○橋本治『双調 平家物語』5~7(中公文庫) 中央公論新社 2009.8-10
『双調 平家物語』1~4の続き。年明けの仕事が始まってペースダウンしてしまったが、「女帝の巻」(5)「院の巻」(5、6)「保元の巻」(7)まで読み進んだので、途中報告。
「女帝の巻」は、まだ奈良時代。天平宝字2年(758)孝謙天皇は、病床の光明皇太后に仕えるためとして退位し、淳仁天皇が即位する。この時期に起きたのが藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)。私は、ちょうどこの巻を関西旅行中に読んでいて、仲麻呂が命を落とした近江の三尾埼(みおのさき)ってどこなんだろう?と気になった。調べたら、琵琶湖西岸の近江高島のあたりで、乙女ヶ池という場所が、仲麻呂一党の斬首された「勝野の鬼江」に比定されているらしい。でも、このひとは御霊として祀られたり、尊ばれることはなかったのか…。徹底して損な役回りを引いてしまった感がある。
それから孝謙上皇の重祚(称徳天皇)、道鏡の専横、宇佐八幡宮神託事件など、相次ぐゴタゴタも、重要人物の退場(死)によって、ようやく終息を告げる。古代王朝の末期って、どの国もこんなものだろうか。
院政期までずっとこの調子でいくのか、と思っていたら、平安盛期(平安遷都~道長の時代)は超スピードで飛ばして、「院の巻」の冒頭には、延久4年(1073)即位したばかりの白河天皇が登場した。弱冠20歳の白河天皇って、妙に新鮮。そして白河天皇の視点から、父の後三条院の特異な立場が語られる。後三条帝は170年ぶり(12代ぶり)の藤原氏を外戚としない天皇であった。その背景には、摂関家の長である頼通の怠慢があり、頼通と教通の確執があり、関白頼通と後三条天皇の不和があった。そのため不遇な東宮時代を過ごした白河天皇は、即位→太上天皇に至り、強大な権力を手中にしていく。まるで古代の天皇がよみがえったかのように。そのことを確認するため、長い古代史の前フリが必要だったのかな。
「院の巻」以降は面白いけど、人間関係が複雑怪奇で、むちゃくちゃ登場人物が多い。主要人物は、なんとか去年の大河ドラマの配役を思い浮かべることができる。これが5割くらい。さらに私は、かつてこの時代の和歌集を読んだ経験があるので、あと1割くらいは補完できる(主に女性たち)。しかし初めて名前を聞く、あるいは聞いたかもしれないけど忘れている下級貴族が多数あって、何度も扉ページの系図を眺め直した。
この時代の理解しにくさは、人々のよって立つ「ルール」が分かりにくいためでもある。強い兵を集めて、戦に勝てば天下が取れる、というような単純なルールではなく、人が到達できる地位は、生まれた家格によって決まっている。それを乗り越えるには、婚姻や養子縁組によって、作為的な家族関係を創り出さなければならない。娘の出世によって父親は栄達し、貴人の養子となることで卑賤の生まれがクリアされる、等々。そして、定まっているはずのルールも、未だかつてない寵愛によっては、未だかつてない変更が加えられることもある。さらに「寵」に基づくルール変更は、男女間だけでなく男性どうしの間にも生まれ得る。
特に男寵盛行のありさまは、噂には聞いていたけど、こんなに詳しく読んだのは初めてのこと。「保元の巻」では、悪左府・頼長さま大活躍である。本書の記述をまるごと信じるのは危険かもしれないが、男寵の影響力を一切無視した歴史記述にも問題があると思った。
第7巻の巻末では、近衛帝崩御の年となる久寿二年(1155)の訪れが予告される。1156年の保元の乱もまもなくのこと。いよいよ世の中は、乱世に向けて坂を転がり出す。不穏な空気を醸し始めたのは、摂関家における藤原忠通・頼長兄弟の確執。一方、鳥羽院の寵妃・美福門院得子は、待賢門院璋子腹の崇徳院を権力の座から遠ざけようと画策する。世の趨勢を見きわめた忠通は得子と結託し、退けられた頼長は、崇徳院に接近する。
ちなみに、ここまで源氏も平家も、武士はほとんど登場しない。源義家が、あまりの人気ゆえに白河院に厭われ、不遇に追いやられたこと、鳥羽院も源氏を嫌って伊勢平氏を重んじたことが、軽く触れられているくらいだ。しかし、無理やり武士を主人公にするよりも、朝廷人たちの近親間の「好き」「嫌い」が発端というほうが、話は分かりやすい。理想も信念もなくて、しょぼい話だけど。
『双調 平家物語』1~4の続き。年明けの仕事が始まってペースダウンしてしまったが、「女帝の巻」(5)「院の巻」(5、6)「保元の巻」(7)まで読み進んだので、途中報告。
「女帝の巻」は、まだ奈良時代。天平宝字2年(758)孝謙天皇は、病床の光明皇太后に仕えるためとして退位し、淳仁天皇が即位する。この時期に起きたのが藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)。私は、ちょうどこの巻を関西旅行中に読んでいて、仲麻呂が命を落とした近江の三尾埼(みおのさき)ってどこなんだろう?と気になった。調べたら、琵琶湖西岸の近江高島のあたりで、乙女ヶ池という場所が、仲麻呂一党の斬首された「勝野の鬼江」に比定されているらしい。でも、このひとは御霊として祀られたり、尊ばれることはなかったのか…。徹底して損な役回りを引いてしまった感がある。
それから孝謙上皇の重祚(称徳天皇)、道鏡の専横、宇佐八幡宮神託事件など、相次ぐゴタゴタも、重要人物の退場(死)によって、ようやく終息を告げる。古代王朝の末期って、どの国もこんなものだろうか。
院政期までずっとこの調子でいくのか、と思っていたら、平安盛期(平安遷都~道長の時代)は超スピードで飛ばして、「院の巻」の冒頭には、延久4年(1073)即位したばかりの白河天皇が登場した。弱冠20歳の白河天皇って、妙に新鮮。そして白河天皇の視点から、父の後三条院の特異な立場が語られる。後三条帝は170年ぶり(12代ぶり)の藤原氏を外戚としない天皇であった。その背景には、摂関家の長である頼通の怠慢があり、頼通と教通の確執があり、関白頼通と後三条天皇の不和があった。そのため不遇な東宮時代を過ごした白河天皇は、即位→太上天皇に至り、強大な権力を手中にしていく。まるで古代の天皇がよみがえったかのように。そのことを確認するため、長い古代史の前フリが必要だったのかな。
「院の巻」以降は面白いけど、人間関係が複雑怪奇で、むちゃくちゃ登場人物が多い。主要人物は、なんとか去年の大河ドラマの配役を思い浮かべることができる。これが5割くらい。さらに私は、かつてこの時代の和歌集を読んだ経験があるので、あと1割くらいは補完できる(主に女性たち)。しかし初めて名前を聞く、あるいは聞いたかもしれないけど忘れている下級貴族が多数あって、何度も扉ページの系図を眺め直した。
この時代の理解しにくさは、人々のよって立つ「ルール」が分かりにくいためでもある。強い兵を集めて、戦に勝てば天下が取れる、というような単純なルールではなく、人が到達できる地位は、生まれた家格によって決まっている。それを乗り越えるには、婚姻や養子縁組によって、作為的な家族関係を創り出さなければならない。娘の出世によって父親は栄達し、貴人の養子となることで卑賤の生まれがクリアされる、等々。そして、定まっているはずのルールも、未だかつてない寵愛によっては、未だかつてない変更が加えられることもある。さらに「寵」に基づくルール変更は、男女間だけでなく男性どうしの間にも生まれ得る。
特に男寵盛行のありさまは、噂には聞いていたけど、こんなに詳しく読んだのは初めてのこと。「保元の巻」では、悪左府・頼長さま大活躍である。本書の記述をまるごと信じるのは危険かもしれないが、男寵の影響力を一切無視した歴史記述にも問題があると思った。
第7巻の巻末では、近衛帝崩御の年となる久寿二年(1155)の訪れが予告される。1156年の保元の乱もまもなくのこと。いよいよ世の中は、乱世に向けて坂を転がり出す。不穏な空気を醸し始めたのは、摂関家における藤原忠通・頼長兄弟の確執。一方、鳥羽院の寵妃・美福門院得子は、待賢門院璋子腹の崇徳院を権力の座から遠ざけようと画策する。世の趨勢を見きわめた忠通は得子と結託し、退けられた頼長は、崇徳院に接近する。
ちなみに、ここまで源氏も平家も、武士はほとんど登場しない。源義家が、あまりの人気ゆえに白河院に厭われ、不遇に追いやられたこと、鳥羽院も源氏を嫌って伊勢平氏を重んじたことが、軽く触れられているくらいだ。しかし、無理やり武士を主人公にするよりも、朝廷人たちの近親間の「好き」「嫌い」が発端というほうが、話は分かりやすい。理想も信念もなくて、しょぼい話だけど。