輪(→これですけどw)があり、平安時代には天皇や公家の好む狩猟として発達したという。『春日権現験記絵巻』(模本展示あり)にも鷹狩の様子が描かれている。ただし、明治時代の絵本『鷹かがみ』に描かれた藤原定家の図について「定家は鷹を愛好し、鷹百首和歌や鷹五百首和歌を詠んだ」という解説はアヤシイ。調べたら、確かに定家には鷹を詠んだ和歌が多いそうだが(意識したことなかったなー)、後世の仮託作品もあるので、要注意である。

 そして、徳川美術館の特別展『日本の神様大集合』へ。始まりが天照大神やイザナギ・イザナミでなく、東照大権現(徳川家康)→八幡大菩薩(武士の信仰を集めた)という登場順なのが、徳川美術館らしくて、なるほどと思った。「尾張徳川家に伝わる様々な神様」では、伊勢・熱田・春日の神様を紹介。伊勢信仰に関係する小さな雨宝童子像(赤栴檀厨子入)がかわいい! なんとなく唐風。

 絵画資料では、ここにも『春日権現験記絵巻』(模本)あり。『年中行事絵巻』(模本・個人蔵)は田楽の図。見物のために、ばらばらと集まってくる人々の散らばり方が幻惑的で、何とも言えない。どこにも中心がなく、余白もない! 展示は江戸時代に作られた白黒の模本だが、原本は江戸初期に焼失してしまったという。惜しいなー。もっと謹厳な宮中行事を描いたもののイメージが強かったが、こんなふうに生き生きと民衆の風俗を描いた巻もあるのか。さすがは、遊びの達人・後白河法皇が作らせた絵巻である。江戸ものだが、原在明筆『岩清水八幡臨時祭礼図巻』は、ためいきの出るような色彩の美しさ。全巻見てみたいたい。

 また、解説を読んで、思わぬ「作者」名に、へえ、と見直した作品もあった。冒頭の徳川家康(東照大権現)像は、尾張家初代・徳川義直(家康の九男)筆。神様になった父親を、どんな気持ちで描いていたのだろう。天海筆「東照大権現」の神号、尾張家2代・光友筆の布袋図、同14代・慶勝筆の福禄寿図などもあった。
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豪華つめあわせ福袋/新春文楽・ひらかな盛衰記、他

2013-01-14 00:26:13 | 行ったもの2(講演・公演)
国立文楽劇場 新春文楽特別公演『団子売(だんごうり)』『ひらかな盛衰記(ひらがなせいすいき)』『本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)』(2013年1月12日)

 文楽の1月公演は大阪、東京は2月。これは、私の知る限り、何十年も変わらない「しきたり」である。なんと大阪人は、松の内から文楽を楽しむことができるのか! いいなー。あんなに大阪でいじめられているのだから、東京に移ってきてしまえばいいのに、と思いながら、はじめて新春公演を見に東京から遠征した。

 まずは初春にふさわしい『団子売』で、にぎやかに幕開け。『ひらがな盛衰記』の「松右衛門内」「逆櫓」は、むかし見た記憶がかすかにあって、面白かったという印象は残っていたのだが、筋は全く忘れていた。なので、次々に明らかになる展開に、驚いたり感心したりしながら楽しんだ。

 基本は、主君の若君を救うために犠牲となる、忠義の「取替え子」の物語。親も子供も意図せざる「取替え子」であるというのが新鮮、というか、『寺子屋』や『近江源氏先陣館』みたいなグロテスクな忠義孝子譚より、こっちのほうが自然で共感しやすい。取り違いで亡き者にされた孫が戻らないのなら、若君の首を切って返すと怒り狂う船頭・権四郎の気持ちは、現代人にもよく分かると思う。その権四郎が、入り婿の松右衛門(実は樋口次郎兼光)の正体を知って、「侍を子に持てば俺も侍」と気強く言い切るところ、この思い切ったようで思い切れない、内心には肉親の情を残しながら、行動は立派に武士の道徳を体現してみせるところがいいのである。「アノ侍の親になって、未練なと人が笑ひはせまいかノ」は泣ける。脚本も上手いし、こういう機微を理解できる観客がたくさんいたことにも感心する。

 「松右衛門内の段」は豊竹咲大夫さん。何か、ものすごく目立つというタイプではないけれど、安定感があって好き。実は舞台上よりも床の咲大夫さんの熱演に、耳も目も釘付けになっていた。「逆櫓の段」の豊竹英大夫さんは、はじめ声量が足りないように感じたが、逆櫓を習う船頭たちは、端役の小悪党なので、あまり重々しい発声はしないのね。最後は荘重に〆めていた。

 以上『ひらがな盛衰記』だけで、もうお腹いっぱい。早く家に(宿に)帰って、今日の感想をゆっくり反芻したいと思ったが、続いて『本朝廿四孝』。福袋じゃあるまいし、欲張りすぎじゃないのか? 「十種香の段」では、吉田蓑助さんの八重垣姫が、相変わらず娘らしくて、愛らしい。ところが「奥庭狐火の段」では、同じ八重垣姫の人形が、桐竹勘十郎さんで登場(出遣い)。え?これって別人ってこと?と、ちょっと混乱した。しかしもう、そんなことはどうでもよい、と言いたくなる大迫力。霊狐と一体化し、舞台を縦横無尽に駆け回り、踊り狂う八重垣姫。付き従う四匹の白狐。唇をきっと結んだ勘十郎さん、男前だわ~。そして、床の呂勢大夫、三味線は鶴澤清治とツレの清志郎。三業のしのぎを削るような芸の張り合い。新春から、素晴らしい舞台を見せてもらって、感無量。

 あと、前回は忘れたが、大阪の公演プログラムには「技芸員にきく」というインタビュー記事(今回は鶴澤寛治さん)や「知識の泉」(演目について解説しながら、文楽独特の用語を学ぶ記事)があって、東京のプログラムより読み応えがあっていいなあ、と思ったことを追記しておく。
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2013新春上洛中

2013-01-12 23:20:52 | なごみ写真帖
年明け初三連休は関西に行こうと思って、早々に宿を取っておいた。
仕事が始まったら、ぐったりして面倒くさくなってしまったが、せっかくなので腰を上げて来ている。

しかも、京都に連泊を確保したあとで、行きたい先が名古屋と大阪だと気づいた。
今年もこんな調子の出たとこ勝負が続きそう...

今日は名古屋で徳川美術館に寄って、大阪で文楽を見た。

新春吉例のにらみ鯛。凧の左右にいます。


開演前に腹ごしらえ。


大阪で文楽を見るのも二回目なので、劇場の外に落ち着ける喫茶店がないとか、開演前にお弁当を買っておかないと、幕間には売り切れている危険性があることも把握済み。

明日は京都国立博物館と京都文化博物館が必須。
明後日は名古屋で、さて何ヵ所行けるだろうか。

以上、写真も含めてスマホから投稿してみました。
まだ全然操作に慣れない~。
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遠く異朝をとぶらへば/双調 平家物語1~4(橋本治)

2013-01-10 00:31:35 | 読んだもの(書籍)
○橋本治『双調 平家物語』1~4(中公文庫) 中央公論新社 2009.4-7

 年末から長い小説を読んでいる。さすがに全16巻は長いので、少し区切って感想を書こうと思う。

 昨年、大河ドラマ『平清盛』にハマって、平家平家と騒いでいたら、橋本治の『双調 平家物語』読む?と言ってくれた友人がいた。年末に文庫本で全16巻を2回に分けて借りてきた。「ただし清盛は7巻まで出てこないからね」と言われて、へ?と思ったが、読み始めて、そういうことか、と納得した。

 古典『平家物語』の冒頭は「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」で始まるが、そのあと「遠く異朝をとぶらへば」に続けて、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱异、唐の(安)禄山の名前を挙げ、「近く本朝をうかがふに」で、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼を挙げている。本書もこれにならってか、本題(平家の物語)に入る前に、これに先立つ和漢の権臣・叛徒の物語が続くのだ。

 「序の巻」(1)は、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱异(朱異、周伊)を短く紹介したあと、安禄山の物語から、本格的に小説世界に入っていく。舞台は変わって、「飛鳥の巻」(1、2)。藤原鎌足から始まると見せて、さらに時代を遡り、蘇我馬子-蝦夷父子が、継体王朝の昔を物語るところから本朝の歴史が始まる。あ、やっぱり我が国の「叛徒」の始まりといえば、蘇我入鹿なのかーと思ったが、ここからは「叛徒」だけを取り上げる列伝スタイルでなく、ずるずると編年体というか系譜に従って、古代史語りが続く。上宮王家の滅亡があり、大化の改新があり、「近江の巻」(3)に移って、壬申の乱、「奈良の巻」(4)では、長屋王の変、藤原広嗣の乱が起こる。

 面白い。かなり大量の人物が登場するが、なつかしくて、全く苦にならない。戦国と幕末オンチの私にとって、古代史は得意分野なのだ。むかし読んだマンガ『日出処の天子』や井上靖の小説『額田女王』の記憶が鮮やかによみがえる。馬子、蝦夷、入鹿、天智、天武、持統あたりの人物造形は、だいたいこれまでのイメージどおりだったが、大津皇子や有馬皇子は、もう少し、よく描いてほしかった。

 奈良朝の人々は、かなり私のイメージと異なっており、聖武天皇って、こんなダメなやつだったのか…と呆れながら読んだ。橘諸兄と吉備真備も、あまり好意的に描かれていなくて残念。好きなので。万葉歌人では大伴家持がわずかに言及されるだけというのもさびしい。山上憶良なんか、首皇子(聖武天皇)の東宮侍講の一人として出てきてもいいのに。このへん(奈良の巻)は、著者が少し物語の進行を急いでいるようにも感じられた。それから、些細なことだが「皇子=おうじ」「王=おう」という振り仮名は、どうしても受け付けなくて、全て「皇子=みこ」「王=おおきみ」に脳内変換して読み続けた。

 冒頭「序の巻」の玄宗皇帝・楊貴妃と安禄山の物語も、私には十分親しいものだった。いちばん恩恵を受けたテキスト、大室幹雄の『遊蕩都市』をなつかしく思い出す。それに比べると、本書の描く安禄山には、どことなく「和臭」を感じた。「蕃人」である安禄山は「漢人」に対して強いコンプレックスを持っていることになっているが、このせせこましいこだわり方が、いかにも「日本人作家が描く古代中国像」に思われる。閑話休題。

 本題「平家の物語」に突入するのは、まだかなり先のようだが、来たるべき「平家の物語」を念頭に古代の歴史を読んでいると、「遷都」や「太上天皇」や「太政大臣」の意味に、なるほど、とひらめくものがある。やっぱり、歴史を始まりから学んでいくというのは、意味のあることなんだな、という納得を体験中。
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2013博物館に初もうで+東洋館リニューアル(東京国立博物館)

2013-01-07 23:04:42 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館の恒例「初もうで」企画は月末までだが、それとは別に2週間限りの新春特別公開(2013年1月2日~1月14日)もあったので、さっそく行ってみた。

■特別1室・2室 特集陳列『博物館に初もうで-巳・蛇・ヘビ』(2013年1月2日~1月27日)

 冒頭の『パリッシー写し 蛇の皿』は、リアルなヘビが皿の上にわだかまったデザインで驚く。ドイツ製。キャプションによれば、明治9年、英国から寄贈されたものというものが、まさか21世紀の巳年の正月に展示されようとは思わなかったろうな…。この「初もうで」企画、始まった当初は、日本美術が中心だったように思うが、今年は地中海出土の蛇形容器(個人蔵)があったり、南アジアのナーガ像があったり、韓国・金庾信墓護石の巳神の拓本があったり、バラエティに富んでいた。東洋館リニューアルを意識したのかも。

■総合文化展(常設展)

 新春特別公開の目玉は、国宝室の『松林図屏風』と第7室(屏風と襖絵)の光琳筆『風神雷神図屏風』だろう。どちらも人が多かった。私は第3室(宮廷の美術)に出ていた神護寺蔵『山水屏風』が嬉しかった。平安時代の大和絵の風情を伝える数少ない遺品といわれているが、実はこれも鎌倉時代(13世紀)の作。平安時代の文物・風俗って、ほんとに伝わってないんだなー。

 「万葉集」の元暦校本(高松宮本、古河本)と各種断簡も面白かった。しかし、平安時代の代表的な古写本を「五大万葉集」と呼ぶのは書道・古美術の用語だな。文学史では聞いたことがない。

 佐竹本三十六歌仙絵巻断簡の『住吉大明神』もよかった。いま別室で特集陳列『松永耳庵の茶道具』(2012年11月27日~2013年2月24日)をやっているが、この断簡も耳庵旧蔵である。王朝の美女や貴公子を描いた他の断簡に比べると、全く見栄えのしない作品で、価格もいちばん安かったらしいが(※逸翁美術館に記録あり)駘蕩として捉まえどころのない感じが、正月に似つかわしい。あと耳庵翁の器の大きさにも合っているように思う。

■東洋館リニューアルオープン

 2009年6月から休館していた東洋館の耐震補強工事が終わって、リニューアルオープンした。入ってすぐ感じたのは「暗くなった」こと。いや、周囲を暗くして作品にスポット照明をあてるほうが見やすいんだけど、個人的に、こういう展示手法を知ったのが、90年代末の上海博物館だったので、以後、こういう展示室に出会うと「上海博物館みたい」と思うようになってしまった。

 その「上海博物館みたい」な展示室で中国の石像彫刻に囲まれていると、自分の居場所をふっと忘れてしまいそうだ。彫刻の細部や銘文が見やすくなったのはとてもありがたい。この日は東魏の『如来三尊立像』背面の結縁者に胡姓が多いことを興味深く眺めた。

 以前は中国彫刻と同居していた(ような気がする)ガンダーラ彫刻は、2階に上がった。西域美術のコーナーには、大谷探検隊の足跡を記した大きな解説パネルが設けられた。西アジア・エジプトの美術があって、中国の陶磁があって…と円環を描くように昇っていく「さざえ堂」スタイルは、基本的に以前のフロア構成と変わっていない。ただ、各フロアの展示ケースが整理されて見晴らしがよくなり、迷宮感覚は薄れたように思う。

 第8室「中国の書画」では『中国書画精華(前期)宋元の山水画と花鳥画』(2013年1月2日~1月27日)を開催中。 一番よく来ていた部屋なので、『雛雀図』も『竹鶏図』も『瀟湘臥遊図巻』もなつかしかった。『瀟湘臥遊図巻』は、乾隆帝愛蔵の四名巻と呼ばれるもの。→他の三作品は『女史箴図巻』(大英博物館)、『蜀川図巻』(フリア美術館)、『九歌図巻』(中国国家博物館)のことらしいので、ここに書きとめておく。

 最上階が朝鮮美術。中国の陶磁は暗い室内+スポット照明だが、朝鮮の陶磁は、比較的明るい室内に置いているのを面白いと思った。作品がいちばん美しく見える環境を追求すると、そうなるのだろうか。エレベータで地下1階に降りると、クメール彫刻、インドの細密画など、東南~南アジアの展示エリアが充実した。東洋館を「アジア・ギャラリー」と呼び始めたのは、改修工事に入る前だったろうか。これで、ようやく「アジア・ギャラリー」の名にふさわしいフロア構成が整ったのではないかと思う。

 館内に設けられたオアシス(教育普及スペース)が、どのくらい受け入れられるかは未知数。また、TOPPANのVR(バーチャル・リアリティ)シアターが有料のミュージアムシアターとしてオープンしたが、今後、500円払っても見たいコンテンツがあるかどうか、様子を見守りたい。
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美しいもの、恐ろしいもの/美術にぶるっ!(東京国立近代美術館)

2013-01-06 23:54:06 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立近代美術館 60周年記念特別展『美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100年』(2012年10月16日~2013年1月14日)

 昨年秋から始まっていた展覧会だが、日本画・人気投票1位の上村松園『母子』を使ったポスターを見ていて、こういう晴れやかな作品は、年明けの目出度い気分で見にいこう、と決めていた。

 本展は、1952年12月1日、京橋の地に開館した東京国立近代美術館が創立60周年を迎えたことを記念し、日本近代美術の100年を回顧する展覧会。さらに、10年ぶりにリニューアルされた所蔵品ギャラリーのお披露目も兼ねている。

 展示は、まず4階の展示室1が「ハイライト」と名づけられ、同館の豊富なコレクションの中でも絶対に見逃せない7点の名品が展示されている。という説明を読んだあとで、原田直次郎の『騎龍観音』が出ているのに、微笑んでしまった。なぜお前が…いや、好きなんだけど。

 展示室2以降は、だいたい時代順に進む。日本画・洋画に加えて、木村荘八の『濹東綺譚』挿絵や、谷中安規の版画、田中恭吉(このひとは知らなかった。版画家)の私信の絵葉書など、多ジャンルの作品が入り混じる。展示室7、8では戦争に関連した作品をたっぷり見せる。近代史を語るには正攻法だと思うけど、胃が痛くなった。これも美術史かあ。福沢一郎『牛』が印象的だった。

 展示室10は「日本画」に特化。囲い込みをしないで、ほかのジャンルの同時代作品と一緒に並べたほうがいいんじゃないかなあ、と思ったが、日本画が美しく見える環境と洋画が美しく環境は、たとえば照明など、全然違うのだそうだ。なるほどなあ、と納得。安田靫彦の『黄瀬川陣』は頼朝・義経の対面を描いたもの。前日に鎌倉の頼朝墓に詣でたばかりで、今年は正月から頼朝に縁が深い。川端龍子『草炎』(紺地に金色の草花→経巻の扉絵みたい)とか、下村観山『木の間の秋』(琳派の秋草図みたい)とか、加山又造『春秋波濤』(日月山水屏風!)とか、近代以前の作品をいろいろ脳裡に浮かべながら楽しむ。

 展示室11~戦後(現代)美術はあまり得意な分野じゃないなあ、と思っていたのだが、田中功起のビデオ作品、二人の男性が近美の建物の中(それも作品が展示されている中)を、ダンボール箱を持って走り回り、積み上げては崩し、また別の場所で積み上げる、というのが面白かった。

 さて、以上は「第1部 MOMATコレクションスペシャル」である。いったん出口に戻ったあと、「第2部 実験場1950s」に続く。1950年代って、今の日本の価値観を以っては簡単に評価できない、正と負の可能性に満ちた混沌の時代だったように思う。正月の目出度く晴れやかな気分が、どこかに吹っ飛んでしまった…。

 いちばん衝撃的だったのは、砂川事件(1956年)のドキュメントフィルムが放映されていたこと。全編(56分)というわけにはいかなかったけど、けっこう長時間、モニタの前で見入ってしまった。本で読んだり、写真で見たりしたことはあっても、当時の人々が動いている映像を見たのは初めてだと思う。誰がどうやって撮影していたのだか、カメラが、事件の(学生と機動隊の衝突の)中心に入っていて、彼らの表情を間近に捉えていることにも驚いた。いま、日本のジャーナリズムのカメラは、こんなふうに現場に入って、撮るべきものを撮っているのだろうか。

 まさか「美術にぶるっ!」のタイトルの下で、こんなものに出会おうとは想定外だったけど、だまされた(?)ことに感謝している。
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2013悪夢ちゃん初詣

2013-01-05 21:29:00 | 行ったもの(美術館・見仏)
2012年暮れに見ていたドラマ『悪夢ちゃん』があんまり面白かったので、ロケ地である世田谷観音に行ってきた。まだ松の内だし、初詣のつもりだったが、境内はひっそりして、正月の雰囲気は全くなかった。ご朱印帖も持っていったのに、ちょっと残念。

ドラマのラストシーンに、これ以上ないくらい効果的に登場する夢違観音。



私も、この一年、悪い夢が好い夢になるよう祈ってきた。



六角堂には仏師・康円作の不動明王ならびに八大童子像(国重文)が安置されている。毎月28日午後2時より御開扉。山門の仁王像も平安後期(12世紀後半)の作とか。

戦後の建立である同寺に古い文化財が伝わっているのは「奈良の廃寺から譲り受けたとかなんとか」(せたがや百景No.3/2008)だそうだ。

ちなみに今日からスマートフォンに乗り換え。写真はスマホで初撮影。
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2013初詣は鎌倉

2013-01-04 22:50:29 | 行ったもの(美術館・見仏)
3日に鎌倉まで初詣に行ってきた。三が日に鎌倉に行くのは初めてかもしれない。駅に下りると、噂どおりの大混雑。人波の九割五分は当然のことながら鶴岡八幡宮へ向かう。

そこを敢えて逆方向に、私が目指したのは元八幡宮(由比若宮)。



源頼義が前九年の役で奥州を平定した帰途に鎌倉に立ち寄り、康平6年(1063)石清水八幡宮を勧請したもの。源氏と鎌倉のゆかりのルーツ。そして、治承4年(1180)頼朝が鎌倉に入った最初の場所でもある。

小さな社務所が開いていたので、ご朱印(書いたもの)をいただく。実は、2012年の最後のご朱印が平家ゆかりの六波羅蜜寺だったので、初詣は源氏ゆかりの寺社にしたいと思っていたのだ。

鳥居のすぐ右手が芥川龍之介の旧居跡でもある。ということは、お友達の百間先生もこのへんにいらしたことがあるのだろうか…と往時をしのぶ。

辻の薬師堂の前を通り、安養院を横目に見ながら北上(この道、久しぶりだなあ)。段葛と鶴岡八幡宮の混雑を迂回しつつ、西御門の白旗神社に詣でる。もと源頼朝の館の持仏堂であったところ。祭神は頼朝そのひと。



石段を昇り、頼朝公のお墓にも久々にお参りする。



そばで解説をしていたおじさんに「前方の扉はふだんも開いてるんですか?」と聞いてみたら「開いてますよ。それで去年は事件があって」というお話。

言われるまで、全然忘れていたけど、2012年2月11日の白昼、包丁を持った男によって墓塔が破壊される事件があったのだ。容疑者は即日逮捕されたが、調べた限り、処分など続報はないようだ。「修復のあとがあるでしょ」と言われて、よく見ると、確かに最上部の石柱に斜めに接いだ痕が見えるのが痛々しい。災難だったなあ、頼朝公。

白旗神社でもご朱印(書いたもの)をいただくことができた。正月三が日に限っての授与だそうで、初詣の慶びである。
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