吉田健一 2017年6月 中公文庫版
没後40年記念という企画でつくられてるオリジナル文庫、表題作をはじめとする人生と読書に関するエッセイを集めたもの。
おもしろそうだとおもって7月くらいに買ったはずなんだが、冬になるまで読まずに放っておいた、怠慢だなあ近ごろ。
食べものに関するものとちがって、人生論なんでちょっとむずかしい。
いや、字面はツーっと読めるんだけど、ぼんやりしてると何言われてんのかわかんなくなる感じなんだよね、俺だけか。
旧仮名のせいもあるのかもしれないが、流れるような文の調べは心地いいんだけど。
>人生に誤算などないし、又あり得ない。あの時かうすればどうなつたとか、どうすればかうなつたとかいふ考へは誰にでも浮ぶものであるが、それはただ浮ぶだけの話であつて、かうすれば本当にどうなつた、或はどうならなかつたといふことはないのである。第一、そんなことを考へる人間は愚図であつた、愚図な人間は街角を右に廻つても左に廻つても、迷ひ子になるのに決つてゐる。(p.25「あやまちなし」)
とか、
>食ふ為に、といふことがよく言はれる。食はなければならないから仕事をして、仕事をする、つまり、就職するには教育を受けなければならないから学校に行き、段々遡つて、我々は食ふ為に生れて来ることにもなり兼ねない。実施は、生れて来たから食はなければならないのであることは言ふまでもないが、兎に角、そんな風にして生きることと仕事は見分けが付かない、殆ど同じ一つのことの両面のやうなものになつてゐる。(p.38「生きて行くことと仕事」)
とか、いいですなあ。
人生論といっても、こう生きるべしみたいなこと強く言う感じぢゃあない。
あっちこっちに繰り返し出てくるのは、なんかしてなきゃいけないみたいな思いに追っかけられるように日々を過ごすなんてのはどうなの、って問いかけ。
>我々、或はもう少し正確には今日の日本に生きてゐる我々は皆何かしてゐることになつてゐて我々がしてゐることがその何かのどれかであるかどうかは我々以外の或る得体が知れないものによつて決められてゐるやうである。(p.105「時をたたせる為に 余暇」)
とか、
>考へて見ると無為といふのは我々に始終何かすることがあつてそれが普通だといふことが前提になつてゐるのでなければ余り意味がない言葉である。併し我々は時々この言葉に出会つてそれは事実何か始終することがあるのが普通になつてゐることを示すもののやうである。余り普通であることになつてゐるので誰もそれがどうしてさうなのか考へもしないでゐるのだらうか。(p.123「無為」)
とかって調子で、忙しいのがいいことぢゃない、みたいなことが唱えられてる、と思う、文章難解でよく理解できてないけど。
道楽と題した文章で、
>これがもと使はれてゐた意味でのこの言葉をこの頃は余り聞かなくなつた。それは解らないことでもなくて、そのもとの意味を説明すれば人間に色々としなければならないことがある時にそれをしないでそれ以外の無駄なことをするのが道楽であつてさういふことばかりしてゐるのが道楽ものだつた。(略)人間に義務として課されてゐるのでなくて自分からしたくてすることが道楽だつた。(p.87-88「時をたたせるために 道楽」)
だなんて言ってるし、また他にも、
>何かの形での退屈といふものが今の日本では恐しく不足してゐるやうな気がする。(略)本当の所は、人生は退屈の味を知つてから始る。(p.78-79「いつまでも続くこと」)
なんてことが書かれてて、どうやら、何もしなくたっていいってことでもいいぢゃないか、みたいなのがテーマぢゃないかと思う。
うーん、余裕あるなあ。
後半は、読書について書いたものが集められているが、戦争で多くの本が焼けてなくなっちゃったのは、やっぱ残念みたいな述懐も多い。
何を読め、なんて押しつけを人にはしてこないんだけど、
>この読書といふ言葉には読みに価するものを読むといふ意味が含まれてゐる。(p.176「本を読む為に」)
とかサラっと厳しい、しょうもない出版物ばっか増えても意味ないってか。
意外とおもしろかったのは、
>(略)鷗外がそのレクラム版の本のみならず、蔵書の凡てを本棚に縦に並べる代りに横に重ねたのは取り出すのは不便でも、その方が本が痛まないからだつた。(p.155「本のこと」)
ってエピソード紹介したかと思うと、
>本を横にして積み上げるのでなしに、縦に本棚に並べて見たいと思ふやうになつてから随分になる。(p159「本棚に並んだ本」)
だなんて自身のことも言ってんだけど、そうかあ、やっぱ横にして積んぢゃうことになるんだよなあ、と妙に自分のウチの惨状をやむなしと認めてくれる味方が現れたような気にさせてくれたとこかな。
収録作は以下のとおり。同じタイトルが複数ある。
I
わが人生処方
あやまちなし
鬢糸
年輪
生きて行くことと仕事
暇潰し
三楽
見聞ところどころ
いつまでも続くこと
年のせゐ
時をたたせる為に
無為
II
本
私の読書遍歴
私の読書遍歴
本の話
本のこと
本棚に並んだ本
文庫と私
本の話
本の話
本を読む為に
読むことと書くこと
*
余生の文学
没後40年記念という企画でつくられてるオリジナル文庫、表題作をはじめとする人生と読書に関するエッセイを集めたもの。
おもしろそうだとおもって7月くらいに買ったはずなんだが、冬になるまで読まずに放っておいた、怠慢だなあ近ごろ。
食べものに関するものとちがって、人生論なんでちょっとむずかしい。
いや、字面はツーっと読めるんだけど、ぼんやりしてると何言われてんのかわかんなくなる感じなんだよね、俺だけか。
旧仮名のせいもあるのかもしれないが、流れるような文の調べは心地いいんだけど。
>人生に誤算などないし、又あり得ない。あの時かうすればどうなつたとか、どうすればかうなつたとかいふ考へは誰にでも浮ぶものであるが、それはただ浮ぶだけの話であつて、かうすれば本当にどうなつた、或はどうならなかつたといふことはないのである。第一、そんなことを考へる人間は愚図であつた、愚図な人間は街角を右に廻つても左に廻つても、迷ひ子になるのに決つてゐる。(p.25「あやまちなし」)
とか、
>食ふ為に、といふことがよく言はれる。食はなければならないから仕事をして、仕事をする、つまり、就職するには教育を受けなければならないから学校に行き、段々遡つて、我々は食ふ為に生れて来ることにもなり兼ねない。実施は、生れて来たから食はなければならないのであることは言ふまでもないが、兎に角、そんな風にして生きることと仕事は見分けが付かない、殆ど同じ一つのことの両面のやうなものになつてゐる。(p.38「生きて行くことと仕事」)
とか、いいですなあ。
人生論といっても、こう生きるべしみたいなこと強く言う感じぢゃあない。
あっちこっちに繰り返し出てくるのは、なんかしてなきゃいけないみたいな思いに追っかけられるように日々を過ごすなんてのはどうなの、って問いかけ。
>我々、或はもう少し正確には今日の日本に生きてゐる我々は皆何かしてゐることになつてゐて我々がしてゐることがその何かのどれかであるかどうかは我々以外の或る得体が知れないものによつて決められてゐるやうである。(p.105「時をたたせる為に 余暇」)
とか、
>考へて見ると無為といふのは我々に始終何かすることがあつてそれが普通だといふことが前提になつてゐるのでなければ余り意味がない言葉である。併し我々は時々この言葉に出会つてそれは事実何か始終することがあるのが普通になつてゐることを示すもののやうである。余り普通であることになつてゐるので誰もそれがどうしてさうなのか考へもしないでゐるのだらうか。(p.123「無為」)
とかって調子で、忙しいのがいいことぢゃない、みたいなことが唱えられてる、と思う、文章難解でよく理解できてないけど。
道楽と題した文章で、
>これがもと使はれてゐた意味でのこの言葉をこの頃は余り聞かなくなつた。それは解らないことでもなくて、そのもとの意味を説明すれば人間に色々としなければならないことがある時にそれをしないでそれ以外の無駄なことをするのが道楽であつてさういふことばかりしてゐるのが道楽ものだつた。(略)人間に義務として課されてゐるのでなくて自分からしたくてすることが道楽だつた。(p.87-88「時をたたせるために 道楽」)
だなんて言ってるし、また他にも、
>何かの形での退屈といふものが今の日本では恐しく不足してゐるやうな気がする。(略)本当の所は、人生は退屈の味を知つてから始る。(p.78-79「いつまでも続くこと」)
なんてことが書かれてて、どうやら、何もしなくたっていいってことでもいいぢゃないか、みたいなのがテーマぢゃないかと思う。
うーん、余裕あるなあ。
後半は、読書について書いたものが集められているが、戦争で多くの本が焼けてなくなっちゃったのは、やっぱ残念みたいな述懐も多い。
何を読め、なんて押しつけを人にはしてこないんだけど、
>この読書といふ言葉には読みに価するものを読むといふ意味が含まれてゐる。(p.176「本を読む為に」)
とかサラっと厳しい、しょうもない出版物ばっか増えても意味ないってか。
意外とおもしろかったのは、
>(略)鷗外がそのレクラム版の本のみならず、蔵書の凡てを本棚に縦に並べる代りに横に重ねたのは取り出すのは不便でも、その方が本が痛まないからだつた。(p.155「本のこと」)
ってエピソード紹介したかと思うと、
>本を横にして積み上げるのでなしに、縦に本棚に並べて見たいと思ふやうになつてから随分になる。(p159「本棚に並んだ本」)
だなんて自身のことも言ってんだけど、そうかあ、やっぱ横にして積んぢゃうことになるんだよなあ、と妙に自分のウチの惨状をやむなしと認めてくれる味方が現れたような気にさせてくれたとこかな。
収録作は以下のとおり。同じタイトルが複数ある。
I
わが人生処方
あやまちなし
鬢糸
年輪
生きて行くことと仕事
暇潰し
三楽
見聞ところどころ
いつまでも続くこと
年のせゐ
時をたたせる為に
無為
II
本
私の読書遍歴
私の読書遍歴
本の話
本のこと
本棚に並んだ本
文庫と私
本の話
本の話
本を読む為に
読むことと書くこと
*
余生の文学
