見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

張家界・鳳凰古城2016【2日日】張家界→武陵源

2016-08-18 19:38:56 | ■中国・台湾旅行
朝、張家界市中心部のホテルを出発して、車で1時間ほどの武陵源(ぶりょうげん)に向かう。武陵源は、張家界森林公園、索渓谷自然保護区、天子山自然保護区などの地域からなる広大な自然保護区の総称である。空港で「阿凡達」の世界へようこそ、という広告を見て、何だろう?と思ったら、奇岩の峯々が聳え立つ武陵源の絶景は映画「アバター」のパンドラ星のモデルになっているのだそうだ。へええ、知らなかった。

今日の観光は天子山自然保護区から。観光ステーションでツアーバスを下り、小型のシャトルバスに乗り換える。さらにロープウェイに乗ると、絶対に日本では見られない光景が開けて行く。絶壁の間を軽やかに上っていくロープウェイは、SFというより、武侠ドラマの達人の神功の如し。



ロープウェイの終着駅から再びシャトルバスで移動し、最初の観光ポイントである賀龍公園へ。張家界の出身で建国の英雄である賀龍将軍(←このひとは好き)にちなんだ公園である。筆を立てたような「御筆峰」(↓)と二人の仙女が花籠を抱えたような「仙女散花」の峰が見どころ。



公園内に楼閣風の展望台があり、入ってみると、途中の階で、パフォーマンスとしてひたすら蝦(エビ)の墨画を描いているおじさんがいた。「張家界書画院副院長 劉毅」の看板が掲げてあった。中国の芸術家は(今も昔も?)大変だなあ。最近、どこかの展覧会で「海老を描かせたら右に出る者のいない画家」の作品を見たなと思いながら、その場で思い出せなかったが、調べてみて斉白石だと分かった。劉毅先生の海老も薄い墨色がきれいで、なかなかよかった。



賀龍公園内には麦当労(マクドナルド)もあり。日本にはない、どんぶり飯みたいなメニューが美味しそう。



午後は「天下第一橋」と呼ばれるアーチ型の岩山、眺望のすばらしい「迷魂台」などを散策。結局、一万歩くらい歩いた。あまり高低差のないルートで楽だったが、とにかく暑いので、汗びっしょりになった。

最後は、絶壁に張り付いたガラス張りのエレベーターで下山。335メートルの高さをわずか1分で移動する。「百龍天梯」「天下第一梯」とはよく言ったものだ。景観保護の観点から批判もあるだろうけど、これはこれでよいと思う。何百年かしたら、きっと万里の長城みたいに、とてつもない発想の遺跡として残るだろう。それから、中国の山水画は、よく見ると必ず人の通り道が描かれている、という話を聞いたことを思い出した。



ちなみに、私たちのツアーが張家界を離れた8月20日には、張家界市に世界一のガラス橋(地上300メートル、全長約430メートル)がオープンして話題になっていたが、この橋は武陵源でなく、市中心部に近い天門山国家森林公園(※後述)にできたものである。夜は武陵源区のホテルに宿泊。

(8/22記)
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張家界・鳳凰古城2016【初日】成田→上海→張家界

2016-08-17 23:28:37 | ■中国・台湾旅行
2012年の江西・福建旅行から4年ぶりの中国旅行である。仕事の関係で長い夏休みが取りにくかったり、中国の大気汚染が深刻化したり、いろいろあって中断していた。今年も、いつも同行してくれる友人と休暇が合わず、オーダーメイドは早々にあきらめてしまったのだが、初めてパッケージツアーにひとりで参加を申し込んでみた。行き先は張家界・鳳凰古城(湖南省)である。

初日、つくばセンターから成田空港へは高速バスで約1時間。東京西部に住んでいたときに比べると非常に近い。しかし、私の乗る飛行機は、前夜、台風の影響で成田に降りられず、名古屋に着陸したとかで、2時間半遅れの出発となる。成田-上海の搭乗券と一緒に、上海浦東空港で乗り継ぎの目印(シール)を渡されたが、あまり機能していなかった。



乗り継ぎには十分な余裕があったので困らなかったが、そもそも何の計画も立てていなかった上に、中途半端な時間になってしまったので、時間のつぶしかたに迷う。ふとリニアモーターカーの空港駅を見つけたので、往復を乗ってみた。最高時速300キロで終点まで約8分。日本にも(成田~東京間の一部でもいいから)欲しい! 終点の「龍陽路」から地下鉄に乗り換えると、市内中心部に行けるらしい。



夜遅く、張家界空港に到着し、現地ガイドの王さん(丸顔の若い男性)に迎えられる。同時にツアーの参加者も初めて顔合わせ。関西組&成田組の合計で31名と聞く。思っていたよりずっと大人数で、若い世代(30代以下?)もちらほら混じる。張家界市内のホテルにチェックイン。

(8/21記)
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お盆休みイタリアン

2016-08-16 23:55:32 | 食べたもの(銘菓・名産)
お盆休みに昔の職場の友人と会食。本郷通りにある「ラ・ストラーダ・ディ・カンパーニャ」というイタリア料理のお店。

老舗の多い本郷通りでは、比較的新しいお店。昔、何のお店だった?と聞いたら、古本屋だったとか。よく覚えていない。

北海道産の食材を多く使っていて、美味でした。友人は、ランチにも使っているとのこと。都会生活がうらやましい。









さて、明日から中国旅行なのだが、台風の影響で窓の外の天気はかなり荒れている。果たして、飛行機が飛ぶか否か?が第一関門。まあ寝よう。
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2016年8月:お盆休み@東京とその近郊

2016-08-15 23:37:27 | 行ったもの(美術館・見仏)
今週は丸1週間のお盆休み。土曜日から今日までの3日間、美術館・博物館を回遊してきたので、まとめてレポート。

根津美術館 コレクション展『はじめての古美術鑑賞 絵画の技法と表現』(2016年7月23日~9月4日)

 「たらしこみ」「溌墨(はつぼく)」「そとぐま(外暈)」「金雲(きんうん)」など、日本美術・東洋美術で使われる技法と用語について、実例を見ながら学ぶ。あまり見たことのない珍しい作品もあり、思わぬ名品が出ていたりもした。「金雲」の例に出ていた『洛中洛外図屏風』に吉田神社の大元宮を発見する。展示室2は「截金(きりかね)」「繧繝(うんげん)彩色」など仏画が多く出ていた。「裏箔(うらはく)」は言われないと気づきにくいなあ。

太田記念美術館 企画展『怖い浮世絵』(2016年8月2日~8月28日)

 あまりよく知らなかった歌川芳員(よしかず)、歌川芳艶(よしつや)の作品が印象に残った。どちらも国芳門人。特に芳艶は、ちょっと画像検索してみたら、魅力的な作品が多数ヒットして、目も心も持っていかれた。Wikiには「月岡芳年や落合芳幾など並み居る国芳門弟たちの中に隠れ、名前は殆ど知られていないが、国芳の武者絵の才能を最もよく受け継いだ絵師である」とある。これから強く推していこう! いわゆる「血みどろ絵」も多数あって、見ているお客さんがだんだん口数が少なくなっていく気がした。

出光美術館 開館50周年記念『東洋・日本陶磁の至宝-豊麗なる美の競演』(2016年7月30日~9月25日)

 出光美術館が誇る陶磁器コレクションの中から、中国・朝鮮・日本陶磁の選りすぐりの作品を展観。私は東洋陶磁器に関心を持ち始めた発端が出光の展覧会だったので、この企画はとても懐かしかった。2002年から10年くらいやっていた「やきものに親しむ」シリーズの展覧会はほぼ全て見ている。大好きな磁州窯の『白地黒掻落鵲文枕』を久しぶりに見ることができて、ほんとに嬉しかった! 古九谷に柿右衛門に鍋島に、元代の『青花魚藻文皿』にも満足。ただ、絵唐津でいちばん好きな『柿文三耳壺(水指)』が出ていなかったのは残念。久しぶりに陶片室もひとまわりしてきた。

神奈川県立金沢文庫 企画展『国宝でよみとく神仏のすがた 新国宝指定 称名寺聖教・金沢文庫文書から』(2016年8月5日~10月2日)

 開催概要に「新国宝である『称名寺聖教・金沢文庫文書』を通じて、普段あまり見る機会の少ない個人蔵の神像や仏像、仏画などの仏教美術作品をご紹介いたします」とある。重要なのは後段。学術的には知られているのかもしれないけど、私のような素人は全く見たことのない「個人蔵」の神像や仏像、および仏画が多数出ている。ポスターにもなっている弥勒菩薩立像(鎌倉時代)も個人蔵。衣の襞の彫りが深くて、装飾的でシャープ。光背が笠のように後頭部にくっついているのが面白い。確か大和文華館でも見たことのある『金胎仏画帖』(平安時代)もあった。

鎌倉国宝館 特別展『仏像入門~ミホトケをヒモトケ!~』(2016年7月23日~9月4日)

 「ミホトケをヒモトケ!」は「毎年好評をいただいている特別展」だそうだが、あまり展示に変化もないだろうと思って、一度も行っていなかった。初めて行ってみたら、なかなか充実していてよかった。涅槃図など、絵画資料も出ている。新顔?と思ったのは、平常展示ゾーンで十二神将の中になぜか混じっていた十一面観音菩薩立像(南北朝時代)。頭上面が妙に大きくて、横に飛び出している。解説によると、山崎宝積寺の本尊であったが室町時代に廃寺となり、円覚寺派の昌清院(鎌倉市山崎)に伝えられたそうだ。金沢文庫と鎌倉国宝館をハシゴすると、仏像好きにはかなり満足の1日になる。

国立歴史民俗博物館・企画展示室 『よみがえれ!シーボルトの日本博物館』(2016年7月12日~9月4日)

 シーボルト(1796-1866)が亡くなる直前にミュンヘンで開いた「日本博物館」の再現を試みる。ミュンヘン五大陸博物館から約300件の資料が里帰り。江戸博では類似の展覧会があったな、と思ったのは、お雇い外国人エドワード・モースの展覧会だった。シーボルトの日本コレクションが一部とは言え、里帰りするのは初めてのようだ。里帰り品は、私の江戸イメージを裏切るところもあって面白かった。「日本の宗教」と題された展示(木版画が残っている)の再現コーナーは、蛇神弁才天像(宇賀神だな)はともかく、亀形筮筒台(こんなの見たことない)、蓮華を模した鍍金の高杯一対、銅製の麒麟の香炉一対など、わけの分からない取り合わせになっている。蝦夷図など北方関係の資料が意外と多いのも印象的だった。

■国立歴史民俗博物館・第3展示室(近世)副室 『「もの」からみる近世「戦国の兜と旗」』(2016年8月9日~9月19日)

 戦国時代を象徴する資料として名高い『落合左平次道次背旗』(東京大学史料編纂所所蔵)が修理後初のお披露目。たぶん現物は初めて見た。裏表に同じ絵(正面の図)が描かれているとは知らなかった。表面のほうが少し体毛が濃い気がした。あわせて「変わり兜」多数。「眼鏡付兜」にはびっくりした。

江戸東京博物館 『伊藤晴雨 幽霊画展』(2016年8月11日~9月25日)『大妖怪展』(2016年7月5日~8月28日)

 「責め絵」で有名な伊藤晴雨が描いた幽霊画コレクション。落語家五代目柳家小さん(1915-2002)の手元に残された画幅で、谷中の全生庵に寄贈されている。かなり怖いものもあり、ユーモラスなものもある。あわせて『大妖怪展』の後期も見て来た。お目当ては、長徳寺の『六道絵』2面と『百鬼夜行絵巻』真珠庵本。高井鴻山という画家の『妖怪図』『妖怪山水図』が面白かった。幽霊画はかなり入れ替わっていて、金性寺の『提灯に幽霊』が激しく怖かった。

以上。今月の展覧会めぐりはほぼこれで打ち止め。
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破壊の爽快感/映画・シン・ゴジラ

2016-08-14 09:57:44 | 見たもの(Webサイト・TV)
○庵野秀明脚本・編集・総監督『シン・ゴジラ』(TOHOシネマズ流山おおたかの森)

 話題の『シン・ゴジラ』を見て来た。爽快感があって面白かった。それ以上に、これでさまざまなネタバレ批評を心置きなく読めると思ってホッとした。実はこの映画、私が初めて見た怪獣映画である。1970年代、テレビの特撮物は大好きだったのに、超人の出ない怪獣映画には興味がない子どもで、そのまま大人になってしまった。初代『ゴジラ』に関しては、さまざまな解釈や批評を読んできたが、実は原典を見ていないのである。

 『シン・ゴジラ』についても、セリフの量が異常に多くて会議の場面が多いとか、庶民の姿があまり描かれないとか、小池百合子似の防衛大臣と甘利明似の大臣が出るとか、ゴジラは野村萬斎のモーション・キャプチャーであるとか、その程度の情報は(求めなくても)入ってしまっていた。

 しかし、始まってすぐ画面に全身を表すゴジラ第二形態には意表を突かれた(第一形態は尻尾のみ映る)。瞳の小さい大きな目。笑っているように大きく開いた獰猛な口。吾妻ひでおのマンガっぽい。無様に這いずりながら多摩川を遡行する姿は、ゴジラとは全く別の怪獣だった。あとで立ちあがった第三形態、第四形態のゴジラの圧倒的な強さより、私は第二形態のほうが夢に見そうで怖かった。全然忘れていたけど、埼玉県鶴ヶ島市の脚折雨乞(8年前に見た)の龍蛇、一部で騒がれていたように、確かに第二形態に似ている。あと、水面に隠れたゴジラが、ボートや車や建造物の残骸を巻き込みながら川を遡行してくる姿は、どうしたって東日本大震災の津波の映像を思い出させた。

 この映画の見どころは、現在の日本にゴジラ(巨大不明生物)が現れたら、という想定で、閣僚・官僚・自衛隊の対応がリアルに描かれている点だと言われている。確かにセリフが容赦ない霞が関用語でできているので、字幕がほしいと思うときはあった。「自由」?と思って続きを聞くと「事由」だと分かるとか、気が抜けない。しかし官僚って、四六時中あんな調子でしゃべっているのか?と呆れたが、取材に基づくというから、そうなんだろうなあ。なお、私は、そんなことより、ゴジラの圧倒的な巨大さ、自衛隊の攻撃も米軍の攻撃も、ものともせずに撥ね返す強さが爽快だった。あまり(擬人化された、分かりやすい)怒りを露わにしないところに凄みがあってよかった。

 私は、ゴジラに血液凝固促進剤を飲ませる「ヤシオリ作戦」の意味が不覚にも分からなかった。あとでヤマタノオロチに飲ませて眠らせた「八塩折之酒」に由来すると知って、なるほど~と唸った。どちらかというと、福島第一原発事故のとき、消防車で水を注入したことを思い出していた。同時に、あれは結局、根本的な解決にならなかったなあ…という記憶があったので、ゴジラは、こんな人間の浅知恵を蹴散らして、もう一度起き上がるんじゃないかと思ったら、起き上がったところで、あっさり凍りついてしまったので、拍子抜けした。

 この映画、現政権のプロパガンダだとか、いや政権批判の立場だとか、いろいろ議論もあるそうだ。私はどっちでもいい。主要閣僚がゴジラの一撃で全員死亡してしまうのは、なかなかブラックだと思った。国会前(官邸前?)のデモらしきものが一瞬、遠景に映るが、これは意図がよく分からなかったところ。不眠不休の官僚たちの奮闘を際立たせるための対比なのかな? 一般庶民が自分たちの声を上げている唯一の場面とも言える。リアリティを追及しているようでいて、物事を決めるのは閣僚会議ばかりで、議会や議員が全く描写されないのは不思議。しかしこれが今の日本人の平均的認識なのかもしれない。

 あと天皇と皇室をどうするか、という描写もない。今の皇室一家を念頭に置きながら、あの混乱の中で避難はされたのだろうか、と案じてしまった。何しろ、ゴジラと自衛隊が最後の死闘をくりひろげるのが東京駅で、目の前が(映っていないけど)皇居だから気になったのだ(気になって調べたら、1954年のゴジラも皇居すれすれを通過していたことが分かった)。

 野村萬斎のゴジラであるが、とにかく姿勢がいい(笑)。全くきょろきょろせず、上半身を動かさずに摺り足で動いていく。下半身が袴を穿いたようにふくらんでいるし(自重を支えるためにそうなるのだろう)、背景に能舞台の松の絵(鏡板)が見えてくるような感じだった。あとは高橋一生さん演じる文部科学省の官僚(安田)がキュート。絶対、平時はダメ官僚なんだろうな、と想像できる。
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信念と勇気が未来をつくる/書店と民主主義(福嶋聡)

2016-08-11 21:58:33 | 読んだもの(書籍)
○福嶋聡『書店と民主主義:言論のアリーナのために』 人文書院 2016.6

 福嶋さんの著作では『劇場としての書店』(新評論、2002)と『希望の書店論』(人文書院、2007)を読んできた。本が売れないと言われ、インターネットやデジタルコンテンツが普及する中で「紙の本」はなくなるのか、という危機意識が主要テーマだったと思う。本書は、近年、書店と出版文化をめぐって注目を集めた「ヘイト本」問題が中心になっている。2014年から2016年前半にかけて、折にふれて著者がさまざまな媒体に発表してきた文章を収録したものだ。

 その冒頭に、2014年11月に刊行された『NO! ヘイト:出版の製造責任を考える』(ころから)の話が出てくる。書店員へのアンケートに現れた多様な意見、書棚がヘイト本で埋め尽くされることに抵抗を感じる書店員がいる一方で、「表現の自由を否定するのか」「編集者や出版社は、思想に奉仕するためにあるものではない」という反発の声もあることを紹介した上で、著者は、自らの志向に反する書物を、安易に「書物の森」から排除することはしたくない、と述べる。

 1995年のオウム事件の直後、全国の書店からオウム出版の本が一斉に消えた。しかし、著者は勤め先の書店で「オウム出版の本を外さなかった」という。周到に考えられた理由のひとつは、学界やジャーナリズムの人たちは、これからオウム事件の原因や状況について検証しなければならないのだから、彼らに原資料を提供する責任が書店にはある、というもの。これは納得である。

 たとえその主張に大いに疑問を感じる本でも、書店の棚から排除すべきではない。「右翼」の鈴木邦男さんは、はじめは保守主義や愛国的な傾向のあるものを読んでいたが、左翼陣営の考え方を知りたくなって、自由主義やマルクス主義の本を読むようになり「自分の思想信条を強化する本を読むよりも、自分に敵対する思想信条を読んだ方が、よほど勉強になった」と語っているそうだ。いいなあ、この発言。でも、つまらぬ左翼学者の本ではなくて、源流まで遡って、マルクス主義の古典と直接対決することが重要なんだと思う。これは、どんな思想でも同じ。

 鈴木邦男さんは著者とのトークイベントでも「こういう本を読んでいる人は、こんな本も読んでいますよ」という類似本のレコメンドでなく、「こんな本ばかりでなく、違う考え方のこういう本も読んだらどうですか?」というアドバイスがあった方がいい、という発言をされている。これができたら素晴らしいな~。ちなみに福嶋さんは、流行りの「コンシェルジュ」を書店員がつとめることには懐疑的で、むしろ本を買いに来るお客様こそが、書店員にとってのコンシェルジュ(いろいろ教えてくれる先導者)だという。実は図書館員と利用者も、最良の関係はそういうものかもしれないと思った。

 とはいえ書店員は、ヘイト本を右から左へ流していればいいというわけではない。ヘイト本であふれる書店の棚は、ふらっと立ち寄った利用者の心になにがしかの影響を与える。「自分がつくった書棚が読者に害悪を与えるリスクを引き受ける覚悟を、書店員は持たなければならない」って、書店員の矜持が感じられていい言葉だ。

 そして、実際に著者がジュンク堂書店難波店でおこなった「店長の本気の一押し! STOP!! ヘイトスピーチ、ヘイト本」フェア(2014年12月)の顛末も語られている。この取組みは破格の注目を集めると同時に「お前は朝鮮人、中国人の味方なのか?」等のクレームもあった。著者がどのように論理的に対応したかも掲載されていて参考になるが、相手は「どうにも聞く耳を持っていない」人たちであったようだ。

 2015年10月、MARUZEN&ジュンク堂渋谷店で起きた「自由と民主主義のための必読書」ブックフェア中止問題(※備忘録)についての文章も複数収録されている。事件直後の2015年11月「WEBRONZA」は読んだ記憶があるが、2016年2月「Journalism」掲載の文章は、より旗幟鮮明で、題名から「『中立の立場』なぞそもそもない」と言い切っている。そうそう。「ぼくたちが扱っている商品である書物は、さまざまな意見の〈乗り物〉であり、相互に異なる主張の塊なのだ。テーマに沿って書物を選んで展示するブックフェアは、書店の主張の場であり、すべての主張には異論がある」。そのとおりだ。

 私は、本が「さまざまな意見の〈乗り物〉」であるからこそ、それらが集まる書店や図書館が好きなのだ。しかし、いま、書店の棚は販売記録(POSデータ)によって制御されている。同じように大学図書館の蔵書も利用統計が評価の指標となり(特に電子的コンテンツ)、論文の価値は被引用数で決まることになっている。しかし、著者の言うとおり、過去のデータを基礎にする限り、未来をつくる「新しい本」を発見することはできない。本書の最後は、こう結ばれている。「必要なのは信念であり矜持であり、そして勇気なのである」。
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共生よりも棲み分け/イスラームとの講和(内藤正典、中田考)

2016-08-10 00:43:56 | 読んだもの(書籍)
○内藤正典、中田考『イスラームとの講和:文明の共存をめざして』(集英社新書) 集英社 2016.3

 内藤正典さんの『となりのイスラム』(ミシマ社、2016.7)より数ヶ月前に出た対談本である。内藤正典さんは「中東学者」、中田考さんは「イスラーム学者」と紹介されている。素人には違いがよく分からないけど、どちらもSNSなどで積極的に発言されていて、信頼できる専門家と感じていた。

 二人の課題認識は、ほぼ一致する。1980年代頃から中東では、イスラーム復興運動が盛んになるが、アメリカやロシアを後ろ盾とする中東諸国は、運動家を弾圧し、追放した。その運動家の中から、欧米に対する暴力的ジハードを目標とする者たちが出てきた。一方、ヨーロッパ各国は、次第に反イスラームに傾斜を強め、母国の貧困や宗教弾圧を逃れてきた人々にとって、ヨーロッパは安住の地でなくなっている。居場所を失ったムスリムに向かって、手招きするIS。西欧とイスラームの間の暴力の応酬を止め、「講和」を実現するにはどうすればいいのか?

 まずヨーロッパについて。今、西欧の世俗主義とイスラームの衝突が各国で起きている。フランスでは、信仰は個人のうちにあるもので公の領域に出してはならない。この原則が、国家主義的に守られて(強制されて)いる。日本で「自由、平等、博愛」として知られる最後の言葉は「同胞愛(フタテルニテ)」であって、異なる信仰や信条を持つ人々には働かない、というのは、すごく納得できた。ドイツは基本的に血統主義で「ここはドイツ人の国だ」と思っているから、移民に「同化せよ」とは言わないが、移民の二世、三世になっても「あなた、いつ国に帰るの?」と言われる。オランダには、多様性を受け入れる伝統があったが、イスラームは押しつけがましい宗教だから出て行け、という勢力が台頭している。彼らは「右翼」ではなく、リバタリアン(極端なリベラル)型の排外主義者である。う~ん。日本国内で台頭する排外主義を懸念しながら、ヨーロッパの多文化主義をうらやましく思ったこともあったけれど、ヨーロッパの現実も厳しいのだと思い知らされた。

 本書には「ヨーロッパ、近隣諸国のシリア難民統計」という図表がある(92頁)。これを見ると、シリア周辺のトルコ、レバノン、ヨルダン等が相当数の難民を受け入れた上で、それでもあふれた人々がヨーロッパに向かっていることが分かる。EUは2015年9月に難民の受け入れを各国に公平に割り当てることに合意し、10月にメルケル首相がトルコを訪問して、これ以上難民をヨーロッパに出さないことを要請するとともに、EUから30億ユーロを提供するなどの申し出をした。でも、どちらも実効性はあまり期待できないように思う。

 中田先生が「私たちムスリムに言わせれば、だいたい『国境』というもの自体が人道に反するのですけれど」と述べているのが印象的だった。私はムスリムではないけれど、この考え方には全面的に共感する。イスラームには、出会った人を差別なく歓待する「客」の文化がある。同時に、客として扱ってくれた相手への恩義は、決して裏切ってはならない。けれど、ヨーロッパの人たちは難民を「客」として扱わず、「難民らしさ」を強いる。難民は贅沢を言わず、支援を受けて、大人しくしていろというのだが、イスラームの人々には受け入れられない。難民問題に限らず、日本における「慈善」や「弱者支援」にも、ときどき同様の傲慢さがあるなあと思った。

 後半では中東地域で、なぜISが誕生したか、シリアで何が起きているのか、という解説がある。民族や宗派の対立に、アメリカ、ロシア、さらに中国の覇権主義的な介入が加わる複雑な歴史は、正直、十分理解できたとは言いがたい。そして、やっぱりトルコに期待する点で二人の意見は一致する。中田先生は「エルドアンは(略)イスラーム主義者としては大変な逸材」と評価し、「エルドアンはカリフ、あるいはスルタンになってイスラーム世界を自分がまとめるつもりでいたはずです」とも言う。カリフ?スルタン?と聞くと、いつの時代かと思ってびっくりするが、私の理解するところ、たぶんイスラーム世界は「政治と宗教の両面で率いる指導者」を必要しているのだ。そういう文化もあるのだ。

 中田先生いわく、ISに行きたい人は行かせ、ISが嫌で逃げてきた人は助けてあげればいい。戦いたくない人は逃がしてやり、戦いたい人は囲いの中で戦わせればいい。冷たいようだが、それでいいのかもしれない。全人類を近代ヨーロッパ由来の世俗主義の中に取り込もうとする「善意」は、結局、多くの人を不幸にしている。それよりは、価値観の違いを認め、共生不可能な現実を認め、顔を突き合わせてはいても、必要以上に干渉せずに「棲み分け」ていくというのが、今は最善の策なのかもしれない。

 最後に日本の問題にも言及されている。難民受け入れの貧困。ハラールビジネスの欺瞞。イスラーム専門家養成の必要(なのに大学では人文系が縮小されている)。安易に使われる「地政学」という用語がナチス由来であること。いろいろと示唆に富む。
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福井週末旅行:食べたもの

2016-08-09 21:31:29 | 食べたもの(銘菓・名産)
福井県の嶺南(敦賀・若狭地方)には何度も旅行しているが、嶺北(越前地方)は記憶にあるかぎり初めてだった。お昼は名物の越前そばとソースかつ丼を食べた。

お土産には、ネットでも評判の高かった「羽二重くるみ」(金花堂はや川)を迷わず購入。伝統銘菓「羽二重餅」に甘く煮詰めた和くるみを練り込み、シュー生地でサンドしたもので、和洋折衷な味わいが楽しめる。自分用と家族用に6個入りを2箱買ったら、小さなパックでおまけがついてきた。どうやら端の切り落とし部分らしい。



帰りの車中で、おやつにいただいたが、猛暑のため、羽二重餅がだんだん溶けて、全部くっついてしまった。(売り物は一切れずつ紙にくるまれている)

なお、福井銘菓には「えがわの水羊かん」というのもあるのだが、これは冬期(11月~3月)のみ発売とのこと。次の機会を待ちたい。

【おまけ】JR福井駅前の恐竜モニュメント。ときどき首を振り、咆哮する。


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墓参りも兼ねて/岩佐又兵衛展(福井県立美術館)

2016-08-09 20:55:41 | 行ったもの(美術館・見仏)
福井県立美術館 福井移住400年記念『岩佐又兵衛展:この夏、謎の天才絵師、福井に帰る』(2016年7月22日~8月28日)

 この夏、福井で岩佐又兵衛展が開かれると聞き、しかもそのラインナップが半端ないことを知って、どうしても福井に行こうと決めた。一度も行ったことがない町なので、どうやっていけばいいかを調べ、行きは東京から東海道新幹線で米原経由、帰りは金沢に出て北陸新幹線で戻ることにした。

 初日の午後は永平寺を観光し、夕方、福井駅に戻った。夏祭りらしく、派手な衣装の子どもや若者がたくさん歩いていた。福井城本丸跡をめぐって福井市立郷土歴史博物館を訪ね、夏季特別陳列『大坂の陣と福井藩』(2016年7月22日~8月31日)を参観する。この博物館、19時まで開いているのだ! ポスターには大河ドラマで人気の真田信繁(幸村)の肖像が使われていて、何の関係があるんだろ?と、はじめ分からなかったが、信繁は福井藩主松平忠直の家臣、西尾仁左衛門に討たれたのである。知らなかった。そして、岩佐又兵衛(1578-1650)との関係では、又兵衛を福井(北庄)に招いた松平忠直がどんな人物かを知ることができたこと、常設展示コーナーで、市内に又兵衛の墓所が残っていると分かったことが収穫だった。

 翌朝、早めに駅前のホテルを出て、えちぜん鉄道で西別院下車。人気のない休日の住宅街を南へ歩いていくと、広いバス通りに面して興宗寺(福井市松本三丁目)というお寺があった。どこから中に入るのだろうときょろきょろしていたら、なんとバス通りの歩道に面して、又兵衛の墓があった。


(※すぐ横がコミュニティバスすまいるのバス停「福井県合同庁舎」でもある)

 写真右端の石塔が墓石。左端と中央の石は顕彰碑である。ただし、ネットで調べたら、かつての墓は斜め向かいの宝永小学校の校庭にあったそうだ。小学校にも「岩佐又兵衛の墓跡」という石碑が立っているそうで、こっちも見てくればよかった。ここからぶらぶら歩いて美術館に行くつもりだったが、まだ早いので、えちぜん鉄道田原町駅付近で見つけたコンビニのカフェで水分補給して、少し時間をつぶす。

 美術館には開館の9時ぴったりに到着。制服姿の中学生が5、60人(?)入口に長い列を作っていた。「一般のお客様はこちらにどうぞ」と先に入れてくれたが、すぐあとから彼らが入って来た。しかし私語も少なく行儀がよかったので、鑑賞の邪魔にはならなかった。

 第1室は少し混んでいたので、第2室の絵巻から見始めることにする。まず『堀江物語絵巻』で、いきなり国司の妻の首が血溜まりの中に転がっている。周りをとりまく武装した男たちの目が輝き、口が開いて、歓喜の声が聞こえるようだ。引き続き、悪者の国司は、肩から腰まで真二つに斬殺されている。次に『小栗判官絵巻』第10巻は照手姫の難儀。次に『山中常盤物語絵巻』第4巻は、常盤御前と侍従の斬殺のシーン。衣を剥がれ、白い肌に刃を突き立てられ、鮮血が次第にどす黒く変わっていくのがリアル。最後に『上瑠璃(浄瑠璃)物語絵巻』第4巻は、上瑠璃姫の寝所に忍び入った牛若が姫を口説くところ。中学生が大勢うろうろしてたけど、こんな不道徳資料(殺人とラブ・アフェア)を見せて大丈夫なのか…いや、いいけど。岩佐派にはめずらしい画題の『岩松図屏風』(個人蔵)。出光美術館の『桜下弾弦図屏風』は久しぶりかな。立ち姿の遊女の着物の皺に、強い陰影がつけてあるのが面白い。三味線を弾いている遊女の着物の柄は貨幣(永楽通宝)散らしなんだ! 初めて気づいた。

 第1室に戻る。冒頭の小さな『岩佐又兵衛像』(老年の自画像)は、MOA美術館所蔵というから見たことがありそうだけど、記憶になかった。『岩佐家譜』もMOA美術館所蔵なのは、かなり意識的に関係資料を集めてきているのだろう。福井・法雲寺に残る『越前専修寺言上事』は又兵衛自筆文書で、繊細で几帳面な、読みやすい文字だった。

 次に「旧金谷屏風」と称される作品8点が並ぶ。もと福井の豪商・金谷家に伝来した六曲一双屏風だったが、明治末年以降に掛軸に改装され、10図の現存が確認されている。今回、見ることができたのは『虎図』(東博)『龐居士図』(福井県美)『老子出関図』(東博)『伊勢物語 鳥の子図』(東博)『伊勢物語 梓弓図』(文化庁)『弄玉仙図』(千葉・摘水軒)『羅浮仙図』(個人)『雲龍図』(東博)。8月後半に展示予定の『源氏物語 野々宮図』(出光)と『官女観菊図』(山種)は何度も見ているから、いいことにしよう。そして「金谷屏風」の復元模型がとても興味深かった。所在不明は『源氏物語 花宴図』と『唐人耳抓図』だが、特に前者は、朧月夜が艶っぽい微笑を鑑賞者に向けて、後ろ姿の源氏を室内に引っ張り込もうとする図で、例がない。おもしろい。第1室には、同時開催の『「へうげもの」生原画展』の原稿も飾られていた。作者・山田芳裕の描く又兵衛はなかなかいいと思う。

 第3室は「旧樽屋屏風」が2点。旧岡山藩主池田家に伝来した八曲一隻屏風というが、小さい屏風だったようだ。えーでも根津美術館所蔵の『傘張り・虚無僧図』なんて記憶になかったなあ。福井県立美術館所蔵の『和漢故事説話図』(12幅のうち6幅、「源氏・須磨」図の、嵐に花風吹が美しい)と中国絵画っぽい『維摩図』は、ここまで見に来てよかった。今週末(8/6-7)限定の見もの、風俗図屏風3点の前は、呼吸を止めるように通り過ぎ、福井県立美術館所蔵『三十六歌仙図』(22面のうち11面)を先に鑑賞する。今は昔、2004年の千葉市美術館の『岩佐又兵衛』展で、雅な歌仙絵や歌仙額をたくさん残していることを知って、ちょっと違和感があったことを思い出す(当時は血みどろ絵巻の又兵衛しか知らなかったので)。

 さて、会場内の係員から単眼鏡をお借りし(いいサービス!)あらためて屏風に向かう。まず徳川美術館所蔵の『豊国祭礼図屏風』六曲一双。私は、2010年の徳川美術館、2014年のMOA美術館に続いて3回目の対面だと思う。どこを見ても面白いが、やっぱり右隻の「かぶき者」の朱鞘が気になる。単眼鏡のおかげで「いきすき(生過)たりや廿三、八まん(幡)ひけはとるまい」の「三」と「八」の文字は読めた。『洛中洛外図屏風(舟木本)』六曲一双。又兵衛筆と認められてよかったね。華やかでエネルギッシュだけど、『豊国』よりずっと秩序が感じられる。そして視点が大きく(高く)人間の営みから遠ざかっている。最後に個人蔵の『花見遊楽図屏風』四曲一双は小型の屏風だが、人物は比較的大きく描かれていて、表情もよく分かる。かつては、又兵衛自筆と認められた唯一の風俗図屏風だったそうだ。図録によると、福井県内旧家の伝来品で、32年ぶりの公開という貴重な作品。

 以上、展示品は約40件。1時間半くらいかけて堪能した。1階のショップで図録を買うとき、店員さんが別のお客さんと「プレミアになるって言われてるんですよー」と笑って会話していたが、確かに後世に語り継がれる展覧会になりそうだ。この日は午後に記念座談会が予定されていたので「いつもより混んでいた」というツイートも見たが、全くストレスなく作品を見ることができた。これが地方開催のいいところである。

 展示図録に同館主任学芸員の戸田浩之さんが、これを機に又兵衛ブームが到来し、没後370年の節目にあたる2020年には国立博物館あたりで大々的な岩佐又兵衛展が開催できないだろうか、と述べている。大いに期待したいが、人の頭越しに作品を眺めるようなのは、ちょっとなあ。
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福井週末旅行:永平寺

2016-08-07 22:59:15 | 行ったもの(美術館・見仏)
週末1泊で福井に行ってきた。福井県立美術館の『岩佐又兵衛展』がどうしても見たかったのである。もう1箇所くらい、どこか観光ができそうだったので、永平寺に行ってみることにした。

土曜日の朝、東京から米原に出て、特急で福井へ。福井駅前からバス(特急永平寺ライナー)で約30分。14時半ごろ到着した。もう少し山道を走るのかと思っていたら(高野山とか比叡山のイメージ)なだらかな広い道ばかりだった。しかも終点のバス停を下りると、旅館やお土産屋さんが林立して、熱海の温泉街みたいで、どっちに永平寺があるのかよく分からず、困惑した。ようやく前方に「永平寺まで徒歩三、四分」(?)みたいな案内をみつける。

道が曲がっているので分からなかったのだが、確かにすぐ永平寺の拝観口が目の前に現れた。



拝観者は靴を脱いで、大きな建物(吉祥閣)の中に入り、絵地図を前に、若いお坊さんから伽藍の説明を聞く。袖の長い黒一色の衣で、体の前にやはり黒色の小さな袈裟(絡子/らくす、というらしい)を下げている。ふと岡野玲子の80年代のマンガ「ファンシィダンス」を思い出して、懐かしくなる。

説明を聞いたあとは、立入禁止区画を除き、自由に伽藍をまわってよい。主要な建物は全て渡り廊下でつながっているので、靴を履いて、外に出る必要はない(というか、勝手に出てはいけないと言われた)。雪国らしく合理的な建物のつくりだと思った。



合図のための打板。文字は「恐怖時光之大速 所以行道救頭燃」(道元の言葉)とあるらしい。ふうん。黄檗宗の萬福寺の巡照板には「生死事大 無常迅速」なんとかとあったはずで、意味は似ていても文句が違うのだな。ちなみに、もらったパンフレットの写真によると、修行僧が生活する僧堂の内に魚板が下がっているようだ。参拝禁止で見られなかった。



永平寺の伽藍は、明治以降に改築されたものも多く、細部の装飾に大正モダンな雰囲気が感じることもある。これは永平寺の紋の久我龍胆で、道元禅師の生家の久我源氏の家紋を用いている。



法堂の内陣で、仲良く顔を寄せ合っている四頭の唐獅子。



七堂伽藍のいちばん奥で、いちばん高いところにある法堂からの眺め。法堂の横に道元禅師の廟である承陽殿がある。その脇に、加賀の白山から湧き出る「白山水」の水屋があった。湧き出た水は回廊に添った水路を下って、伽藍全体を潤している。

最後に瑠璃聖宝閣(宝物館)で、道元禅師が入宋する際に用いたと伝わる笈を見た。厚さ50センチくらいある、頑丈そうな特大スーツケース。かつて中国の寧波で、道元禅師上陸地を訪ねたことを思い出した。

違う季節に、また来てみたいなあ。
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