見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

楽しみ尽くす/国宝 鳥獣戯画のすべて(東京国立博物館)

2021-06-14 19:43:30 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京国立博物館 特別展『国宝 鳥獣戯画のすべて』(2021年4月13日~5月30日※6月20日まで会期延長)+本館・特別1-2室他 特集『鳥獣戯画展スピンオフ』(2021年3月23日~6月20日)

 甲乙丙丁全4巻の全場面を会期を通じて一挙公開し、断簡や模本の数々を含め、「鳥獣戯画のすべて」を堪能できる特別展。当初は2020年夏に予定されていたが、コロナ禍で1年延期になり、4月に始まったものの、のんびり構えていたら緊急事態宣言で休止となり、本当にハラハラした。会期延長という英断のおかげで、なんとか参観することができた。

 鳥獣戯画は、もちろん大好きなので、機会があれば見に行っている。大規模な展覧会としては、2007年のサントリー美術館『鳥獣戯画がやってきた!』(各巻の前後半を前後期で巻替え)、2014年の京都国立博物館『国宝 鳥獣戯画と高山寺』(同、前後期で巻替え)、2019年の中之島香雪美術館『明恵の夢と高山寺』(前期は甲乙巻、後期は丙丁巻)が記憶に残っている。しかし「全4巻の全場面を会期を通じて一挙公開」するのは「展覧会史上初めて」だそうだ。個人的には、こういう展示方法はとてもありがたい。あと、2014年の京博の大混雑がトラウマになっているので、コロナ対策とはいえ、時間指定の入場者制限は結果的によかったと思う(チケット入手には苦労したが)。

 当日は夕方からのチケットだったので、先に本館の常設展示を見た。特集『鳥獣戯画展スピンオフ』には、動物たちをモチーフにした古今の絵画や工芸品のほか、『鳥獣戯画』の模本が4巻分全て出ていて、見どころの予習ができた。嬉しかったのは『年中行事絵巻』の模本が出ていたこと。雑誌『芸術新潮』で土屋貴裕さんが、風流傘の上にサルとウサギの競べ馬の場面がつくりものとして載っている、と指摘していた場面で、写真も撮れた!

 さて特別展へ。平成館の2階は、いつもと違う側が第1会場の入口になっていた。第1室は模本と写真パネルで『鳥獣戯画』の概要を紹介するが、なるべくアッサリ見て先を急ぐ。次がいよいよ原本展示で、甲巻の前には、うわさの「動く歩道」が設置されていた。広い待機スペースが設けられていたが、人の流れは順調で、全く待たずに歩道に乗れた。甲巻は12メートル弱なので「動く歩道」の長さもそのくらい(展示室のほぼ端から端まで)である。これ、前後の観客の進み具合を気にせず、資料に集中できるのでとてもよかった。今後、画巻の展示は、ぜひこのスタイルをデフォルトにしてほしい。

 乙丙丁巻は観客が歩いて進む方式なので、どうしても滞留ができたり、空きができたりしていたが、絵巻の前に行くまで待たされたのは10分くらいで、あまりストレスはなかった。待ち時間には、会場内のディスプレイ(バナーや映像投影)を見ているのも楽しかった。

 第2会場は、かつての姿を復原する手がかりとなる断簡や模本を集める。東博本やMIHOミュージアム本は見たことがあるが、滅多に見られない貴重なものもあった。益田家旧蔵の甲本断簡は、鹿にまたがるサルと狐にまたがるウサギの競べ馬の図で、サルがウサギの耳をつかんで邪魔をしている(※年中行事絵巻のつくりものに似ている)。見物人の中にはスッポンやアヒルがいる。所蔵者注記がないので個人蔵なのだろう。

 高松家旧蔵の断簡は、どうやら続きの場面で、反則をしたサルが落馬している。これはアメリカの個人蔵とのこと。住吉家旧蔵本『鳥獣戯画模本』巻五(建長年間写の識語、梅澤記念館)には、これら断簡と一致する場面が描かれている。住吉家旧蔵本は、巻五にも、現存の甲本とほぼ一致する巻一にも、他にない場面が描かれていて興味深い。事情を知らなければ「何このニセモノ」と思ってしまいそうだ。

 最後は明恵上人と高山寺ゆかりの品々。高山寺開山堂の明恵上人坐像がおいでになっており、『春日権現験記絵』巻十八(鹿に礼拝される明恵さん)や『華厳宗祖師絵伝・元暁絵』も見ることができた。最後はやっぱりわんこ(子犬)。

 節約と断捨離のため、今回の図録は買わないでおこうと思っていたが、やっぱり買ってしまった。『鳥獣戯画』に直接関係する資料の解説は、たぶん全て土屋貴裕さんが書いており、ですます体で読みやすい。多様な視点で書かれたコラムも充実。ゆっくり楽しむことにする。そして栂尾の高山寺、また行きたいなあ。永久拝観券をもらってから、まだ行っていないのである。

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善美を極める/彩られた紙(大倉集古館)

2021-06-11 22:14:25 | 行ったもの(美術館・見仏)

大倉集古館 企画展『彩られた紙-料紙装飾の世界-』(2021年4月6日~6月6日)

 文字や絵をより美しくみせるために料紙(用紙)を加工した「彩られた紙」を取り上げ、そこに託された祈りや夢、そして美の移り変わりを探る。昨年度、コロナ禍で開催中止になった展覧会の再企画で、今年も緊急事態宣言で中断を余儀なくされたが、6/1から1週間だけ再開し、なんとか最終日に滑り込みで見ることができた。

 入ってすぐ、びっくりしたのは応挙の巨大な『関羽図』。縦350cmもあるので、下のほうを床で折り曲げるように展示されていた。近江出身の書家・巌谷一六旧蔵で、応挙が巌谷家に居候していたとき、男児の初節句のために描いた幟旗(のぼりばた)だという。

 本展最大の見どころは、田中親美が制作した平家納経模本だろう。1階と2階に計9巻展示されていた。観普賢経の見返しには、剣と水瓶を持った女房装束の女性がひとり描かれている。普賢菩薩の眷属、十羅刹女の黒歯(こくし)であるとのこと。妙法蓮華経序品第一には、吹抜屋台方式で、屋内の男女(別の部屋にいる)と庭の泉水が描かれている。分別功徳品第十七には、蓮池のほとりの尼と女性二人、男性一人。やっぱり人物が描かれていると、さまざまな物語が想像できて楽しい。もちろん料紙そのものの美しさ、赤と白とピンクなどの配色に加え、金銀の箔や砂子の散らし方にも工夫がある。提婆達多品第十二は、表紙の怪魚たちが可愛かった。表紙を見せると見返しが見えないなど、見どころが多すぎて、展示に苦労が感じられた。その田中親美の『金銀箔散屏風』は、縹緲とした雲海の景色を描いたもので、題名よりもずっと簡素な趣きだった。

 もうひとつの見どころは、色や摺りの異なるさまざまな唐紙を継いだ国宝『古今和歌集序』(平安時代)だろう。全33紙の後半(18~33紙)が展示されていた。解説を読むと、雲母摺り・黄雲母摺り・蝋箋(ろうせん)という技法が使われている。蝋箋は、料紙の下に版木を置いて強くこすり、文様を写し出すもの。人物群など複雑な文様を写し出すことができ、表面がつるつるピカピカ光っている。2012年に見たときは、藤原定実の筆跡にも注目しているが、今回、料紙ばかり気になって、ぜんぜん書跡に目がいかなかった。

 『古経貼交屏風』(特種東海製紙所蔵)や『東大寺文書貼交屏風』は、むかしから好きだった同館の所蔵品で、久しぶりに見ることができてうれしかった。高山寺旧蔵の『悉曇要集記・悉曇集記加文』(特種東海製紙所蔵)は見たことがあるだろうか? 帖首や末に、丸を二つ縦につないだような「紙屋の印」がある。平安後期の聖経にまれに見え、宮廷の紙屋院とのかかわりが注目されるそうだ。

 本展、ほぼ全ての作品に、料紙をマイクロスコープで覗いた拡大画像が添えられているのも面白かった。『古経貼交屏風』の中聖武はマユミ100%で多量の胡粉を含んでいるとか、隋経切は、繊維の隙間を埋めるため、石膏・石灰など鉱物性の白色粉末が使われ、墨のにじみどめに澱粉が混入しているなど、成分分析の解説をとても興味深く読んだ。

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さよなら世田谷2/旅立ちの美術(静嘉堂文庫)

2021-06-10 21:16:29 | 行ったもの(美術館・見仏)

静嘉堂文庫美術館 『旅立ちの美術』(2021年4月10日~6月6日※6月13日まで会期延長)

 来たる2022年、美術館展示ギャラリーを丸の内の明治生命館1階に移転することになった同館が、世田谷区岡本で開催する最後の展覧会。所蔵の国宝7件が全て展示される(前期)など、内容も濃い。いろいろあって、展示室に到達するまでの顛末は前記事のとおり。ここからは展示内容について書く。

 展示室の前室には、日中の水墨画、倪元璐筆『秋景山水図』、陳賢筆『老子過関図』、九淵龍賝題『万里橋図』が並ぶ。納得の名品セレクションだと思ったが、実はこの展覧会、「出発」「別れ」「旅(漂泊)」に関係する作品を(ややこじつけも含め)慎重に選んでいるのだ。『老子過関図』は、周の国の衰えを感じ、牛の背に乗って西方に去ろうとする老子の図だから分かりやすい。『万里橋図』は、諸葛孔明が呉の国へ旅立つ使者を送る場面(知らなかった)。『秋景山水図』には「南方へ旅立つ友へ」という説明がついていた。

 展示室に入ると、色鮮やかな御所人形の一組が目を引く。丸平大木人形店の五世・大木平蔵による『宝船曳』『輿行列』だ。唐風の衣装の女性を載せた輿を囲む唐子たちは、小さなウサギのお面をちょこんと額に載せている。宝船の船首もウサギで、船の上の布袋さんも、金のウサギのお面を額に載せている。同様にウサギのお面をつけた恵比寿・大黒・毘沙門天が、ニコニコと宝船を寿ぐ。この楽しい御所人形は、卯年の岩崎小弥太の還暦祝に孝子夫人がつくらせたものだそうだ。この展覧会、同館にしては珍しく子供連れが多く、子供たちもこの作品を気に入っていた。個人的には、その隣の北魏時代の加彩駱駝(座りかけか、立ちかけか)もよかった。

 絵画では、天隠龍沢題『山水図』のくっきりした山影を美しいと思い、陶工としか認識していなかった青木木米の『重嶂飛泉図』『蓬萊山図』に新鮮な印象を受けた。鈴木鵞湖の『武陵桃源図』も好き。日本絵画、いろいろ珍しい作品を見せてもらえて大変よかった。

 あやしいもの好きとしては、室町時代の『十二霊獣図巻』にも惹かれた。白沢、三角獣(角が三本ある)、兕(じ)(緑色の一角獣)の三図が開いていた。磁州窯の『白地鉄絵紅緑彩人物図壺』には木の枝(幹)に座る男が描かれており、槎(いかだ)で黄河を遡って天の河に達した張騫だという。北斗七星が描き添えてある。この伝説、中野美代子先生の本で読んだのだったかしら。

 大作『聖徳太子絵伝』4幅(鎌倉時代)は、愛知県岡崎市の満性寺旧蔵で、修理後初公開。2021年が太子の1400年遠忌にあたることから「絵伝」を見る機会が多いが、これは色が鮮やかで、人物のポーズが分かりやすく、素朴絵のような微笑ましさがある。私は活発に遊ぶ子供たちと、たぶん太子の勝鬘経講義の場面で、降り積もった大きな蓮華の花びらにびっくりしている官人の姿が好き。

 このほか、もちろん曜変天目や、河鍋暁斎の『地獄極楽めぐり図』、『西行物語』の最古級書写本なども見せてもらった。外へ出たのは17時過ぎだったが、外にはまだ長い列ができていた。閉館時間を延長して対応することにしたらしい。ご苦労様です。

 以下、思い出の写真集。静嘉堂文庫(図書館)はこの地に残るらしい。私は、初めて静嘉堂に来たのは学生時代で、美術館ではなく文庫を利用するためだった。それきり、もう何十年もこの建物には入っていない。

 静嘉堂文庫は丘の上にあるので、門をくぐったあと、木立に囲まれた坂道を上がっていく。この木立を見上げるのが好きだった。いつも年末の展覧会では、イチョウが金色に色づいていた。

 バス停から近づいていくとき、視野に入る正門。間違えて、手前の集合住宅の敷地に入り込んでしまったことが何度かある。

 この風景、もう見ることはないのかと思うと寂しい。お世話になりました。

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さよなら世田谷1/旅立ちの美術(静嘉堂文庫)周辺散歩

2021-06-10 21:09:29 | 行ったもの(美術館・見仏)

 世田谷区岡本にある静嘉堂文庫美術館が、丸の内の明治生命館1階に移転することになった。そんな噂は全く聞いていなかったので、いきなり「世田谷岡本での最後の展覧会」という告知が出て、びっくりした。2014~15年に展示室をリニューアルしたばかりではないか!

 ともかく最後の展覧会には行っておこうと思っていたら、緊急事態宣言で休館になってしまった。ハラハラしたが、6月1日から再開し、会期も6月6日までの予定が6月13日まで延長になった。私は、再開情報はチェックしていたが、会期延長には気づかず、最後の週末だと思った土曜日、東京ステーションギャラリーの次はここへ向かった。

 いつものように二子玉川駅からバスに乗り、美術館に到着したのは14時頃だったと思う。建物の周囲は、いつになく人の姿が多く、入口の前でお姉さんが券を配っている。時間指定の入場整理券で、私がもらったのは16:30の券だった。閉館は17時だが状況によっては考慮します、とおっしゃるお姉さん。「今日はやめた。明日の朝早く来よう」と言って帰っていくのはご近所の方だろうか。「ここは遠いんだから、ちゃんと情報発信してよ!」と怒っているお客さんもいた。

 私は観念して2時間半待つことに決めた。静嘉堂文庫には何十年も通っているが、バス停と美術館を往復しかしたことがないので、ちょっと周辺を歩いてみることにした。民家園なら裏門が近いですよ、と職員の方に教えてもらい、初めて裏門の存在を知る。石段を下ると民家園に出る。

民家園(岡本公園民家園)

 旧長崎家主屋と土蔵1棟、椀木門を復原し、江戸後期の典型的な農家の家屋を再現した施設。主屋には管理の方が常駐し、囲炉裏で火を焚いている。前庭には小さな畑もある。のんびり過ごすにはいいところだが、実は、もっと多数の民家を集めた公園だと思っていたので、ちょっと拍子抜けした。

瀬田四丁目旧小坂緑地旧小坂家住宅

 表通りを戻る途中、バス停の向かいに「小坂緑地」という門があることに初めて気づいたので入ってみた。竹林の中、順路に添って坂を上がっていくと「旧小坂家住宅」という建物が現われた。実業家で衆議院議員、戦前の枢密顧問官でもあった小坂順造氏(1881-1960)の別邸である。この一帯は、明治から昭和にかけて財界人の週末別荘が立ち並んでいたが、この建物(1938年竣工)が、現存する近代別荘建築の唯一のものだという。

 中に入れたので、縁側でひとやすみさせてもらった。茶室があるかと思えば、山小屋風の意匠の洋室があったりして面白かった。薪をくべる暖炉は飾りで、実はセントラルヒーティングがあると、管理している方が教えてくれた。

 これでだいたい1時間半ほど時間をつぶし、静嘉堂文庫の前庭に戻って、残りの時間はベンチで本を読みながら待つ。16:00の入館が済んだあと、10分ほどすると「16:30の方、お並びください」と呼ばれた。入館の際に、さらに番号札を貰う。チケットを購入すると、地下の講堂に案内され、静嘉堂文庫の紹介ビデオなどを見ながら待つ。やがて番号順に(10人くらいずつ)呼ばれて展示室に入ることができる。幸い、覚悟していたよりはだいぶ早く、展示室に入ることができた。長くなったので、※展示内容については別記事に続く。

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美人大集合/コレクター福富太郎の眼(東京ステーションギャラリー)

2021-06-09 16:59:15 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京ステーションギャラリー 『コレクター福富太郎の眼 昭和のキャバレー王が愛した絵画』(2021年4月24日~6月27日)

 コロナ禍で休館していた美術館・博物館が再開し、先週末は大忙しだった。まず再開のお知らせとともに、土曜の朝イチの予約をとったのがこの展覧会。キャバレー王・福富太郎(1931-2018)の絵画コレクションの全体像を明らかにする初めての試みである。鏑木清方をはじめとする優品ぞろいの美人画はもとより、洋画黎明期から第二次世界大戦に至る時代を映す油彩画まで80余点を展示する。

 最初の展示室からズラリ清方(名品揃い!)が並んでいて、心臓の鼓動が早くなってしまった。『冥途の飛脚』の梅川忠兵衛を描いた『薄雪』のさえざえとした美しさ。背景の空白は茫漠とした曇り空で、かすかな雪片が梅川の黒髪、黒縮緬の着物に舞い落ちる。忠兵衛の着物は浅縹色(?)の細縞。ああ、これは世話物でダメな男主人公が着る着物だ。しかし画像検索で最近の文楽や歌舞伎の写真を探すと、忠兵衛は、淡路町の段・新町の段では縞の着物だが、新口村の段は二人揃って黒を着ている。この取り合わせは、作者の想像なのかしら。

 そして『妖魚』。清方の描く女性は、だいたいアイラインと黒目が一体になったような、曖昧な眼をしているのだが、この妖魚に限っては、はっきりした三白眼である。肩幅が広く、腕も太く、脚にあたる魚の下半身も長くて、黒髪だけど西洋の女性を感じさせる。あと見落としがちだが、重ねた両手の中に小さな魚を包み込んでいる(ちょうど屏風の折り目にあたって見つけにくいのは意図的な構成なのか)。展示会場がこんな大作の展示を想定していなくて、真ん中に太い枠のあるケースだったのはちょっと残念。

 では気になった作品を順不同で。ようやく北野恒富『道行』を見ることができた! 不穏でデカダンな雰囲気が好みだが、あまり『心中天の網島』の雰囲気がしない。小春は雪岱の『河庄』のほうが私のイメージに合う(男性は治兵衛でなく孫右衛門なのか)。『あやしい絵』展にも出ていた甲斐庄楠音の『横櫛』(気味悪さが少し中和されている)もあり。島成園『おんな』は怖い怖い。池田輝方『お夏狂乱』、池田蕉園『宴の暇』も好き。『殉教(伴天連お春)』の松本華羊は知らなかったが、女性画家で、池田蕉園の弟子なのだな。伊藤小坡の『つづきもの』は、朝刊の新聞小説を熱心に読む、地味な紺絣の女性を描いたもの。風俗資料としても面白い。小坡も女性画家。松浦舞雪の四曲屏風『踊り』は阿波踊りを題材に、白足袋に赤い鼻緒が鮮やかな女性三人が描かれている。一人は歩きながら三味線をかき鳴らし、二人は頭を低くし、振袖をはためかせて、没我の境地で踊っている。素敵な作品!

 もうひとつ、印象的だったのは、伊東深水の『戸外は雨』。日劇ミュージックホールの楽屋に取材して描かれた長巻で、胸も露わな女性たちが行ったり来たり、衣装を整えたり談笑したりしている。どの女性も堂々と自然な動きで、体育会系の美しさだ。全体の四分の三くらいが開いていたが、図録を見たら最後の四分の一には、全身黒タイツの男性たちの集団が描かれていた。1955年の作品。

 黎明期の洋画作品にも興味深いものが多数あった。いちばん驚いたのは渡辺幽香の『明治天皇肖像(下絵)』(1895年)である。父の五姓田芳柳が描いた下絵をそのまま写したものだというが、軍服やテーブルクロスは丁寧に彩色(ただし陰影のないベタ塗り)されているのに、顔の部分がペン画(?)のままなので、前衛絵画みたいな趣きを醸し出している。

 戦争画は、満谷国四郎『軍人の妻』、宮本三郎『大和撫子』(これも怖い作品だなあ)などに加え、東京都現代美術館から向井潤吉『影(蘇州上空にて)』や宮本三郎『少年航空兵』など数点が特別出品されていたのは嬉しかったが、福富の戦争画コレクションはもっとあるはず。ぜひ東京都現代美術館で特集展示をやってほしい。まあしかし、とにかく美人はよいものだ、描かれた美人を側に置いておきたい気持ちはとても分かる。

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古装劇中の新時代カップル/中華ドラマ『御賜小仵作』

2021-06-07 20:05:45 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『御賜小仵作』全36集(企鵝影視、霊河文化、2021)

 軽めの古装ドラマが見たくなって、評判のいい本作を見てみた。仵作(wu3zuo4)は、中国古代の官衙で働いていた専門職で、現代でいう検死官、監察医のことだ(日本の「検視官」は遺体解剖をしない役職だが、このドラマの主人公・楚楚は真相究明のため、ガンガン解剖をする)。舞台は唐の宣宗の時代。犯罪捜査と裁判を統括する三法司では、新たに仵作を雇い入れることになり、黔州(重慶から貴州のあたり)で代々仵作を生業としている家系の少女・楚楚(姓も楚、名も楚)は、採用試験を受けるため、長安を訪れ、三法司の若き長官である安郡王こと蕭瑾瑜と知り合う。蕭瑾瑜は楚楚の卓越した技量と真摯な人柄に惹かれていく。一方、宮中では黔州に関係する官吏の不審死が続き、黔州で偽の貨幣が鋳造されていることが発覚する。

 蕭瑾瑜は「採用試験を継続するため」として楚楚を帯同し、気心の知れた景翊、幼なじみの冷月(高貴な家柄だが江湖を渡り歩いている女性)らとともに、黔州へ下り、双子の兄の蕭瑾璃と再会する。瑾璃・瑾瑜兄弟の父である蕭恒は、かつてこの一帯で行方を断ち、死亡したものと考えられていたが、二人の母である西平公主は夫の最期に疑念を抱いていた。貨幣偽造事件の捜査の傍ら、父の行方を捜索する二人は、楚楚の幼い頃、楚家に居候していた謎の男・巫医こそが、彼らの父親であると確信する。しかし巫医はすでに自ら命を絶っていた。蕭瑾瑜はそのダイイング・メッセージから、宮中に大きな陰謀の根源があることを読み解く。

 一方、楚楚の出自も次第に明らかになっていく。楚楚の母親・許依香は名家の出で、雲易という武官に嫁いだが、雲易は上官である剣南節度使・陳瓔の反乱に従い、命を落とした。妊娠中だった許依香も殺害されたが、検死にあたった楚楚の父親が赤子を取り上げ、楚家の子として育てたのである。「逆賊」雲氏の生き残りと分かって、楚楚の立場も危うくなるが、蕭瑾瑜は、次第に女性として愛し始めた楚楚を守り抜く。

 【このへんからネタバレ】黔州の貨幣偽造の首謀者を突き止めた蕭瑾瑜は、楚楚とともにひそかに長安に帰還。皇帝側近の宦官・秦欒が、かつて蕭兄弟の父親の命を奪い、まさに皇帝暗殺を計画していたことも暴く。秦欒は、蕭兄弟が双子だというのが捏造で、一人は「逆賊」陳瓔の遺児を、旧交ある西平公主が引き取って育てていたことを主張するが、証拠の古文書が偽造であることを指摘され、万事休する。この功績によって、皇帝は蕭瑾瑜と楚楚の結婚を許すが、その条件として、仵作の職を辞することが命じられる。当の楚楚よりも悩む蕭瑾瑜。

 ここにもう一人、秦欒と共謀して帝位簒奪を企てている人物がいた。蕭瑾瑜の学問の師である薛汝成。彼は先帝・武宗の子・昌王の直系を自称し、ひそかに協力者を集めていた。蕭瑾瑜と楚楚は、盛大な結婚式を挙行し、敢えて皇帝の来臨を仰ぐことで薛汝成一味をおびき出し、ついに一網打尽にする。皇帝は二人の勇気ある行動を称え、楚楚が仵作を続けることを許可する勅旨が伝えられた。

 この作品、若手俳優中心の低予算ドラマで、知名度の高い人気スターは不在(私が知っていたのは宗峰岩くらい)、宣伝もほとんど無かったのに、口コミでどんどん視聴回数ランキングを伸ばしたという。ストーリーとしては、それほど驚く仕掛けはないのだが、キャラクターの魅力で引っ張るドラマである。女主人公の楚楚(蘇暁彤)は小柄でベビーフェイスだが、人々から蔑視されることの多い仵作という職業に強い誇りを持っている。自分の専門知識で恋人を支え、守っていこうとする、迷いのない態度が男前。逆にイケメンで知力抜群の貴公子・蕭瑾瑜(王子奇)のほうが、楚楚の助けなしで心の安定を得られないところがヒロインっぽい。中盤で蕭瑾瑜が真剣にプロポーズするも、楚楚が受け入れない展開があって、驚きながら笑ってしまった。しかし結果として、二人は本当に相手のことを思いやり、一緒に生きていくことを選択する。

 皇帝に結婚を許されたものの、楚楚が仵作の職を続けられないことに悩むのは蕭瑾瑜。楚楚は、この機会に謀反人たちを捕えることができ、正義と人々の安寧が守られるなら、それでよい、と達観した意見を述べる。すごいのだ、この女主人公。もちろん「史実」としては、この時代にこんな女性像はあり得ないかもしれないけれど、いま中国の時代劇ファンは、こういうドラマを見たがっているのである。最後にめでたく楚楚は「結婚」も「仕事」も手に入れる。そう、21世紀のハッピーエンドはこうでなくちゃ。

 楚楚と蕭瑾瑜を取り巻く男女混合の若者チームは、いつも仲良しで風通しがよく、気持ちよかった。数々の危機に臨んで剣を振るって楚楚を守るのが、女性の冷月というのもよい。冷月は武芸ばかりでなく、毒薬や医術の心得でも活躍する。悪役陣はちょっと弱いが、秦欒を演じた穆懐虎さんは、終盤に渋い歌声も聞かせてくれてよかった。

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中世神話のカオスな魅力/神の新たな物語(国学院大学博物館)

2021-06-04 23:26:25 | 行ったもの(美術館・見仏)

国学院大学博物館 特別列品『神の新たな物語-熊野と八幡の縁起-』(2021年5月13日~7月3日)

 中世には、時代の潮流・信仰を基盤として、古代の神話に描かれる神々に加え、当時、信仰圏を広げていた熊野や八幡といった神々の新たな物語・ 神話が作り出された。本展は、国学院図書館が所蔵する熊野の神々や八幡神(応神天皇)とその母・神功皇后をめぐる縁起絵巻の数々を展示し、物語から中世の神々の姿を見ていく。

 初めて中世神話というものを知ったのは、小松和彦先生の著作に紹介されていた「熊野の本地」だったのではないかと思う。いちおう国文科の学生で、しかも上代文学を専攻する予定だったので、古事記・日本書紀は読んでいた。ところが、一部の地方には、記紀神話とは全然違う「神話」が伝わっていることにびっくりしてしまった。以来、記紀神話だけが「日本人の心のふるさと」みたいに言うのは、大ウソだなあと思っている。

 本展には、こうした神々の物語(縁起)の写本や、物語を絵にした絵本・絵巻が集められている。小規模とはいえ、国学院大学図書館の所蔵・寄託品だけで展示が成立しているのがすごい。あと、神社本庁とガチガチに結びついていると思っていた同大学が、こういうテーマで展示をするのは意外だったが、神道史学者の西田長男(1909-1981)や国文学者の角川源義(1917-1975)など、同大関係者による「中世神話」研究の蓄積があるのだった。

 江戸時代前期の絵巻『熊野縁起 上』では、首のない女性が赤子を抱き、虎の上に座している。まわりを和やかに囲む動物たち。天竺の摩訶陀国王の后・五衰殿の女御は、他の后たちに嫉妬され、王子を産み落としたあと、首を斬られて殺される。しかし王子は亡き母の乳を飲み、動物たちに守られて育つ。残虐でグロテスクな物語が、絵本のような明るい色彩、ほのぼのタッチで描かれている。のちに母后は成長した太子の尽力で蘇り、太子とともに日本に飛来して熊野の権現となる。和辻哲郎は著書『埋もれた日本』で、母后が「苦しむ神」「蘇りの神」であることを、驚きをもって語り、こうした観念を理解し得る民衆には、キリストの十字架の物語も遠いものではなかったのではないかと語っているそうだ(いや、それは牽強付会な気もするが…どうだろう)。

 『かみよ物語(玉井の物語)』があったのは嬉しくて、西尾市岩瀬文庫の『かみ代物語絵巻』(エース級の素朴絵)を思い出していた。『石清水八幡宮御縁起 上』には、頭が八つある怪物が描かれている。塵輪(ちんりん、じんりん)というのだそうだ。これを退治したのが仲哀天皇(ヤマトタケルの子、妃は神功皇后)。いま「塵輪」で検索したら、岩見神楽のカッコいい画像がたくさんヒットした。中世神話は、能・狂言・幸若舞など芸能の源泉にもなっている。

 中世神話をまとめて読むなら『神道集』が基本文献だが、東国の神社の縁起も採録されているというのが意外だった(というか、Wikiには「多くは東国に関するものとなっている」とある)。ちょっと読みたくなってきた。あと平安時代の『長寛勘文』(享保年間書写)には、熊野社領である甲斐国八代荘をめぐって、熊野の神と伊勢の神は同体という報告がなされているという。やっぱり日本人の神観念は、記紀神話だけで語っちゃいけない気がする。

 国学院には江戸時代前期の『百合若大臣』絵巻の写本もあるのだな。展示替えのため見られなかったが、また機会があれば見てみたい。

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64年大会を問い直す/五輪と戦後(吉見俊哉)

2021-06-02 17:32:43 | 読んだもの(書籍)

〇吉見俊哉『五輪と戦後:上演としてのオリンピック』 河出書房新社 2020.4

 あとがきの日付は2020年2月24日、まだ著者は2020年の東京オリンピック開催を疑っていない。そのあとに追加された短い「補記」は3月24日、「もはや誰も今年七月に東京五輪が開かれ得るとは思っていない。TOKYO2020は来ない――この驚くべきどんでん返しを、わずか一ヵ月前に誰が予想していただろうか」とある。それから1年後、ますます深まる混迷の中、東京五輪という問題を長期的な展望で根本から考えなおすのに本書はとてもよい参考書である。

 序章は、2020年東京五輪構想が石原慎太郎都知事の思いつきに始まり、東日本大震災からの復興を口実にIOCの委員たちに取り入ることによって招致に成功したこと、新国立競技場やエンブレムをめぐる問題の数々を振り返る。その上で著者は、2020年五輪の問題の根本は、1964年五輪の呪縛にあることを指摘する。果たして64年の東京大会は成功に満ち溢れたものだったのか、あらためて批判的考察がなされなければならない。さらに、いま東京で起きていることは、日本の失敗だけでなく、近代オリンピック自体の「終わりの始まり」という側面も持っているという。

 第1章は「舞台」としての東京五輪に焦点を当てる。64年五輪の競技施設の多くは軍用施設の転換だった。興味深いのは、1940年の五輪構想のときから、軍用地をスポーツ施設に転換していく計画があったことだ。また、64年においては、米軍施設用地の返還問題が絡んでいた。当初、日本側は朝霞にオリンピック選手村を建設する予定だったが、米国は代々木のワシントンハイツの返還を申し出る。米国には、東京都心から米軍施設を撤去することで、日本社会の反基地感情・反米感情を抑えたいという狙いがあったようだ。

 第2章は「演出」の側面から聖火リレーに注目する。64年五輪の聖火リレーを沖縄からスタートさせ、本土復帰ムードを盛り上げることは、米国務省の意向に添っていた。米国は、沖縄統治の主導権を米軍から国務省に転換させ、日本全土を安定的に米国の覇権体制に組み込みたかった。五輪はつねに政治権力の思惑とともにあることを思う。64年当時は、聖火の「分火」が許されていたこと(逆に今は許されていないこと)は初めて知った。あと、聖火が著しく「日本化」され、日本民族の起源や天皇信仰と容易に融和してしまうという観察は現在にも通じる。

 第3章は「演技」と題し、マラソンランナー円谷幸吉と「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレーボールチームを論ずる。女子バレーについては、戦後の日本経済の復興を担った繊維産業の女子労働者管理術から考える視点がおもしろかった。64年五輪は、今日と異なり、まだ農村出身の貧しい若者たちが世界から喝采される舞台たり得ていた。

 第4章は東京モデルの「再演」すなわちソウル、北京、札幌、長野の五輪大会を論ずる。88年のソウル、2008年の北京は、政治的安定と経済成長との結びつき、大規模なインフラ建設と都市の高速化など、64年の東京を反復する点が多い。これは、欧米列強で発明された近代オリンピックが、オリンピック・エリート国家を超えて、東アジアで開催される場合の通例になっている(たぶん、欧米諸国にとってのオリンピックは全く違うものなのだろうなあ)。他方、重要なのは開発主義から環境主義への転換である。著者は、札幌五輪で支笏洞爺湖国立公園の恵庭岳に残された滑降スキーコースの無残な爪痕と、長野五輪の白馬・黒菱山滑降コースをめぐる自然保護団体の強い抵抗を対比させて、この変化を語る。

 終章。いま二度目の東京五輪を開催する意味があるとしたら、「速く、高く、強く」という成長主義を脱却し、ポスト成長社会にふさわしい「緩やかに、低く、しなやかに」というドラマトゥルギーを提示することではないか、と著者は提言する。その萌芽は、実は64年五輪にもあった。第2章に登場する高山英華の駒沢オリンピック公園のデザインは、初めから「オリンピック以後の使い方」を重視したもので、その結果、今日でも市民に活用されているという。第3章で語られる市川崑監督の映画『東京オリンピック』は、日本人の活躍場面が少ないことから、政治家や関連組織から修正圧力をかけられ、配給会社が文部省推薦の申請を取り消すなどのドタバタを引き起こすが、国際的には高い評価を得た。つまり、64年五輪にも、多様な語り、多様なドラマトゥルギー(劇作法)が存在した。当時は、その中で成長主義的な語りが支配的であったのは明らかだが、今や大きな位相転換が起きている。

 この変化は、そもそものオリンピックの自己否定になるのではないか。「ひどく19世紀的な西洋中心主義から出発し」(そして84年のロサンゼルス五輪以降、商業主義と結託し、底なしの拝金主義にまみれた)「オリンピックが、ポストコロニアルでグローバルな21世紀の地球社会で長く権威を持ち続けるのは容易ではない」という著者の予測は、いくぶん期待で水増しされている感じもする。しかし、もう21世紀なのだ。成長主義の呪縛は、本当に、もう棄て去るほうがいいと思う。

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