丸谷才一 昭和54年 新潮文庫版
この文庫は、たしか今年3月に、初めて行った古本屋の均一棚で見つけた。
丸谷才一の本あつめてて、よくわかんないのは、たとえば新潮文庫でいちばん新しいと思われる平成27年の『持ち重りする薔薇の花』のカバーの裏とか見ると、「丸谷才一の本」として挙げてあるのが『笹まくら』『完本日本語のために』『文学のレッスン(湯川豊共著)』しか無くて、要は絶版ってことなんだろうとは思うが、どの文庫に何があるのか見当つかないんで、探しにくいってことなんである。
ま、いっか。あてもないうちに、見たことないもの見つけられたら、それはそれで楽しいし。
それにしてもシャレたタイトルだ、男のポケットだって。冒頭に、トム・ソーヤのポケットにはいろんなもの入ってた、なんてこと書いてあるんだけど、そうだよねえと思い出した。
で、このエッセイ集は、昭和50年ころに夕刊フジに連載してたコラムが初出ということで、そのせいか難しい書評のようなものはなんにもない、読んでてただ楽しい。
文学の話が出てくるにしたって、日本のサクランボがオーストラリアのに比べて水分乏しくて糖分がなくて値段が高くてまづい(昭和当時の話だから)のは、太宰治の忌日を桜桃忌なんて名付けたんで、サクランボを戦後まもない時期から品種改良しないで放置しているからぢゃないか、なんて具合に引き合い出して、
>が、私見によれば、さういふ悲しい桜桃の樹は、あの作家を記念するため、日本近代文学館の庭に一本、植ゑておけばいいのである。(p.149「文学的な庭」)
とかいう程度。
新潟の海の眺めのいいところで、護国神社の近くの丘をあげるんだが、
>(略)これで文学碑がなければもつといいのにな、といふことで、大体わたしは昔から文学碑といふのが嫌ひなんです。あんな非文学的なものはないと思ふ。文士を記念するには、本があればそれでいい。文章がよければ、石に刻まなくたつて残るし、それに、残らなくたつて、いいぢやありませんか。(p.206「向うは佐渡よ」)
なんてのは、こないだ『村上さんのところ』を読んだとき、「文学なんてほうっておけば~」ってのが出てきたときに、なんか似たものを感じた。
それでも油断すると、
>暑いですね。暑いときにはどうすればいいか。銷夏の法として一番しやれてゐるのは、
> 思ひかね妹がりゆけば冬の夜の川風さむみ千鳥なくなり
>といふ歌をくちずさむことである。この和歌を唱へれば夏のさかりにも冬の心地がする、と鴨長明が言つてゐた。(p211-212「納涼国風」)
なんて教養があふれでちゃってたりするのに出くわしたりするが。
文学とかぢゃなくて、トリビアものでおもしろいのがひとつ、
>紀元前五〇〇〇年から現在までを収める年表がイギリスにあつて、そのうち、この年だけが空白になつてゐるさうだ。(p.46「空白の年」)
というのが西暦九八九年だというのの紹介。
>(略)何一つ起らなかつたのである。ペストも、王朝の転覆も、暗殺も、戦争もなかつた。(同)
ということらしい、「さういふ年に生きることを、羨ましいとは思ひませんか」って言われてもピンとこないけど。
バカバカしいので、気にいったやつでは、その昭和50年からみて「十五年ばかり前のこと」としてあるけど、いつも家ではトリス・ウィスキーを飲んでいたそうだが。
>そのころ、人から、サントリーのインペリアルといふ新発売、あるいはすくなくともそれに近いものをもらつた。角の上が黒、黒の上が(今はリザーヴだけれど当時はまだなかつたから)ロイヤル、ロイヤルの上がインペリアルで(略)(p.95「発明苦心談」)
ということだが、それを飲んでみると、香水みたいな味がして、ウィスキーのような感じがしない、自分にとってはうまくないと。
そっから思いつくことがおもしろくて、また引用すると、
>ところが、ある夜、寝酒にトリスを飲んでぼんやり煙草をくゆらしてゐるとき、わたしはとつぜん、
>「判つた!」
>と叫んだ。このトリスにほんのすこしインペリアルをまぜれば、美酒が出来あがり、しかもその美酒は香水くさくないのではないかと考へたのである。(p.96同)
ということで、トリスに何滴かそのインペリアルを入れて、「当時のわたしが味はつたことのないロイヤルといふ代物にそつくりであらうと思はれる」ものをつくることに成功する。
そしたら、そのブレンドを続ければよさそうなものを、次は「今度は黒を作ろうとして」とか、さらに「次は角」ときて、「最後にサントリー・ホワイトを作製しようとしたが、これがまた難事業」という調子で、朝までかかって遊んでいたって話。
ホントかなー、でもつくり話にしてはうますぎる、とにかく笑った。
短いけど100もの話が収録されてるので、タイトルここに並べるのはめんどくさくてヤメとく。
この文庫は、たしか今年3月に、初めて行った古本屋の均一棚で見つけた。
丸谷才一の本あつめてて、よくわかんないのは、たとえば新潮文庫でいちばん新しいと思われる平成27年の『持ち重りする薔薇の花』のカバーの裏とか見ると、「丸谷才一の本」として挙げてあるのが『笹まくら』『完本日本語のために』『文学のレッスン(湯川豊共著)』しか無くて、要は絶版ってことなんだろうとは思うが、どの文庫に何があるのか見当つかないんで、探しにくいってことなんである。
ま、いっか。あてもないうちに、見たことないもの見つけられたら、それはそれで楽しいし。
それにしてもシャレたタイトルだ、男のポケットだって。冒頭に、トム・ソーヤのポケットにはいろんなもの入ってた、なんてこと書いてあるんだけど、そうだよねえと思い出した。
で、このエッセイ集は、昭和50年ころに夕刊フジに連載してたコラムが初出ということで、そのせいか難しい書評のようなものはなんにもない、読んでてただ楽しい。
文学の話が出てくるにしたって、日本のサクランボがオーストラリアのに比べて水分乏しくて糖分がなくて値段が高くてまづい(昭和当時の話だから)のは、太宰治の忌日を桜桃忌なんて名付けたんで、サクランボを戦後まもない時期から品種改良しないで放置しているからぢゃないか、なんて具合に引き合い出して、
>が、私見によれば、さういふ悲しい桜桃の樹は、あの作家を記念するため、日本近代文学館の庭に一本、植ゑておけばいいのである。(p.149「文学的な庭」)
とかいう程度。
新潟の海の眺めのいいところで、護国神社の近くの丘をあげるんだが、
>(略)これで文学碑がなければもつといいのにな、といふことで、大体わたしは昔から文学碑といふのが嫌ひなんです。あんな非文学的なものはないと思ふ。文士を記念するには、本があればそれでいい。文章がよければ、石に刻まなくたつて残るし、それに、残らなくたつて、いいぢやありませんか。(p.206「向うは佐渡よ」)
なんてのは、こないだ『村上さんのところ』を読んだとき、「文学なんてほうっておけば~」ってのが出てきたときに、なんか似たものを感じた。
それでも油断すると、
>暑いですね。暑いときにはどうすればいいか。銷夏の法として一番しやれてゐるのは、
> 思ひかね妹がりゆけば冬の夜の川風さむみ千鳥なくなり
>といふ歌をくちずさむことである。この和歌を唱へれば夏のさかりにも冬の心地がする、と鴨長明が言つてゐた。(p211-212「納涼国風」)
なんて教養があふれでちゃってたりするのに出くわしたりするが。
文学とかぢゃなくて、トリビアものでおもしろいのがひとつ、
>紀元前五〇〇〇年から現在までを収める年表がイギリスにあつて、そのうち、この年だけが空白になつてゐるさうだ。(p.46「空白の年」)
というのが西暦九八九年だというのの紹介。
>(略)何一つ起らなかつたのである。ペストも、王朝の転覆も、暗殺も、戦争もなかつた。(同)
ということらしい、「さういふ年に生きることを、羨ましいとは思ひませんか」って言われてもピンとこないけど。
バカバカしいので、気にいったやつでは、その昭和50年からみて「十五年ばかり前のこと」としてあるけど、いつも家ではトリス・ウィスキーを飲んでいたそうだが。
>そのころ、人から、サントリーのインペリアルといふ新発売、あるいはすくなくともそれに近いものをもらつた。角の上が黒、黒の上が(今はリザーヴだけれど当時はまだなかつたから)ロイヤル、ロイヤルの上がインペリアルで(略)(p.95「発明苦心談」)
ということだが、それを飲んでみると、香水みたいな味がして、ウィスキーのような感じがしない、自分にとってはうまくないと。
そっから思いつくことがおもしろくて、また引用すると、
>ところが、ある夜、寝酒にトリスを飲んでぼんやり煙草をくゆらしてゐるとき、わたしはとつぜん、
>「判つた!」
>と叫んだ。このトリスにほんのすこしインペリアルをまぜれば、美酒が出来あがり、しかもその美酒は香水くさくないのではないかと考へたのである。(p.96同)
ということで、トリスに何滴かそのインペリアルを入れて、「当時のわたしが味はつたことのないロイヤルといふ代物にそつくりであらうと思はれる」ものをつくることに成功する。
そしたら、そのブレンドを続ければよさそうなものを、次は「今度は黒を作ろうとして」とか、さらに「次は角」ときて、「最後にサントリー・ホワイトを作製しようとしたが、これがまた難事業」という調子で、朝までかかって遊んでいたって話。
ホントかなー、でもつくり話にしてはうますぎる、とにかく笑った。
短いけど100もの話が収録されてるので、タイトルここに並べるのはめんどくさくてヤメとく。