渋谷陽一+松村雄策 2011年 ロッキング・オン 赤盤・青盤(上下2冊)
渋松対談である。
なっつかしーなー。私がロッキング・オン読んでたのは、高校生んときである。
どっちかっていうと、NHK-FMの渋谷陽一のサウンドストリートを聴きはじめたほうが先からもしれないけど。
その番組のなかでも、「載ると寿命が縮まってしまう、ロック界の恐怖新聞」とリスナーから言われていた、誉められるとロクなことがない二人の音楽評論家の対談なんである。
今回、たまたま、ある書店で、立川談春の「赤めだか」を買おうとしてたら、落語のすぐとなりが音楽関係の書籍が並んでて、そこにこの2冊セットが平積みされてたんである。
ちょっと(ながらく読んでないから、はたして今の私が読んでも面白いか)迷ったけど、買った。買うなら2冊セットに決まってる。
知らなかったけど、以前にも単行本化されてたらしいね。ほーんと音楽関係の雑誌なんて二十年くらい読んでないから、わからん。
で、ウチ帰ってきて読もうとしたら、「赤盤」「青盤」とは書いてあるが、どっちが上巻でどっちが下巻か分からん。
各章末に“○○年○○月ロッキング・オン掲載”とか書いといてくれればいいのに、それもないから、時系列的にどっち先読むべきか、すぐに見分けがつかなかった。
目次をみて、西暦とか年齢表記から、赤が先だなと、ようやくわかった。
読んでみてわかったけど、2002年末ごろから2011年アタマごろまでの約10年間を語り明かしたという、すごい年代記である。
だいたい、こういうの、っていうのは雑誌連載されてる人気コーナーの単行本化って意味だけど、雑誌んなかで月に一回とか週に一回とか読んでると心地いいんだけど、そればっかり並べると、ちょっと胃にもたれるってことが、私にはあるんだけど(だから私は4コママンガの単行本とか、あまり好きぢゃなかったりする)、読んでみたら、そんな心配する必要もなく、渋松対談てんこ盛りで、飽きることもなく楽しめた。
最新のミュージックシーンとは無縁になって久しい私なので、出てくる固有名詞がわからないこともあるけど、まあ、そんなのは雰囲気でどうにでもなる。
細かいこと理解できなくても、全編、充分おもしろい。ひとりで読んでて、ときどき声だして笑っちゃう本は、ひさしぶり。
なにより、やっぱ、いつでもどこでも面白いのは、レッド・ツェッペリンねたである。
毎度くりかえされるのは、ツェッペリン再結成したらいいのに、ロバート・プラントがなまじカネに困ってないから消極的だとか、ツェッペリンってのはリズム隊とジミー・ペイジのギターがメインでボーカルの出番がないもんだから、ロバート・プラントが再結成する気ないとか、とにかくそういうの。わかんないひと、興味ないひとには、どーでもいーかもしれないけど、メチャクチャ笑う。
渋谷陽一がジミー・ペイジにインタビューして怒らせたとか、そういうネタが、ホントだろうとウソだろうといい、おもしろい。
渋谷の「悪いけど、俺はツェッペリンには詳しいから。」って発言に、松村が「知ってるよ、そんな事。ジミー・ペイジより詳しくて嫌がられたって話じゃないか。」ってツッコむとことか、読んでて、思わず吹いた。
あと、あちこちに出てくるから、ここに引用しないけど、「それって、○○みたいなものだな」ってワケわかんない例えを出して、「意味がよくわからん」とか互いにツッコむ展開が、いい。
(わかんないとなんだから、やっぱ一例だしとくか。渋谷「半ズボン、上半身裸でギターを弾くというのはアンガス・ヤングの記号性で不二家のペコちゃんが舌を出しているのと同じだと思うわけよ。」 ……。)
ツェッペリンもそうだけど、この二人が話してると、どうしてもビートルズとか70年代とかの話が盛り上がるんだけど、最新のミュージックシーンの評論よりも、私はそういうほうがおもしろい。
古いアーチストが日本公演とかすると、オヤジばっかの客がたくさん入って、盛り上がるとか、そういう状態を指して、
渋谷「あれ、何なんだろうな。日本には洋楽ロック居酒屋世代みたいなもんがあってストーンズとかフーがライヴやったりすると凄い数のオヤジが湧いてくるよな。」
なんて語ってるんだけど、ある意味、正鵠を射ている。
そんな渋谷が、あるとき言いだした、
渋谷「いまだこの世に存在していない新しい職業を考えたんだ。そして、その第一号に俺はなろうと思うんだ。」
松村「何だ、そのこの世に存在していない新しい職業って。」
渋谷「ロック・ソムリエ。」松村「……。」
ってのは、今回いちばんウケた。
CD買おうとしてると、横から五十過ぎたロック・ソムリエが来て、あーしろこーしろ、これがオススメだ、とか言うのは、想像しただけで、めちゃめちゃ面白い。
もちろん、そーゆーのが個人的にウケちゃう背景には、「サウンドストリート」で渋谷が“ヤング・パーソンズ・ガイド”って企画をやったり、逆にリスナーから“墓掘り人リクエスト”なんて糾弾を受けちゃってたりしてるのを、私が鮮烈に記憶してるからってのがあるんだけど。
マジメな話もすると、渋谷がグラミー賞を評して、
「やっぱりグラミーの一種の音楽互助会的なものは必要なんだと、今回のセレモニーを観ながら感じたね。(略)ポップ・ミュージック全体の産業的な活性化が大きな目的なんだよ。(略)グラミーは音楽産業のインサイダー、当事者がやってるから目的が違うんだよ。(略)やたら功労賞的なものが多くて、キャリアの長いミュージシャンに対するリスペクトがメッセージとして強く出ているよな。あれもそうなんだよな。」
みたいなことを言うのも、ホントかどうか私には判断できないけど、そういうのに詳しくないんで、なるほどなーとは思う。
どーでもいーけど、同じ回で(そもそもロバート・プラントがグラミー五部門受賞したとこから話は始まってるんだけど)、
松村「お前は文句を言いたいのか誉めたいのか、どっちなんだよ。」
渋谷「文句を言いながら誉めたいんだよ。」
松村「ややこしいからどっちかにしろよ。」
渋谷「嫌だ、そこは譲れない一線だな。」
ってヤリトリがあるんだけど、渋松対談のことなにも知らなくても、このノリがわかるひとなら、この本読んでも面白いんぢゃないかなって、私は思います。
渋松対談である。
なっつかしーなー。私がロッキング・オン読んでたのは、高校生んときである。
どっちかっていうと、NHK-FMの渋谷陽一のサウンドストリートを聴きはじめたほうが先からもしれないけど。
その番組のなかでも、「載ると寿命が縮まってしまう、ロック界の恐怖新聞」とリスナーから言われていた、誉められるとロクなことがない二人の音楽評論家の対談なんである。
今回、たまたま、ある書店で、立川談春の「赤めだか」を買おうとしてたら、落語のすぐとなりが音楽関係の書籍が並んでて、そこにこの2冊セットが平積みされてたんである。
ちょっと(ながらく読んでないから、はたして今の私が読んでも面白いか)迷ったけど、買った。買うなら2冊セットに決まってる。
知らなかったけど、以前にも単行本化されてたらしいね。ほーんと音楽関係の雑誌なんて二十年くらい読んでないから、わからん。
で、ウチ帰ってきて読もうとしたら、「赤盤」「青盤」とは書いてあるが、どっちが上巻でどっちが下巻か分からん。
各章末に“○○年○○月ロッキング・オン掲載”とか書いといてくれればいいのに、それもないから、時系列的にどっち先読むべきか、すぐに見分けがつかなかった。
目次をみて、西暦とか年齢表記から、赤が先だなと、ようやくわかった。
読んでみてわかったけど、2002年末ごろから2011年アタマごろまでの約10年間を語り明かしたという、すごい年代記である。
だいたい、こういうの、っていうのは雑誌連載されてる人気コーナーの単行本化って意味だけど、雑誌んなかで月に一回とか週に一回とか読んでると心地いいんだけど、そればっかり並べると、ちょっと胃にもたれるってことが、私にはあるんだけど(だから私は4コママンガの単行本とか、あまり好きぢゃなかったりする)、読んでみたら、そんな心配する必要もなく、渋松対談てんこ盛りで、飽きることもなく楽しめた。
最新のミュージックシーンとは無縁になって久しい私なので、出てくる固有名詞がわからないこともあるけど、まあ、そんなのは雰囲気でどうにでもなる。
細かいこと理解できなくても、全編、充分おもしろい。ひとりで読んでて、ときどき声だして笑っちゃう本は、ひさしぶり。
なにより、やっぱ、いつでもどこでも面白いのは、レッド・ツェッペリンねたである。
毎度くりかえされるのは、ツェッペリン再結成したらいいのに、ロバート・プラントがなまじカネに困ってないから消極的だとか、ツェッペリンってのはリズム隊とジミー・ペイジのギターがメインでボーカルの出番がないもんだから、ロバート・プラントが再結成する気ないとか、とにかくそういうの。わかんないひと、興味ないひとには、どーでもいーかもしれないけど、メチャクチャ笑う。
渋谷陽一がジミー・ペイジにインタビューして怒らせたとか、そういうネタが、ホントだろうとウソだろうといい、おもしろい。
渋谷の「悪いけど、俺はツェッペリンには詳しいから。」って発言に、松村が「知ってるよ、そんな事。ジミー・ペイジより詳しくて嫌がられたって話じゃないか。」ってツッコむとことか、読んでて、思わず吹いた。
あと、あちこちに出てくるから、ここに引用しないけど、「それって、○○みたいなものだな」ってワケわかんない例えを出して、「意味がよくわからん」とか互いにツッコむ展開が、いい。
(わかんないとなんだから、やっぱ一例だしとくか。渋谷「半ズボン、上半身裸でギターを弾くというのはアンガス・ヤングの記号性で不二家のペコちゃんが舌を出しているのと同じだと思うわけよ。」 ……。)
ツェッペリンもそうだけど、この二人が話してると、どうしてもビートルズとか70年代とかの話が盛り上がるんだけど、最新のミュージックシーンの評論よりも、私はそういうほうがおもしろい。
古いアーチストが日本公演とかすると、オヤジばっかの客がたくさん入って、盛り上がるとか、そういう状態を指して、
渋谷「あれ、何なんだろうな。日本には洋楽ロック居酒屋世代みたいなもんがあってストーンズとかフーがライヴやったりすると凄い数のオヤジが湧いてくるよな。」
なんて語ってるんだけど、ある意味、正鵠を射ている。
そんな渋谷が、あるとき言いだした、
渋谷「いまだこの世に存在していない新しい職業を考えたんだ。そして、その第一号に俺はなろうと思うんだ。」
松村「何だ、そのこの世に存在していない新しい職業って。」
渋谷「ロック・ソムリエ。」松村「……。」
ってのは、今回いちばんウケた。
CD買おうとしてると、横から五十過ぎたロック・ソムリエが来て、あーしろこーしろ、これがオススメだ、とか言うのは、想像しただけで、めちゃめちゃ面白い。
もちろん、そーゆーのが個人的にウケちゃう背景には、「サウンドストリート」で渋谷が“ヤング・パーソンズ・ガイド”って企画をやったり、逆にリスナーから“墓掘り人リクエスト”なんて糾弾を受けちゃってたりしてるのを、私が鮮烈に記憶してるからってのがあるんだけど。
マジメな話もすると、渋谷がグラミー賞を評して、
「やっぱりグラミーの一種の音楽互助会的なものは必要なんだと、今回のセレモニーを観ながら感じたね。(略)ポップ・ミュージック全体の産業的な活性化が大きな目的なんだよ。(略)グラミーは音楽産業のインサイダー、当事者がやってるから目的が違うんだよ。(略)やたら功労賞的なものが多くて、キャリアの長いミュージシャンに対するリスペクトがメッセージとして強く出ているよな。あれもそうなんだよな。」
みたいなことを言うのも、ホントかどうか私には判断できないけど、そういうのに詳しくないんで、なるほどなーとは思う。
どーでもいーけど、同じ回で(そもそもロバート・プラントがグラミー五部門受賞したとこから話は始まってるんだけど)、
松村「お前は文句を言いたいのか誉めたいのか、どっちなんだよ。」
渋谷「文句を言いながら誉めたいんだよ。」
松村「ややこしいからどっちかにしろよ。」
渋谷「嫌だ、そこは譲れない一線だな。」
ってヤリトリがあるんだけど、渋松対談のことなにも知らなくても、このノリがわかるひとなら、この本読んでも面白いんぢゃないかなって、私は思います。