〇橘木俊詔『新しい幸福論』(岩波新書) 岩波書店 2016.5
ちょっと古い本だが、書店で見かけて衝動的に読みたくなった。たぶんその理由は、このところマスコミを騒がせている「働き方改革」問題にある。「はしがき」にいう。日本は少子高齢化が急速に進行し、労働力は不足し、家計の需要は減っていくので、経済成長率は負にならざるを得ない。しかし、安倍内閣は「一億活躍社会」を謳って国民に働け、働けと煽っている。この掛け声が本当に正しいのか、経済成長率を上げることより、国民の幸福を増すにはどうしたらいいか、というのが本書の主題である。
はじめに状況認識として、日本が貧富の差の大きい格差社会に入ったことが示される。お金持ちの所得額と資産額は過去(10年前、50年前)と比較して大きく増加している。一方、貧困者も増えており、日本の貧困率はきわめて高い。戦後30年間ほどは経済復興という目標に向かって国民が一体となって必死に学び、かつ働き、「そこに入れない人(貧困者)をできるだけ出さない」という社会的合意があった。しかし、80年代後半のバブル期以降、日本社会は一変してしまった。
統計によれば、四半世紀の間、国民一人当たりのGDPは増えているにもかかわらず、生活満足度(幸福度)は低下している。その理由のひとつは、所得格差の拡大にあると考えられる。しかし格差の是正は進まない。それは日本人が平等を好まないためではないかと著者はいう。「モラルハザードへの過剰な嫌悪感」という指摘は、いろいろ思い当たるフシがある。経済効率性を重視し、リバタリアニズム(自由至上主義)大好きなのに、実は個人の自立が全く実現していない日本社会は、どこか歪んでいると思う。
次に経済成長について考える。経済成長率とは「国民所得の増加分/国民所得」をいう。また経済成長率は「技術進歩率」と「労働成長率」と「資本成長率」の合計で示される。日本は人口の減少局面にあるので、労働成長率はマイナスになる。資本成長率は貯蓄率に左右されるが、現役世代の減少と貯蓄率の低下により、これもゼロ前後にある。期待できるのは技術進歩率だけである。これを読んで、近年、政府が科学技術政策にやたらと色目をつかい、一部の科学者の声が大きい意味が分かったような気がした。
一般に経済成長が望ましいと考える経済学者は多く、まして経営者や政治家は、成長が要らないとは決して言わない。しかし、過剰消費が生む資源の浪費や環境問題など、経済成長には弊害も多い。日本の場合、労働人口の減少に逆らって労働成長率をあげようとすれば、一人あたりの労働時間を増やさなければならないが、これは「推奨される政策ではない」と著者ははっきり述べている。騙されてはいけない。もうひとつの方策は、一人あたりの労働生産性を上げることで、そのためには、学校教育のさらなる向上や技能訓練の徹底によって、有能な働き手を育てる必要がある。後者の方策には時間がかかり、短期的な効果は期待できない。しかし、それでも国家百年の計を考えたら、こっち(学校教育と職業訓練の充実)をとるべきじゃないのだろうか。
それから、著者の別の本でも読んだことがあるが「経済格差は経済成長にマイナス影響」であり、「経済成長は格差を縮小しない」(景気上昇の兆しは地方の中小企業まで回らない)という解説も、よく覚えておきたい。
以上の考察を踏まえ、著者は経済学者の視点から「心豊かで幸せな生活」について語る。労働、家族、余暇の章が立てられており、とりわけ「労働」と「余暇」に関する提言が私は興味深かった。ほとんどの人は食べるために働かざるを得ない。働くことは大なり小なり苦しい。一方で、働くことは生きること(生きる喜び)という「日本人に特有な思想」があるが、「この発想にさほど共鳴しない」と言い切る著者が、とても好きだ。著者はむしろ「働くことに意義はない、人はそんなに働かなくてもよい」という考え方に興味を抱くという。そして、できれば家族と一緒にいることを楽しみ、余暇を楽しむ生活を読者に推奨する。私は基本的にこの主張に共感する。
「おわりに」では上記を補足して、「他人との比較をしない」「多くを、そして高くを望まない」「他人を支援することに生きがいを」など、幸せな生活を送るための心構えが語られている。見出しだけを取り出すと、自己啓発本か宗教家の著作のようで可笑しいが、全く押しつけがましくなく、データに基づく学術書の筆致のまま、淡々と考察が語られている。
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はじめに状況認識として、日本が貧富の差の大きい格差社会に入ったことが示される。お金持ちの所得額と資産額は過去(10年前、50年前)と比較して大きく増加している。一方、貧困者も増えており、日本の貧困率はきわめて高い。戦後30年間ほどは経済復興という目標に向かって国民が一体となって必死に学び、かつ働き、「そこに入れない人(貧困者)をできるだけ出さない」という社会的合意があった。しかし、80年代後半のバブル期以降、日本社会は一変してしまった。
統計によれば、四半世紀の間、国民一人当たりのGDPは増えているにもかかわらず、生活満足度(幸福度)は低下している。その理由のひとつは、所得格差の拡大にあると考えられる。しかし格差の是正は進まない。それは日本人が平等を好まないためではないかと著者はいう。「モラルハザードへの過剰な嫌悪感」という指摘は、いろいろ思い当たるフシがある。経済効率性を重視し、リバタリアニズム(自由至上主義)大好きなのに、実は個人の自立が全く実現していない日本社会は、どこか歪んでいると思う。
次に経済成長について考える。経済成長率とは「国民所得の増加分/国民所得」をいう。また経済成長率は「技術進歩率」と「労働成長率」と「資本成長率」の合計で示される。日本は人口の減少局面にあるので、労働成長率はマイナスになる。資本成長率は貯蓄率に左右されるが、現役世代の減少と貯蓄率の低下により、これもゼロ前後にある。期待できるのは技術進歩率だけである。これを読んで、近年、政府が科学技術政策にやたらと色目をつかい、一部の科学者の声が大きい意味が分かったような気がした。
一般に経済成長が望ましいと考える経済学者は多く、まして経営者や政治家は、成長が要らないとは決して言わない。しかし、過剰消費が生む資源の浪費や環境問題など、経済成長には弊害も多い。日本の場合、労働人口の減少に逆らって労働成長率をあげようとすれば、一人あたりの労働時間を増やさなければならないが、これは「推奨される政策ではない」と著者ははっきり述べている。騙されてはいけない。もうひとつの方策は、一人あたりの労働生産性を上げることで、そのためには、学校教育のさらなる向上や技能訓練の徹底によって、有能な働き手を育てる必要がある。後者の方策には時間がかかり、短期的な効果は期待できない。しかし、それでも国家百年の計を考えたら、こっち(学校教育と職業訓練の充実)をとるべきじゃないのだろうか。
それから、著者の別の本でも読んだことがあるが「経済格差は経済成長にマイナス影響」であり、「経済成長は格差を縮小しない」(景気上昇の兆しは地方の中小企業まで回らない)という解説も、よく覚えておきたい。
以上の考察を踏まえ、著者は経済学者の視点から「心豊かで幸せな生活」について語る。労働、家族、余暇の章が立てられており、とりわけ「労働」と「余暇」に関する提言が私は興味深かった。ほとんどの人は食べるために働かざるを得ない。働くことは大なり小なり苦しい。一方で、働くことは生きること(生きる喜び)という「日本人に特有な思想」があるが、「この発想にさほど共鳴しない」と言い切る著者が、とても好きだ。著者はむしろ「働くことに意義はない、人はそんなに働かなくてもよい」という考え方に興味を抱くという。そして、できれば家族と一緒にいることを楽しみ、余暇を楽しむ生活を読者に推奨する。私は基本的にこの主張に共感する。
「おわりに」では上記を補足して、「他人との比較をしない」「多くを、そして高くを望まない」「他人を支援することに生きがいを」など、幸せな生活を送るための心構えが語られている。見出しだけを取り出すと、自己啓発本か宗教家の著作のようで可笑しいが、全く押しつけがましくなく、データに基づく学術書の筆致のまま、淡々と考察が語られている。