石丸峠(標高 1933m)から大菩薩峠(標高 1897m)への稜線沿いは酷く風が 強かった。 大菩薩峠から大菩薩嶺(標高 2057m)迄は見晴らし 最高なので風のない時に沢山の方々に歩いて頂きたいお勧めのコースです。 夏には沢山の花々が咲き競います。
景色が良いので時間的にお弁当 にしようかと考えたが、余りに風が 強いので5分の休憩で12時 20分先に進んだ。
石丸峠から、これから向かう北西側の熊沢山 (標高 1978m)を越え大菩薩峠に向かう。
風に押されないよう、しっかり足を踏ん張りながら取り付いた。 熊沢山は樹林帯の中を抜け 、下りに入ると岩と木の根が張り付き、歩き難く薄暗く山深い感じを受けるが介山荘の所で途切れる。
12時 50分、介山荘の南側に設置された休憩所に到着。 風が強いせいか他の登山者とは1人も合うことはなく、休憩所も貸し切りでノンビリお弁当にした。
お腹を満たし防寒対策万全にして、介山荘と売店の間を抜け大菩薩峠の標示板のある所に向かう。 こちらの介山荘は、長編小説 『大菩薩峠』 の著者である中里介山も泊まった山小屋だそうです。
介山荘の横に立つ可愛い案内板。
ここが大菩薩峠のガイドブックに必ず見られる 定番の撮影ポイントです。 雲一つない登山日和の様に見えますが、冷たい 強風が吹き抜けカメラなど岩陰や建物の陰に置かないと飛ばされそうでした。
少し賽の河原寄りから遠望した富士と大菩薩湖です。
中里介山 記念石塔。
《大菩薩峠 甲源一刀流の巻》
大菩薩峠は江戸を西に距(さ)る三十里、甲州裏街道が甲斐国東山梨郡萩原村に入って、その最も高く最も険しきところ、上下八里にまたがる難所がそれです。 標高 六千四百尺、昔、貴き聖(ひじり)が、この嶺(みね)の頂に立って、東に落つる水も清かれ、西に落つる水も清かれと祈って、菩薩の像を埋めて置いた、それから東に落つる水は多摩川となり、西に流るるは笛吹川となり、いずれも流れの末永く人を湿(うる)おし田を実らすと申し伝えられてあります。・・・・・
北側から介山荘を望んだ所です。 岩がゴロゴロした、 この広場は麓の裂石(さけいし)から走り上がる 『大菩薩峠登山競争』 のゴール地点です。 私も何回か出場しましたが、最高記録が 2時間 00分 39秒で2時間を切ることはできませんでした。 でも汗びっしょりで走ってくると頭から水を掛けてくれたり、沢で冷やされた大きな桃がコース上のテーブルに並べられ、両手に持ってかじりながら口の回りや手をベトベトにして走った楽しい大会でした。 今思うと食い意地を張らずに走りに専念すれば2時間は切れたのかな?と思いました。 でも暑くて苦しい時に、美味しそうな桃を見て通過していく選手は1人もいませんでした。
ここ大菩薩峠は自分にとって、苦しくも楽しかった思い出の地なのです。 そんなことで、誰もいない峠で強風と戦いながら、35分もブラブラ歩き廻っていました。
当初は、この尾根 を登り大菩薩嶺(標高 2057m)を目指す予定でしたが、
日の短い時には無理をせず 13時 25分、下山を開始した。 この時期の日没は 16時 50分位なので、常緑樹の山では麓の方に来ると真っ暗になってしまうため安全を第一とした。
13時 50分、勝縁荘通過。 道は広いので順調に下れた。
福ちゃん荘前通過、13時 57分。綺麗な公衆トイレが設置されていた。
福ちゃん荘からは車道と登山道があり、近道となる登山道を下る。
ロッヂ長兵衛の所で車道と登山道が再び合流する。
ロッヂ長兵衛前通過、14時 17分。
ロッヂを過ぎて間もなくの所に、再び車道より近道となる足場の悪い登山道を下る。
堀の深くなった道には沢山の 落ち葉が堆積し、深い所では膝下位までが埋まってしまい時折そこに石や木の根が隠れており「危な」と思うことが何度かあり、慌てず慎重に下りました。
下りは勢いが付きやすく不用意に石などを踏み外したりし捻挫をし易いので、単独登山では下りに一番気を使います。
15時 15分、林道に出た。
15時 20分、千石茶屋が見えた。 駐車場まであと僅かなのでホッとしました。
15時 25分、 丸川峠入口駐車場に無事下山しました。
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