見もの・読みもの日記

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茶碗の中の星空/曜変・油滴天目 茶道具名品展(静嘉堂文庫)

2013-01-31 23:41:13 | 行ったもの(美術館・見仏)
静嘉堂文庫美術館 受け継がれる東洋の至宝 PartIII『曜変・油滴天目 茶道具名品展』(2013年1月22日~3月24日)

 「(静嘉堂文庫)美術館に行きますか?」と言って乗ってくる人で、バスが超満員だったので、びっくりした。『曜変天目』と『油滴天目』って、そんなに人気があったのか?

 私は、長いこと陶磁器の美が分からなくて、少し関心を持ち始めてからも「曜変」「油滴」は、なかなか好きになれなかった。このブログの過去記事を調べてみたら、静嘉堂の『曜変天目』に触れているのは、2010年、三菱一号館美術館で「見た」ことだけである。最近、ようやく「油滴天目」や「禾目天目」など華やかな茶碗に目が向くようになったので、今回は楽しみに出かけた。

 会場は、いつもより混んでいたが、『曜変天目』と『油滴天目』のケースに張り付きっぱなしというほど熱心な人はいなくて、ゆっくり見ることができた。『曜変』は、いわゆる天目茶碗の大きさで、文様の華やかさに比べて、慎ましく小ぶりである。しかも側面は黒一色なので、上から覗き込んではじめて、星空を封じ込めたような美しさにハッとする。

 それに比べると『油滴』は異様にデカい。口径19.7センチって…ヤツデの葉を広げたような感じだ。お相撲さんの賜杯とまでは言わないが、こんなのでお茶を飲むのか!?『油滴』は側面(裏側)にも文様があるので、展示ケースは、下からも照明が当たるように工夫されていた。それぞれに付随して伝わった天目台は別のケースに飾られていて、『曜変』の黒漆天目台『尼崎台』はシックだったけど、『油滴』の堆朱牡丹文天目台は全く名前どおりで派手。派手×派手の美学は、いつ、誰の創意なんだろう。どちらの茶碗も釉薬はたっぷりした厚塗りで、それが「胴裾で留まるよう、裾まわりの削りの角度に工夫がなされている」と、貰ったパンフレットにあった。こういう薀蓄は面白い。

 完成形の「曜変天目」は世界に三碗しかなく、全て日本に伝わっているというのは、最近仕入れた知識だったが、2009年に「曜変」の陶片(かなり完成形に近い。惜しい!)が杭州で発見されたことが、2012年に公表された、というニュースを壁のパネルで知った。へえ~中国、何でも出てくるなあ。

 会場は、ところどころ床の間ふうに軸物+磁器を取り合わせたものがあって、中峰明本の墨蹟+飛青磁とか、虚堂智愚の墨蹟+青磁(貫入・色むらが目立つ)など、魅力的だった。花入や茶入を載せている堆朱や塗物の皿(盆?)がさりげなくいい。展示品に数えられていないところが奥ゆかしい。

 あとは野々村仁清の『数茶入』十八口揃が面白かった。すべて形の異なる茶入で「手瓶」「湯桶」「尊」なんていうのもある。仁清が大徳寺に寄進した『数茶碗』は、もとは百客あったらしい。一つ一つ、微妙に風合いが異なる。地味な普段使いの茶碗だが、こういう仁清なら欲しいと思う。

 最後に会場の冒頭に戻り、岩崎弥之助ゆかりの茶入の名品『付藻茄子』『松本茄子』を見る。どちらも大坂夏の陣で焼失したかに思われたが、家康の命により焼け跡から探し出され、塗師(ぬし)藤重藤元と藤厳父子の漆繕いによって破片から現在の姿に修復されたという。確かに、X線写真を見ると破損の痕が歴然としているが、肉眼では全く分からない。日本人って、こういう修復は好まないと思ってきたけど、自然劣化ではなく、戦乱による破壊という緊急事態に対しては、徹底した復元も行われてきたんだな。それにしても、すごい技術である。修復を命じた家康が、できばえを絶賛して、両茶入を藤重父子に下賜したというのも、ちょっといい話。
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