北杜夫 昭和50年 新潮文庫版
あるだけ読み返すことにしてる北杜夫の文庫本、これは短編集。
持ってるのは昭和56年の11刷、そのころの私が何がおもしろくて読んでたのかは記憶にないし、現在からみて想像もつかない。
・もぐら(昭和41年)
精神病院で治療の一環として、入院患者同士の手により映画を作ることになった話。
コミカルに描いてて悲惨さはないけど、ちょっと普通のひとには書けないタイプの小説なのでは。
監督に任命されて必要以上に張り切ってしまう躁病患者とか、「ダメでしゅよ」が口癖で手が震えてしまうカメラマンとか、さすがに特異なキャラが多くでるが、私がいちばん痛々しいなと思うのは、何かの拍子に自分の動きにブレーキがかかってしまうと、一から十まで数字を数えないと動き出せなくなってしまう強迫神経症の人物。
・天井裏の子供たち(昭和40年)
中学生の首領をはじめとして忍者になりきった子どもたちの、いわゆる秘密基地遊び。
しかし、彼らのつかう忍術ってのは窃盗だったりするんで、そのやりすぎのツケはいずれまわってくる運命にある。
・静謐(昭和41年)
富豪の老女の久文とよ刀自は屋敷の離れに住んでいて、家族とも没交渉で挨拶以外には口もきかない八十五歳。
孫を可愛がることもしないが、四歳の孫娘の千花だけは、祖母の部屋に自由に出入りすることを許されている。
ある日、孫に質問された祖母は、悪魔の話をする。
・死(昭和39年)
巻末の解説によって気づかされたんだけど、著者には「珍しい」私小説。
父の斎藤茂吉が亡くなったときのことを書いたもの。
生前の斎藤茂吉の怒りっぽいところを息子の目から書いたところも興味深いんだけど、死んだときに東大の病理学教室で遺体解剖に立ち会ったときに見たものを淡々と書いたところがすごい。
>医学をやったおかげで、たじろがずに父の遺体の解剖されるのを凝視できることは、やはり父に感謝しなければならないのかも知れなかった
なんて言ってるけど。
・白毛(昭和41年)
カラコルムに遠征したときのことを題材にした私小説。
体力の限界ギリギリの状態で下山を完了した後、麓の村までたどりついたときに、自分の身体の一本の白毛をみつけて、ちょっとショックを受ける。
あるだけ読み返すことにしてる北杜夫の文庫本、これは短編集。
持ってるのは昭和56年の11刷、そのころの私が何がおもしろくて読んでたのかは記憶にないし、現在からみて想像もつかない。
・もぐら(昭和41年)
精神病院で治療の一環として、入院患者同士の手により映画を作ることになった話。
コミカルに描いてて悲惨さはないけど、ちょっと普通のひとには書けないタイプの小説なのでは。
監督に任命されて必要以上に張り切ってしまう躁病患者とか、「ダメでしゅよ」が口癖で手が震えてしまうカメラマンとか、さすがに特異なキャラが多くでるが、私がいちばん痛々しいなと思うのは、何かの拍子に自分の動きにブレーキがかかってしまうと、一から十まで数字を数えないと動き出せなくなってしまう強迫神経症の人物。
・天井裏の子供たち(昭和40年)
中学生の首領をはじめとして忍者になりきった子どもたちの、いわゆる秘密基地遊び。
しかし、彼らのつかう忍術ってのは窃盗だったりするんで、そのやりすぎのツケはいずれまわってくる運命にある。
・静謐(昭和41年)
富豪の老女の久文とよ刀自は屋敷の離れに住んでいて、家族とも没交渉で挨拶以外には口もきかない八十五歳。
孫を可愛がることもしないが、四歳の孫娘の千花だけは、祖母の部屋に自由に出入りすることを許されている。
ある日、孫に質問された祖母は、悪魔の話をする。
・死(昭和39年)
巻末の解説によって気づかされたんだけど、著者には「珍しい」私小説。
父の斎藤茂吉が亡くなったときのことを書いたもの。
生前の斎藤茂吉の怒りっぽいところを息子の目から書いたところも興味深いんだけど、死んだときに東大の病理学教室で遺体解剖に立ち会ったときに見たものを淡々と書いたところがすごい。
>医学をやったおかげで、たじろがずに父の遺体の解剖されるのを凝視できることは、やはり父に感謝しなければならないのかも知れなかった
なんて言ってるけど。
・白毛(昭和41年)
カラコルムに遠征したときのことを題材にした私小説。
体力の限界ギリギリの状態で下山を完了した後、麓の村までたどりついたときに、自分の身体の一本の白毛をみつけて、ちょっとショックを受ける。