見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

ローカル妖怪大集合!/大妖怪展(江戸東京博物館)

2016-08-05 22:45:54 | 行ったもの(美術館・見仏)
江戸東京博物館 特別展『大妖怪展 土偶から妖怪ウォッチまで』(2016年7月5日~8月28日)

 「妖怪」「幽霊」が大好きなので、始まってすぐの週末に行ってきた。噂どおり混雑していたが、熱心な観客に囲まれて、むしろテンションが上がってしまった。「Oh! Yoshitoshi(月岡芳年のこと)」と嬉しそうに連れに説明をしているガイジンさんもいた。展示は「江戸の妖怪」→「中世の妖怪」→「妖怪の源流(平安・鎌倉の地獄図)」→さらに古代の「土偶」にさかのぼる構成である。

 いちばんバラエティに富み、充実しているのは「江戸の妖怪」。冒頭から北斎や若冲(付喪神図)など有名絵師の作品が並ぶ。平台ケースに入った絵巻や冊子本は見にくいのだが、人混みを掻き分けて何とか近づく。『稲生物怪録絵巻』を確認。このへんまでは、まだ知っている作品が多かった。

 「妖怪大図鑑」のセクションへ。『針聞書(はりききがき)』は、以前から九博が、グッズなどを作って「推し」ている資料だが、本物を見るのは初めてかもしれない。さまざまな病気の原因が、奇妙な虫の姿で描かれている。『姫国山海録』(東北大学附属図書館)は、とぼけた妖怪(幻獣?虫?)のスケッチに、出現地や特徴の説明が漢文が添えられている。「筑前国」や「松前の海岸」など全国規模で採集されているが、「鎌倉、建長寺」とか「松平徳三郎の宅地」とか、妙に地域限定的なヤツもいる。特徴は「舐められると腹痛になる」「豆腐が好き」「人に会うと風のような猛スピードで走る」など、人をおちょくったような不条理さ。みんなハートをわしづかみにされていた。

 『百怪図巻』(福岡市美術館)は赤い着物の猫またのお嬢ちゃんがラブリー。『怪奇談絵詞』(福岡市美術館)は幕末~明治の作品で、インパクトの強い表現だけを見ていたが、図録で全体を見ると、ヲロシアの人魂など、海外の妖怪も登場する。妙に端正な『百妖図』(大屋書房)、画面いっぱいにギラギラした極彩色の妖怪が踊る『大石兵六物語絵巻』(国立歴史民俗博物館)もすごい。私の妖怪のスタンダードは、鳥山石燕→水木しげるだったのだが、この国には、もっと豊かに、さまざまなローカル妖怪がいることを初めて認識した。

 次のセクションは薄暗い中に浮かび上がる「幽霊画の世界」。おお~大妖怪展で幽霊画が見られるとは思わなかった。以前、東京芸大で公開された全生庵コレクションに加え、福島県南相馬市・金性寺のコレクションが多数出ていた。WEBページで2010年8月幽霊掛軸ご開帳の様子を見ることができる。

金室山金性寺(仮寺務所:福島県南相馬市原町区大甕)
金室山金性寺(福島県南相馬市小高区仲町、更新は2010年まで)

 「錦絵の妖怪」は、北斎の「百物語」、国芳の「讃岐院」「相馬の古内裏」など定番の名品多数。明治の芳年、暁斎も。「版本の妖怪」ではスタンダードの鳥山石燕もちゃんと紹介。十返舎一九、山東京伝などの戯画化された妖怪が面白い。

 そして「中世」。『百鬼夜行絵巻』は、真珠庵本(16世紀、室町時代)が後期(8/2-)登場のため、大屋書房所蔵の模本(17世紀、江戸時代)展示だった。ものの形を丁寧に真似ているが、色が淡彩で、原本より上品な趣きがある。これはこれで面白かった。別の『付喪神絵巻』(岐阜・崇福寺)の古道具はかわいかったなあ。前期の見もののひとつ『土蜘蛛草紙絵巻』(東博)は気持ち悪い。前から思っていたけど、妖怪・土蜘蛛はなぜ化け猫のような顔をしているんだろう。

 竜宮の玉取り説話を描いた『大職冠図屏風』(個人蔵)は珍しいもので、初見。江戸の作品だが、物語の源流が中世にあるので、ここで扱われている。酒吞童子関係も同じ。さらに、平安~鎌倉時代といわれる『辟邪絵』から「神虫」登場。『沙門地獄草紙断簡』は奈良博と五島とMIHO MUSEUMから入れ替わりなのか。並べて見たかったなあ。これを江戸時代に模写したと思われる『地獄草紙』(国立歴史民俗博物館)は、フラットな墨画に血と炎の赤だけを足したところがよい。最後に土偶が4件と「妖怪ウォッチ」の関連資料。意図は分からなくないけど、ちょっと付けたりな感じ。「妖怪ウォッチ」は、各キャラ設定で没になった案が公開されていて、子どもより若者のほうが関心を示していた。

 グッズ売り場はめちゃくちゃ楽しい。いやー『姫国山海録』の関連商品をあれだけ作ってくれるなんて、分かってるね!! 近年、首都圏で行われた「妖怪」展はかかさず見ているが、今回の企画と資料の選択は素晴らしいと思う。
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丹後の仏教美術(京博)、忍性&なら仏像館リニューアル(奈良博)

2016-08-04 23:39:22 | 行ったもの(美術館・見仏)
京都国立博物館 常設展(名品ギャラリー)+特集陳列『丹後の仏教美術』(2016年7月26日~9月11日)

 仕事で京都に行ったので、京博に寄った。2週間前に訪ねたばかりだが、3階以外はすっかり展示が変わり、2階の1室と2室(いつもは絵巻と仏画)が「丹後の仏教美術」特集陳列になっていた。1室は肖像画と絵巻。麻呂子親王の鬼退治を描いた『等楽寺縁起絵巻』(鬼の体色が赤と緑)と『斎明神縁起絵巻』(鬼の体色が赤と青)が面白かった。

 2室も絵画資料で、なかなか見応えあり。陸信忠筆の款記のある『十王図』二幅(元時代)、めずらしい『倶生神像』(蓮華の上に立像、南北朝時代)は縁城寺所蔵。本願寺の『仏涅槃図』(南北朝時代)には、モンゴル風の人物が描かれている。釈迦の足元の赤い服に帽子をかぶった人物かな。画面左下にも、つば広帽子から茶髪の巻毛が垂れている人物がいる。テナガザルとニホンザル?みたいな動物もいた。智恩寺所蔵『地蔵菩薩像』は、海中から湧き出る雲の中に蓮華座が載り、赤い衣の地蔵菩薩が座す。成相寺の『紅頗梨阿弥陀像』は静謐で美しかった。

 3室「中世絵画」は「狩野派の扇絵」特集。軸装のほか、扇面散らし屏風が2件。中国趣味の画題が多いように感じた。4室「近世絵画」は「やまとなでしこ-江戸時代のアイドルたち-」。久しぶりに『舞妓図屏風』を見ることができてテンションが上がった! 自分のブログを検索したら、2008年10月の常設展で初めて見たものだ。髪のほつれを執拗に描いているのは、動きの表現なのかな。少し離れて見ると、舞妓の姿態が二人ずつ「組」になることを意識しているのが分かる。河鍋暁斎筆『大和美人図屏風』は、以前、京博の『暁斎展』の図録の表紙になったもの。5室「中国絵画」は「中国の草虫図」。

 1階に下り、特別展示室も「丹後の仏教美術」。板列八幡神社の女神坐像2躯(木造)は、霊妙で品があって美しかった。彫刻展示室は、奥の一角が特集陳列。ポスターに使われている千手観音立像(縁城寺、平安時代)は、現物だと写真よりもバランスの悪さが目立ってしまう。金剛心院の如来立像は威厳と重量感があって、平安初期の薬師如来の標準タイプ。成相寺の小さな金銅仏・菩薩半跏思惟像は愛らしかった。成相寺には二回行ったけど、お会いしたことがあったかしら?

奈良国立博物館 特別展・生誕800年記念特別展『忍性-救済に捧げた生涯-』(2016年7月23日~9月19日)

 奈良生まれの良観房忍性(1217-1303)の生誕800年を記念し、ゆかりの寺院の名宝・文化財を一堂に集めた展覧会。私は鎌倉仏教の人々の中では、真言律宗の叡尊と忍性がとても好きなので、この展覧会は非常に嬉しい。会場に入ってすぐ、鼻と口の大きい、親しみやすい顔立ちの忍性菩薩坐像(極楽寺)があり、朝いちばんだったので、黄色い衣の僧侶が現れて、像の前でお勤めをしていた。「ナム興正ボサ(叡尊のこと)」と何度か唱えた後、「ナム忍性ボサ~」を繰り返し唱えていた。

 忍性は文殊菩薩を厚く信仰したので、会場には、文殊の仏画・仏像がたくさん揃っている。文化庁所蔵の文殊騎獅像は、もと忍性ゆかりの大和郡山市・額安寺に伝来したもの。装飾の少ない、すっきりした獅子が、高知の竹林寺のわんこみたいな獅子を思い出させた。同じく額安寺伝来の、日本現存最古の虚空蔵菩薩も密教ふうな妖しさが感じられて好き。蓮華座から左足を踏み下げているのが、体のほぼ真横にあたり、動物に跨っているように見える。絵画では、色鮮やかな南北朝時代の文殊菩薩騎獅像が素敵だった。獅子のたてがみがあごひげに見えて、こわもてである。

 山形・光明寺に伝わる『遊行上人絵』(安土桃山時代)は、当時の仏教集団による弱者救済の有様を分かりやすく描いていて、最近の世相を思い合せて、心を打たれる。貧者や病者にふるまう飯を一心に盛りつけている僧侶の真剣な表情(これが自分の為すべきことと信じている)、施しを待つ人々の、卑屈にならない、ゆったりと落ち着いた表情がよい。

 第1室の後半には、見覚えのある山の写真があると思ったら筑波山でびっくりした。忍性といえば、奈良の西大寺と鎌倉の極楽寺のイメージしかなかったが、実は常陸国に入り、筑波山のふもとの三村山極楽寺(現・茨城県つくば市、現在は廃寺)に滞在したことがあるという。初めて知った。鉾田市・福泉寺の釈迦如来立像は端正な清凉寺式で、鎌倉・極楽寺の?と思ったら違った。これは収穫。鎌倉・極楽寺からは、目元の涼しい釈迦如来立像、文殊菩薩坐像、薬師如来坐像、(説法印の)釈迦如来坐像など、揃ってお越し。極楽寺の釈迦如来坐像ときわめてよく似た九州国立博物館の阿弥陀如来坐像を並べて見ることができたのも興味深かった。

 さて、最後のお楽しみは、忍性が唐招提寺に施入した『東征伝絵巻』全5巻の一挙公開である。鑑真和上の生涯を描いたものだが、だいたい展覧会で見られるのは決まった場面ばかりなので、全体を鑑賞できるのは嬉しい。巻三の魚や鳥(妙に大きい)に守られながらの航海の図には笑った。荒海に投げ出されて、岸に流れ着き、ぐったりしている人々も妙にリアル。前後期で巻替えありなので、できれば後期も見たい…。図録の解説にいう、頭部の大きい人物描写が鎌倉・光明寺所蔵『浄土五祖絵伝』に酷似しているとの指摘はうなずける。

■奈良国立博物館 なら仏像館(2016年4月29日リニューアル)

 1年半ぶり、4月にリニューアルした「なら仏像館」をようやく見ることができた。不確かな記憶をもとに印象を述べると、中央のホールをめぐる展示室は、「地蔵」「天部」みたいな特集構成をやめたことと、構造的に見通しがきくようになったことで、「回廊」としての一体感が増したような気がする。照明や空調は劇的に改善された。ただ、中央のホール(6室)は、展示される仏像の数が減って、さびしくなった。しかも、今の展示の中心が兵庫・浄土寺の阿弥陀如来立像(裸形)で、ほかにも兵庫県の天部立像とか、中国・陝西省の石彫とか、「奈良に来た!」というインパクトが希薄なのである。やっぱりここには以前のように、秋篠寺の梵天像とか、元興寺の薬師如来立像とか「ザ・奈良」の仏像を並べてほしいと思う。
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進化と適応と未来/クマに会ったらどうするか(玉手英夫)

2016-08-03 22:29:58 | 読んだもの(書籍)
○玉手英夫『クマに会ったらどうするか:陸上動物学入門』(岩波新書) 岩波書店 1987.6

 このところ人文社会科学の本が続いていたので、毛色の違う本が読みたくなった。岩波新書(黄版)の「アンコール復刊」(2015年9月)で見つけた1冊。全く知らないタイトルだったが、挿絵が多くて面白そうだったので買ってみた。著者の専門は家畜形態学。本書は、陸上動物相の最も重要な構成員である羊膜類の、過去約三億年の進化の記録と、その知られていない生理・生態学的適応の在り方などを紹介したものだという。ただしこれは本文を読み終えてから、「あとがき」で見つけた要約。

 タイトルにだまされて、すぐにクマの話になるのかと思ったら、古生代から始まり、ようやく陸上生物が登場して、樹上から地上に降り、穴(地下)へ海へと広がっていく。1冊の半分くらいで、まだ恐竜の話をしている。まあ私は進化や古生物に興味があるからいいけれど、オビの文句「身近な動物の生態を楽しく語るエッセイ」は半分しか当たっていない。本書は、身近な動物の生態を、生理的な適応・進化の観点から語るところに魅力がある。

 印象に残った話をいくつか。樹上生活と地上生活の違いについて。リスなどの小型動物は基礎代謝量が多いので、樹に登る場合でも、そのための代謝量の増加は大きくない。一方、体重の重い大型動物は垂直移動によるエネルギー要求がきついので、樹の上り下りを好まず、主に地上で生きている。しかし、オナガザルや類人猿は、いちど地上性になったものが、樹に登りなおしたとみられている。やがて人間へ進化したグループは、樹に登りそこねた大型のサルだったことになる。

 基礎代謝量の高い小型動物は、体重の割に大量の餌を必要とする。餌のコストを考えると、ウシのような大型動物に比べて、ウサギのような小型動物は肉畜に向かない。もしウシのような大型動物が、マウス並みの代謝速度だったら、背中に置いた薬缶でお湯が湧かせるのだそうだ(笑)。逆に、哺乳類の同一種族では高緯度地方(寒冷地)ほど個体が大型化するという。なるほど、ヒトもそうかもしれない…。

 トリの肺は、哺乳類と違ってそれ自体収縮せず、空気の取り入れは、体の各所にある気嚢を拡張・収縮して行っている。ガス交換の効率が非常によい。だから、気圧の薄い高空も悠々と飛んでいられるのである。一方、ウミヘビには必要な酸素の三分の一を皮膚から取り入れることができるので、長い間、頭を海中に入れていることができる。

 恐竜については「最近、米国、コロラド大学博物館の若手恐竜学者、R・T・バッカーは、恐竜類が温血、すなわち内温性であると主張している」とある。そう、現在では(学界はよく知らないが、映画では)恐竜=温血動物説がすっかり普通になっているが、当時はまだ、批判や疑義があったようだ。1980年にまとめられた(バッカーの)報告について「批判の強さが想像できる」ともある。

 カナダ・オタワ市の自然科学博物館には、ステノニコサウルス(体長1メートル位の小型恐竜、トロオドンとも)の模型とともに、もし恐竜が生き残って進化を遂げていたら、という想定によるステノニコ人の模型が置かれているという。確かに、今の進化の道筋が「必然」で、ヒトが「万物の霊長」であるという考えを捨ててみるのはいいことだと思う。

 ステノニコ人が出現しなかったのは、彼らが進化の機会をつかめずに絶滅してしまったためだ。恐竜の絶滅の原因は解明されていないが、セプコスキーとラウプが、約3500科の海生生物の化石について地質的な存続期間をコンピュータに計算させたところ、2600万年ごとに絶滅が起こるという規則性を発見した(1983年発表)。これに反応した天文学者が、未知の連星が、2600万年ごとに約70万年間、太陽系に彗星雨を降らせる、という仮説を提出した(1984年発表)。最近の絶滅が約1500万年前に起こったとすれば、次の絶滅期は1000万年後にやってくる。著者はさりげなく「一体どんな陸上動物が生きてそれを仰ぎ見るのであろうか」と書いているけど、やっぱりヒトは存在しない可能性が大きいのかなあ。たまには身近な問題を忘れて、法螺話みたいな遠い未来に思いを馳せるのはいいことである。
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試される理性/原発プロパガンダ(本間龍)

2016-08-03 00:19:18 | 読んだもの(書籍)
○本間龍『原発プロパガンダ』(岩波新書) 岩波書店 2016.4

 2011年3月11日の福島第一原子力発電所事故以前、国内のほとんどのメディアは原発礼賛広告または翼賛記事を大量に掲載・放映し、国民的洗脳に加担してきた。本書は豊富な事例に基づき、その実態を検証したものである。はじめに電力9社が、この40年間にわたり広告に費やした予算(普及開発関係費)の総額が2兆円を超えることが示される。完全な地域独占企業体である(あった)はずの電力会社が、なぜこのような巨額の広告費を必要としたか。電力会社は広告費を原価とみなし、すべて利用料金に転嫁することができたと聞いては、さらに腹立たしい。

 本書は原発プロパガンダの展開を五つの時期に分けて扱う。まず黎明期(1968-79年)。1970年の敦賀原発の営業開始を控え、1968年元旦に福井新聞に掲載された30段(見開き両面)の連合広告が原発広告の始まりだった。福島でも、福島第一原発の稼動開始(1971)と共に原発広告の連載が始まる。一方、全国紙は、原発広告に対して自主規制を堅持していたが、1974年、朝日新聞が原子力文化振興財団の意見広告を掲載すると、読売や毎日もこれに続くようになる。79年にスリーマイル原発事故が発生するが、「全国紙やテレビではその事故の深刻さが報道されたものの、福井や福島での事故の新聞扱いは非常に少なく、逆に事故を覆い隠そうとするかのように広告出稿が加速していった」という。これ、恐ろしい問題だなあ…。

 発展期(1980-89年)。80年代に入ると、全国各地で原発建設が相次ぎ、ローカル新聞への広告出稿は飛躍的に増加する。1981年には、敦賀原発1号機の放射能漏れを日本原電が隠蔽していたことが発覚。福井新聞は厳しい批判記事を掲載する。しかし福島の新聞には、福島第一原発所長の「敦賀とは違う。事故は絶対に起きない」という発言が掲載されていたりする。あ~あ。歴史の審判に恥じない行動をするって大事だな。1986年、チェルノブイリ原発事故発生。このとき、日本でも反原発の機運が高まったことは、私もよく記憶している。しかし、東電は事故の86年に121億円だった広告費を、翌年150億円に引き上げ、「日本では事故は起こらない」アピールに必死になる。原発推進に抵抗するローカルテレビ局などの動きもあったが、原子力ムラ(原発利権集団)によって粉砕されてしまう。

 完成期(1990-99年)。1991年に原子力文化財団が作成した「原子力PA(パブリック・アクセプタンス)方策の考え方」が紹介されているが、実に見事な「プロパガンダの手引き」である。反原発やリベラルの側も、こういう手法をきちんと学び、取り入れなければいけないと思った。「女性(主婦層)には信頼ある学者や文化人等が連呼方式で訴える」とか、「タレントの顔は人々の注意を引きつけるが、タレントの発言で人々が納得すると思うのは甘い」とか「短くともよいから頻度を多くして、繰り返し連続した広報を行う」とか、いちいち納得できる。

 爛熟期から崩壊へ(2000-11年)。2000年代前半には、東電など多くの電力会社でトラブル隠しや事故が発覚。しかし東電はイメージ挽回のため、さらに巨額の広告費をつぎ込む。原子力ムラは、民放テレビ局の報道番組に莫大なスポンサー料を支払うことで、原発に対するネガティブ報道を牽制する体制を手に入れる。2011年3月11日、東日本大震災発生。記憶に留めたいのは、原発プロパガンダに手を染めていた企業や団体が「脱兎のごとく証拠隠滅に走った」ことだ。それまでホームページ上に所狭しと掲載されていた原発広告の画像や動画は、一斉に削除されたという。こういうとき、ネットというのは便利な媒体だ。本書に掲載されている原発プロパガンダの事例は、ほとんどが新聞広告だが、いったん紙面に印刷されて出回ったものは、さすがに「隠滅」することはできない。

 復活する原発プロパガンダ(2013-)。今日、原発プロパガンダは確実に復活しつつある。さすがに以前のスローガン「原発は絶対安全な技術」「原発はクリーンエネルギー」は使えなくなった。そこで「原発は日本のベースロード電源(安定供給)」「火力発電は二酸化炭素を排出するので、環境に優しくない」「割高な原油の輸入は国富の流出」などの新しいスローガンが考え出された。見事である。こういう目端の利く策士たちに対抗するには、こちらも賢く、慎重にならなければならない。さらに事故の深刻さを伝える報道や発言を「風評被害だ」と叩きつつ、放射線の安全性を説明するリスクコミュニケーション事業が大々的に行われているが、かつての原発安全論と今の放射線安心論にどれだけ違いがあるのだろうか、と私も思う。

 気持ちが落ち込む記述の連続の中で、80年代に天野祐吉さんが雑誌「広告批評」で原発広告を批判していたり、90年代の「新潟日報」が大量の原発広告を掲載しつつも、記事面では公平性を貫いていたことなどは、希望を感じた。どんな巨大な権力にも狡猾な戦略にも、からめとられない思慮と理性の持ち主はいるのである。
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夏は笑いと血みどろ芝居/文楽・薫樹累物語、伊勢音頭恋寝刃、金壺親父恋達引

2016-08-02 00:15:48 | 行ったもの2(講演・公演)
国立文楽劇場 夏休み文楽特別公演(14:00~、19:00~)

・第2部【名作劇場】『薫樹累物語(めいぼくかさねものがたり)・豆腐屋の段/埴生村の段/土橋の段』『伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)・古市油屋の段/奥庭十人斬りの段』

 金曜に仕事で京都出張が入ったので、土曜日の公演のチケットを取って見てきた。累(かさね)といえば、醜く恐ろしい怨霊の物語だと思っていたので、江戸後期の趣味かと思ったら、『薫樹累物語』は寛政2年(1790)初演というので、わりと古い作品だ。国立文楽劇場では14年ぶりの上演(東京では1972年以来。そりゃ私が初見のはずだ)。開演前にプログラムをパラパラ見ていたら、いわゆる怪談話ではない、ということが書かれていた。おや、そうなのか。

 豆腐屋の段。力士の絹川谷蔵は、傾城・高尾に溺れて政治を省みない主君を思うあまり、高尾を殺してお尋ね者になっている。高尾の兄・三婦(さぶ)の豆腐屋で高尾の法要が行われているところに谷蔵が迷い込んでくる。高尾の妹の累は、かつて谷蔵に危ないところを助けられたことがあり、再会した谷蔵と夫婦になることを願う。三婦も谷蔵の忠義心をみとめ、許そうとするが、高尾の怨念によって、累は顔に大きな痣を負う。この恩讐半ばする複雑な関係。高尾の怨霊が降臨する場面を語ったのは咲寿太夫さん。高い声の印象が強かったのに、地の底にとどくような深々とした美声に驚いた。

 埴生村の段。谷蔵は与右衛門と名を改め、累と睦まじく暮らしていた。ならず者の金五郎が現れ、与右衛門(谷蔵)の主君の許嫁・歌潟姫を吉原に売り飛ばそうとしていることが発覚。与右衛門は歌潟姫を譲ってほしいと持ちかけ、百両の工面を思案する。これまで与右衛門の心遣いで己れの容貌の変化を知らなかった累は、夫の危機を救うため、女郎屋に身を売ろうとするが嘲笑を受け、恥じて身投げを決意する。

 土橋の段。歌潟姫を連れた金五郎と与右衛門の会話を聞いた累は、夫が心変わりをしたと誤解し、嫉妬に狂って歌潟姫に鎌で切りかかる。止めようとした与右衛門だが、累に高尾の怨念が乗り移っているのを悟り、悪縁を悲しみながら、とどめを刺す。谷蔵は最後まで累を愛しく思っているのに、うまくいかない人の仲…。人間の心理のあやの描き方が近代的で、恐ろしくも悲しい物語だった。累は吉田和生さんで、激しい嫉妬も含めて、全力で恋に生きる若い娘らしさがとってもいい。谷蔵は吉田玉男さんで、時代物の主人公より、こういう役を演じるときが好き。

 続いて『伊勢音頭恋寝刃』。何度も見て、よく知っている演目だけど、このご時世にこの内容、大丈夫なのか…とちょっと不安になった。こういう血みどろ芝居を見て、ぞっとするのが近世人の娯楽だったのかなあ。「油屋」が津駒太夫、「十人斬り」が咲太夫さん。前回は「油屋」が咲太夫さんだったんだな。津駒太夫さんの万野の「お紺さ~ん」も、かなり嫌味たらしくて苦笑いした。人形はお紺を蓑助さん。やっぱり生きているように美しいわあ。福岡貢は桐竹勘十郎さん。

・第3部【サマーレイトショー】『金壺親父恋達引(かなつぼおやじこいのたてひき)』

 モリエールの戯曲「守銭奴」をもとに井上ひさしが書き下ろした新作文楽。昭和47年(1972)にラジオで放送され、義太夫節を用いない演出では人形劇団プークが上演を重ねている。しかし、文楽として上演するのはこれが初の試みだそうだ。単純明快なストーリーで、短い時間に(ほぼ1時間)たっぷり笑えて面白かった。詞章は時代物らしく作っているが、台詞は少し現代的。現代劇まではいかないが、大阪風味が薄い気がする。

 全くの文楽ビギナーでも楽しめるし、文楽ファンなら、ところどころに入る文楽の名作のパロディに笑ってしまう。そもそも登場人物の多くが「実は生き別れた家族」というのがパロディ的である。原作「守銭奴」を知らないんだけど、やっぱりこんな都合の良い話なのかしら。人形は勘十郎さん、玉男さん、和生さん揃い踏みで華やか。語りの英太夫、文字久太夫、睦太夫らは、笑顔で楽しそうだった。「テンペスト」「ファルスタッフ」など、近年の新作文楽はどれも面白い。もっと自信をもって、どんどん新作を増やしてもいいんじゃないかと思う。
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中華ドラマ『射雕英雄伝』(2008年版)、看完了

2016-08-01 20:00:26 | 見たもの(Webサイト・TV)

○『射雕英雄伝』全50集(2008年、上海唐人電影)

 GYAO!ストアの配信を見始めた当初は、どうしても2003年版(李亜鵬・周迅版)と比較すると好きになれなくてイライラした。これは最後まで視聴を続けられないのではないかと思って、途中で記事を書いたりしたのだが、無事、最終話まで見終わった。旧版との比較で、こんなの○○じゃない!と怒っていたキャラクターにも、だんだん愛着が湧いてきて、終盤はけっこうハマっていた。平日はなかなか落ち着いて視聴できないので、休日に3~4話、まとめて見てしまうこともあった。

 原作はよく覚えていない(日本語訳を読んだはず)のだが、明朗一辺倒のストーリーでなかったことは確か。多くの登場人物が、生まれる前の因縁とか一度の過ちにとらわれて、行動の自由を奪われている。にもかかわらず旧版では、李亜鵬・周迅が演じた郭靖・黄蓉の朗らかで天然な雰囲気が、モンゴル高原の高大な風景と相まって、爽快で闊達な気分を与えてくれた。それに比べると新版の郭靖・黄蓉は、ずっと悩みどおしの印象がある。「ともに生き、ともに死のう」と何度も繰り返し、確認する。最後に頼れるのはお互いしかいない、という孤独感。その最愛の相手とさえ、障害が多くて、なかなか一緒になれない。中国の社会状況(特に若者が感じている閉塞感)の表れかもしれないなあ、と少し深読みしていた。

 楊康は、とことん闇落ちするのが印象的だった。確か旧版では、ここまで引っ張らず、これほど印象的なキャラクターではなかったと思う。最後は改心して、短い間、妻の穆念慈と心穏やかな日々を送り、欧陽鋒が息子の復讐に現れると、自分の罪をつぐなうため、命を投げ出す。そして穆念慈も黄蓉も、最初は好きになった男性に翻弄され、嘆いたり嫉妬したりするだけの弱い女子なのだが、次第に凛々しく思慮深く、自立していくのが好ましい。この点は、ドラマを最後まで見てよかったと思う。あと欧陽克と完顔洪烈(金の趙王)も次第に描き方が変わっていく。どちらも、旧版の俳優さんのほうがカッコよくてよかったなあと思って見始めたが、だんだん新版の田舎臭さも好きになった。

 チンギス・ハーンは旧版のほうが最後まで英雄らしくていい。新版で、郭靖に「民を養う者こそ真の英雄」なんて説教されるのはちょっとなあ。コジン(華筝)公主は新版のほうが可愛くて、郭靖に振られてしまうのは、ちょっと可哀相だった。新版と旧版では、モンゴル人の風俗の描き方(髪型・服装)が微妙に違うのだけど、どちらが史実に近いのだろう? 新版もかなりいい加減な感じがして、よく分からなかった。

 洪七公役の梁家仁(レオン・カーヤン)は巧い俳優さんだということがよく分かったが、やっぱり旧版の孫海英のほうが好きだ。黄薬師も黄秋生(アンソニー・ウォン)より旧版の曹培昌のほうが好きなのは、古い中国人の顔とたたずまいが感じられるからだ。香港の俳優さんだと、どんなに魅力的に演じても、現代人がそこにいるとしか思えない。しかし、大陸の俳優さんも、これから変わっていくんだろうなあ(日本のエンタメ界と同様に)と思うと、少し淋しい。

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